MINの目

MINの目が見つけた事柄をつれづれなるままに綴ります

東海道五十三次③ 神奈川宿 2022

2022年08月13日 | 東海道五十三次
前回のブログ:東海道五十三次② 川崎宿→生麦 2020

コロナ禍で引きこもり状態で随分空いてしまいました。死ぬまでに京都まで行けるでしょうか・・(苦笑)
2月に東戸塚まで歩いてきました。

前回は生麦まで歩き、その最寄り駅の新子安まで歩いたのでここからのスタートです。
しばらく第一京浜と呼ばれる国道を進みます。
ふと一本内側の道の方に目をやると何か解説のようなものが見えました。
それは宿場町の入口にしばしば作られた土居(桝形)の説明とオランダ領事館跡、長延寺跡の説明でした。
今は公園となっています。公園内にはそれを示す碑がありました。
ここが神奈川宿の入り口というわけです。

次に良泉寺が現れます。先ほどの長延寺がオランダ領事館だったように、お寺が領事館として充てられたようです。
しかし、それを良しとしなかった良泉寺は本堂の屋根を壊し、修理中なので対応できないとした話が残っているそうです。
目を惹く雰囲気のあるお寺でした。
また一本内側の道に大きなタイル張りで出来た解説が見えました。
この一帯の街道沿いの古地図絵でした。大概書というようです。
そこには現在の駅や公共施設の位置も記されていて、今いるところが海であることを知ることが出来ました。
説明には上無川が神奈川という地名の由来との話が出ていました。

先ほどの大概絵図にも記されていた滝の川の橋を渡ります。
この橋は同じ場所にあったようです。
この橋挟んで江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣が置かれていたそうです。
この橋のすぐ脇には現在の地区センター的役割の「高札場」があったそうです。
渡ったすぐ近くにある宗興寺には開港当時アメリカ人宣教師でヘボン博士ここに施療所開いたそうです。

ヘボン博士???なにか聞いた覚えが。。

そうローマ字!!和英辞書や聖書の翻訳など日本の教育に尽力した方だそうです。
ヘボンとは愛称で本当はヘップバーンさんとのこと。
そんな人が横浜と所縁があったとは。
境内には立派な碑もありました。
このお寺の横には「神奈川の大井戸」というものがありました。
大井戸というには普通サイズに見えましたが浮世絵図にも記されている井戸は確かに大きい物の様でした。
先ほどのヘボン博士もですが、徳川将軍のお茶の水に充てられたそうです。
井戸の水量の増減によって翌日の天気を知ることが出来たそうで「お天気井戸」とも呼ばれたそうです。

幸ヶ谷町学校のお魚フェスティバルの楽しい壁画を見ながら次の角を右に入ります。
その先に「洲崎大神」神社が現れました。
丁度、神奈川宿ウォークが開催されていたこともあり、賑わっていました。
源頼朝が石橋山合戦で敗北した源頼朝が安房に渡った際、上陸した洲崎の安房神社に参籠し、再起を祈願し、無事に天下平定したことから幕府直轄の神社として創建されたとのこと。
こんな場所に由緒ある神社があるとは知りませんでした。
境内も歴史を感じる厳かな雰囲気がありました。

青木橋を渡ります。
ここは鉄道を通すために切土された場所で、JRの京浜東北線、東海道線、横須賀線、京浜急行線などを見ることが出来ます。
線路が8つあるのでなかなかの迫力のある場所です。

橋を渡ると大きな緑道の先にトンネルが見える場所がありました。
こんなところに人が通る為だけにトンネルを作ったのかと思ったら、昔の東横線のトンネル跡でした。
今はみなとみらい線と繋がり、地下へ移動しています。
白楽まで続く長い緑道となっているようです。

神奈川宿も終わりに近づく場所に大天狗伝説もある大綱金毘羅神社があります。
1188年に源頼朝により創建されたとの事。
この神社前には日本橋より七つ目の一里塚が置かれていたそうです。
そのすぐ先には龍馬の奥さんの「おりょう」が働いていた事でも有名な田中家があります。
広重の東海道五十三次に描かれ、高杉晋作やハリスも訪れた名店との事!

