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③お正月LIVE2020(NHKホール)1月19日

2020年01月21日 | ライブ・公演・舞台

お正月のツアーも終わってしまい、インフォも発送されて明日には届くのかしら?でも まだまだ、楽しかったお正月LIVEを引きずっています(^-^)

LIVEが終わったあとの、NHKホールの夜景

こうして見ると、会館の周りをグルリと取り囲み並んだ柱が、まるでギリシャ神殿みたいやわ(^-^)

 

NHKホールへは、行きは原宿から行きましたが、帰りはJR渋谷駅を目指しました。帰る途中に、前の渋谷公会堂。今はラインキューブ・・とかいう名前だったかしら?

以前の旧会館の前には、広い前庭があったのに、今は地面を目いっぱい使って、大きな建物になりました。次のツアーのラスト3日間は、再びここに集合ですね!

現在の写メはとっていないけど、近くのパルコの建物には、昔はジュリーの大きなポスターが掲げられていたのでした。J友さんは、わざわざ関西から見に行ったそうです。西武デパートがなくなっていた? バブルの頃は、凄い勢いだったのにね。昔はナベプロの出店があって、何度か買い物やファンクラブの会費を支払いに行きました。


 

お逢いした皆さま、大変 お世話になりました✨

素適なプレゼントをいただくばっかりで、

どうも すいません~💦💦m(__)m

お心遣いに大変恐縮しています。

 

後回しになりましたが、こちらは大阪フェスでいただいたもの

フェスの分も取り交ぜて、ジュリさまアップで♥

 

NHKホールでは、ジュリー作品展のお披露目とのことで、着いてから早速 見に行ったんですが・・💦 間に合わずに、 はろーぱんださんの作品だけ、写メさせて頂きました。似てるわ~!

 

最後は、フェスで見せていただいた、さんごさん作の刺繍と巾着

 

刺繍は抑えた色合いに品があって、冬景色だけど、

気持ちがポーっと暖かくなるような気がしました。

 

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②お正月LIVE(NHKホール)1月19日

2020年01月20日 | ライブ・公演・舞台

インフォが発送されたそうです。⇒JULIE INFORMATION 2020年1号を1月20日(月)に発送致しました。



続きです

MCのあとは「ダーリング」
もちろん、この曲を歌っていた頃のジュリーを、今も鮮やかに思い出せます。1978年、その前年に「勝手にしやがれ」でレコード大賞を受賞して、ジュリーに怖いものなどない!そんな勢いがあった、何度目かの絶頂期を迎えたジュリーが歌った曲でした。
あの頃の伸びやかで高い声の「ダーリング」と比べたら、NHKのジュリーの声は最初から、ちょっとガラっとしていました。
最後のキメの「ダァ~~リ~ン」の声が伸びずに、ダー、リーンと、二つに分かれてしまったの。あ~・・と思ったら、も一度「ダ~リン」と歌い直し、そこにジュリーのプライドを感じましたね。

それからは、もっと声が出るようになってきて「恨まないよ」の頃には、曲の重いテーマとは裏腹に感じられるような、甘~い声でした。

海深くに沈んでいった哀しい恋の物語を歌う「パールハーバーラブストリー」は、その情景が目に浮かんできますが、曲が長すぎる・・というお声があります💦 
私も かつては、ジュリーの思い入れは分かるけど、やっぱ長いよね。と思っていたの。J友さんの話を聴くまでは。

もう長い事お逢いしていない、そのJ友さんは、ジュリーよりちょうど二回り上、今年で96歳のはずです。当時、まっ白な髪に鮮やかなスカーレット(緋色)のスーツを着こなし、背が若者よりもスラリと高く、堂々として威厳があって近寄りがたい雰囲気がありましたが、喋ると気さくでジュリーが大好きで「パールハーバーラブストーリー」が大好き!歌ってくれて嬉しい!と言われていた。

その時は、ふーん、私はそうでもないな、と思っただけ。でも今にして分かる、J友さんは戦争を経験した世代だったから「パールハーバー」にいたく共感していたのだと。その気持ちをやっと分かった時から、この曲は私にも特別な曲になりました。

もうずっとそのJ友さんとは連絡がとれなくなってしまって、お住まいも取り壊されて、そこに別の家が建っています。お元気ならば、ジュリーがライブで「パール」を歌いましたよ!とお伝えしたい。

「つづくシアワセ」は、ネスカフェのCMソングでした(2002年)。穏やかに包み込むように優しい曲で、好きです。短いワンフレーズでも、ジュリーの歌声がCMで流れるのが嬉しかった。東芝EMIよりJULIE LABELへ移籍シングル第1弾。なんでジュリーはインディーズになるの?💦という、思いはあったわ。CMとCDバージョンは違っています。 

※ネスカフェのCMソングに起用され、『つづく幸せプレゼント』として限定で生産された。こちらは90年台のCMプレゼントの概要です⇒「ネスカフェつづく幸せプレゼント」とは   続くお花のプレゼント。私は応募はしていないわ。

