馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

創業30年の記憶(4)

2012-11-18 17:42:45 | 日記

昭和57年11月11日 会社を創業したが明るい将来展望があった訳ではない。

3年前にローンで購入したマンションのローンも払えなくなっていた。

マンションを他人に貸して私たち家族4人は私の両親が住む横浜に移った。

日本橋の事務所から顧客、仕入れ先に行く電車賃もなく歩いた。

昼飯代わりにお袋が作った乾燥芋を秋色に染まった芝公園で

池のベンチに座り食べた。

残り粕を枯葉漂う池の鯉に投げ入れた。

泣きそうな顔を覆い隠して日本橋の事務所まで歩いて戻った。

両親から無償で間借りした部屋で3歳の息子に

「会社辞めたの」と聞かれた。

無邪気にまとわりつく息子とやっと立てるようになった娘のためにも

生きていかなければならない。

 

民主党の野田総理が捨て身の相討ちで勝負した。

野田はもうヤダと思ったが「肉を切らせて骨を断つ」

あの覚悟はすごい。

葉隠れ 相討ち、捨て身の戦法

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/d7e8bd3fdb1b5ac46173ecb55ebfcc52

嘘つき呼ばわりされた野田総理が相対する安部元総理に相討ちを挑んだ。

うろたえるお坊ちゃん安部元総理、打ち返せないのだ。

日本人はマスコミも含めて人格攻撃が好むだろうか?

私も「あいつは思想的問題有り、会社を破壊する」そのレッテルを貼られた。

野田総理は小学生の頃通信簿に「馬鹿正直」と書かれた。

教師は頑固な生徒なので、親への皮肉として記した?

炎上し、沈みゆく船から逃げ出す民主党議員達

燃え盛る傾きかけた甲板に踏み止まる船長のごとき野田総理。

菅総理も「俺を辞めさせたければ条件を飲め」

結構捨て身の相討ちしたね。

母鳥離れしない鳩ポッポ元総理は何にも出来ずに

群れの仲間にも入れてもらえない。

 

私も会社を辞める時、労務担当者に「真面目にやり過ぎたのです」と

ニヤリとして言われた。

その言葉は私に深く刺さった。

今でもその言葉に苦しんでいる。

会社側、上部組合組織、組合幹部OB、移籍社員、出向社員

プロパー社員、各層の複雑な利害関係。

 

人間の経済行為は「自分が得をする」に支えられている。

人間はもともと「利己的存在」であって、自己の利益のためには

他人を傷つけても行動する。

私が健全な労使関係を求めても、何処かに利害の衝突が生じる。

私は何処の層の要求も受け入れなかった。

 

中途入社で低学歴の私は組織の最下層に属していたのだ。

私は出世も高賃金も望まなかった。

物造りを通して企画販売するこの会社が心底好きだった。

無欲だからこそ邪まな交渉をしなかった。

入社して直ぐに上司の不正を追及した結果

喫茶部門で皿洗いして耐え抜いた。

しかし、今度は奴隷が反乱を先導したとして

家族ごと始末したのだ。

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/0e1f6a91198e7bf7afdd38231ab8eaf4

 

異端者は排除された。

 

会社を追い出されたが、勤め口は無かった。

労働組合書記長をして会社を破壊しようとした経歴で

雇ってくれる会社は無かった。

 

一人で商売する以外生きていけなかった。

 

正しい倫理観をもって行動する。

反社会的行為とレッテル貼られたが

誠実に馬鹿正直な行動が

 

お人よし、馬鹿と思われ、それからの人生の苦闘が始まる。