marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

休息:自分も自然の中のひとり・・・ 

2018-05-16 06:00:00 | 日記
 昨日は9124歩だった。疲れをとるのにサプリメントもいいけれど、やはり睡眠が第一と体感する。

 朝はまだ少し寒い。庭の草木が日に日に新芽が青々と吹き出した。花々もきれい。

 先週、お休みの午前中、お墓を掃除にいった。小さな(10mmにも満たない花びら)の青い花がたくさん咲いていた。これは「わすれな草」と教えていただいた。神様から花の名前を授けられたが、忘れっぽいその花は名前をすぐに忘れてしまう。それで、神様はそれで忘れないように「忘れ名草」とつけられた。忘れたという言葉は、そのままだから花は忘れないことをとても喜んだというお話。それ以来、誰からも覚えられるようになった。とても可憐な花である。目をこらさないと花弁の中まではよく見えない程の小さな花である。
 
 連休に田舎に山菜をとりに行った時、紫色の花がたくさん川辺に咲いていた。傘のような格好で小さな鱗のように見える花びらのフリフリがたくさん重なってついて並んでいた。それが「おどりこそう」というのを後で知った。見ると、それがあちこちに咲いていた。ああ、いい名前だなぁ、と僕は思った。フレンチかんかんという踊り子さんが、今にも舞台の上で一斉に脚を上げそうな、そんなイメージを持った。お天気のいい、緑の山の川の一隅に一面咲いている「踊り子草」、太陽に向かっての晴れ舞台。

 素敵な名前と言えば、「ひとりしずか」という花が庭に咲いた。脈のしっかり入った輝いている緑の葉の中央に白い小さな花びらをいくつもつけて一本すくっとその芯が立っている。緑の四つの葉を背景に凜としたその白いの芯がとても清楚に可憐に見える。木陰にたたずむ「一人静」というのは、とても素敵な名前だなぁ。

 無論、学名などはきちんとあるのだろうけれど、そういう名前を草花につけた人々の気持ちを思う。・・・