「6番目のユウウツ」のジュリーはカッコ良くて~!カッコ良くて~! 1982年の曲。この当時のヒット曲は全て、西暦で何年に発売とわかります。ジュリーはシャドーを入れたメイクが綺麗で、光るスパンコールの衣裳、一筋ハラリと落ちた前髪が色っぽかったねぇ 71歳のジュリーが歌うと、やっぱり 超カッコよくて素敵です~! 38年前の私は、71のジュリーが歌う姿など、微塵も想像して無いと思いますけど。

アンコールの「サムライ」は、歌う前にさっと仁義を切り、決まり過ぎて何度見ても、身もだえしちゃいそう。
今さらこの曲については、書く必要もないですが、先日のシングル人気投票ではベスト10には入りませんでしたね。入ってもいいと思うけどな~ 衣装や演出、ヒットスタジオで畳の上で歌うジュリーのあまりの素晴らしさに、思わずのけ反ったのは、もちろん私だけではないでしょう!

涙では
「それでは大昔に作った曲ですが、涙 2020」

涙のない人は 悲しい人
悲しい涙は こらえちゃダメ
嬉し涙も 沢山流そう
それはキラキラと結晶です
きっと 甘い味がする

やったかな。悲しい涙も、嬉しい涙も流しましょう・・ ジュリーに言われるまでもなく、年齢のせいかしらん、すごく涙腺がゆるくなっちゃって・・恥かしいほど涙が出るようになりました。去年はクイーンのボヘミアンラプソディの映画と、京都の国宝の仏像の美しさに涙がポロポロ・・

レコ大の大衆賞受賞がすんごく悔しかった「危険なふたり」は1973年。あの時はジュリーが大賞に決まっている!いまだに悔しいです 
お着物姿で華麗にステージを横走りするお姿に、あのころの軽くて若い「危険なふたり」もいいけれど、今のジュリーの迫力と風格に、勝てる者はないと思いましたわ。

最後に横っ飛びで足パッチンを何度も何度も!雪駄を履いて横っ飛びは凄すぎる!とのJ友さんのお言葉に、ほ、ほんまや~ そこまで気がつかなかった💦 でも怪我しないかと、ちょっと心配です。

歌い終わり、退場するジュリー。周りの観客の皆さんが、一斉に立ち上がって帰り支度を始める方が多数で、え?もう帰るの??ウソ~💦 再びのアンコールを願う拍手も少なくて、え~ これだけで終りだなんて、信じられない
それからようやく、だんだんと拍手が大きくなっていって、まとまって・・大きな拍手が威勢よく続いて、ジュリー出てきて~!!

そこへ、ようやくジュリさま再びの登場、ジュリ~!!と叫ぶ女性ファンの甘えるような黄色い声援が若い。NHKに集合のファンの平均年齢は、えーっと・・ 女は、好きな人の名を呼ぶときには、若い女だった頃と同じ声が出せる、その声はひたすら蜜のように甘いのよ~ ジュリーさま聴こえてますよね?絶対に茶色いなんて言わせないから!

ジュリーは笑顔で、それでは「関東一本締め」
会場中がひとつになって、盛大にパン!と手を打って終わりました。

お正月LIVEが、たった6回しかなかったのは、やっぱりもったいない。もっと多くの全国の方に聴いていただきたかったです。

 

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①お正月LIVE(NHKホール)1月19日

2020年01月20日 | TV・ラジオ・CM・映画

お正月の1月5日から始まったお正月LIVEも、昨日の19日のNHKホールで千秋楽。

松の内から始まったので、選曲も衣装も華やいだ、本当に久々にお正月らしいライブになりました。

 

入り口でお逢いしたmadameHの、目にも眩しい迫力のあるGOLDのセーター姿に感嘆の声をあげちゃいました~ スゴ~イ 

 

お正月LIVEの参加は、お仕事の為に今回は一回限り、ジュリーとの逢瀬を目前にし、背筋をピンと伸ばしたmadameHの気持ちの昂ぶりが、GOLDの輝きに現れているようでしたわ。カッコイイ

年齢に背中を丸める事など無く、女性もジュリーに負けずに輝かなくちゃ!そんなmadameHからのメッセージが、ビンビン伝わってきました。


 

私はこれまでNHKホールには、わずか数回しか参加はしていないけど、今まで3階と2階の後方席ばかり。今日の席は、後ろから数えた方が早いけど、NHKでは私にとってお初の1階席でした。

センターなのでジュリーが真正面!勘違い光線には遠すぎるけれど、ジュリーがず~っとこちらの方面を、まっすぐ見て歌ってくれているような気になれたのは幸せでした(^-^)

それにしても、ライブが始まる前のガランとして たいして広くも感じない、自分の席から見えるホールのステージの、なんと簡素で味気ない事・・大晦日に紅白歌合戦を、自宅のTV画面から見た会場とは大違いです。あの紅白出演のスター達が居並ぶステージの大きさや、キラキラした華やぎは、どこにいっちゃったわけ?

