タイに恋した男の物語

マンゴとカエルと共に暮らすのヒマ トックが日本に住所を移し
タイでの出来事などを思いのままに書いて行きます

カターイ恐怖症

2016年12月13日 01時00分00秒 | 旅行


 タイではカターイは、日本で言うところのオカマと同じと思っていたが、少し違うらしい。


 彼女と大きい市場が開かれていた時に、魚を売っていた男性が居た、


 身なりは男の身なりだが素振りは日本で言うオカマである。


 彼女にあの男はカターイかと尋ねると違うと言うのであるが、


 どう見ても普通の男とは素振りなどは違うし、私が日本で普通に見るオカマである。


 彼女の説明ではカターイと呼ぶのは、女装をしていなければ、タイではカターイと呼ばなく


 他の呼び名のタイ語が有るそうだと言う。


 私がタイに行き始めた時は、夜などのゴーゴーバーでは、綺麗で背が高くて化粧が上手く、


 女らしい女性が居るので呼んでみると、初めは分からないが話してみると、


 何かおかしいので、カターイと気が付くと、ごめん間違っていたと言って他所に行って貰う。


 次に入ってきた女性が又前より綺麗で、そばに呼んで見て飲み物を注文する、


 その女性と飲んでいると、前のカターイが怒って水をぶっかけられる。


 その女性も良く見るとカターイである。


 2回も続けてカターイを呼んだ事になるが、水を掛けられたおかげで、


 チェックピン ドゥワイ(勘定)と言って、そこの店から出られたのである。


 それからと言う物は、タイ人女性を見るとカターイに見えて来て、


 君はカターイではないかと、念を押す始末である。


 たまに綺麗なカターイを見ると見間違えることが有る、田舎にも居るが数が少ないからである。


 今度バンコクに行くと、見間違う様な店には行かなく、健全な遊びをしたい。タイ・ブログランキング
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軍事政権と説いて

2016年12月12日 01時00分00秒 | 旅行


 突然ブログを再開して、こんなに多くの人が関心を持って貰い、感謝しています。


 マンネリ感んは有ると思いますが、今後とも宜しくお願いします。


 今は各国で軍事政権が倒れて混乱が生じていますが、ECE諸国が唱える民主主義が根付く事なく、


 紛争が続いた国が多いですね。


 私がアフリカのリビアに居た頃は、一人でトリポリの町を歩いて居ましたが、


 カダフィー政権が倒れてまだ混乱が収まりません。


 隣の国のエジプトでは軍事政権が出来て国は安定しています。


 民主主義を根付かすのには、それなりの国の治安安定や経済などの安定が居ると思います。


 日本でも一番遅れてるのは政治と思いますがどう思われますか。


 タイでは彼女等は軍事政権大歓迎と言っていました、警察に変わり軍隊が警備すれば


 車を止めて賄賂を要求する事もなく、癒着した警察官より良いと言っていた。


 赤シャツや黄シャツの混乱時代よりは街は安定していると思います。


 国王がお亡くなりになった後は、混乱を予測している人も多いですが。


 経済活動や治安も安定して、今のところ無事に選挙が行われ


 民政移管に成れば良いと思っているのです。タイ・ブログランキング
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検問

