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平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」

2009-11-29 | Weblog
平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」
 2009年も年の瀬が迫り、NHK恒例の「紅白歌合戦」やら明年の「大河ドラマ」などの番組で盛り上がっている。
 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」

2009-11-29 | Weblog
平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」
 2009年も年の瀬が迫り、NHK恒例の「紅白歌合戦」やら明年の「大河ドラマ」などの番組で盛り上がっている。
 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」

2009-11-29 | Weblog
平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」
 2009年も年の瀬が迫り、NHK恒例の「紅白歌合戦」やら明年の「大河ドラマ」などの番組で盛り上がっている。
 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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 2009年も年の瀬が迫り、NHK恒例の「紅白歌合戦」やら明年の「大河ドラマ」などの番組で盛り上がっている。
 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」

2009-11-28 | Weblog
平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」
 2009年も年の瀬が迫り、NHK恒例の「紅白歌合戦」やら明年の「大河ドラマ」などの番組で盛り上がっている。
 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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 2009年も年の瀬が迫り、NHK恒例の「紅白歌合戦」やら明年の「大河ドラマ」などの番組で盛り上がっている。
 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」

2009-11-28 | Weblog
平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」
 2009年も年の瀬が迫り、NHK恒例の「紅白歌合戦」やら明年の「大河ドラマ」などの番組で盛り上がっている。
 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」

2009-11-26 | Weblog
平成の「変」―迫る年の瀬、お祭り騒ぎの「紅白歌合戦」の「変」
 2009年も年の瀬が迫り、NHK恒例の「紅白歌合戦」やら明年の「大河ドラマ」などの番組で盛り上がっている。
 他方、経済成長がやや持ち直している兆候は見られるものの、完全失業率は5%を超え、職を失った人の内、雇用保険の失業給付が09年後半期に終了するのが約39万人、その6割近くの23万人内外が3ヶ月以上収入がない状態が続くと発表されている。
 このような状況は、輸出産業を中心とする派遣従業員の大量解雇などで昨年も経験した異例の厳しさであるが、このような状況が今年の年末、年始にも予想される中で、十年一日のように大晦日にお祭り騒ぎをやっていて良いのだろうか。「紅白歌合戦」などの事業は、娯楽の少なかった時代や地方を中心として年の瀬の楽しみとなっていた。それがマンネリ化し、「公共放送」の域を越えた派手さや華美さが際立って来ている。時代の要請、ニーズに合わなくなっている面がある。
 確かに経済が停滞しても、過度に萎縮することは更に経済を収縮させることになるので、贅沢や無駄、非効率は改善しつつも、科学技術の振興や教育の質の確保、文化の振興など、必要な事業、活動は勇気を持って推進すべきであろう。
 しかし「紅白歌合戦」や毎年続けられている「大河ドラマ」のような巨額の事業費と時間を掛けて繰り返されているお祭り騒ぎを、今年も来年もあたかも何も変わってないように繰り返していて良いのだろうか。これを楽しみにしている人はいるであろうが、一握りの出演者、招待客などとテレビの視聴者でしかない。違和感以上に「変」でもある。
 一方では、2、30万人とは言え、十分な暖や食事も取れず、お祭りとは縁遠い人達がいる。また経済的な理由で進学を断念したり、借金苦で途方にくれている人達もいるのだろう。無論、それぞれの生活であるのでそれぞれの努力は不可欠であり、頑張って欲しいと願うばかりであるが、ほんの少しの支援でも勇気付けられることであろう。
 お祭り騒ぎの「歌合戦」ではなく、トップ人気の歌手や芸能人の中からボランテイアーか小額の出演料で出演を希望する者を募り、「年の瀬応援チャリテイ・コンサート」(仮称)などを開き、入場料は支援事業に回すような事業に出来ないものだろうか。適当なスタジアムか屋外テントなどを張り、TVスクリーンを設置し、これらの人々を招き、暖かい食事や年明けにはお雑煮などを提供するのも良いだろう。全てが努力している人達ではないかもしれないが、支援を必要としている人達を支援するのが「公共」の名にふさわしい事業活動ではないだろうか。
 「大河ドラマ」についても、あれだけの費用と時間を費やして毎年一年間連続で実施すべきなのだろうか。登場人物や時代背景が重複、繰り返しとなり、マンネリ化しているのも事実であろう。3、4年毎とか設立記念日の5周年毎の区切りの年に新鮮な感覚での「大河ドラマ」としてもよいのではないか。
 そもそも「公共放送」に、6,000億円を越える事業費が必要なのであろうか。ましてや支払いを「義務化」して事業費を更に増やす必要があるとは思えない。「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返り、コマーシャル・ベースでは困難な教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)を中心として、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発などに特化して行くべきではなかろうか。このようにすれば、「公共放送」の事業費は現在の三分の一以下の規模で十分であろう。それでも年間2,000億円内外の事業規模であり、テレビ東京を上回る放送事業となる。その他の事業についても全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、民放形式で行うか、時間帯を地域放送などに売る形などで自由に展開することが望ましく、全体として、事業規模、事業内容の見直しが急務になっている。それにより放送事業が活性化することが期待される。(09.11.)(All Rights Reserved.)
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