画像はホールの天井より

ところがジュリーがステージに登場した途端に、何もない白い床や白い背景は一度に輝きを持ち、発光し始めるのよね。そこにはジュリーという、輝くスターの大きな存在があるからこそ。何もなかったステージは、一気に熱を持って動き始める。

 

ハローパンダさん作

一着目の白いジャケットは、上着丈が短いので、下の白いパンツのヒップラインや脚の線が強調されるデザインです。下半身を臆せず隠さず見せたデザインに、体型を出して見せる自信のほどを感じましたわ♥ カッコイイ~! 

アンコールのシャッキリした白大島の着物地がライトに照らされて、シットリとした気品のある光沢を放って、その美しさには惚れ惚れと致しました(^-^) 年齢を重ねた着物姿は、若い時にはまだ出せなかった、品格が有りました。

 

「お前にチェックイン」を発売した1982年、ジュリーはインディアンルックで、チュルル♪っとTV画面の中で、軽やかに飛び跳ねていました。その頃の私は何をしていたのか何を考えていたのか、今でもハッキリと思い出せます。チェックインのジュリーと自分の記憶が、まさにくっきりと重なり合っているから。

眼の前のジュリーはあれから38年、やっぱり軽やかに・・いや、チョッとドタドタしてるかなぁ~(笑) 71歳にもなって、チュルル♪っとステージで跳んでいた。その少し丸くなった体の動きの、何と愛おしいことよ ジュリー頑張れ!声援を送りたくなります。

ここはTOKIO、お江戸のジュリーなのに、何故かジュリーは関西弁のお喋りで、関西人にはそれは嬉しい限りです。でも「まいど!」と言われたら、つい「おいど」と返したくなるのよ~ あかんあかん、ここはTOKIO、まさにお江戸やった。



サンキュー 有難うね♪
寒中お見舞い! まいど おえど・・まいど おえど
有難うございます

紅白歌合戦をやっていたこのNHKホールも
まいど菌で充満しています。
お運び頂いて誠にに有難うございました
今年も始まりましたが、あっという間に
正月ライブも千秋楽となってしまいました。
名古屋 福岡 東京 大阪 大阪 NHK・・
怪我無くこのNHKホールに辿り着いたこと
本当にありがとうございます。

今年も始まりました、今年は良い年になりますように
頑張ってお届けしようと思う。
お正月ライブはヒット曲を出し惜しみというんじゃないんですけど
実は出し惜しみというつもりじゃなくて
他にも歌いたい歌があるということで
ヒット曲も歌い切らないうちに、何やってるか
分からないことに。やれる時にやっておこう
ヒット曲を私にしては多めにということで
私にしては始まって、3曲目でもう2曲もヒット曲を
やりました(笑)



アンコール後

有難うサンキュー有難うね~
(カズさんい向かって)
カズさんもしあれだったら・・
(カズさん???)
話が長いのにずっと立っててもらって悪い
一旦 はけてもらって
(カズさん、舞台袖に退場)

名古屋も大阪も ずーっと、大阪を終わった時に気が付いた
いつも立たせたまま喋ってて、
カズさんがなんとなく・・・・
真面目を絵にかいたような
笑いたいときは笑ってくれていい
今年も始まりました。
今年も早々から世界中が大変な事になっていて
どないなるかわからんよ皆さん
出し惜しみする場合じゃない

今年はツアーもやるんですけど
新曲もお陰様で東京フォーラムでレコーディングさせてもらった
それが出来たんですよ
ライブ盤じゃなくてライブの時にコーラスを入れる
どれだけ せこいんや、自分のことやから考えたんです。
大勢のコーラスは人数が多くなると単価が・・
5人くらいより30人くらいいる、30人頼むのは大変なんです。
ところが東京フォーラムは4000人
フォーラムでレコーディングして良かったら使います
必ず使いますとは言ってない
エンジニアの腕でどうでもなる
それが4000人のコーラス!
ワンツースリーフォー ヘルプ .....
とっといたら、いつか使える
いちおう、私が権利をもっている
もうひとつは、東京では おえどと言っているが
まいどを、まいど まいど まいど・・・
この曲のタイトルは「がんばんべーよ」私の作曲
ヘルプはカズさん それが3月11日に出るんです
(買う買う!絶対に買うから!!買いましょうね!)