2016年12月11日 01時00分00秒 | 旅行


 今日は朝から調子が悪い、昨日はジムからカラオケボックス店と行き、最後は忘年会で締であった。


 何時も飲まない焼酎を少し飲み、風邪引きの仲間がおりうつされたようである。


 朝8時過ぎに出て,帰ったのは夜8時近くで有った。


 本題に移ると、タイ及び後進国で暮らして居ると、検問を受けることが多いのを感じるのである。


 警察や軍隊など、それだけ治安が安定していない証拠なのかと思う。


 特に国境近くでは、少し走っただけで止められるのは、うんざりするし、緊張するのである。


 北タイのメコン川の川岸の道路を走っていたのだが、まだ彼女が運転免許を取ってまもなかったので、


 彼女のコォーンケェンの友達の愛人のタイ人男と、2人で交代で運転していたのだが、


 免許は取り消しで持っていないのである。


 三叉路の所で検問所が有り、警察官が出て来て、タイ人男はどちらの道か聞いている。


 免許証を検査することなく、無事に通してくれた。


 冷や汗もので有ったが、タイ人男は何時も免許なしで運転してるから平気で、


 最悪の時は袖の下でこらえて貰っているから、堂々としたものだ。


 私はタイの免許を取得していたので、色々便利で有ったのだが、


 ミャンマー青年の件で国境近くからタークの町までに多くの検問所が有る。


 彼女が運転していて、彼女が検問に遭っていたから、私は助手席で見ていたら。


 私を見てどこの国の人間か聞いてくる、日本人と彼女が答えていると、


 パスポートを見せと言う、運悪く家に忘れていたのである。


 財布にタイの免許証が有り、それを見せると通してくれた。


 後から彼女に怒られたのだが、日本では自分を証明するものを持ちあるからない。


 タイ人は何時もI,Dカードを持ち歩いているから、余計に腹がたったのだろう。タイ・ブログランキング

 
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楽しい思い出

2016年12月10日 01時00分00秒 | 旅行


 到着時刻が遅くても日本からタイに帰って来る私を、迎えに空港まで迎えに来てくれたのである。


 一般客が入れる最先端の柵の近くで待っていてくれたのである。


 彼女の顔を見るまでは空港に降りても落ち着かず、探していたのだが、


 半日以上空港で待っていたと言っていた、バンコクに行くには町から2便のロットーのバスの便がなく


 早い時間のバスで来たと言っていた、遅い便のバスは飛行機の到着時間に余裕が無いのでと言う、


 遅れても私が空港で待っているからと言っても、早くから来て空港内をウロウロしていると言う。


 この前の電話の時空港で私を待つのが楽しみと言っていた。


 それからエアポート レールリンクからスカイトレインを乗り付いて駅から降りて、


 歩いて行く途中道端の屋台から夕食を買いホテルで食べるのである。


 長い間空港で待っている間に何も食べていないのである。


 エアーポートリンクの最終時間になる時も有るのであるが、無駄使いをしないのである。


 その次の日がお金の両替して、彼女の服などのショッピングをするのだが


 道端に店を出している洋服などを買うのであるが、値切る事は無いので、


 昔何点か買って値切ればと言った事が有り、それから値切りだしたのである。


 食事もタイスキが好きなので、一緒にタイスキを食べるのであるが、


 それが一番の贅沢である。


 蟹、エビが好きでも値段が高いと言って、そんな店には入らないのである。


 あくる日の朝にはスカイトレインに乗ってモーチットの駅まで行き、


 ロットーの8時発のバスで田舎町まで帰るのである。タイ・ブログランキング
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タイの国内を走って見たら

2016年12月09日 01時00分00秒 | 旅行


 題名の走って見たらは、マラソンを走ったわけではなく、車で色々な場所を見て来たと言う事です。


 一番恐ろしかったのは、ターク県から少数民族のカレン族の自治区に行った時でしょ。


 勿論パスポートを出して審査するわけではなく、水嵩がました小さな川を耕運機に乗って渡って行きます。


 川岸にはタイの兵隊が小銃を持って見ています、渡り終えるとそこは自治区です。


 小高い丘に見張り小屋が有り、カレン族の兵隊が待機しています。


 がたがた道を進むと検問所が有り、兵隊が10人ぐらいいて、耕運機に乗った人をカレン族の案内人に説明を求めていました。


 私の姿は外国人とはすぐ判ると思いますが、タバコを出して話しています、


 案内人の家族と彼女と5人で乗っていましたが、問題ないと言われていまうが、捕まればどうなるか分かりません。


 人間は怖いもの見たさで好奇心を満足させるのでしょうね。


 タイ側に残っていても良いと、言われていましたが、これを見逃すと一生経験する事は無いと思い参加したのです。


 正規の国境を渡ったのではなく、ミャンマー国側から見れば、密入国者となるんですね。


 一応は停戦状態であったのですが、村の交差点の中央はトーチカがあり、何時でも戦いが起こっておかしくない状態でした。


 ミャンマー青年の実家に尋ねた時の話です。


 暗くならないうちに帰ることになり、再びドキドキしながら、耕運機に乗り無事に帰り付くことが出来、


 もう二度とは行きたくないと思いました。


 それと面白いと思ったのは、メコン川からピサヌロークに帰えっていた途中に、


 小高い山に向かってまるで滑り台の様に、真直ぐに道路があり、途中で休めるように平らな部分があり、


 又真直ぐ頂上に向かって道路が付いているのが笑えましたね。


 だから車は下から勢いをつけて上り、途中で勢いが落ちたら、平らな部分で勢いを取り戻して、


 登ると言うパターンですね。


 日本ではまず見ることは無いと思いますが、国が変われば考える事も違うのですね。タイ・ブログランキング
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移住してみたら

