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財務、防衛を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!

2017-07-31 | Weblog
財務、防衛を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊員が派遣されていたが(2017年5月撤収)、同部隊が本部に行っていた日報が防衛省により公表されず、隠ぺいされていたことについて、稲田防衛相は7月28日、特別防衛監察の結果を公表した。
 国連平和維持活動に自衛隊を派遣する要件として最も重要な点は、紛争当事者間の停戦合意が維持されているか否かということであるだけに、南スーダンで武力衝突や戦闘行為があるか否かが大きな問題となっていた。現地部隊よりの日報には、南スーダンにおいて政府軍と反政府軍との間で‘戦闘’が発生していたことが報告されていた。
 今回の特別防衛監察結果から、陸上自衛隊及び事務方トップの事務次官については隠ぺいに直接関与していたことが明らかとなったが、防衛相による承認や黙認については、あいまいな表現となっている。
 今回の監察結果から、防衛省による‘日報’隠ぺい事件について次の点が明らかになったと言えそうだ。
 1、防衛省事務方及び陸上自衛隊の不適正な情報管理と隠ぺい
 陸上自衛隊幕僚は、現地よりの日報で‘戦闘’状態と報告されていたこと自体を隠そうとした趣だ。公表すれば、部隊の引き上げが問題となるからだ。何故そう判断したのか。
 情勢を甘く判断していたか、現自・公連立政権が前のめりの安全保障政策や国際貢献を取っていることを配慮してのことか。一部の保守専門家等は、自衛隊が引き上げれば国際的な笑いものになるからとしている。しかし、一部外国部隊は撤退している。いずれにしても自衛隊員の命が掛かっている上に、国連平和維持活動(PKO)の派遣条件が満たされなくなったか否かを判断する重要な事態である。適正な判断が不可欠であるのに、情報を隠ぺい、破棄するのでは、国民を欺く結果となる。
 陸幕が事務方のトップである事務次官と協議した際、‘戦闘報告は、個人のコンピュータにファイルされていたもので、公的情報とは言えない’との趣旨で不公表と判断されたとされる。あり得ない。
 そもそも防衛省、自衛隊には、‘個人のコンピューター’の使用が認められているのか。そうだとすると、防衛省の情報は何時でも個人に持ち出されることになる。あり得ない。個々の担当官が使用しているのは、すべて同省の公的な‘コンピューター’であり、そこにファイルされている情報は、文書にしろ、データにしろ、基本的には公的情報であり公的に管理されるべきものであろう。
 いずれにしても、事務方も陸自も日報を不公表としたばかりか、一部破棄し、隠ぺいした。これが国連平和維持活動ではなく、日本自体の安全保障にかかわることであれば、国民は情報を隠されたまま、防衛省の言うことに騙される恐れがある。そのような防衛省、自衛隊に日本国民の安全を任せることは難しい。
日本を巡る安全保障環境が悪化している今日、本来であれば防衛に必要な兵器や軍事機材と兵力の増強が不可欠であるが、このような防衛当局に更なる兵器や兵力を預けることは難しい。厳に防衛に必要な兵器、兵力水準にとどめるべきであろう。兵力も、陸自を大幅に削減し、空、海の防衛力強化を優先することが望まれる。
2、稲田前防衛相は、未だに国会、国民に嘘をついている
日報隠しに稲田防衛相(当時)が主導的役割を果たしたことはなさそうだ。しかし、2月の予算委審議で野党からこの問題を追及される中で、同大臣は陸幕幹部及び事務次官から‘情報公開の手続き’などについて説明されたとされている。しかし、そこにおいても稲田防衛相は、日報データの存在は知らされておらず、また日報不公表を了承したことはないとされている。あり得ない。
国会で日報問題が厳しく追及されている最中に、一般的に‘情報公開の手続き’などの説明に終わっていることはないであろう。百歩譲っても、大臣自体が質問もしなかったとすれば、不真面目且つ無責任であろう。
同大臣は、‘一般的な監督責任’で辞職したとしている。同大臣は日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)はないとしているが、明らかに保身のための嘘である。同大臣(当時)は、2月以来、国会で日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)を否定し続けていたので、知っていたとすることは、大臣が国会で嘘をついていたこととなり、大臣の職だけでなく、議員辞職を求められる恐れがあるので、真実は語れないのである。そのため、陸幕幹部も事務方も真実は語れず、大臣から嘘を強いられた形となっている。
防衛省、自衛隊は、情報を隠し、廃棄し、また大臣答弁とつじつまを合わせるために嘘をつかざるを得ない状態になっている。行政倫理と内部統制の崩壊である。
類似のことは、森友学園における財務省、加計学園問題における文科省、内閣府、官邸でも起こっている。
3、首相側が招いた破たんの連鎖
森友学園問題で、首相、首相夫人は、同学園の「教育勅語」(明治天皇の下で出されたもので、戦後廃止)に基づく復古的教育方針を信奉しながら、超低価格での国有地売却問題が国会で問題視されるにつれ、森友学園と距離を置き、事実に反する弁明をし続けた。そのため財務省当局は、それとつじつまを合わせるため、資料隠しと記憶隠し、嘘、資料・データの廃棄などの不適正な対応を余儀なくされた。そして財務大臣がこれを擁護した。国の財政を担う行政としてはあってはならないことであり、財務行政、ひいては行政全体への信頼性を大きく失わせた。
 加計学園問題についても、国会で問題にされ始めると、首相サイドは加計理事長との距離を取り始め、加計学園の影響を否定することに終始したため、内閣府、文科省、官邸は、資料隠しと廃棄、記憶隠しと嘘を強いられたと言えよう。文科省については、当初は資料、データはないとしていたが、メデイアや一部議員に漏れたことから、一部を公表せざるを得なくなった。しかしこれにより、内閣府や首相補佐官等が記憶隠しや嘘でつじつまを合わせざるを得なくなったのだろう。良く‘言った、言わないの話’として片付けられる傾向がある。しかし、一方には一定の資料と証言があり、他方には記憶がなく、相手の主張を覆すことは出来ないのであるから、資料のある方に分があると言えそうだ。また会ったことを認めておきながら、それは言っていないとの主張についても、相手には記録があるのだから、記録に分がある。記録とはそのためにあるのだろう。
 更に防衛省の日報問題については、防衛省、陸自の問題として取り扱われているようだが、海外で活動する自衛隊員の任務と生命にかかわることであるので、‘戦闘’状態が報告された段階で、当然のことながら国家安全保障会議(首相が議長)に報告され、公表の有無を含め、審議されて良い問題であろう。首相サイドは、あたかも第3者的な姿勢を取り、防衛省内の問題であるかのように振舞っているが、指揮権を持ち、国家安全保障会議議長である首相自身が対応すべき問題であろう。
 今回の森友学園、加計学園問題、及び防衛省の日報問題については、それぞれの問題での不適正な対応は正さなくてはならないが、最大の問題は、政権トップや関係閣僚の国会等での発言や説明が、関与、関係を否定し、事実に反する説明がなされたことに端を発している。そのため財務省、文科省、内閣府、官邸など、行政の枢要な関係部局でトップの発言に合わせるため情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、事実に反する発言まで行い、これが政権中枢により容認されたことであろう。それをやり通した担当局長が栄転している。公正、公平であるべき行政において、行政倫理と内部統制の崩壊という最悪の事態となっている。これが容認され、繰り返されれば、公正、公平な行政どころか、適正な行政事務までおぼつかなくなる。現政権は、この意味で戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。
 いずれの件も、情報や意図を国民の目からそらそうとはせず、それがなぜ必要か、どうすべきかなどをきちんと説明し、国会、国民の理解を得る努力をすれば、今回のような事態にはならなかったと思われる。
 この状態で内閣改造などが行われても、行政事務において情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、嘘をつくということが容認、黙認された形となるので、日本の行政事務に大きな禍根を残す恐れがある。
 官僚人事について、日本は原則‘終身雇用制’になっているので、欧米諸国にように、政権が変わると課長以上の管理職を変えるという慣行はそのままでは適用困難だ。変えるならそれに見合う職を提供しなくてはならない。そうでないと職にしがみつくために、政権の意に反しない行動を強いられ、いわば人事による恐怖政治に陥る危険性がある。基本的に、公務員については、総合政策職を含め、終身雇用の職階制(年功序列)から職能制(同一労働、同一賃金)にすると共に、定年を含め年齢制限を廃止するなどの抜本的な改革が望まれる。
(2017.7.31.)(All Rights Reserved.)