そのシングルを引っ提げて、5月13日のNHKホールから
今年はオリンピックがあるから、この会場では重量挙げ、
なかなか今年はとれない、
最後の11月の13、14、15 渋谷公会堂
本当はあした、発表になるんですけど

大した事ない仕事だけど
大したことないなんて、くれた人に申し訳ない
TVをやってるわけでも、インスタグラムもやってない
ライブはごく一部の熱烈な人がきてくれだけるのに、
有り難い神様のような人が
昔の名前という事かも知れません
僕の場合はタイガースの頃から生意気やと言われていた
ジジイになっても生意気、生臭いと言われ
ずーっと「やってきたことなんやからそうなんやから
いつまでも有ると思うな人気とフアンと言われてね
人きというものは、昔ほどのことは無いけど
そら― 昔は凄かったで。どんだけもってんの
71や、71やからというて
正月ライブは6時から、そのペースに慣れてしまっている
16時、4時や2時間も早い、身体が起きてない
前の日に早く寝て、10時頃から寝なあかん。
寝られるか?寝られるんですこれが
元気な証拠、胸がいっぱいでご飯が食べられない
そういう事がないんです。食欲があるんです
痩せる気がないんです、自分で望んでこうなったわけじゃないんです
リバウンドがあるわけじゃないんです
この身体は一日にしてならずです。
健康には十分に気を付けて
自分がアルコール依存症じゃないことがよくわかった。
カズさんと旅を廻っていると、旅先に友達がいないと
飲むことが無い。般若湯ですから
休肝日を取れるときはとって、1週間ぐらい休肝日を取って
7日目に飲む、飲める飲める、自分でもビックリするくらい。
そんなに飲めたかな。身体から排出する、そういう能力があるんやね。
お酒飲むんも能力ですから。
カズさんを呼びたいと思います。
カズさん・・

本年もどうぞよろしくお願い致します。

続く

 

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HELLO ツアー(セットリスト)

2020年01月18日 | ライブ・公演・舞台

1995年の2月、震災の影響で交通網が寸断されていたにもかかわらず、ジュリーに逢いたい一心で鉄道を乗り継いで行った「HELLO」のツアーのセットリストは何が歌われたのか。全く記憶にはございません!

ツアーは年をまたいで、1994年12月22日~1995年2月22日までのコンサートツアー。渋谷公会堂は、1995年の1月5~7日でした。大阪フェスは、2月13.17日の2回です。

長いので2分割しました。

忘れ切っていた当時のセットリストを探してきました。

ルバム曲が中心ですが、魅力的な曲が多いですね♡ もっとも、2、3の曲が頭に浮かびませんけど・・💦 聴いたら思い出すと思うわ~ 

意外に今よりも、ヒット曲が多く歌われているではありませんか。でも、この時からすでにヒット曲は歌わないと認知されていました。

ついでに、座る座らない座りたくない立ちたい立って当たり前、問題が新聞に投書されて、一般の人にも それが知られました。25年前、すでにファンは世間から、おばちゃんと思われていて、おばちゃんのコンサートが立つはずがないって。この時ファンの大多数は、アラフォーティーで まだ若いのに・・・・

こ~んなにカッコイイ人のコンサートで、おとなしく座席に座ったままなんて できないよね。

あれから四半世紀、ファンも歳を取りました。静かな曲では座ってもいいと思います。

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あの日から25年

2020年01月17日 | 日記

1995年1月17日から、25年がたちました。
TVで阪神淡路大震災の街の当時のようすを紹介していましたが
当時住んでいた、神戸市灘区の我が家から
すぐ近くの光景が写し出されていました。

我が家から、ほんの徒歩1分くらいの一区画
炎が出て全焼し、沢山の死者がありました。
あの日、家は全壊の判定でも、家族全員が怪我もせず
無事だった我が家は、なんと幸運だったんでしょうか。

震災直後、私ときたら、ジュリーの2月の大阪フェスに
行けるのか?と心配してた。もちろん行ったよ!
それもこれも、家族が無事で、命があったからやね・・

あのとき私はまだ30代、義父は70歳で、
今のジュリーと、殆ど年齢がかわらない。。
震災後、数日してから雨が降り出したので
家人と二人で命がけで屋根に上って
ブルーシートをかけてくれました。
義母と私は、心配しながら家の中で見守るだけだった。

お義父さん、あの時はどうも有難うね・・
その後、復興計画で家が立ち退きになって
自分が設計した家が取り壊しになるのは
辛かったやろね、ここを立ち退きたくないと言った
気持が、今頃になって ようやくわかります。
そんなことを思い出しながら
震災で亡くなった方々や両親に手を合わせています。

 

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ジュリーのことよね『彼はいだてんのファンだったよう』

2020年01月16日 | 新聞・雑誌 記事

今日の朝日新聞・近畿版の朝刊に、島崎今日子さんのコラムが載っていました。

『お正月が明けて、さる人のライブを楽しんだ。彼は「いだてん」のファンだったようで
全話観た、面白かったねえ、と聴衆に語りかけた。同感の拍手がわきおこる。』

これって、ジュリーのことよね。

1月10日のフォーラムに行かれた方は、同感の拍手をしましたか?

