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シリーズ平成の「変」-日銀総裁人事と「天下り」規制問題の「変」

2008-02-21 | Weblog
シリーズ平成の「変」-日銀総裁人事と「天下り」規制問題の「変」
 任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから与野党間で調整が続いている。
 政権与党は、武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格を支持しているが、野党は、副総裁就任時においても財務省出身の「天下り」人事として問題視していただけに難色を示す向きが強い。
 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。同人に代わる候補者となると難しいところがあるが、竹中平蔵元経済・財政担当相など、実務的、政策的経験も兼ね備えた人が適任であろう。
現在の人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
 それは、正に「変」でしょう。         (Copy Right Reserved)
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シリーズ平成の「変」-日銀総裁人事と「天下り」規制問題の「変」
 任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから与野党間で調整が続いている。
 政権与党は、武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格を支持しているが、野党は、副総裁就任時においても財務省出身の「天下り」人事として問題視していただけに難色を示す向きが強い。
 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。
この人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
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 任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから与野党間で調整が続いている。
 政権与党は、武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格を支持しているが、野党は、副総裁就任時においても財務省出身の「天下り」人事として問題視していただけに難色を示す向きが強い。
 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。
この人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
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 任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから与野党間で調整が続いている。
 政権与党は、武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格を支持しているが、野党は、副総裁就任時においても財務省出身の「天下り」人事として問題視していただけに難色を示す向きが強い。
 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。同人に代わる候補者となると難しいところがあるが、竹中平蔵元経済・財政担当相など、実務的、政策的経験も兼ね備えた人が適任であろう。
現在の人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
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 任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから与野党間で調整が続いている。
 政権与党は、武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格を支持しているが、野党は、副総裁就任時においても財務省出身の「天下り」人事として問題視していただけに難色を示す向きが強い。
 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。同人に代わる候補者となると難しいところがあるが、竹中平蔵元経済・財政担当相など、実務的、政策的経験も兼ね備えた人が適任であろう。
現在の人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
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 任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから与野党間で調整が続いている。
 政権与党は、武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格を支持しているが、野党は、副総裁就任時においても財務省出身の「天下り」人事として問題視していただけに難色を示す向きが強い。
 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。同人に代わる候補者となると難しいところがあるが、竹中平蔵元経済・財政担当相など、実務的、政策的経験も兼ね備えた人が適任であろう。
現在の人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
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 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。
この人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
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 任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから与野党間で調整が続いている。
 政権与党は、武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格を支持しているが、野党は、副総裁就任時においても財務省出身の「天下り」人事として問題視していただけに難色を示す向きが強い。
 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。
この人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
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 任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから与野党間で調整が続いている。
 政権与党は、武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格を支持しているが、野党は、副総裁就任時においても財務省出身の「天下り」人事として問題視していただけに難色を示す向きが強い。
 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。
この人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
 それは、正に「変」でしょう。         (Copy Right Reserved)
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シリーズ平成の「変」-日銀総裁人事と「天下り」規制問題の「変」

2008-02-21 | Weblog
シリーズ平成の「変」-日銀総裁人事と「天下り」規制問題の「変」
 任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから与野党間で調整が続いている。
 政権与党は、武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格を支持しているが、野党は、副総裁就任時においても財務省出身の「天下り」人事として問題視していただけに難色を示す向きが強い。
 武藤副総裁は、旧大蔵省の生え抜きで、1992に予算編成に中心的な役割を担っている主計局の次長、97年に官房長、99年主計局長、そして2000年より大蔵・財務事務次官を勤め、同省顧問を経て03年に日銀副総裁に就任している。課長時代に銀行局(中小金融課)にも在勤しており、どちらかというと財務畑の人材であるが、日本の金融の舵取りを担う日銀の総裁の有力候補の一人ではあろう。
しかし、最大の問題は、副総裁就任時にも問題とされた「天下り」人事である。現在、公務員改革が検討されており、談合や税金を利用した官製ビジネスの増殖、無駄使いなどの温床ともなっている「天下り」の規制も重要な課題の一つだ。一部には、「官僚を上手く使わなくてはならない」とか「政と官の和」などの必要性が強調されており、大きな行政組織を運営・監督するには必要なことであろう。しかしそれは、いわば「内輪の和」を優先し、納税者である国民の利益を二の次にすることにもなる。
90年代中頃より、ほとんどの省庁で、過剰接待・利殖行為、プール金や予算の流用・不正使用、記録の不正焼却、談合、年金記録漏れなど、多くの不祥事が繰り返され、そのたびに綱紀の粛正が行われて来ているが、抜本的改革はなされていない。国民には、官僚自身には自己改革能力は期待できないように映る。こんなことでは、また目先の手当てで終わり、本質的な問題は先送られ、また不祥事を繰り返すということにもなり兼ねない。もっと重要なことは、国民の税金等が、行政により浪費され、いわば私物化され続けることにもなり兼ねない。
このような公務員改革の検討の途中で、「天下り」人事を承認してしまえば、公務員改革の先行きをいわば予断することになり、骨抜きとなる結果は見えてくる。
 政策面でも、武藤副総裁は、バブルの崩壊時に、主計局、官房長、事務次官として、不良債権問題先送り、有料高速道路を始めとする膨大な公共事業を繰り返し、公的債務を積み上げた責任者であり、今後5年間」、日本の金融の舵取りを委ねるのにふさわしいか否かも疑問として残る。
その上、1998年の民間金融会社による日銀の過剰接待問題を契機として、旧大蔵省より金融(監督)庁が独立したのにも拘わらず、旧大蔵省出身の副総裁を日銀総裁にすれば、金融庁を独立させた意義が減少する恐れが強い。同人に代わる候補者となると難しいところがあるが、竹中平蔵元経済・財政担当相など、実務的、政策的経験も兼ね備えた人が適任であろう。
現在の人事を進めるということは、実体的に「天下り」人事容認し、行政・公務員改革のモメンタムを削ぎ、納税者・国民の利益を二の次にすることにもなりそうだ。現政権は、小泉改革を継承した安倍政権を引き継いだ政権であるが、余り進展していない、と言うか急速にブレーキがかかり始めた「改革」は何処に行ったのだろうか。反対に外資の日本売りは止まりそうにない。
 それは、正に「変」でしょう。         (Copy Right Reserved)
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