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防衛省を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!

2017-07-31 | Weblog
防衛省を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊員が派遣されていたが(2017年5月撤収)、同部隊が本部に行っていた日報が防衛省により公表されず、隠ぺいされていたことについて、稲田防衛相は7月28日、特別防衛監察の結果を公表した。
 国連平和維持活動に自衛隊を派遣する要件として最も重要な点は、紛争当事者間の停戦合意が維持されているか否かということであるだけに、南スーダンで武力衝突や戦闘行為があるか否かが大きな問題となっていた。現地部隊よりの日報には、南スーダンにおいて政府軍と反政府軍との間で‘戦闘’が発生していたことが報告されていた。
 今回の特別防衛監察結果から、陸上自衛隊及び事務方トップの事務次官については隠ぺいに直接関与していたことが明らかとなったが、防衛相による承認や黙認については、あいまいな表現となっている。
 今回の監察結果から、防衛省による‘日報’隠ぺい事件について次の点が明らかになったと言えそうだ。
 1、防衛省事務方及び陸上自衛隊の不適正な情報管理と隠ぺい
 陸上自衛隊幕僚は、現地よりの日報で‘戦闘’状態と報告されていたこと自体を隠そうとした趣だ。公表すれば、部隊の引き上げが問題となるからだ。何故そう判断したのか。
 情勢を甘く判断していたか、現自・公連立政権が前のめりの安全保障政策や国際貢献を取っていることを配慮してのことか。一部の保守専門家等は、自衛隊が引き上げれば国際的な笑いものになるからとしている。しかし、一部外国部隊は撤退している。いずれにしても自衛隊員の命が掛かっている上に、国連平和維持活動(PKO)の派遣条件が満たされなくなったか否かを判断する重要な事態である。適正な判断が不可欠であるのに、情報を隠ぺい、破棄するのでは、国民を欺く結果となる。
 陸幕が事務方のトップである事務次官と協議した際、‘戦闘報告は、個人のコンピュータにファイルされていたもので、公的情報とは言えない’との趣旨で不公表と判断されたとされる。あり得ない。
 そもそも防衛省、自衛隊には、‘個人のコンピューター’の使用が認められているのか。そうだとすると、防衛省の情報は何時でも個人に持ち出されることになる。あり得ない。個々の担当官が使用しているのは、すべて同省の公的な‘コンピューター’であり、そこにファイルされている情報は、文書にしろ、データにしろ、基本的には公的情報であり公的に管理されるべきものであろう。
 いずれにしても、事務方も陸自も日報を不公表としたばかりか、一部破棄し、隠ぺいした。これが国連平和維持活動ではなく、日本自体の安全保障にかかわることであれば、国民は情報を隠されたまま、防衛省の言うことに騙される恐れがある。そのような防衛省、自衛隊に日本国民の安全を任せることは難しい。
日本を巡る安全保障環境が悪化している今日、本来であれば防衛に必要な兵器や軍事機材と兵力の増強が不可欠であるが、このような防衛当局に更なる兵器や兵力を預けることは難しい。厳に防衛に必要な兵器、兵力水準にとどめるべきであろう。兵力も、陸自を大幅に削減し、空、海の防衛力強化を優先することが望まれる。
2、稲田前防衛相は、未だに国会、国民に嘘をついている
日報隠しに稲田防衛相(当時)が主導的役割を果たしたことはなさそうだ。しかし、2月の予算委審議で野党からこの問題を追及される中で、同大臣は陸幕幹部及び事務次官から‘情報公開の手続き’などについて説明されたとされている。しかし、そこにおいても稲田防衛相は、日報データの存在は知らされておらず、また日報不公表を了承したことはないとされている。あり得ない。
国会で日報問題が厳しく追及されている最中に、一般的に‘情報公開の手続き’などの説明に終わっていることはないであろう。百歩譲っても、大臣自体が質問もしなかったとすれば、不真面目且つ無責任であろう。
同大臣は、‘一般的な監督責任’で辞職したとしている。同大臣は日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)はないとしているが、明らかに保身のための嘘である。同大臣(当時)は、2月以来、国会で日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)を否定し続けていたので、知っていたとすることは、大臣が国会で嘘をついていたこととなり、大臣の職だけでなく、議員辞職を求められる恐れがあるので、真実は語れないのである。そのため、陸幕幹部も事務方も真実は語れず、大臣から嘘を強いられた形となっている。
防衛省、自衛隊は、情報を隠し、廃棄し、また大臣答弁とつじつまを合わせるために嘘をつかざるを得ない状態になっている。行政倫理と内部統制の崩壊である。
類似のことは、森友学園における財務省、加計学園問題における文科省、内閣府、官邸でも起こっている。
3、首相側が招いた破たんの連鎖
森友学園問題で、首相、首相夫人は、同学園の「教育勅語」(明治天皇の下で出されたもので、戦後廃止)に基づく復古的教育方針を信奉しながら、超低価格での国有地売却問題が国会で問題視されるにつれ、森友学園と距離を置き、事実に反する弁明をし続けた。そのため財務省当局は、それとつじつまを合わせるため、資料隠しと記憶隠し、嘘、資料・データの廃棄などの不適正な対応を余儀なくされた。そして財務大臣がこれを擁護した。国の財政を担う行政としてはあってはならないことであり、財務行政、ひいては行政全体への信頼性を大きく失わせた。
 加計学園問題についても、国会で問題にされ始めると、首相サイドは加計理事長との距離を取り始め、加計学園の影響を否定することに終始したため、内閣府、文科省、官邸は、資料隠しと廃棄、記憶隠しと嘘を強いられたと言えよう。文科省については、当初は資料、データはないとしていたが、メデイアや一部議員に漏れたことから、一部を公表せざるを得なくなった。しかしこれにより、内閣府や首相補佐官等が記憶隠しや嘘でつじつまを合わせざるを得なくなったのだろう。良く‘言った、言わないの話’として片付けられる傾向がある。しかし、一方には一定の資料と証言があり、他方には記憶がなく、相手の主張を覆すことは出来ないのであるから、資料のある方に分があると言えそうだ。また会ったことを認めておきながら、それは言っていないとの主張についても、相手には記録があるのだから、記録に分がある。記録とはそのためにあるのだろう。
 更に防衛省の日報問題については、防衛省、陸自の問題として取り扱われているようだが、海外で活動する自衛隊員の任務と生命にかかわることであるので、‘戦闘’状態が報告された段階で、当然のことながら国家安全保障会議(首相が議長)に報告され、公表の有無を含め、審議されて良い問題であろう。首相サイドは、あたかも第3者的な姿勢を取り、防衛省内の問題であるかのように振舞っているが、指揮権を持ち、国家安全保障会議議長である首相自身が対応すべき問題であろう。
 今回の森友学園、加計学園問題、及び防衛省の日報問題については、それぞれの問題での不適正な対応は正さなくてはならないが、最大の問題は、政権トップや関係閣僚の国会等での発言や説明が、関与、関係を否定し、事実に反する説明がなされたことに端を発している。そのため財務省、文科省、内閣府、官邸など、行政の枢要な関係部局でトップの発言に合わせるため情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、事実に反する発言まで行い、これが政権中枢により容認されたことであろう。それをやり通した担当局長が栄転している。公正、公平であるべき行政において、行政倫理と内部統制の崩壊という最悪の事態となっている。これが容認され、繰り返されれば、公正、公平な行政どころか、適正な行政事務までおぼつかなくなる。現政権は、この意味で戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。