全文

昨日、大阪フェスの2日目から帰ってきたら、NHKの歴史秘話ヒストリアで「前畑がんばれ!感動秘話。女性初 五輪金メダル」をやっていました。前畑秀子さんは「いだてん」の登場人物です。

「いだてん」で何が一番感動したかと言うと、それまでの女性を縛る古い考え方から抜けだして、明治の女性たちが体育を始めてゆく様でした。オリンピックで予選落ちした人見絹江さんの、「女は負けたら日本に帰れません!」涙ながらの絶叫は、今も耳の奥に残っています。女性たちが男性中心の社会の中で立ち上る姿、その向上心に気持ちがボッと熱くなり、画面から目が離せませんでした。

構成の分かりにくさゆえか、多くの人に見て貰えなかったのが本当に残念でした。視聴率は低くても、作品は最高だったと言わせてもらいます。



コラムの筆者の島崎今日子さんは、「安井かずみがいた時代」の作者であり、ジャーナリスト。京都府出身の1954年産まれです。もう20年以上は続いている、朝日新聞の月に一度のTV番組に関するコラムは、明快な切り口で、いつも頷くことばかりで、毎回楽しみにしています。

2013年には、『ジュリーと拓郎 贅沢な一夜』(朝日新聞「キュー」2013年04月09日というコラムを書かれていて、ブログで紹介しています。島崎さんが、特にジュリーのファンだとは思っていなかったけど、タイガース時代からのジュリーを知る世代だという事は、間違いありません。

あれだけドキドキして見た、ジュリーと拓郎さんの対談は、もう7年も前の出来事になってしまいました。あれから後、TVに出演はしていない。2018年にドタキャンで会見をするまでは。

近ごろのジュリーのMCによると、88歳までやりたいので、お酒もそんなにやらなくなったと言っていました。2013年の頃より、ずっと痩せましたよね✨

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①お正月LIVE、大阪フェスティバルホール1月15日

2020年01月16日 | ライブ・公演・舞台

帰ってきました、大阪フェスティバルホール♪ 

去年の10月末に2日間連続でフェスに参加して、翌日は仕事に行ったら、やはり疲れてしまいました(-_-;) 福岡にも行くことだし、15日だけの参加しよと思ったんですが・・

やっぱり楽しくて楽しくて、ジュリーが何といってもカッコ良くって素適で、あぁ~ やっぱり昨日も参加したら良かったのかしらん!と、今頃になって そんなことを思っています。

明日は用事があるので、まずは手短に。フェス二日目のせいか、ちょっと声がハスキーかな?と思いましたが、ドンドン声がのってきて良かったです♪

まいど おいど まいど おいど・・まいど菌が蔓延していますって、去年も言っていましたっけ。

大阪は サブイ サブイ サブイ・・山本周五郎。とジュリーがいうので、もちろんここは「サブ!」と元気にJ友さんと、答えておきました。(ジュリーは以前に山本周五郎の「サブ」に出演しています。今度NHKが新たに映像化して、BSで放送されますが、いつやったかな?)これからヒット曲は増やしていくと話していましたよ。 (※NHKの「さぶ」の放送は1月11日、もう放送が終わっていました。)

ジュリーが、にこやかに頭の上で手拍子を初めて、カズさんがアレ??「6番目のユウウツ」だったのに、曲順を間違えてしまったようです。ほんとは「単純な永遠」だったのかな?ジュリーはコロガシとか全く使いませんもんね。その「6番目のユウウツ」のポーズが決まっていて、と~ってもカッコ良かった!!(^-^)

「どうぞ どうぞ どうぞ・・」ダチョウ倶楽部のマネをして、分かる人だけ分かる、と言っていたけど・・、私は分からず?? J友さんに聞いて、そういえば!と、やっとわかりましたがな(-_-;)

アンコールに着物で登場したジュリー、シュっとした姿で さっと仁義を切って、凄~くカッコイイ! 凄く決めているのにも関わらず、頭のテッペンに髪の毛が一束ピラっと立ってて、後ろから光が当たって、余計に髪が立っているのが目立ってる。「決めてる」と思っているご本人は気が付いていなのが、余計に可愛かったのよね~ぷぷぷ(^^ゞ 

昨日はゴーンさんの話が長かったそうで、皆さん あまりに長くて引いた、と聞いていたのですが、今日もゴーンさんのお話だった。曰く、近ごろは、日本人の悪口を言い始めたと、ご立腹でした。貧しい地区の人々が、ゴーンさん非難の落書きを書いていたとか。気になっているんやね。三谷幸喜さんの「総務課長戦場を行く」のビバノンはレバノンの事だったそうで、たまたま響きが似ているだけかと思っていたので、マジにそうだったのかと驚きました。しかし今日はゴーンは短く切り上げ、話すネタをとっておいた、とのことで何のお話か?と思ったら・・・

