馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

再び 転院。

2012-09-22 22:55:10 | 日記

9月15日(土)午前9時15分 携帯電話が鳴る。

弟からの電話だ。

いやな予感がする。

「お袋は昨日深夜、大学病院へ戻った」

「あの病院での看護では手に負えない」

 

9月20日(木)17時50分大学病院5階の個室に入る。

横たわりじっと私を見詰める。

血管が黒く浮き出た手をそっと握る。

お袋は遺漏の前はふっくらした顔だったが

頬肉は落ち目が大きく見える。

お袋は力なく握り返し、私をみつめるが声が出せない。

顔を近づけると手を離し、私の顔をポンと叩く。

何を表現したいのだろうか?

看護士がやって来て 痰の吸引するので退室して

246号線沿いの中華店で食事。

19時病室に戻ると弟と副院長の義妹がいた。

 

肺に溜まる痰が自力ではとれなくなったのだ。

原因は明らかになった。

栃木 那須の寒村で7人の子供の中で次女として生まれた。

高等小学校を出ると桐生の織物工場で働いた。

その時吸った繊維が肺に付着

それから私が中学生の頃、貧しい家計を助けるため

着物の縫いつけの仕事を家でしていた。

冬になるとお袋が毎夜寝床で咳が出て苦しんでいた。

88歳の年齢では筋力の衰えが著しい。

30分おきに看護士さんに吸引してもらわなければならない。

 

病院が代わったこと、遺漏による栄養分が変わったことも原因。

他は何処も悪くないのだ。

3人でベッドに横たわるお袋を見詰めた。

うとうとしている。

段々に老衰して眠る時間が多くなるのだ。

走馬灯のごとく幼い日々が回転する。

私が保育園で滑り台から落ちて左足を骨折した。

小さなお袋は私をおぶって毎日整骨院へ連れて行った。

 

27年前 5月7日、越後湯沢で客死した親父。

前の日 お袋に「行って来るよ」と言った。

翌朝9時、電話で旅館のお上さんが「湯上り直後にお亡くなりなりました」

兄と二人新幹線に飛び乗り残雪残る谷川岳の山間の旅館で対面

旅館の先祖代々の短刀を胸の上に両手に持ち

風呂上りの浴衣姿の清潔な死に顔だった。

マイクロバスの葬儀車で新潟から横浜の実家に運んだ。

自宅で棺桶に泣きすがるお袋。

下の弟が独身だったので、そのことを心配していた。

親父はあっけなく何も言わずに逝ってしまった。

親父は体の弱かったお袋を心配していた。

お袋の健康長生き祈願のため巡礼の旅に出た。

それが身代わりのごとく自身が先に三途の川を渡ってしまった。

旅行先、最後の写真は新潟長生きの泉の前での写真だった。

親父はお袋がやって来るのを待っている。

長い病床生活のお袋はそれでも生きたいという。

 

お袋貧しい出自を思えば傍目には幸福な介護生活に見える。

松涛の高級介護ホーム、大学病院の安心治療

残念なのは息子3人でお袋の世話が出来ないことだ。

私は次男で生まれたが3人目は女の子が生みたかった。

弟が生まれたてので、がっくりしたのを産婆さんに怒られたそうだ。

だが末っ子を一番可愛がった。

娘が欲しかったと嘆いていた。

 

私の妻は妹と手分けして泊りがけで実母の介護している。

男3人は役立たたずだ。

 

余命旦夕迫る。

 

 


ガラスペン 突然やって来る。

2012-09-22 16:47:11 | 日記

9月18日(火)午前11時 イタリアから商品が届く。

イタリアからの荷物はある日突然にやってくる。

イタリア トスカーナの田舎の郵便局から発送。

送り状、INVOICEもメール送信されるが

日本では追跡調査は出来ない。

ラテン民族のおおらかさだから致し方ないが

日本人の緻密、正確、期日厳守、過剰品質とは

およそかけ離れたビジネス感覚。

納期指定のキャンペーンでの使用は無理だ。

 

テレビ番組深いい話でガラスペンが取り上げられて

当日から、弊社サイトとアマゾンで注文が殺到。

瞬く間に在庫切れになった。

http://www.sanshoright.co.jp/shop/products/list.php?category_id=47

 

ガラスペンと同様に羽ペンも売れる。

関西の高級紳士服店からも追加注文が入る。

 

中国製品の不良、破損がおおいのは当たり前だが

イタリアからの荷物も荷造り梱包が雑なので

慎重に検品作業する。