2016年12月08日 01時00分00秒 | 旅行


 先日の日曜日に沖縄の那覇にマラソン大会が行われ、家族が参加したが温度が28℃近く上がり、


 その上に蒸し暑く倒れるランナー多数出て、大騒ぎで有ったそうだ。


 参加者の半数位が棄権して、水を頭からかぶり時間制限ぎりぎりでゴールしたそうだ。


 何もマラソンの話がしたい訳ではない、日本の県の人口が減少していて、増えてる県は数少ないと言う事だ。


 大阪府でも減少してる中で、沖縄県は増えている県である。


 それは移住者が多いのが原因の一つと言われているが、移住者の半数近くが帰って行くと言っていた。


 それは気候が合わないと言っている人が、一番多いと言う事だそうだ。


 これは沖縄で聞いてきた話で有るので、正式な話ではないのでご了解願いたい。


 私がタイを選んだ時期は、今の様にマレシーアは移住者の話を聞く事は無く、


 好きな東南アジア諸国ではタイかフィリピンぐらいであった。


 最終的にはタイに選んだ理由の一つは、治安が良い事で有ったが、


 彼女と知り合えなかったら、タイで暮らす事は無く、観光客として過ごしていた事と思う。


 宗教も重要なポイントの一つと思う、私としてはイスラム教の国で暮らした事が有るが、


 何か根本的な考え方が違うと思うが、アラブ人一人一人は友達になれば親切で、


 親身になって心配をしてくれる。


 だけどタイでも私が知っている人の大半の、日本に帰って生活している人が多い。


 理由は色々あると思うが、タイで生活して見て思った以上にお金が出て行き、


 このままならお金が足らなくなるとか、


 家族とのトラブル、子供の教育の国、事業の失敗、


 ファランに比べれは、日本人のタイの移住者は少なく、


 我が田舎町では移住者は無く、その後日本人の姿は見る事は無く、


 タイ嫁と子供とタイに一時帰国した日本人の夫が一年前に見たのが最後らしい。タイ・ブログランキング
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タイに居る日本人でも

2016年12月07日 01時00分00秒 | 旅行


 タイで見かける日本人でも、色々の立場の人が街を行き来しているのだると思う。


 その形態はビザに依っても、違いが分かって来るのではないかと思う。


 ノービザ滞在は短期の観光客や就労ビザの駐在員や、ロングスーテビザや結婚によるビザなど色々有るが。


 一番呑気に過ごしているのは、何と言っても観光客ではないかと思う。


 近頃は日本の会社も諸経費が高くつく駐在員の数を抑えて、短期の出張に切り替えていると聞く。


 私から見れば駐在員は王族扱いに見えてくる。


 今はどうだか知らないが、高級マンションお手伝いさんに、運転手付きの車。


 子供は日本人学校の送り迎え。


 それで成果が上がれば良いが、電機系統の会社の様に韓国に駆逐されてしまう。


 そんなことを書こうと思ったわけでは無いが、能天気な駐在員のブログを見ているとつい書きたくなる。


 タイに住んで居ても田舎町では同胞と呼ぶ人は少ない、


 仲良くなった隣人を見つけ出しても、問題発生でどこかに移って行く。


 タイ人の知り合いに、近くに日本人が居ると言う情報を聞くと探しに行くが、


 殆どが空振りに終わることが多かった。


 個性的な人間か、孤独を愛している様な人間しか、長期には住めないかと思う事もある。


 今は色々な町で日本人の姿を見かけるというが、


 同じ日本人と言っても、必ず気が合うと言う事ではなく、


 又タイ人嫁同士が仲良しと、言うわけでもない事が多い。


 まあ観光客と言う事で滞在することが、一番気楽でビザもいらず、楽しく過ごせるのだ。タイ・ブログランキング
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タイの観光地に異変