 この状態で内閣改造などが行われても、行政事務において情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、嘘をつくということが容認、黙認された形となるので、日本の行政事務に大きな禍根を残す恐れがある。
 官僚人事について、日本は原則‘終身雇用制’になっているので、欧米諸国にように、政権が変わると課長以上の管理職を変えるという慣行はそのままでは適用困難だ。変えるならそれに見合う職を提供しなくてはならない。そうでないと職にしがみつくために、政権の意に反しない行動を強いられ、いわば人事による恐怖政治に陥る危険性がある。基本的に、公務員については、総合政策職を含め、終身雇用の職階制(年功序列)から職能制(同一労働、同一賃金)にすると共に、定年を含め年齢制限を廃止するなどの抜本的な改革が望まれる。
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 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊員が派遣されていたが(2017年5月撤収)、同部隊が本部に行っていた日報が防衛省により公表されず、隠ぺいされていたことについて、稲田防衛相は7月28日、特別防衛監察の結果を公表した。
 国連平和維持活動に自衛隊を派遣する要件として最も重要な点は、紛争当事者間の停戦合意が維持されているか否かということであるだけに、南スーダンで武力衝突や戦闘行為があるか否かが大きな問題となっていた。現地部隊よりの日報には、南スーダンにおいて政府軍と反政府軍との間で‘戦闘’が発生していたことが報告されていた。
 今回の特別防衛監察結果から、陸上自衛隊及び事務方トップの事務次官については隠ぺいに直接関与していたことが明らかとなったが、防衛相による承認や黙認については、あいまいな表現となっている。
 今回の監察結果から、防衛省による‘日報’隠ぺい事件について次の点が明らかになったと言えそうだ。
 1、防衛省事務方及び陸上自衛隊の不適正な情報管理と隠ぺい
 陸上自衛隊幕僚は、現地よりの日報で‘戦闘’状態と報告されていたこと自体を隠そうとした趣だ。公表すれば、部隊の引き上げが問題となるからだ。何故そう判断したのか。
 情勢を甘く判断していたか、現自・公連立政権が前のめりの安全保障政策や国際貢献を取っていることを配慮してのことか。一部の保守専門家等は、自衛隊が引き上げれば国際的な笑いものになるからとしている。しかし、一部外国部隊は撤退している。いずれにしても自衛隊員の命が掛かっている上に、国連平和維持活動(PKO)の派遣条件が満たされなくなったか否かを判断する重要な事態である。適正な判断が不可欠であるのに、情報を隠ぺい、破棄するのでは、国民を欺く結果となる。
 陸幕が事務方のトップである事務次官と協議した際、‘戦闘報告は、個人のコンピュータにファイルされていたもので、公的情報とは言えない’との趣旨で不公表と判断されたとされる。あり得ない。
 そもそも防衛省、自衛隊には、‘個人のコンピューター’の使用が認められているのか。そうだとすると、防衛省の情報は何時でも個人に持ち出されることになる。あり得ない。個々の担当官が使用しているのは、すべて同省の公的な‘コンピューター’であり、そこにファイルされている情報は、文書にしろ、データにしろ、基本的には公的情報であり公的に管理されるべきものであろう。
 いずれにしても、事務方も陸自も日報を不公表としたばかりか、一部破棄し、隠ぺいした。これが国連平和維持活動ではなく、日本自体の安全保障にかかわることであれば、国民は情報を隠されたまま、防衛省の言うことに騙される恐れがある。そのような防衛省、自衛隊に日本国民の安全を任せることは難しい。
日本を巡る安全保障環境が悪化している今日、本来であれば防衛に必要な兵器や軍事機材と兵力の増強が不可欠であるが、このような防衛当局に更なる兵器や兵力を預けることは難しい。厳に防衛に必要な兵器、兵力水準にとどめるべきであろう。兵力も、陸自を大幅に削減し、空、海の防衛力強化を優先することが望まれる。
2、稲田前防衛相は、未だに国会、国民に嘘をついている
日報隠しに稲田防衛相(当時)が主導的役割を果たしたことはなさそうだ。しかし、2月の予算委審議で野党からこの問題を追及される中で、同大臣は陸幕幹部及び事務次官から‘情報公開の手続き’などについて説明されたとされている。しかし、そこにおいても稲田防衛相は、日報データの存在は知らされておらず、また日報不公表を了承したことはないとされている。あり得ない。
国会で日報問題が厳しく追及されている最中に、一般的に‘情報公開の手続き’などの説明に終わっていることはないであろう。百歩譲っても、大臣自体が質問もしなかったとすれば、不真面目且つ無責任であろう。
同大臣は、‘一般的な監督責任’で辞職したとしている。同大臣は日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)はないとしているが、明らかに保身のための嘘である。同大臣(当時)は、2月以来、国会で日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)を否定し続けていたので、知っていたとすることは、大臣が国会で嘘をついていたこととなり、大臣の職だけでなく、議員辞職を求められる恐れがあるので、真実は語れないのである。そのため、陸幕幹部も事務方も真実は語れず、大臣から嘘を強いられた形となっている。
防衛省、自衛隊は、情報を隠し、廃棄し、また大臣答弁とつじつまを合わせるために嘘をつかざるを得ない状態になっている。行政倫理と内部統制の崩壊である。
類似のことは、森友学園における財務省、加計学園問題における文科省、内閣府、官邸でも起こっている。
3、首相側が招いた破たんの連鎖
森友学園問題で、首相、首相夫人は、同学園の「教育勅語」(明治天皇の下で出されたもので、戦後廃止)に基づく復古的教育方針を信奉しながら、超低価格での国有地売却問題が国会で問題視されるにつれ、森友学園と距離を置き、事実に反する弁明をし続けた。そのため財務省当局は、それとつじつまを合わせるため、資料隠しと記憶隠し、嘘、資料・データの廃棄などの不適正な対応を余儀なくされた。そして財務大臣がこれを擁護した。国の財政を担う行政としてはあってはならないことであり、財務行政、ひいては行政全体への信頼性を大きく失わせた。
 加計学園問題についても、国会で問題にされ始めると、首相サイドは加計理事長との距離を取り始め、加計学園の影響を否定することに終始したため、内閣府、文科省、官邸は、資料隠しと廃棄、記憶隠しと嘘を強いられたと言えよう。文科省については、当初は資料、データはないとしていたが、メデイアや一部議員に漏れたことから、一部を公表せざるを得なくなった。しかしこれにより、内閣府や首相補佐官等が記憶隠しや嘘でつじつまを合わせざるを得なくなったのだろう。良く‘言った、言わないの話’として片付けられる傾向がある。しかし、一方には一定の資料と証言があり、他方には記憶がなく、相手の主張を覆すことは出来ないのであるから、資料のある方に分があると言えそうだ。また会ったことを認めておきながら、それは言っていないとの主張についても、相手には記録があるのだから、記録に分がある。記録とはそのためにあるのだろう。
 更に防衛省の日報問題については、防衛省、陸自の問題として取り扱われているようだが、海外で活動する自衛隊員の任務と生命にかかわることであるので、‘戦闘’状態が報告された段階で、当然のことながら国家安全保障会議(首相が議長)に報告され、公表の有無を含め、審議されて良い問題であろう。首相サイドは、あたかも第3者的な姿勢を取り、防衛省内の問題であるかのように振舞っているが、指揮権を持ち、国家安全保障会議議長である首相自身が対応すべき問題であろう。
