続きです。
ウクライナの人々。
私の願いは怯まない、屈しないで耐えてください。
僕は幼い頃、東京の下町に住んでいた。
戦後直ぐ生まれの団塊世代は皆貧しかった。
ボロアパートに一家5人暮らし。
小さなギャンググループがあった。
変人と呼ばれていて、仲間にはくわらなかった。
少し上の餓鬼大将の命令に従はない。
からかわれるて石をぶっ蹴られた。
しかし 必ず仕返しをした。
仲間はずれであった。
パワハラ自殺する前に、やるべき事がある(1)。悪徳悪質芝信用金庫と やっと縁が切れた。
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僕は小学生の時、勉強は50人のクラスでビリであった。
不器用で、交わることが苦手であった。
75歳になるが、今でも意外にも人見知りする。
媚びることが出来ず
世渡りが下手で、上手に右折、左折出来ず
挫折、挫折の人生行路。
だが、そんな馬鹿を見捨てることなく
応援助けてくれたのは周囲で
じっと見ていた女性達でした。
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彼女は、両国橋を渡ってやって来た。
彼女は、両国橋を渡ってやって来た。
続く。
蘇州夜曲 フォレスタ Foresta