2016年12月06日 01時00分00秒 | 旅行


 タイブログを見ていると、バンコクよりパタヤの情報が多いのに驚いとぃる。


 この前まではタイのブログを見た事もなく、関心もなかったのだが、


 日本の暮らしに満足していて、ジム仲間もタイに行かず、日本で暮らした方が良いと言ってくれてた。


 ジムから家に帰って少し暇になったから、ブログを再開すると、


 タイの情報を得る為に、彼女に電話するようになったのだが、それが間違いの元である。


 遊びに行っても良いかと聞くと、予想外の家に来て貰っては困ると言われ、天狗の鼻をへし折られた気持である。


 それからタイに興味が湧いて来て、情報を調べ出したのであるが、


 バンコクは中継基地化していて、2日間位しか滞在しなく、帰る時はその日のうちに帰ると言うパターンだった。


 私がパタヤで遊んでいた頃は日本人客が少なく、ほとんどファランの客であって、


 タイ人女性もファランの方が良いと言われたものである。


 パタヤは海辺と言っても海は汚く泳ぐことは出来ないので、彼女と一緒に砂浜のイスに寝転んで、


 売り子が持ってくる、エビやするめなどを食べて過ごしたものだが。


 今では日本人店長が居るゴーゴーバーなどが有るようである。


 ノースーパタヤのホテルに泊まっていた頃、バンコクから彼女を連れて来ていたのだが、


 ホテルのスタッフのタイ人男が、前回泊まった時違う女性と泊まっていたと、


 タイ語で話したと言っていたのである。


 それで無くてもタイ人女性はチェックが厳しいのに、それが後には、


 空港まで迎えが有り、一緒に田舎町まで帰るパターンとなったのである。


 だがネットの情報は昔の方が親切で、今は参考になる様なブログは少なく、


 タイ政府が健全観光を目指しているのか、営業停止や閉店する店が有り、時代の変化が読み取れる。タイ・ブログランキング
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彼女の負けず嫌い

2016年12月05日 01時00分00秒 | 旅行


 この前に電話した事を書いたが、サーミー(夫)が居るのかと聞くと、返事を曖昧にする。


 君の仕事を手伝いしないかと聞くと、私一人でしていると言う。


 サーミーの仕事は何かと聞くと、サーミーは今居ないので探していると言う。


 彼女にして見れば将来一緒に住んでくれないか、私の気持ちを試している節が有るが。


 2年前の電話で何時タイに来るかと聞かれて、分からないと答えていて


 それから電話も掛けずに、ほったらかしにして置いて、今さら虫が良すぎると思うのだろう、


 彼女の怒りが収まらないのは良く分かる。


 まして事業は上手くいってなく、ミャンマー青年は辞めて忙しい。


 町で暮らす気がないのなら、うろうろして貰うと、世間体が悪くて


 町の人に何を言われるか分からない。


 彼女は近所の人間とは余り仲が良くなく、うわべだけは笑顔で接してるが、


 私には度々悪口を言っていた。


 彼女の理想はタイに来なくても良いが、送金だけして欲しいと様な口ぶりだけど、

 
 困っているから援助して欲しいとは、言わないのである。


 良く人は言う一緒になるのは簡単だが、別れるのは何倍のエネルギーを使うと言う。


 人間の絆を切ると言う事は、これほど引きずるのかと思う、


 身から出た錆であるから、悩むのも良い薬である。タイ・ブログランキング
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友達の死

2016年12月04日 01時00分00秒 | 旅行
 

 昨日もカラオケBOXに仲間と行き、家に帰ったら17時近い時間で有った。


 大声を出すのは良い運動になり、ストレス発散となり仲間との連帯感もより強固になって行くようだ。


 私は友達を作らなく一匹狼的生き方が良いと何時も思っていたが、


 気心が知れた仲間が居るのも良い事だと思い始めた。


 話が変わるが、時たま彼女に電話するとサミ―(夫)が居るものとして話していると話が曖昧でである。


 彼女には昔から3人組と言っても言い、友達がいる。


 コォーンケェンの友達はブログに多く登場したと思う、癌を患っていて入退院を繰り返していたのである。


 金持ちのファランと暮らして居た時は、クレジットカードを渡されていて、


 好きな物を買い放題で、ランドクルーザーを持っていて、愛人にタイのタクシードライバーがいて、


 その男は事故を起こして会社を首になる様な人間で、スピード狂で有るが単純男であった。


 そんな栄華な暮らしは長くは続かない、入院していたファランの知る事となり、


 カードは取り上げられ、収入の道を絶たれると、3件程経営していたカラオケ店も潰れ、

 
 故郷のイサーンに帰って行ったが、派手な生活が仇になり困窮する破目になり、


 友達に借金の申し込みをしても、返済が出来ないので貸し手が無く、


 バンコクのナナ―のバービアで少し働いていた時、体の調子が悪くなり、


 病院で検査の結果癌が見つかり、それから4~5年近く経っていたが、


 亡くなったと言う話をしていた。


 タイ人の栄光盛衰の時期は短く、永遠にもその生活が続くと思い続けているから、


 落ちぶれれは誰も相手にされず、厳しい終末を迎える事となるのであろう。タイ・ブログランキング
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悲しい思い出をたどると