 今回の森友学園、加計学園問題、及び防衛省の日報問題については、それぞれの問題での不適正な対応は正さなくてはならないが、最大の問題は、政権トップや関係閣僚の国会等での発言や説明が、関与、関係を否定し、事実に反する説明がなされたことに端を発している。そのため財務省、文科省、内閣府、官邸など、行政の枢要な関係部局でトップの発言に合わせるため情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、事実に反する発言まで行い、これが政権中枢により容認されたことであろう。それをやり通した担当局長が栄転している。公正、公平であるべき行政において、行政倫理と内部統制の崩壊という最悪の事態となっている。これが容認され、繰り返されれば、公正、公平な行政どころか、適正な行政事務までおぼつかなくなる。現政権は、この意味で戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。
 いずれの件も、情報や意図を国民の目からそらそうとはせず、それがなぜ必要か、どうすべきかなどをきちんと説明し、国会、国民の理解を得る努力をすれば、今回のような事態にはならなかったと思われる。
 この状態で内閣改造などが行われても、行政事務において情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、嘘をつくということが容認、黙認された形となるので、日本の行政事務に大きな禍根を残す恐れがある。
 官僚人事について、日本は原則‘終身雇用制’になっているので、欧米諸国にように、政権が変わると課長以上の管理職を変えるという慣行はそのままでは適用困難だ。変えるならそれに見合う職を提供しなくてはならない。そうでないと職にしがみつくために、政権の意に反しない行動を強いられ、いわば人事による恐怖政治に陥る危険性がある。基本的に、公務員については、総合政策職を含め、終身雇用の職階制(年功序列)から職能制(同一労働、同一賃金)にすると共に、定年を含め年齢制限を廃止するなどの抜本的な改革が望まれる。
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 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊員が派遣されていたが(2017年5月撤収)、同部隊が本部に行っていた日報が防衛省により公表されず、隠ぺいされていたことについて、稲田防衛相は7月28日、特別防衛監察の結果を公表した。
 国連平和維持活動に自衛隊を派遣する要件として最も重要な点は、紛争当事者間の停戦合意が維持されているか否かということであるだけに、南スーダンで武力衝突や戦闘行為があるか否かが大きな問題となっていた。現地部隊よりの日報には、南スーダンにおいて政府軍と反政府軍との間で‘戦闘’が発生していたことが報告されていた。
 今回の特別防衛監察結果から、陸上自衛隊及び事務方トップの事務次官については隠ぺいに直接関与していたことが明らかとなったが、防衛相による承認や黙認については、あいまいな表現となっている。
 今回の監察結果から、防衛省による‘日報’隠ぺい事件について次の点が明らかになったと言えそうだ。
 1、防衛省事務方及び陸上自衛隊の不適正な情報管理と隠ぺい
 陸上自衛隊幕僚は、現地よりの日報で‘戦闘’状態と報告されていたこと自体を隠そうとした趣だ。公表すれば、部隊の引き上げが問題となるからだ。何故そう判断したのか。
 情勢を甘く判断していたか、現自・公連立政権が前のめりの安全保障政策や国際貢献を取っていることを配慮してのことか。一部の保守専門家等は、自衛隊が引き上げれば国際的な笑いものになるからとしている。しかし、一部外国部隊は撤退している。いずれにしても自衛隊員の命が掛かっている上に、国連平和維持活動(PKO)の派遣条件が満たされなくなったか否かを判断する重要な事態である。適正な判断が不可欠であるのに、情報を隠ぺい、破棄するのでは、国民を欺く結果となる。
 陸幕が事務方のトップである事務次官と協議した際、‘戦闘報告は、個人のコンピュータにファイルされていたもので、公的情報とは言えない’との趣旨で不公表と判断されたとされる。あり得ない。
 そもそも防衛省、自衛隊には、‘個人のコンピューター’の使用が認められているのか。そうだとすると、防衛省の情報は何時でも個人に持ち出されることになる。あり得ない。個々の担当官が使用しているのは、すべて同省の公的な‘コンピューター’であり、そこにファイルされている情報は、文書にしろ、データにしろ、基本的には公的情報であり公的に管理されるべきものであろう。
 いずれにしても、事務方も陸自も日報を不公表としたばかりか、一部破棄し、隠ぺいした。これが国連平和維持活動ではなく、日本自体の安全保障にかかわることであれば、国民は情報を隠されたまま、防衛省の言うことに騙される恐れがある。そのような防衛省、自衛隊に日本国民の安全を任せることは難しい。
日本を巡る安全保障環境が悪化している今日、本来であれば防衛に必要な兵器や軍事機材と兵力の増強が不可欠であるが、このような防衛当局に更なる兵器や兵力を預けることは難しい。厳に防衛に必要な兵器、兵力水準にとどめるべきであろう。兵力も、陸自を大幅に削減し、空、海の防衛力強化を優先することが望まれる。
2、稲田前防衛相は、未だに国会、国民に嘘をついている
日報隠しに稲田防衛相(当時)が主導的役割を果たしたことはなさそうだ。しかし、2月の予算委審議で野党からこの問題を追及される中で、同大臣は陸幕幹部及び事務次官から‘情報公開の手続き’などについて説明されたとされている。しかし、そこにおいても稲田防衛相は、日報データの存在は知らされておらず、また日報不公表を了承したことはないとされている。あり得ない。
国会で日報問題が厳しく追及されている最中に、一般的に‘情報公開の手続き’などの説明に終わっていることはないであろう。百歩譲っても、大臣自体が質問もしなかったとすれば、不真面目且つ無責任であろう。
同大臣は、‘一般的な監督責任’で辞職したとしている。同大臣は日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)はないとしているが、明らかに保身のための嘘である。同大臣(当時)は、2月以来、国会で日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)を否定し続けていたので、知っていたとすることは、大臣が国会で嘘をついていたこととなり、大臣の職だけでなく、議員辞職を求められる恐れがあるので、真実は語れないのである。そのため、陸幕幹部も事務方も真実は語れず、大臣から嘘を強いられた形となっている。
防衛省、自衛隊は、情報を隠し、廃棄し、また大臣答弁とつじつまを合わせるために嘘をつかざるを得ない状態になっている。行政倫理と内部統制の崩壊である。
類似のことは、森友学園における財務省、加計学園問題における文科省、内閣府、官邸でも起こっている。
3、首相側が招いた破たんの連鎖
森友学園問題で、首相、首相夫人は、同学園の「教育勅語」(明治天皇の下で出されたもので、戦後廃止)に基づく復古的教育方針を信奉しながら、超低価格での国有地売却問題が国会で問題視されるにつれ、森友学園と距離を置き、事実に反する弁明をし続けた。そのため財務省当局は、それとつじつまを合わせるため、資料隠しと記憶隠し、嘘、資料・データの廃棄などの不適正な対応を余儀なくされた。そして財務大臣がこれを擁護した。国の財政を担う行政としてはあってはならないことであり、財務行政、ひいては行政全体への信頼性を大きく失わせた。
 加計学園問題についても、国会で問題にされ始めると、首相サイドは加計理事長との距離を取り始め、加計学園の影響を否定することに終始したため、内閣府、文科省、官邸は、資料隠しと廃棄、記憶隠しと嘘を強いられたと言えよう。文科省については、当初は資料、データはないとしていたが、メデイアや一部議員に漏れたことから、一部を公表せざるを得なくなった。しかしこれにより、内閣府や首相補佐官等が記憶隠しや嘘でつじつまを合わせざるを得なくなったのだろう。良く‘言った、言わないの話’として片付けられる傾向がある。しかし、一方には一定の資料と証言があり、他方には記憶がなく、相手の主張を覆すことは出来ないのであるから、資料のある方に分があると言えそうだ。また会ったことを認めておきながら、それは言っていないとの主張についても、相手には記録があるのだから、記録に分がある。記録とはそのためにあるのだろう。