大相撲ネタでした。解説の北の富士さんの柿色の羽織と、着物(緑色かな?)が高そう!北の富士さんはいまだに独身という、ネタまでも(笑) 白鳳のオリンピックまでのモチベーション・・云云は、話がオカシイと言っていました。

白鵬の横綱土俵入りの型、不知火やったか?雲竜型やったか?の時の、手の平の返し方がなってないそうです。わざわざ こんなんですと 土俵入りの時の型を実演してくれました。まさか、ジュリーの土俵入りを52年、いや53年のファン人生で見られるなんてね~ 一度も思った事ないわ~(笑) 白鳳の土俵入りを見たことが無い人は、YOUTUBEで見てと言っていたので、観て下さいね。で、白鵬は昨日から休場したってね💦 連日、金星配給していたもんね・・

先代の貴乃花さんと雑誌で対談した時に、お帰りはお送りします!と方向が反対なのでと、断っても断っても 送ると引かない。自分と同い年なのに。ちゃんこをご馳走してもらいに部屋に行ったら、下っ端力士は最後まで食べられず、ジュリーが食べている横で グッと我慢の生唾を飲み込んでいたそうで、恨めしそうに眼をキョロキョロさせている力士のマネをしていたけど・・、あまりにジュリーの形態模写が真に迫っていて、その時の下っ端弟子さんが、可哀想に思えるほどでした。(-_-;)

先代貴乃花に思いっきりぶつかって下さいといわれて、ぶつかったけどビクともしなかった。硬かった!

新曲は「ヘルプ ヘルプ ヘルプ」「頑張るべ~(?)」次のツアーは、5月のNHKホールから。最後は渋谷公会堂で三日間。関西はフェスが二回と、あと1回。(ウソ~!京都と神戸で最低でも、あと二回でしょ!ジュリーが間違えてますように!)

令和版の「涙」は、実は福岡で聴いた時は、それほど歌詞が変わっているように思えなかったのですが、昨日は 大きく歌詞が違っていました。変わっていないのは初めの方だけでしたが、昨日の歌詞とも違っていたそうです。連日 歌うたびに変わるのかしらん?

「危険なふたり」は、着物姿で流麗に舞台上を横に滑りの見事さで、若い時の勢いはあるがカルイ「危険なふたり」とは全然違う、円熟の華麗さがありましたわ♥

昨日も歌って去ったという「河内音頭」は、歌詞がメタメタでしたが、雰囲気だけでも感じられて良かったです(^-^) バイバーイと笑顔で去ってゆきました。



お逢いした皆さま、どうも有難うございました(^-^)

 

ジュリ坊たちはお正月らしい、紋のついた着物を着てフェスに来ていました。右のおめかしした、おちびちゃんは、早速1着目のシルバーの付いた衣裳を着ていました。貼り付けたシルバーは、ある物を活用しているそうで、その元になった物の正体を聞いて、へ~っと感心しちゃいましたよ。ピンと伸びた直立する足にも秘密が隠されていて、ほんと、アイデア満載です!感心しました(^-^)

 

ブログにコメントを下さった、湯の出る井戸さんが、白大島でフェスに参加します。と書かれていたので、白に花の模様の紬の着物を着た女性がロビーにおられたので、思い切って声をおかけしました。

良かった、ご本人でした。着物を気慣れておられるので、着こなしが素敵です。そして、粋に結い上げた髪にかんざし。こういうお姿を見ると、ほんとに女性として憧れちゃいますよね~ 着物の女性って、凛として見えます✨ 次はジュリーから見える席に、着物姿で座れますように!✨

かくいう私は、親が作ってくれた着物をついぞ着る機会もなく、去年 古着屋に殆ど売っぱらいましたが、全くお金にはなりませんでした(T_T) でも、着たい人に着てもらえる方が、着物にとっては幸せです。今は新しい女性の手に渡っていますように、と願ってます。

 

思わず長くなってしまった、早よ寝よ!

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私が選んだリクエスト曲

2020年01月14日 | JULIE

J友さんから今夜の大阪フェスの速報をいただきました♪有難うございます(^o^)丿

『スッゴク良かったです!!、歌も今日は初めから声がよく出ていました。MCも、またゴーンの話しで盛り上がりました。野田さんが来ていました。

次のコンサートは27公演で、1年間の仕事を引き受けたって。皆さん大河かな?って想像していましたが、TVの仕事ではなさそうです。自分がTVに出ないって言ってるからオファーが来たそうですよ。

その仕事を言いかけたんですが、大阪の人だけ得するやろ。皆言うやろ?針千本飲めるか?飲む!と言うたけどダメでした。フェスは2回と言っていました。』

ゴーンさんの話しは、かなり長かったそうです。2階席では座れコールがあったそうで、悩ましい問題ですね💦


ロミさんからも、コメ欄でご報告をいただきました。♪

『しゅっとしたジュリーに何度目かの一目惚れ😌🌸💕ジュリーからの針千本やったら、喜んで飲みますやん😍今日のジュリーは大変ご機嫌でアンコールの二曲が終わってハケる時アカペラで河内音戸歌ってくれて、あたしたちは「えんやこらせぇどっこいせ」と合唱しました😎背中のジュリーが喜んでるように見えました😍』

