馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

あんた、太ってるな!(1)

2012-09-07 17:02:57 | 日記

9月5日(水)朝8時半、水門を抜け、船溜まりを通って高速道路高架下にきた。

 

日陰で浜風が通り過ぎる高架脚台に老人が腰掛けている。

老人がこちらを見て叫んでいる。

聴き取れないいので老人に近づいた。

歯抜けだがはっきり聞こえた。

「あんた!太っているな、デブだな」面食らった。

 

通り過がりの人に、しかも初対面の人間に失礼、無礼千万な言動。

私は一瞬言葉に窮した。
私が戸惑っているのを気にもせず、老人は喋り続ける。

「おらは毎月28万円の年金もらっている、国民年金と厚生年金合わせてだ」

それに、補償金数千万円、70坪土地二つもらったんだ」。年齢を聞くと82歳だと言った。逆に質問した。

「私幾つに見える」。「そうだな、俺の倅と同じくれーかな」?

「倅何歳だ」!

「51歳」

私はニンマリと、そうか!と答える。

その数に15+と私の年令だ」

歯抜け爺さん、隙間だらけの口に漁港のハエが飛び込んで来そう程暫く開けていた。

爺さんに言った。

「デブが良いのは顔や体の皺を伸ばしてくれることだ。

デブ止めたら魔法使いの老人に戻って

骸骨に皺だらけの皮が貼りついただけになってしまう」

 

爺さん 元漁師で役所に15年勤めたという。

役所で何の仕事していたか尋ねると。

「ゴミ拾い」

漁業権放棄の代償として清掃の仕事を役所から与えられた。

「今では何にもする事ないし、女遊び、ギャンブルもせず

時折 、近くの居酒屋で飲むだけだ」と話す。

このまま会話を続けると爺さんの冥途行きまで、つき合をさせられそうなので

「じゃ!又ね」と退散。

駅前に来ると若者の群れが店前広場を占拠。

スロットマシンが新しくなったらしい。

オープン前の席取りだ。

  

私は団塊の世代だが、学生時代パチンコしたが

平日 朝に並び待ちはしなかった。

職も金も無い若者がマシンとの対話。

友人の息子が定職に就かず、スロットの儲けと

俺の年金で生活していると嘆いていた。

 

金ある爺さんも金無し若者も、陽盛りの路上で孤独なのだ。

政治経済は底無し沼に落ち込んで這い上がれない。

 


蒔絵職人。

2012-09-07 16:04:35 | 日記

9月5日(水)夕方 隅田テラスをジョギングして吾妻橋袂の

うんこビルを折り返した。

それから 浅草橋の銭湯に浸かる。

これから接待なので加齢臭を消し、胃袋を空にして酒、食事を堪能しなければならない?

18時半 品川のホテルへ19時着

石川県 山中からギフトショーを見にきた

お客様と食事する。

ロビーで問屋の顧客と蒔絵職人さんと待ち合わせ。

 

19時半 予約した中華料理店に入る。

弊社は連続28回 インターナショナルギフトショーに出展したが

昨年より出展を止めた。

 

商談成立が殆ど無くなった。

従来からの顧客も地方から出張までして見に来なくなった。

顧客はネット情報で先ずは調べて価格等を相対比較するため

展示会場に行くのは参考と冷やかしだけなった。

 

弊社は蒔絵筆記具の材料を問屋さんと通して卸している。

日本では本物を手描きできる蒔絵職人は40人に満たない。

昭和の時代は蒔絵の杯 重箱等が式出物、お祝い事で使われた。

昔は大きくガサバル、重い品が使われたが

現在は、カタログギフトや小さく軽い物に代わってしまった。

日本の伝統工芸蒔絵品は衰退が著しい。

蒔絵もシルクスクリーンにより印刷が出来るようになり

一般の方は手描きと印刷の違いも分からない。

後継者もいない。

その理由は弟子として雇い入れても

仕事がない、昔は立派に育つと

仕事も一緒に就けて独立させた。

 

高名な蒔絵職人としての名前が知られていても

状況は厳しく将来展望は見えない。

筆記具に蒔絵を施したのは割合と最近のことだ。

蒔絵と融合できる商品開発を急がなければならない。

 

弊社のネットでも販売。

購入者は海外へのお土産として買う方が多い。

 

企業からも時折まとめ買いがあり、用途を聞くと

海外の取引先が来日した時」のお土産に使用。