2016年12月02日 01時00分00秒 | 旅行


 私がタイで涙を流したのは一度きりだと思います。


 彼女は無類の犬好きで、現在は5匹飼ってるそうです、私が出て行ってまた一匹増やしたようです。


 犬と一緒に芝生の上に敷物を敷いた上で、一緒に寝ていますから。


 家で飼っていた犬で、4匹が病気や飼い主の不注意で亡くなっています。


 ゴールデンレトリーバー飼い始めて、この犬は雑種と交尾したので、お腹の子犬を中絶する為に


 タイ人の男に注射を打って貰ったところ、苦しみながら死んでいったのです。


 そんな事とは知らず後悔していましたが、


 私が好きなタイの犬でバンケーオと犬が飼いたくて、ピサヌロークの飼育家の家まで行って、


 そこの子犬はオスが居なくて、他所の家から連れて来てやると言われ、


 2時間以上待って連れて来てくれた犬が、太郎と名前を付けたと思います。


 その犬が成長して体格も良く、私自慢の犬に成長していて、


 近くの田圃のタイ人が連れて来た犬と喧嘩していた時等は、私が棒を持って加勢したものでした。


 今思えば無謀な事をしたものだと思いますが。


 その太郎が吐き気を起こして嘔吐を繰り返すので、ピチットの犬猫の病院に連れて行ったのですが、


 良くならず入院をさせたが、半月以上経っても同じ状態のままなので経費も掛かり連れて帰った、


 当初は元気に見えたが、2~3日後苦しみながら死んでしまつた。


 その時大粒の涙が出て止まらなかった、その後も犬を買い続けたが太郎の様な凛々しい姿をした、


 犬はいなかったのだが、後から解った事だが、市場で買った鶏の骨のから揚げの骨が、


 消化せずに胃にたまりそれが原因で、ピサヌロークの病院に連れて行ってれば、


 手術で骨を取り出されたのだと言う事だ、ピチットの町がピサヌロークより少し近いと言う事で連れて行ったのだ。


 亡骸は木の近くに埋めて石を建てお墓の変わりにしたが、その木は数年後大木となっている。


 彼女が貴方の泣いた涙を初めて見たと言っていたが、


 本当に大切にしていた物を失ったとおもった。タイ・ブログランキング
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世界の男を魅了しているのか

2016年12月01日 01時00分00秒 | 旅行


 タイ人女性に付いて触れてみたいと思います。


 世界各地からタイに数多くの観光客がタイに訪れます。


 微笑みの国タイに多くの男性客が訪れて、タイ人女性の魅力に取りつかれて財産を失う事も有ります。


 日本人男性にしても日本ではあり得ない光景が、バンコクの町では見れれます。


 日本では持てない部類と思われる男性が、綺麗なタイ人女性と手まで繋いで歩いて居る光景に出くわします。


 隣を見比べながら、どうせお金だからの関係だからと心では思っていますが、


 一寸悔しい気持ちもします。


 彼女との生活で私には色々と気を使ってくれていました。


 一寸出て行くが一緒に行くかとか、買い物に行くから欲しいものはないかなどと言っていました。


 私がブアーブア―(退屈)と何時も言っていると、心配して気を使い心配していました。


 考えて見れば子供が生まれて、子供を残したまま本国に帰ってしまった外国人も数多くいますし。


 まして一銭のお金も送金しない人もいます。


 何方側から見るからに因っても、意見の違う事と思います。


 タイに行って飲めない酒を飲みながら、色々と下手なタイ語で喋るのもタイでの楽しみです。


 ファランの爺さんが昼間バービアから、ビールを飲みながら物憂げな顔して、


 通りを見ている風景が思い起こします。


 だが日本人女性もタイに、もう一度行きたいと言う人は数多くいます。


 日本の様に時間に追われることなく、時間に遅れればコートート ナと言えば


 マイ ペン ライで済む世界である、。


 タイに暮らして居れば時間は永遠に有ると思うのである。タイ・ブログランキング
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