marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

新型コロナウィルスと宗教性などということを考えた

2020-05-25 08:24:42 | 日記

◆読売新聞の論説解説委員の橋本五郎さんが、日本がどうして新型コロナウイルス感染者が欧米に比べ少ないのかについての話をTVで聞く機会がありました。本の紹介をいつもされるのですが最後のお薦めは今回「空海の哲学」(講談社現代新書)という本でした。要旨は、海外は欧米は罪の文化、日本は恥の文化であると言われたきたが、こういう機会に日本の良さを見直そうというもの。話の中で語られた中に「菊と刀」という本で指摘されていたこと。これは戦後ルース・ベネディクト女子が書いたとても有名な本ですが、日本は社会全体が感染防止に他者が行えば、見習うおうとするのは、恥をかきたくないという他人の目があるからということではないか、個人の自由を優先する欧米は、自分のことは他者には規制されたくないという個人主義が強く働くからではないかと。今回記録に残しておこうとアップしたのは、僕が以前ブログで過去に書いた芥川賞をもらった「過越しの祭」を紹介した米谷みよ子さん(現在、ロスアンゼルス在住)も同様のお話されていたからと述べておられたからです。

◆特に国の歴史としても現在もイタリアに感染者がとても多かったのは、そういう理由に起因しているかもしれないなと思った次第。それそれの国の宗教(哲学用語ではひとまとめではいけないのですが)というもの、その歴史が国民性に影響を与えていることは、疑いのないことなのだと僕は思っているのですが、さらに注目は今度は、この日本で「自粛警察」というものが起こっているという。みんな横並びになれ!と排他する。夏の終戦記念日になると「軍国の母」というのも考えてしまうんだな。近くにもそのような碑がある。海外に目を転じると真逆にNHKBSでの海外ニュースでは、マスクをつけろと規制されるのは論外だと店に行って注意されると、近づいて息を吹きかけて逃げる人もいると。あちらこちらで大騒ぎ!

◆人というのはいったい何なんだ。民族、文化、歴史、個人の教育程度 それぞれの違いがあっても、世界は一斉に終わりに近づいている経験をしているのだから。明るい未来が来るであろうと見直してもAI(人口知能)などが進み、人はいずれ考え方を大きく変えるように迫られているのだから。そして、あれこれ、もやもやしている内に、再び、隠れ潜んだウィルスは頭をもたげて現れるのだ。・・・医療現場に携わっておられる方々へ心底、敬意を表します。・・・