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見ました「ザ・ワイルドワンズ 熱狂GS"想い出の渚"」

2017年12月13日 | タイガース・GS

火曜日の「5時に夢中」で、コメンテーターの岩下さんが「モノマネができますか?」とふられて「できます、結城ちほさん(今は樹木希林さん)のモノまねです。といって「ジュリ~!!」と叫んでいましたが、あれがモノマネ・・

 


久しぶりのカテゴリーは「GS(グループサウンズ)」。GS世代のわたくし、BS11の「あのスターに逢いたい ザ・ワイルドワンズ 熱狂GS"想い出の渚"」を視ました。

GSは当時はウルさい、不良と、GSの音楽が理解できない大人たちに、散々非難され排除排斥されたものでした。しかし番組を見て、ワイルド・ワンズのメンバーを当時不良とそしる大人がいたら変!そう思うほど、今も昔も好青年揃いのワイルド・ワンズです。2014年にチャッピーが亡くなり、加瀬さんも・・・ 

今は3人のW・ワンズ。(いっつも思うんですが、鳥塚さんはサンダーバードの運転手パーカーにソックリ!わかるかな?わかんねぇだろな・・

①全てはザ・ビートルズから始まった。加瀬さんが、武道館でビートルズを見たいがためにブルージンズを脱退した。(裕也さんは見たらダメなはずなのに しっかり見たそうです)

新たにメンバーを探して ワイルド・ワンズを結成した。加山さんがバンドの名付け親です。加瀬さんはニュートラルな人で、メンバーを緊張させない人だった。ジュリーら京都から出てきたタイガースには僕らにはない緊張感があった、空気感が違ったと語るメンバー。(※明るく仲の良いワイルドワンズだからこそ、ジュリーもタイガースのメンバーと一緒にいないで W・ワンズの楽屋に入り浸っていたのかも)

デビュー当時の懐かしい蔵出し映像の数々。「W・ワンズは明るくてスマート」というナレーションに、夫々のGSの持ち味の違いを感じました。 ※タイガースは王子様、貴公子。テンプターズは不良っぽくてヤンチャなイメージがあります。ブルコメはムード歌謡のおじさん達。スパイダースは、ミリタリールック・・

1967年2月にザ・タイガースがデビュー。年末にはザ・テンプターズもデビュー、今年はショーケンも50周年で活動しています。私はテンプターズは翌68年のデビューと思っていたので、ジュリーと一緒?と違和感があったわ。

③大物作詞家に突っ込まれたデビュー曲。19歳の鳥塚さんが作詞の「想い出の渚」の「君を見つけたこの渚に」のフレーズは、岩谷時子さんに言わせると「人とは巡り会うもので、見つけたという歌詞は、まるで物を見つけたみたいで、私には書けない詞。」

④メンバーが語るヒットの理由 「想い出の渚」がヒットしたのは素人っぽさ、親近感、コスチュームも私服のようでアマチュアバンドのような親しみやすさがあったからかも。アイビー・ファッションでもリードしていた。

⑤解散の真実 時代が変わりデビュー5年目で解散。過激なGSが出て来て失神とか、GSは不良という社会の空気感を感じた。ジュリーもショーケンも凄かったが、フォー・リーブスが出てきてファン

層が変わったと感じた。新しいバンドの台頭、過激なGS、時代の流れを感じて解散した。解散コンサートの加瀬さんの挨拶で「メンバーの父兄に対してすまなかった。プロに引っ張り込んで途中で投げ出すことになって、すまなかった」父兄に謝るなんて そんな発想をする人はいない。謝る事なんかないのに。いい人だった。

加瀬さんはその後、ジュリーのプロデューサーとしても活躍した。

2006年のデビュー40周年で、武道館で念願のコンサートをした。(ジュリーがゲスト出演。コンサート映像が流れ、この時5列目のセンターで見ました。もう11年も前になりました。)

⑥加瀬邦彦が伝えたかったこと 「たのしもうよ!」

自分たちが楽しまないと お客さんを楽しませることができない。

⑦半世紀たった今も メンバーは加瀬さんが残した「ケネディハウス」で月に一回、今もライブを続けている。それがあるからお客さんの前で元気でいようと思う。

加瀬さんが残したメッセージの数々が心に迫ります。

「どんな仕事でも正面から 真面目にやらないとダメ」

「大きなステージに立つのも 小さな会場で演奏するのも同じ」

正直に言うと、歌声が時おり微妙に音程がずれていたりするんですが、その素人っぽさ いつまでもアマチュアのような。だからこそ今も若々しさを失わないW・ワンズのメンバーの皆さんは、ほんとに笑顔の好青年の言葉がピッタリでした。

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