 





 

天神では、九州のJ友さんらとお話できました。私と同い年の方が多かったのは偶然だけど、嬉しい。その中のお1人のJ友さん、年末の東海放送「ジュリーファンによる総リクエスト番組!シングル曲3曲まで、 カップリング曲・アルバム曲を選ぶ」に投票されたそう。

興味津津、どの曲に投票されたんですか?J友さんの投票した曲は

シングル曲
①時の過ぎゆくままに
②そのキスが欲しい
③勝手にしやがれ

ちゃんと投票1位の「そのキスが欲しい」を2位に選ばれているじゃありませんか。投票2位の「時過ぎ」も選ばれていて、投票結果とほぼ同じだ!


アルバム曲
①あなたに今夜はワインをふりかけ
②遠い夜明け
③アルシオネ

あら!またまたですね。投票では①遠い夜明け、②あなたにワイン・・ でしたよ。凄いな、投票結果とあんまり変わらない。

私は投票結果の上位には異論はありません。下位がけっこうマニアックな曲が入ったと思いました。アルバムの「夜の河を渡る前に」は、最近ブログでも紹介したので、上位は嬉しいです(^-^)

ちなみに、アルバム・カップリング部門の投票の結果は

⑩GSアイラブユー
⑨美しい予感
⑧さよならを待たせて
⑦幻の恋
⑥遠い旅
⑤憂鬱なパルス
④夜の河を渡るまえに
③「月の刃」1991年(パノラマ)
②「あなたに今夜はワインをふりかけ」1987年
①「遠い夜明け」2000年(来るべき素適)


シングル部門・ベスト10
⑩ストリッパー
⑨スプリーン
⑧魅せられた夜
⑦そっと口づけを
⑥危険なふたり
⑤灰とダイヤモンド
④君をのせて
③お前がパラダイス
②時の過ぎゆくままに
①そのキスが欲しい

シングルの、③⑤⑦⑨が かなり意外でした。あまり売れてない曲ばかり・・💦

今頃ですが、私は投票したとしたら・・ 3つを選ぶのがすごく難しいけれど、シングルは ①時の過ゆくままに ②憎みきれないろくでなし ③追憶 かな。

アルバムは決められない、けど・・ あえて選ぶと①やさしく愛して ②絹の部屋 ③さよならを待たせて、順不同、どれが何位でもいいです。(さよならを待たせては、去年のツアーで何度も聴いて 少し有難みが薄れました・・贅沢ですね💦)

で、実はジュリー名義ではなければ 絶対に入れたかったのが、ジュリーwithワイルドワンズの「涙がこぼれちゃう」1位でもいいと思うくらいに好き!という訳で、改めて選ぶとアルバムは ①涙がこぼれちゃう ②絹の部屋 ③やさしく愛して にします。

でも他にも選びたいものが、い~っぱいあるわぁ・・「YOKOHAMA BAY BLUES」「いつか君は」う~ん、悩ましすぎる(^^ゞ アルバムのベスト3は、やっぱり決められません。

 



私と年齢が同じだというJ友さんは「僕のマリー」でジュリーを見てからファンになったという事で、私はスパイダースがGSの初めではあるけれど、タイガースを知ったのは そこから少し時間が空いてしまいました。

「僕のマリー」の頃は全く知らないので、いいな~羨ましい 元々が、親が歌謡番組は見ない家庭だったので。「シーサイドバウンド」でタイガースが大人気ということは、認識していたけど、ある日TVで「モナリザの微笑」を歌うジュリーを見て、すっかり虜になりました。

「僕のマリー」の頃のジュリー、ああ 私も見たかった J友さんの、グアムでジュリーの被っていた「憎みきれないろくでなし」のポリス帽を買ったのよ~というお話にウケた。今でも大事にお持ちなんでしょうかね?それは聴き忘れました。

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天神まち歩きツアー

2020年01月14日 | 紀行(建築・桜)

後回しになりましたが大阪フェスに参加する前にアップしておきたい。

福岡のライブ前に、無料ボランティアさんが案内してくれるツアーに参加しました。福岡のことは、ほんとに何にも知りません。

福岡一の繁華街である天神の、歴史を知る街歩きです。福岡と博多の違いは、福岡は武士の街で、博多は商人の街との事。今は亡きお城の石垣などを紹介してもらいながら、福岡の歴史を聴きながら、一時間歩きました。

アクロス福岡は、ビルの壁一面が森になっていて面白かったのに、写メを忘れました💦

天神中央公園に残る、昔の市役所の一部

菅原道真ゆかりの、水鏡天満宮

今日の一番のお目当て、福岡市赤煉瓦文化館は重要文化財。設計は東京駅の辰野金吾です(^-^) 東京駅と似ているでしょ。それほど大きな建築では無いものの、辰野らしい風格のあるどっしりした建築です。

赤い煉瓦が素適やわ~☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

館内には昔、生命保険会社だった名残を感じます。

もっとゆっくりしたかったが、時間が無しで残念。

歩く途中に日銀福岡支店があったが、老朽化で隣りで新しい日銀を建築中です。この建物は取り壊しとか?戦後の建物だけど残して欲しいなぁ!