丁度お昼です。
少し門から覗いてみただけで中からお店の方が出来られて
「いらっしゃいませ」と声をかけて下さいました。
聞いてみると、予約が必要でした。何時に着くかも分からず予約をしていなかったので
残念ながら入ることは出来ませんでした。
でもとても丁寧な対応で好感が持てました♪
次の機会にきちんと予約をとってから訪れたいと思います。

神奈川宿の終わりは台町の関門跡でした。
開港後外国人が何人も殺傷される事があった為に、いくつかの関門や番所が設けられたそうです。
この神奈川宿の東西にも設けられ、その東側がここだそうです。
ここ台町は神奈川湊を見下ろす景勝地だったそうで、この関門の碑にも「袖ヶ浦見晴所」とありました。
どんな景色だったのでしょうか。。

建設省と国土交通省両方の記載のある短すぎるガードレール


有名な「小鳥の病院」この日も駐車場はいっぱいでした(現在は近くに引越しされた様ですのでご確認願います!


神奈川宿にはこのような説明が各所にありました。


領事館に充てられないように屋根を壊したとの逸話の残る良泉寺


静かな雰囲気のあるお寺でした


現在の滝の川


地図に出ていました


歴史を感じる排水溝が見られました


開港当時アメリカ人宣教師でヘボン博士がここ宗興寺に施療所開いた


碑もありました


宗興寺の敷地横に「神奈川の大井戸」があります


幸ヶ谷町学校のお魚フェスティバルの楽しい壁画


源頼朝が創建した「洲崎大神」


一風変わった狛犬さん


青木橋からの風景


昔の東急東横線のトンネル跡は緑道に


龍馬の奥さんの「おりょう」が働いていた事でも有名な田中家


神奈川宿の終わり、台町の関門跡の碑


東海道最初から読む:東海道五十三次① 日本橋→新橋 2019
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東海道五十三次② 川崎宿→生麦 2020

2020年03月29日 | 東海道五十三次
新六郷橋を渡り、すぐに右に曲がり新六郷橋の下を通り、品川宿へ入ります。
曲がるポイントが分かるか心配でしたが、大きな文字で印されていました♪
川崎宿も見どころがいっぱいの様です!
やはり○○○跡という看板がメインでした。
川崎宿に入るとほどなく立派な「かわさき宿交流館」があるのに気が付きました。
新しい施設の様です。1Fには休憩コーナーや川崎宿の移り変わりや見どころ説明するビデオを見ることが出来ました。
休憩がてら観賞♪
2階、3階は資料の展示や衣装なりきりコーナーなどがあり、興味深い内容の展示でした。
もっとゆっくり見られれば良かったかな。。丁寧に説明をしてくださったり、とても充実した良い施設でした。

交流館で得た情報を気にしつつ進みます。
○○○跡が多い中、小土呂橋という幅5メートルほどの流れに架かっていた橋の親柱が大きな交差点の一角に残されていました。
川崎宿の終わりの場所には芭蕉の碑がありました。
碑の文字は達筆過ぎて読めませんでした。。。説明によると。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」
門弟たちとの惜別の思いを詠ったとのこと。

芭蕉の歩いた道を歩くのも面白いかな??

気がつけば横浜市に入っていました。なにかのんびりした雰囲気。。
市が違うだけでこんなに雰囲気が変わるものなのかな?
お祭りでは賑わうのかもしれませんがガランと空間で広い感じのする熊野神社がありました。
狛犬さんは慶応二年(1866年)の建立とのこと。お参りしてみることにしました。
この神社の前の道全体に横断歩道の柄が描かれていてました。。分かりにくい。 けど面白い。

その少し先に「市場村一里塚跡」の碑があります。日本橋から5里目とのこと。
一里は約4km。∴20km。。

え?そんなもん??

