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1986年、トップテンのジュリーと松浪先生

2020年09月12日 | JULIE メモリーズ

今までにすでに何回も放送されている、歌のトップテン1986年11月10日放送回の【沢田研二・チェッカーズ出演回】⇒番組HP

すでに6年ほど前にブログで取り上げているので、珍しい番組ではない。いつもなら見ないのに、今回は見ようと思ったのは、「はね駒」でジュリーが松浪先生を演じたばかりの頃だと思ったから。まさにヘアスタイルが松浪先生だもんね 松浪先生と歌手ジュリーを比べて見よう!

86年11月10日、司会は徳光さんと、石野真子ちゃん。
観客は地方からの修学旅行生が多し。
【出演・曲】
レベッカ「LONELY BUTTERFLY」
安全地帯「Friend」
河合その子「悲しい夜を止めて」
とんねるず「人情岬」
渡辺美奈代「雪の帰り道」
沢田研二「女神」
中森明菜「Fin」
1986OMEGA TRIBE「Cosmic Love」
1位、チェッカーズ「NANA」

第10位の「すべてはこの夜に」吉川晃司さんは、お休みです。

前に書いたものを写真を入れ替えて、再掲載。ジュリー以外の出演者は今回は無視。

「今週のインフォメーション」でジュリー登場
徳光「ひさしぶりでしょ、渋谷公会堂は」
J 「もう何年ぶりでしょう、ハハハ・・・」
徳 「沢田さん、顔つきが違いますね」
J 「そうですか」 
徳 「勝負をかけている顔ですね」
J「 ピース!」
徳 「色んな曲が候補にあって、その中から女神を選ばれたと思いますが」
J 「そうですね、今回は割とBGM的じゃなくて、山あり谷ありのドラマティックな
  曲をと思って、詩は阿久悠さん、曲は佐藤隆さんにお願いしたんですけど。
  さざ波じゃなくて大波小波がある、その辺りインパクトになっているんですかね。」
徳 「今までの一連の動きを見ていると、衣裳も目いっぱい派手にしましたね」
J 「えー、久し振りに派手に」
徳 「胸がふくらんでないじゃないですか」
J 「えー、この中に」と、自分の胸を指す
徳 「歌っている時に楽しみにしています」

色白のはずのジュリーが何故か顔色が悪い、というか日焼けしたような顔色。これはJAL沖縄キャンペーンのCM撮りで日焼けしたからと、ネットで読みました。なるほど・・

衣装を拡大、泰西名画がモチーフのようですが、裸の男性は誰?この頃の衣裳って、TVで見る回数が少なくて、ろくに覚えてはいない。

さらに、全体像を見てみると・・

もしや、聖書からのモチーフとか?松浪先生、罪深いですわ💦

女性アイドル歌手たちの頼りない歌声の後に登場したジュリー。フワフワと可愛いアイドル達の後で、渋谷公会堂の空気を一変させる、圧倒的な存在感と、観客に挑むようなセクシーな歌声です。

ジュテ~ム!Au! Oh!

上着を脱いだら胸のある衣装で、「赤いライトに照らされたジュリーの歌声は扇情的なほど。・・いけないものを見ているような気分です。」と、数年前のブログに書いていた。

実際は、1986年当時の私が、どういう思いでこのジュリーを見ていたのか、さっぱり思い出せないのだけれど、世間やマスコミに騒がれていた頃だから、何も考えないようにしていたのかも。

歌い終わったあとに徳光さん、「プロフェッショナルですね、素敵ですね!」

他の出演者の、安全地帯と中森明菜とチェッカーズは、さすがに聴かせます、上手かったです

気になるのが、左側のボカシの入っている出演者。ダレ?

トンネルズでした。以前に放送された時は、ちゃんと普通に出演していたのに、なんで今回は出演NGになったんでしょう?出演時は人気も絶頂で、二人で言いたい事言い放題の、我が物顔だったのにね。

質素な着物姿からロックスターのように変身した松浪先生ですが、清廉で実直で優しい先生は変わらず。

あの頃は、女神のジュリーと松浪先生を比べようなんて、絶対思ってなかったな~

とにかく大いに違う松浪先生と、ジュリーでした。

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山田洋二監督インタビュー

2020年09月12日 | キネマの神様、2021年公開

この前のブログは、山田監督の「男はつらいよ・花も嵐も寅次郎」のゆかりの地とのご縁が、今も繋がれているお話でした。

それから約40年後、その山田監督の新作「キネマの神様」のインタビュー記事です。その山田監督の節目の新作に出演しているのが、今回もジュリーだという事がとても嬉しいし、見えない強い絆や縁が感じられて、ファンとしてこれほど嬉しい事はありません。

インタビューで、監督がコロナ禍での撮影の難しさや、撮影中のジュリーの待機中のようすなどが語られていて、伺い知れなかった厳戒の撮影の一端が知られました。ジュリーも、他の出演者の皆さんも、スタッフの方々も、感染の恐れの中での撮影がどれほど怖かったのか、気を遣われたのかと思うと、ご無事で撮影が終了した事に心から安堵しています。(9月11日、朝日新聞)