重要文化財のルネッサンス様式の旧福岡公会堂は、案内ルートに入っていなかった。観たかったな~(-_-;)

魅力がある街として、人口増加が続く福岡。その一番の繁華街、天神に次に来るのはいつの日か?



福岡天神グルメ、カキフライがムッチリと大きくてボリューム満点、食べ応えあり!お腹いっぱいになりました。

 

 

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女神

2020年01月13日 | JULIE メモリーズ

コメ欄で堺正章さんの「二三夜」が好きです。と、コメントを頂いて、そういえば私も好きでした。「二三夜 愛し抜いて・・♪」何やら心に残る曲でした。⇒歌詞

久しぶりにYOUTUBEで聞いて、エキゾチックなムードと歌詞が なんとな~く、ジュリーのいくつかの作品と通じるところもあるなあ・・と、思いました。

作曲家の佐藤隆さんで検索してみたら・・(一番曲が、二三夜に似ているのは、佐藤さんの桃色吐息)

佐藤隆さんが、ご自身のオフィシャルサイトで「女神」を作曲した時の事を書かれていました。⇒佐藤隆 / Takashi Sato / Official Web Site / Part II

近況から、ずーっと下の方にスクロールして、アルバム「Album En2」の所で「女神」について書かれています。

一部のみ抜粋しました⇔『M1 女神 : この曲は沢田研二さんからの曲依頼で作った曲です。初めは「Elenor「Eleanor Rigby」のような曲を作りたいと思ってそれ風な曲を作って見ましたが、もう一つイメージが違うなと思い違う曲を考えることにしました。しかし締め切りが近くなっても一向に曲が湧いてきません。そこで気分転換に夜近くの公園に行きそこのベンチに座って目の前のグランドの様な所をボーッと見ていました。僕はシャルル・アズナブールの「イザベル」の様な感じはどうかなと思い始めていました。・・・・・・・・ シャルルアズナブール=フランス、沢田研二=ジュリー、、そう沢田さんには「Je t'aime」だと思ってサビのところを作って見ました。・・』 イザベルは以前にブログで、ジュリーもライブで歌ったと書きました。

「女神」は、色々とジュリーの私生活が騒がれている頃の曲で、あんまりヒットはしませんでした。

・・・そ、そういえば、この頃はシングルは買っていない・・という事に気が付きました💦 ジュリーの私生活が、どうのこうのではなく、アルバムは必ず買うからシングルは、ま いいか~買わなくても。と、思っていたのよね。

許してジュリー、私のような真面目なファン(自分で言うか)がそんなんやから、ますます売れなくなっていったんだわ という事で、女神はヒットしなかった😿

今になってヒットスタジオの映像などを見たら、扇情的なほどの過激な表現に驚く。けれど、その時の衣裳やパフォーマンスの記憶さえ、ろくに残っていなかったのだから、TVで歌った回数もそれほどないのじゃないのかな。

印象に残っているのは、あの長いソバージュの髪だけだった。あの髪も、あの頃は好きにはなれず・・ 今見たら、おそろしいほど 色っぽいと思うのだけど、女神を歌うジュリーが、一般にどういう風に受け止められていたのか、私は知らない。

あんまりマスコミに騒がれ過ぎて悲しくて、歌うジュリーを直視するのが 辛くなることもあった頃でした。

「女神」といえばJALのCMソングで、ジュリーがCMにも出ていました。キャンペーンガールの三浦カズさんの奥様の、設楽りさこさんもCMに出ていました。前にア〇シだったかな?、男性として初めてJALのCMキャラクターに選ばれた、とか書いてあるのを見たけれど、そんなもん、とうの昔にジュリーが先に出てるわい!と心の中で叫びましたがな、誰も聴いてないけどね。

早速、JALのパンフレットを貰おう!と勇んで、三宮駅の旅行社を覗いてみたら・・ 何と、JALの店先に、パンフレットは旅行される方のみにお渡しします。誰にでもホイホイやらん、という お断りの貼り紙がしてあったの!なんてこった。

旅行する気はないのに、パンフだけチョウダイ!という私のような女がいっぱい来たようです。ジュリーもまだまだ人気が有ると思いました。しかし私も沖縄に行く気は無し、どないしょ~ でも欲しい!と困っていたら、家人が「沖縄に行きたいからパンフレット下さい。と言ったらくれた。」と気をきかせて貰ってきてくれました。こういう時だけ有難いですわ~

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