見どころが多かったせいか、結構歩いた気がしていたのですが、お遍路でいえば1日で歩ける距離。
京都まであとどのくらいで着くのか。。死ぬ前にはたどり着きたいものです。

基本的には住宅地を進む感じです。
鶴見橋は構造体の美しい橋でした。
欄干のデザインも面白く、必要な高さがあるものの欄干を乗り越えなくても川の様子が見られるデザインでした。
鶴見の駅近くは賑わっています。
鶴見村で最も大きな茶屋だった「信楽茶屋」は今はラーメン屋さんになっていました。
やはり○○○跡が多く、確認できないものもありました。

JR国道駅、鶴見線の駅です。利用したことが無かったのですが、必見との事で楽しみにしていました。
古いアジのある駅でした。よく映画やドラマによく登場するとの事。なるほどといった雰囲気です。
暗いトンネル状の奥に光がさしていて、人が通りました!
幽霊??「人が通った!」と私が言うと、今も現役の駅との事。。。全く知りませんでした(><)
慶岸寺や道念稲荷を過ぎるといよいよ生麦事件発生現場に差し掛かりました。
なんと、一般住宅の塀に説明がありました。
碑がある場所とは違うのですね。
生麦といえばキリンビール!!さすがに大きいです♪
ずっとその横を通り進むと生麦事件の碑がありました。今回はここまで。
昔一度工場を見学したことがあったのですが、当時は無かったと思われるレンガ造りのレストランがありました。

本日のご褒美♡
出来立てのビールを頂きました♪
料理も美味しく幸せなひと時でした。

最寄りの新子安の駅まで歩き帰宅しました。
次回はこの駅からスタートです!

立派な東海道かわさき宿交流館


休憩スペースがありました。


展示が工夫されています


なりきりコーナー


小土呂橋の親柱


芭蕉の碑


昔の姿を今に残す建物①


慶応2年の狛犬さん(良い笑顔です)


神社前は全面横断歩道!


市場村一里塚跡


流線形が美しい鶴見橋


川の様子が見やすい欄干


今はラーメン屋さんの信楽茶屋


昔の姿を今に残す建物②


国道駅コンコース入口


生麦事件発生現場は住宅地


出来立てビールを頂けるキリンビール工場敷地内レストラン


お店の様子


飲みくらべ♡


料理も美味しかった♪




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東海道五十三次② 梅屋敷→新六郷橋 2020

2020年03月14日 | 東海道五十三次
梅に癒された梅屋敷跡を出発しました。
ここから約3kmほどは特に何もなく、立体化されて立派になった京急蒲田駅を横目に幹線道路を進みました。
旦那さんはこの特に変化のない歩みに戸惑い気味でした。
お遍路の時にはどうしているのか、考え事をしているのか、無い所から変化を感じたりするのか??
などと話しながら歩きました。
自分の中では「そういうもの」と思っていたので特に考えてはいませんでしたが、
お遍路では、無い所から変化を感じるのが一番でしょうか。。次に考え事。そして無心かもしれません。

そんな話をしながら黙々と歩いていくと「六郷神社」に差し掛かりました。
今までの神社と違ってとても奥の深い神社でした。
源頼朝が先勝祈願し奉納した手水石があるとのこと、お参りする事にしました。
長い参道の先、左側にその手水石はありました。
その横にはとてもユーモラスな狛犬もいました。(トップ写真)
1685年に奉納されたもので区内最古の狛犬さんとのことでした。
そのユーモラスな姿に魅了され写真を撮っていると地元の方らしい人が、
「何度もここにお参りしているけど気付かなかったわ」といった具合に寄って来ました。
そういうものかもしれませんね。
とても立派な神社でした。社殿の正面に立派な門があり、そこでは子供たちが遊んでいました。
神社で遊ぶ子供を久々に見たな~などど思ってそちらの方に惹かれて進むとそこには古い石の太鼓橋がありました。
東海道を歩いた人々も立ち寄ったであろう神社にお参り出来て良かったです。
お遍路もそうですが、時空を超えて共有できる場所があることは素敵だと思います。

いよいよ!多摩川を渡ります♪

関ヶ原の合戦の頃に橋があったそうですが、1688年の洪水で流れてしまってその後は渡し船だったそうです。
欄干の親柱にはその渡し船がデザインされていました。
お遍路で行った徳島の吉野川を思い出すとても長い橋でした。
残念なのはやはり、水はきれいではありませんね。。。
海が近いこともあり飛んでいる鳥はカモメでした。

いよいよ神奈川に入ります!