 更に防衛省の日報問題については、防衛省、陸自の問題として取り扱われているようだが、海外で活動する自衛隊員の任務と生命にかかわることであるので、‘戦闘’状態が報告された段階で、当然のことながら国家安全保障会議(首相が議長)に報告され、公表の有無を含め、審議されて良い問題であろう。首相サイドは、あたかも第3者的な姿勢を取り、防衛省内の問題であるかのように振舞っているが、指揮権を持ち、国家安全保障会議議長である首相自身が対応すべき問題であろう。
 今回の森友学園、加計学園問題、及び防衛省の日報問題については、それぞれの問題での不適正な対応は正さなくてはならないが、最大の問題は、政権トップや関係閣僚の国会等での発言や説明が、関与、関係を否定し、事実に反する説明がなされたことに端を発している。そのため財務省、文科省、内閣府、官邸など、行政の枢要な関係部局でトップの発言に合わせるため情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、事実に反する発言まで行い、これが政権中枢により容認されたことであろう。それをやり通した担当局長が栄転している。公正、公平であるべき行政において、行政倫理と内部統制の崩壊という最悪の事態となっている。これが容認され、繰り返されれば、公正、公平な行政どころか、適正な行政事務までおぼつかなくなる。現政権は、この意味で戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。
 この状態で内閣改造などが行われても、行政事務において情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、嘘をつくということが容認、黙認された形となるので、日本の行政事務に大きな禍根を残す恐れがある。
 官僚人事について、日本は原則‘終身雇用制’になっているので、欧米諸国にように、政権が変わると課長以上の管理職を変えるという慣行はそのままでは適用困難だ。変えるならそれに見合う職を提供しなくてはならない。そうでないと職にしがみつくために、政権の意に反しない行動を強いられ、いわば人事による恐怖政治に陥る危険性がある。基本的に、公務員については、総合政策職を含め、終身雇用の職階制(年功序列)から職能制(同一労働、同一賃金)にすると共に、定年を含め年齢制限を廃止するなどの抜本的な改革が望まれる。
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財務、防衛を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!

2017-07-31 | Weblog
財務、防衛を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊員が派遣されていたが(2017年5月撤収)、同部隊が本部に行っていた日報が防衛省により公表されず、隠ぺいされていたことについて、稲田防衛相は7月28日、特別防衛監察の結果を公表した。
 国連平和維持活動に自衛隊を派遣する要件として最も重要な点は、紛争当事者間の停戦合意が維持されているか否かということであるだけに、南スーダンで武力衝突や戦闘行為があるか否かが大きな問題となっていた。現地部隊よりの日報には、南スーダンにおいて政府軍と反政府軍との間で‘戦闘’が発生していたことが報告されていた。
 今回の特別防衛監察結果から、陸上自衛隊及び事務方トップの事務次官については隠ぺいに直接関与していたことが明らかとなったが、防衛相による承認や黙認については、あいまいな表現となっている。
 今回の監察結果から、防衛省による‘日報’隠ぺい事件について次の点が明らかになったと言えそうだ。
 1、防衛省事務方及び陸上自衛隊の不適正な情報管理と隠ぺい
 陸上自衛隊幕僚は、現地よりの日報で‘戦闘’状態と報告されていたこと自体を隠そうとした趣だ。公表すれば、部隊の引き上げが問題となるからだ。何故そう判断したのか。
 情勢を甘く判断していたか、現自・公連立政権が前のめりの安全保障政策や国際貢献を取っていることを配慮してのことか。一部の保守専門家等は、自衛隊が引き上げれば国際的な笑いものになるからとしている。しかし、一部外国部隊は撤退している。いずれにしても自衛隊員の命が掛かっている上に、国連平和維持活動(PKO)の派遣条件が満たされなくなったか否かを判断する重要な事態である。適正な判断が不可欠であるのに、情報を隠ぺい、破棄するのでは、国民を欺く結果となる。
 陸幕が事務方のトップである事務次官と協議した際、‘戦闘報告は、個人のコンピュータにファイルされていたもので、公的情報とは言えない’との趣旨で不公表と判断されたとされる。あり得ない。
 そもそも防衛省、自衛隊には、‘個人のコンピューター’の使用が認められているのか。そうだとすると、防衛省の情報は何時でも個人に持ち出されることになる。あり得ない。個々の担当官が使用しているのは、すべて同省の公的な‘コンピューター’であり、そこにファイルされている情報は、文書にしろ、データにしろ、基本的には公的情報であり公的に管理されるべきものであろう。
 いずれにしても、事務方も陸自も日報を不公表としたばかりか、一部破棄し、隠ぺいした。これが国連平和維持活動ではなく、日本自体の安全保障にかかわることであれば、国民は情報を隠されたまま、防衛省の言うことに騙される恐れがある。そのような防衛省、自衛隊に日本国民の安全を任せることは難しい。
日本を巡る安全保障環境が悪化している今日、本来であれば防衛に必要な兵器や軍事機材と兵力の増強が不可欠であるが、このような防衛当局に更なる兵器や兵力を預けることは難しい。厳に防衛に必要な兵器、兵力水準にとどめるべきであろう。兵力も、陸自を大幅に削減し、空、海の防衛力強化を優先することが望まれる。
2、稲田前防衛相は、未だに国会、国民に嘘をついている
日報隠しに稲田防衛相(当時)が主導的役割を果たしたことはなさそうだ。しかし、2月の予算委審議で野党からこの問題を追及される中で、同大臣は陸幕幹部及び事務次官から‘情報公開の手続き’などについて説明されたとされている。しかし、そこにおいても稲田防衛相は、日報データの存在は知らされておらず、また日報不公表を了承したことはないとされている。あり得ない。
国会で日報問題が厳しく追及されている最中に、一般的に‘情報公開の手続き’などの説明に終わっていることはないであろう。百歩譲っても、大臣自体が質問もしなかったとすれば、不真面目且つ無責任であろう。
同大臣は、‘一般的な監督責任’で辞職したとしている。同大臣は日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)はないとしているが、明らかに保身のための嘘である。同大臣(当時)は、2月以来、国会で日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)を否定し続けていたので、知っていたとすることは、大臣が国会で嘘をついていたこととなり、大臣の職だけでなく、議員辞職を求められる恐れがあるので、真実は語れないのである。そのため、陸幕幹部も事務方も真実は語れず、大臣から嘘を強いられた形となっている。
防衛省、自衛隊は、情報を隠し、廃棄し、また大臣答弁とつじつまを合わせるために嘘をつかざるを得ない状態になっている。行政倫理と内部統制の崩壊である。
類似のことは、森友学園における財務省、加計学園問題における文科省、内閣府、官邸でも起こっている。
3、首相側が招いた破たんの連鎖
