馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

早期退職 切捨てⅡ

2010-02-21 11:42:54 | 日記
先月、会社勤めをしていた頃の後輩から葉書が届いた。
「昨年末、57歳で早期退職しました。
これからは 嫁さんの実家(愛知)近くで
第二の人生を送ります」。
簡単な文面であった。
当人は九州出身 彼の嫁さんの姉を私は知っていて
同じく私の後輩と社内結婚したが直ぐ離婚
その後再婚したが3年前夫は首吊り自殺
50歳過ぎて豊洲のマンションで一人暮らし
時折、プチ引きこもりになるそうだ。
やはり57歳で早期退職して房総で段々畑を購入して
犬と猫と暮らすオバサン(別居生活20年)と
昨年7月、3人で20数年ぶりに再会 日本橋イタリアンレストランで会食
当時労組書記長であった私とは執行部女性役員で同志でもあった。
遠くに行ってしまった思い出話
若く情熱燃やした組合運動そして挫折
30年近い歳月、だが私達は体型は変わったが
気持ちは変わらなかった。
他にもう一人来れなかった女性がいるのだが
やはり57歳で一人身
当時男女雇用機会均等法が施行されようとしていた。
まだまだ女性が企業でリーダーになれる環境では無く
彼女達は能力もあったが管理職になるためには
家庭なり結婚とういう代償を半ば捨てた形になった。
もみくちやにされながらも必死に生きてきた。
 会社から陰湿な人事異動により退社を余儀なくされた
私に労組役員の男達は冷たかった。
労働者の連帯、身分保障、職場環境の向上
労使一体となって企業を発展
こんなまやかしの大儀の下
経営側と対峙したが、私が追い出されるやいなや
手の平返したようにそっぽ向き
送別会も無く係わり合いを避けた。
しかし女性陣はひたむき純粋だった。
「あの連中を見返して」!
涙で送ってくれた。
後に専務になり関連会社に社長になった
会社側労務担当課長は立場に違いを超えて
私のため送別の宴をしてくれた。

 後輩に返書した。
私が組合書記だった時、書記次長として支えてくれた。

松田様
非常に長いご無沙汰です。
私が退社? 解雇?から30年近く
年年歳歳 花相似たり
歳歳年々 人同じからず

松田さんの早期退職 想い出る感傷があります。
私も 今年1月で63歳になります。
退社後の波乱万丈苦闘の道程
橋の下、妻子連れ濁流 汚泥に抗いながらやっと河口に辿り着いた
ところでしょうか

幼き時 物事知らず
老いては 体弱く白髪の老人
青春は一瞬の光芒だったのか

私も3年前 初期大腸がん
今年10月には腸を手術

現下の大不況 自営業である私には守ってくれるべき社会保障制度も無く
退職金もなくこれから先も働き続けなければなりません。
台湾留学後、現地日系メーカーで勤務していた息子を戻し
後を継がせていますが 苦闘させています。
私が生きている間に景気回復を願っています。
娘は法務省に入省して、親としては一安心です。

KTBUの竹田さんが4年程前肝硬変で急死
当時の会社側労務担当だった 岩川 川元さんと
竹田さんの偲ぶ会を3人でしました。
KTB労使の激しい闘争を回想しました。
私を首にしたものの、竹田 岩川 川元 3氏は
私への 重荷をずっと感じていたようです。
後の一番の理解者がこの3人でした。
岩川さんも和やかな性根になり茨城で250坪の畑仕事を楽しんでいます。
川元さんは伊豆城ヶ崎海岸に転居引退後の生活しています。
7月に 松田さんの義姉長山さんと矢作さんと
20数年ぶりの食事して思い出話でテンションを上げました。

11月にKTB商事の大野さん 菊地正昭さんと会食しました。
その時に早期退職制度が実施されると聞いていました。
又 丹沢さんとは今でも交流があり 居酒屋で飲んでいます。

これから 先お会いできる機会はないようですが
どうぞ お健やかにお暮らしくださいませ。

2010年2月13日