奥の深い六郷神社


源頼朝が奉納した手水石


ユーモラスな狛犬


立派な社殿


古い石の太鼓橋


美しい梅の向こうに北野天宮


欄干親柱には渡し船


空を見上げれば、カモメ!


いよいよ神奈川県!!










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東海道五十三次② 立会川→梅屋敷 2020

2020年03月07日 | 東海道五十三次
東海道五十三次の第二回目は立会川から出発です。
青年龍馬を再び確認し、泪橋へ。
正式には浜川橋。
この先にある仕置場(鈴ヶ森刑場)に護送される罪人はここから裸馬に乗せられていったそうです。
見送りに来た親族はここまでで共に涙を流して別れたことから「涙橋」と呼ばれるようになったそうです。

そしてその鈴ヶ森刑場跡に着きます。そこには慰霊碑などが並んでいました。
説明を読むと八百屋お七もここで処刑されたようです。。
最初から重い内容が続きました。。

次に有名な競艇所の近くにある磐井神社が現れます。
別名は鈴ヶ森神社と言う様です。
楽しみにしていた神社でした。神社を通り過ぎるだけの人も一礼していきます。
地域の人に大事にされている神社なのだと分かります。
ここには銀杏の巨木があります。
また、子狛犬がじゃれている狛犬さんが社を守っているのが印象的な神社でした。
そして、心正しき人が飲めば清水、邪心があれば塩水になるという井戸があります。
境内の外、歩道の一角にありました。現在は閉じられていて試す事は出来ませんでした。
元々はここまで境内の範囲だったようです。

試せなくてなぜかホッとしている私でありますf(^^;)

また、社宝に叩くと金属音が鳴る「鈴石」があるとのこと。これが鈴ヶ森の名の由来の様です。
ほぼ歩き遍路24番札所で見た「鐘石」のような石かな?と想像して行ったのですが、見ることは出来ませんでした。

平和島口から大通りを外れ美原通りという道に入って行きます。
沢山の海苔のお店が軒を連ねていました。
昔はすぐそこで採れたのりをその場で売って出来立ての海苔だったのだろうな~と想像して進みます。
しかしながら、この日は日曜日。。一軒も開いていませんでした。
歩く曜日も考えなくてはいけませんね。お土産に買って帰りたかったな~。

時間はお昼時でした、今回は何も情報が無く歩き始めた事もあり、お店を見つけられず進み、
やっと見えてきたのが梅屋敷駅近くのお蕎麦屋さんでした。
周りが新しく区画整理されているせいか、古さと新しさのコントラストが強すぎて余計に古く見えてしまいました。
ちょっと躊躇していた私に旦那さんが「こういう店が美味しいんだよ」と冗談か本気か分からない事を言ってきました。
「アド街で紹介されたらしいよ」とたたみ掛けるように。。
きっと旦那さんは入ってみたいと思っている。この先にお店がある保証もない。。。

入ってみることに!!

大正解のお店でした!!!

裁ち蕎麦というスタイルの十割蕎麦。とてもしっかりしたお蕎麦で美味しいお蕎麦でした。
鴨せいろも美味しそうだったのですが、第一回目東海道のお昼も天ざる蕎麦だったので天ざるを食べてみることにしました。
海老もぷりぷりしていてとっても美味しかったです♪ 大正解!!
裁ち蕎麦は着物の生地を裁つように3mm程度に伸ばした蕎麦を重ね端から切って行く事からそう呼ばれるようになったそうです。
この地域では昔から裁ちソバが出来ないとお嫁に行けなかったそうです。
こちらのお蕎麦屋さんも大人気で次から次へとお客さが来店♪
出前もあるのか電話が!注文はラーメン!
ラーメン?! メニューを見返しました。。ラーメンもある!美味しいのかも♡
またの機会に食べてみたい。
お蕎麦屋さんのご主人の仕事姿も素敵だったし、女将さんも素敵な感じの人でした♪
迫りくる開発の波に呑まれない事を祈ります!!