早速、今のコロナ禍の現状が映画に反映されているようで、山田監督の映画への意気込みが感じられました。映画の中で、ジュリーが白い蓬髪を揺らして歩いている姿を想像しています。来年の公開は春ごろとの噂がありますが、早く見たいな~

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湯平温泉に寅さんの等身大パネル届く

2020年09月12日 | TV・ラジオ・CM・映画

EKOさんから、コメ欄で教えていただきました。

『先程、7時前のNHK地方版ニュースでうれしいことが。大分県は、7月の大水害で湯平温泉??が大きな被害が出ました。湯平は、「男はつらいよ」の舞台になった場所です。
ジュリーの三郎青年が、お母さんの納骨の為に立ち寄った温泉でした。
山田洋次監督が、湯平温泉を応援しようと、寅さんの全身パネルを送ってくれました。
そのパネルに、頑張ってくださいという山田監督のサインとメッセージとともに、ジュリーのメッセージとサインがありました。田中裕子さんのもありました。湯平温泉の方たちには本当に力強いプレゼントになったと思います。』

お知らせを有難うございます。ネットニュースになっていました。こちら⇒湯平温泉に寅さんの等身大パネル届く 第30作のロケ地、復興のシンボルに
2020年7月豪雨

寅さんの上着の真ん中に、「沢田研二」のサインが読めました(^-^)

「湯平の皆様(みなさま)の発奮興起に敬意!」(沢田さん)
みなさまは読めるけど、はっぷんこうき、なんて熟語は知りませんでした(^^ゞ
意味 気持ちを奮い立たせて、立ち上がること。
または、気合を入れて、力を尽くすこと。
「発憤」は気持ちを奮い立たせること。
「興起」は立ち上がること。または、励むこと。
「発奮興起」とも書く。



※ネット記事⇒私ことフーテンの寅、望郷の念やみ難く再び帰って参りました――。7月の記録的豪雨で被災した由布市湯布院町の湯平温泉に、映画「男はつらいよ」の山田洋次監督や出演者の沢田研二さん、田中裕子さんの応援メッセージが入った寅さんの等身大パネルが届いた。同温泉郷は1982年公開の第30作「花も嵐も寅次郎」のロケ地。地元関係者は「心強い。前を向いて進みたい」と観光復興のシンボルにする。

 パネルは高さ約170センチ。「寅さんも心配しています。湯平温泉頑張れ!」(山田監督)、「湯平の皆様(みなさま)の発奮興起に敬意!」(沢田さん)、「寅さんが来たよ。ここで少し休んでいってください」(田中さん)ーと3人の直筆メッセージが書かれている。11日から同温泉観光案内所で公開する。
 温泉街は7月7日夜~8日未明の大雨で花合野(かごの)川(大分川支流)が増水。旅館「つるや隠宅(いんたく)」を営む一家4人が車で移動中に流されて死亡し、共同浴場や一部の旅館も被災した。
 パネルは同映画の熱烈なファンで旅館「山城屋」代表の二宮謙児さん(59)が、「関係者からの応援メッセージがもらえないか」と制作元の松竹(東京)に打診したのがきっかけ。
 松竹も「地域を挙げて作品を長く愛してもらっている」と了承。山田監督らも災害に心を痛めており、快諾したという。
 二宮さんは「爪痕は大きい。パネルが届いた時、ああ、生きていて良かったと心底思った」。

 湯平でロケがあったのは82年12月3日だった。前夜に寅さんを演じる渥美清さんとマドンナ役の田中裕子さんが「志美津旅館」に宿泊した。当時の支配人、橋本裕元(やすもと)さん(84)は「渥美さんは湯が気に入ったようで、1泊なのに3回ほど入浴していた」と懐かしむ。
 寅さんの定宿・湯平荘のモデルとなった「白雲荘」は、豪雨で1階部分に泥や水が流れ込んだ。「少しずつ地道に頑張りたい」と代表の横尾尚一さん(63)は11月の再開を目指し、床材の張り替え作業などを進めている。
 名物の石畳通りには再び赤いちょうちんがともり、観光客を出迎えている。
 同温泉観光協会の麻生幸次会長(51)は「コロナ禍で厳しい状況が続いている。ぜひパネルを見に訪れ、湯平の良さに触れてほしい」と話している。

<メモ>
 案内所は午前10時~午後5時。水、木曜は定休日。パネルのお披露目会を11日午後1時から開く。

湯平温泉“再起の光”※この記事は、9月11日 大分合同新聞 1ページに掲載されています。





ただ今、GOTOキャンペーン中。行ける方は是非、パネルをご覧になって来てくださいね(^-^)

からすの落墨ブログさまが、湯平温泉が「花も嵐も寅次郎」の舞台であったことを、書かれています。⇒こちら

 

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