森友学園問題で、首相、首相夫人は、同学園の「教育勅語」(明治天皇の下で出されたもので、戦後廃止)に基づく復古的教育方針を信奉しながら、超低価格での国有地売却問題が国会で問題視されるにつれ、森友学園と距離を置き、事実に反する弁明をし続けた。そのため財務省当局は、それとつじつまを合わせるため、資料隠しと記憶隠し、嘘、資料・データの廃棄などの不適正な対応を余儀なくされた。そして財務大臣がこれを擁護した。国の財政を担う行政としてはあってはならないことであり、財務行政、ひいては行政全体への信頼性を大きく失わせた。
 加計学園問題についても、国会で問題にされ始めると、首相サイドは加計理事長との距離を取り始め、加計学園の影響を否定することに終始したため、内閣府、文科省、官邸は、資料隠しと廃棄、記憶隠しと嘘を強いられたと言えよう。文科省については、当初は資料、データはないとしていたが、メデイアや一部議員に漏れたことから、一部を公表せざるを得なくなった。しかしこれにより、内閣府や首相補佐官等が記憶隠しや嘘でつじつまを合わせざるを得なくなったのだろう。良く‘言った、言わないの話’として片付けられる傾向がある。しかし、一方には一定の資料と証言があり、他方には記憶がなく、相手の主張を覆すことは出来ないのであるから、資料のある方に分があると言えそうだ。また会ったことを認めておきながら、それは言っていないとの主張についても、相手には記録があるのだから、記録に分がある。記録とはそのためにあるのだろう。
 更に防衛省の日報問題については、防衛省、陸自の問題として取り扱われているようだが、海外で活動する自衛隊員の任務と生命にかかわることであるので、‘戦闘’状態が報告された段階で、当然のことながら国家安全保障会議(首相が議長)に報告され、公表の有無を含め、審議されて良い問題であろう。首相サイドは、あたかも第3者的な姿勢を取り、防衛省内の問題であるかのように振舞っているが、指揮権を持ち、国家安全保障会議議長である首相自身が対応すべき問題であろう。
 今回の森友学園、加計学園問題、及び防衛省の日報問題については、それぞれの問題での不適正な対応は正さなくてはならないが、最大の問題は、政権トップや関係閣僚の国会等での発言や説明が、関与、関係を否定し、事実に反する説明がなされたことに端を発している。そのため財務省、文科省、内閣府、官邸など、行政の枢要な関係部局でトップの発言に合わせるため情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、事実に反する発言まで行い、これが政権中枢により容認されたことであろう。それをやり通した担当局長が栄転している。公正、公平であるべき行政において、行政倫理と内部統制の崩壊という最悪の事態となっている。これが容認され、繰り返されれば、公正、公平な行政どころか、適正な行政事務までおぼつかなくなる。現政権は、この意味で戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。
 いずれの件も、情報や意図を国民の目からそらそうとはせず、それがなぜ必要か、どうすべきかなどをきちんと説明し、国会、国民の理解を得る努力をすれば、今回のような事態にはならなかったと思われる。
 この状態で内閣改造などが行われても、行政事務において情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、嘘をつくということが容認、黙認された形となるので、日本の行政事務に大きな禍根を残す恐れがある。
 官僚人事について、日本は原則‘終身雇用制’になっているので、欧米諸国にように、政権が変わると課長以上の管理職を変えるという慣行はそのままでは適用困難だ。変えるならそれに見合う職を提供しなくてはならない。そうでないと職にしがみつくために、政権の意に反しない行動を強いられ、いわば人事による恐怖政治に陥る危険性がある。基本的に、公務員については、総合政策職を含め、終身雇用の職階制(年功序列)から職能制(同一労働、同一賃金)にすると共に、定年を含め年齢制限を廃止するなどの抜本的な改革が望まれる。
(2017.7.31.)(All Rights Reserved.)
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森友学園問題の責任者栄転、財務省の内部統制崩壊!!

2017-07-29 | Weblog
平成の本音―森友学園問題の責任者栄転、財務省の内部統制崩壊!!
 森友学園への国有地安値払い下げ問題で財務省の責任者であった佐川宣寿理財局長が、国会閉会後の7月5日、国税庁長官に任命された。中央省庁の幹部人事は大臣の了承を得るが、人事権を強めている官房長など、最終的には官邸の了承を得て行われている。
 国税局長官は国民に税を課し、徴収する責任者であり、国民生活にとって非常に大きな影響がある役職であるだけに、この人事に強い疑問が呈されている。
 森友学園問題については、籠池理事長が傘下の幼稚園の補助金問題、いわば別件で起訴されているが、国民の財産である国有地を格安で払い下げたことが適正であったか否か、及びその間の‘関連文書やデータが存在せず、1年も経たない内に廃棄されている’ことを含めて国会審議は尽くされておらず、また国民に8億円余にも及ぶ不当な損害を与え、背任や公的文書管理義務違反等の不適正な処理についてほとんど調査が進んでいない状況での責任者の移動は、いかにも適正を欠き、国民感情を逆なでしているように見える。
 この問題に関する財務省の対応については、麻生財務大臣は、これまでの国会答弁で‘適正な手続きで行った’或いは‘関連文書は廃棄されていると承知しているので、無い’などと理財局の対応を擁護して来ている。今回の人事についても、同財務相は、‘国有財産行政を担当する理財局が丁寧な説明に努めてきたと認識している。そういう意味では財務省はきちんと対応してますんで、瑕疵があるわけではない’などとして、財務省の対応を擁護しつつ、‘適材適所’の人事としている。そもそも、多くの国民は、‘財務省がきちんと対応している’とは思ってはいないし、ましてや‘理財局が丁寧な説明に努めてきた’などとは思っていない。佐川局長(当時)が、国会での具体的な質問に対し、そのようなことを‘いちいち調べるのは差し控える’などと答弁している。国会や議員も軽く見られているものだ。マスコミやいわゆる‘コメンテーター’を含め言論界などもこの答弁でスルーしている。マスコミ力、言論力も権力やビジネスに寄り添い、著しく低下しているように見える。
 納税者にとってはこれ程の不条理はない。国民の財産に8億円余の損失を与え、その事務処理について関係資料やデータを廃棄し、更に具体的なことは‘いちいち調べない’としていた者が、国税庁長官となり、納税者の経理、財務活動を‘いちいち調べ’、税を取ることになる。
首相、財務相はじめ理財当局は、‘法令に基づき、適正な手続きに基づき処理をした’としている。その通りだろう。法令に違反し、不適正な手続きで処理していたら、直ちにアウトであり、処罰の対象だ。問題は、首相、首相夫人との関係を考慮して、政策的にえこひいきし、国庫に損害を与えたか否かであり、行政の公平性、適正さの問題なのである。もし財務省等が、首相や首相夫人の名に対する‘忖度’はないとするのであれば、売却時の決裁書類、価格や大幅値引きの根拠を含む資料を提出し、説明すべきであろう。敷地から‘ゴミが出た’ため減額したというのであれば、ゴミの種類や量、及び撤去費用の積算根拠や領収書や請求書類を提出し、説明すべきである。財務省は、これら文書を‘廃棄’したとしているが、公的文書の保管義務違反であり、国有財産に係るものだけに、厳しい懲戒処分に相当する。不誠実、無責任な業務振りであり、国家、国民に対する背任行為と言えよう。
 財務相を含め、この政権は、森友学園との関係を否定しようとしている首相、首相夫人を擁護するがために、関係当局に口止めや嘘や文書廃棄等を強いる形となっており、公務の管理能力や内部統制が欠如し、組織としての内部統制(コンプライアンス)とモラルが崩壊する恐れが出始めている。