梅屋敷駅だけにそのすぐ並びに梅屋敷跡があります。
聖蹟蒲田梅屋敷公園という公園になっていて幹線道路や京急の線路に挟まれた場所なのですが、
穏やかな空気がながれ、少し時期は終わっていましたが美しく名前の通りの梅の花が咲いていました。

多摩川に向かって進みます!

青年龍馬さん再び♪


泪橋


容易くお参り出来ない浜川神社!上部、マンションの一角に!


鈴ヶ森刑場跡


磐井神社


子狛犬がじゃれつく狛犬さん


心正しき人が飲めば清水、邪心があれば塩水になるという井戸


海苔屋が軒を連ねる美原通り


閻魔大王と延命地蔵が祀られている小堂と貴舩神社


裁ちそば屋さん♪


海老がぷりぷりで美味しかった♪


梅屋敷跡
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東海道五十三次① 品川宿→立会川 2019

2020年02月29日 | 東海道五十三次
いよいよ品川宿です!

伊藤博文旧邸宅地であの弥太郎さまが買い取った三菱開東閣がある八ッ山橋を渡ります。
この三菱開東閣はとても貴重な古い建物のようですが公開はされていないそうです。残念。。
さて、品川宿の街道へ入るにはこの八ッ山橋を渡るのですが、ここで私たちは失敗しました。
八ッ山橋を渡ることは分かっていたのでそのまま歩道を左に曲がって橋を渡り、京急の踏切を渡り、
品川宿側に渡ろうと思ったのですが、渡ることは叶わず。。戻ることに。
八ッ山橋を渡る前に横断歩道を渡ってから八ッ山橋を渡るのが正解でした。
そこにはちょっとした休憩場所があり、品川宿マップなるものがありました。
見どころが満載です!!
全長約4.4kmほどありそうです。

とにかく○○○○跡という場所が沢山ありました。

品川宿は昔の道幅を今に残しているそうです。
そのせいか、街道の賑わいを今に残しているような活気を感じました。
着ぐるみ屋さんがあったり印象に残るお店もありました。
○○○○跡の中では民家の基礎だった石垣がありました。
江戸時代後期から千葉県鋸山の凝灰岩も利用されていたそうです。

溜屋横町には説明はありませんでしたが、古い石標があったり、古い蔵があったり、
昔の姿を今に留めている下駄屋さんがあったりで、楽しい街道沿いでした。
途中、品川宿交流館というお休み処がありしばし休憩。
駄菓子などが売っていて思わず買ってしまいました(^^)v

目黒川に架かる品川橋を過ぎると「南品川宿」となります。
この橋からは荏原神社に架かる赤い欄干の橋が見え紅葉と合わせて美しい景色でした。

すると古民家カフェというのか?!素敵なお店を発見!「茶箱」とあります♪
入ってみることに。
席やテーブルに茶箱を使っている!それで茶箱?!
カウンターでお茶の種類を選び、和菓子を選びお会計です。
人気のお店の様で売り切れ目前で和菓子は選べませんでしたが、美味しい和菓子が残っていました♪
こんなお店に出逢えるなんて東海道を歩き始めて良かった。
それ?!(自分つっこみ)
しばし、東京とは思えない穏やかな時間を過ごし、立会川駅へ!

そこには青年竜馬像が!!
知らなかった!竜馬像って日本に何体あるんだろう??
土佐藩はこの近くの下屋敷の警備をしていて、そこに19歳の龍馬がいたそうです。

東海道五十三次の1回目はここまでです。

品川宿入り口の八ッ山橋


八ッ山橋は撮鉄スポット?!


いよいよ品川宿へ!


品川宿最初の石標


昔の姿を今に残すお店① 日用品屋さん


品川宿の面白スポット 着ぐるみショップ


民家の基礎に使われていた鋸山の境界石の石垣


東京にも蔵が?!ブルーの瓦がハイカラですね♪


多分。。昔の石標


昔の姿を今に残すお店② 下駄屋さん


品川宿の交流館


夕陽に赤い欄干と紅葉が映えます(品川橋より)


古民家カフェの茶箱さん


お店の様子


美味しかったお茶とレモン大福


昔の姿を今に残すお店③ 畳屋さん


江戸六地蔵がある品川寺


立会川駅前にある青年龍馬

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