 本来であれば首相始め内閣が、このようなずさん、無責任な行政について、関係事務当局を厳重に注意し、国民の納得が得られるような行政事務を行うと共に、誠実な説明と改善措置を提示するよう指示すべきであろう。政権与党である自民、公明の両保守党もまた、ひたすら首相側を弁護しているだけでなく、事務当局に対し実質的な改善を求めるべきではなかろうか。しかし内閣にも政権与党にもそのような姿勢は見られない。
 逆に責任者である理財局長を国税長官に移し、人隠し、資料の完全廃棄を図ろうとしている。行政組織の内部統制の確保の上では、現政権は戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。これでは国民は、行政を信用出来なくなる。
 佐川国税庁長官や麻生財務相は速やかに退陣すべきであろう。また関係文書の廃棄や今回の人事を行った財務事務次官はじめ関係幹部も国庫を預かる資格はなく、責任は大きい。
特に麻生財務相は、国庫を預かる真摯さに欠ける上、副首相として行政の統括を補佐する立場でありながら、‘丁寧に説明している’、‘瑕疵はない’などとして国民世論に逆行し、軽視する空気を漂わせており、内閣や行政を担う資格と真摯さに欠けているように映る。記者などは問題にもされていない。有権者は正しい選択を行うことが求められているようだ。
加計学園問題についても同様だ。首相が、獣医学部の設立につき、その問題の実質的な最高責任者でありながら、指示していない、関係していないなどとしているが、あり得ない話であろう。そもそも首相は、この問題の利害関係者である家計理事長と頻繁にゴルフをし、会食をしているが、公務に就いている者が、いくら親しくても、在職中に利害関係者とゴルフや会食自体をすることを控えることが倫理規定として定められており、これ一つとってもアウトなのである。(2017.7.14.)
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オリンピック2020、大会組織委の刷新が不可欠!

2017-07-29 | Weblog
シリーズ平成の本音―オリンピック2020、大会組織委の刷新が不可欠!
7月2日の都議選は、小池都知事が率いる都民ファーストが大勝し、最大会派であった自民党は議席を半分以下に減らし大敗した。これで都議会は都民ファーストの会が最大会派となり、他政党と連携し過半数を制することになった。
その原因は、森友学園の破格安値での国有地取得問題や加計学園に対する不明朗な優遇問題、共謀罪法案の強引な採択等、安倍政権の強引で不誠実な対応を背景として、閣僚や自民党議員による度重なる不祥事が拍車を掛けたと見られている。
 ところが東京オリンピック・パラリンピックは、都議選では話題にも上らず、低調に終わった。もともと東京では関心が低かった。また一部競技が行われる千葉、埼玉、静岡、神奈川等の各県でも、大会運営費は組織委等が負担すべきとして県レベルでの予算措置を取らないなど、県レベルでの関心も低く、一般都民や国民の人気や熱意が下がり続けている。これでは都レベルの大会となり、国レベルのナショナル・イベントとは言い難い状態となっている。
選手は各分野で国際的にも活躍しており、頼もしい。頑張って欲しいものだ。しかし大会組織委は、新国立競技場のデザインや予算規模、エンブレムのデザ
イン問題を巡り失態続きの上、昨年小池都知事が就任以来、組織委森会長が事ある毎に都知事と対立し、テンションを下げ続けている。都議選の結果を踏まえ、大会組織委を早急に刷新する必要がありそうだ。
組織委の会長は、都議会で自民党が最大会派であり、今回日和見的に翻った公明党と過半数を維持していた時代に、安倍政権の下で就任した。森会長は、自民党の最大派閥に属し、同党総裁となり首相を務めたが、失態が続きで支持率が7%台に下がり辞任した。だが、その後も同派閥は同党最大派閥を維持し、安倍首相を誕生させている。
本来であれば、世界平和を目指し、政治的には公平、公正であるべきスポーツの祭典オリンピックの組織委の会長は、政治家以外から任命すべきであったのであろう。マスコミやスポーツ界、言論界から異論が出なかったのも不思議だ。安倍政権の長期政権化を念頭に置いた政治的な選択であったのであろうが、余りにも政権へのすり寄りが強くなり、マスコミ力、言論力が低下しているということであろうか。
しかし今後、都議会が都民ファーストの会を中心として審議され、知事が実質上のリーダーとなっている以上、東京都と組織委との関係が改善するとも思えない。大会運営経費の分担問題も一部を除き決着を見ているので、それを花道として、組織委の森会長と同会長がピックアップした財務省出身の武藤事務局長は速やかに勇退し、政界以外からの会長の就任が期待される。森会長は自著「遺書」を出版し、小池批判を含めて回顧をしているので、勇退を自覚しているのであろう。(2017.7. 8.)
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豊洲市場、シックハウスの行方と責任

2017-07-29 | Weblog
シリーズ平成の本音―豊洲市場、シックハウスの行方と責任
 小池都知事は、知事に就任後、昨年11月7日に予定されていた豊洲新市場への移転を延期し、食の安全性などにつき検討を重ねてきたが、建物地下の盛り土の欠如している部分を修理した上、基本的には市場機能を豊洲市場に移転する、築地市場についてはブランド力を活かせる方法で活用する方針を発表した。
 土地取得と整備、建物で6,000億円もの巨費を投じて来ている豊洲市場に移転することは、土壌汚染があることが周知となっていた豊洲の土地について、取得と膨大な土地整備を石原都知事時代に決定し、歴代知事が引き継いできている経緯を考慮すると、やむを得ないことと思われる。
 しかし築地市場跡の活用方法は別として、豊洲市場の環境改善が十分に行われず、建物の地下が盛り土されておらず、安全性への対応が不十分であったこと、及び、豊洲市場の運営管理で年間150億円前後にも及ぶ赤字が出る放漫且つずさんな計画を作成、承認して来た都庁関係部局と都議会の責任が問われるべきであろう。
1、都庁の市場関係部局と歴代都知事の責任
 築地市場の移転先を、地下に毒性の強い物質があることが明らかになっていたにも拘わらず、土の入れ替えと、盛り土により安全性を確保することとして豊洲購入を決めたことは、都議会もマスコミも市場関係者を含む多くの都民も承知の上での政治決断であったので、受け入れざるを得ないであろう。
 しかし、4mの盛り土を建物の地下にしていなかったことについては、小池都知事になって分かったことであり、都民も従来承知していなかった行政ミスであるので、その責任は都庁の市場担当副知事を含む市場関係部局が負うべきであろう。歴代都知事も少なくても管理責任はあり、何らかの責任を負うべきであろう。
 その責任は都庁の信頼性に係る重大な問題であり、関係した期間の在職者を対象として管理職であった者は20%の減給2年間、その他は減給10%1年間など、組織全体として責任を負う姿勢を示すべきではなかろうか。行政組織として実害を出し、都民に負担を負わせる結果となった場合には、損害額に応じ、組織として償いをすることが筋であろう。個々の責任を追及することは困難である上、無駄な作業となり、逆に都民にとって有害無益となろう。他方、組織として責任を示さなければ、無責任な組織となる。
 歴代都知事や当時管理職であった退職者についても相応の責任を取るべきであろう。現都知事は、自ら給与を減額している。
2、都議会の歴代与党の責任
都議会自民、公明両会派を中心とする多数派グループは、一貫して豊洲への
移転を主張し、進めて来た。移転先を豊洲に決めたことは、安全性を確保することを前提とした政治的決断であり、都民も報道振りや累次の選挙を通じいわば了承して来ているのでやむを得ない。しかしその後の土地、建物の工事の不備や欠陥については、議会審議を通じチェック出来ないばかりか、容認して来ているので、多数会派としての責任を取るべきであろう。
 そのため、多数会派だった議員を再選せず、反省の期間を与えることを有権者の選択肢としても良いのであろう。
 3、豊洲市場の運営・管理費年間150億円もの赤字は誰が負担?
 豊洲市場の運営・管理費については、年間150億円前後の膨大な赤字となると予想されている。使用料を引き上げ、業者が負担するのが筋であり、都、即ち納税者に負担させる筋合いのものではない。
 豊洲市場の収入を増やす何らかの工夫が必要だ。
4、地下の毒性の強い物質と地下水管理
豊洲市場は、盛り土と舗装で覆われ地表は通常は安全と見られるが、地下に
は、基準の100倍を超えるベンゼンや非常に毒性の強いヒ素やシアンなどの毒物が残留しており、それが地表に上がって来ないように地下水の水位などでコントロールされているという。
 その毒性の強い地下水は東京湾に放流されている。深刻な問題だ。その水量は増え、東京湾を汚染し続ける恐れがある。地下水の無害化と東京湾への放流を制限する措置が不可欠であろう。それにはまた費用が掛かる。
 5、都庁予算の節減が急務
 このようなずさんなと予算の編成、管理運営は、高額の税収があるからに他ならない。上記の費用を捻出するため、都が保有する土地や都心部を中心とする官舎、不要施設を処分し、民間活用に委ねるべきであろう。またバブル期に乱立された諸基金を廃止し、必要なものは民営化することが望まれる。
 都に予算があるからずさんな管理運営が可能になる。住民税の引き下げを行い、都予算のスリム化を実現することが必要ではなかろうか。
(2017.7、1.)
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参議院審議を不要とした自・公両党と維新の会

2017-07-29 | Weblog
シリーズ平成の本音―参議院審議を不要とした自・公両党と維新の会
 6月16日、与党自民・公明両党は、参議院法務委でのテロ等準備罪法案の審議を尽くさないまま、‘中間報告’を参院本会議に提出し、そのまま採決した。同法案は、法務委での18時間弱という生煮えの審議のまま本会議で自・公両党と自民党予備軍ともなっている日本維新の会などの多数で採択したが、‘中間報告’での採択であり、審議が尽くされていないことは明白だ。
 同法案は、暴力団などの組織犯罪を撲滅する上で有用と見られるものの、277にも及ぶ準備的行為で国民を罪人に出来る法律であるだけに、慎重な審議が求められた。しかし金田法相は、‘一般人には適用されない’という当たり前のことを繰り返すのみで、具体的な質問には答えられず、事務方に答弁させる始末であり、担当大臣が理解できない法律を国民が理解できるはずがない。
首相自体も‘一般人には適用されない’との答弁を繰り返していたが、これは、‘一般人’が‘何もしなければ’ということであり、当然のことを言っているに過ぎず、誤った印象を与える不誠実な答弁でしかない。刑事局長は、‘一般人’がこの法律に触れるような行為をすれば対象になる旨答弁をしている。それにも拘らず、法相はもとより、首相さへも法律の基本的な解釈を理解せず、国民に安心感を与えた上、審議も尽くさず法案を強行採決するという乱暴且つ不誠実な対応をしている。
 今回の与党の対応から、次のことが言えそうだ。
 1、参議院は税金の無駄、廃止すべし
 与党自民・公明両党と日本維新の会が、参議院の審議を不要としたので、参議院は廃止しても良いのではないか。税金の無駄だ。
 そもそも現在の参議院は、衆議院のクローン組織、或いはコピーに近い存在であり、その必要性が疑われていた。それを与党自体が追認したに等しい。
 2、個性を失い、自分の意見を持たない議員―政党助成金は廃止すべし
 テロ等準備罪法は、本来テロではなく、組織暴力活動を防止する目的のもの
であり、この点でも疑義があるが、国民の6、7割が良く理解できない、十分な審議が必要としている中で審議を中断し、‘中間報告’で本会議採決を強行したところであり、それに自・公両党や日本維新の会の議員が一人も棄権も反対もしていないのは、独裁政党のようで非常に奇異だ。国民の疑問に答えようとする議員が出ても良いところだ。
 ‘党議拘束’に盲従するというところであろう。党の一体性を保つと言えば聞こえは良いが、議員の個性喪失、独自性の放棄でしかない。
 公明党は、支持母体が創価学会で、同じ宗教を信じるということであるの
で仕方がないのかもしれない。しかし国家緊急事態では、あらゆる形で政権側が権力強化を図り、公明党や創価学会関係者も同法の対象として捜査の対象になる可能性もあるだろうに。日本維新の会に至っては、自民党予備軍のようで、国政には意味がない政党になっている。日本に‘都’は一つで良い。大阪は大阪の有権者が決めることだろうが、東京には維新の会は不要だ。
 ‘党議拘束’が強く、議員の個性が無くなっているのは、国庫から各党に
政党助成金が出され、それを党が所属議員に給付していることが大きいように見える。議員は党から回された国民の税金をほとんど自由に使える。そもそも、有権者の4割前後が無党派層であるので、税金から党に助成金を出すのは筋が違うのではないか。政党助成金を廃止し、出すのであれば、政党を問わず、国が議員(候補者)に直接支給し、報告義務を課すべきであろう。
 3、現政権での憲法改正は不適切
 森友学園問題でも、加計学園問題でも、夫人を含めて国民の背後でいろいろ画策しているにも拘らず、それを隠そうとするばかりか、100万円の寄付はしていない、加計学園側には何もしていないなど、事実に反することを主張し、挙句の果てに関係省庁に対しつじつまを合わせるよう嘘や資料隠しをさせる結果になっている。その上、それを担当政府職員の勝手な行動によるとして片付けようとするなど、行政の適正管理能力や内部統制能力を欠くこと甚だしい。
 このままでは、官僚が嘘をついたり、資料を隠蔽、廃棄したりすることが容認されるという重大な結果を招きかねない。
 更に与党両党と日本維新の会は、国民が理解していない法案を通すために参議院を切り捨てた。まるで独裁政党のようだ。
 このような政権、政党の下での憲法改正は、独裁的で歪んだ結果になる恐れがあるので適当ではなさそうだ。そもそもこの政権は、選挙の際、憲法改正につき主要な改正項目を含む提案を国民に対して行って選ばれてはいないので、憲法改正を行うための国民からの信託を受けてはいない。(2017.6.19.)
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特区制度は特定人のための得区か!?

2017-07-29 | Weblog
特区制度は特定人のための得区か!?
 国家戦略特区制度を利用して、今治市に獣医学部を新設することについて、推進母体である加計学園の加計理事長が安倍首相と緊密な関係にある一方、国家戦略特区諮問会議の議長が首相であることから、首相が直接、間接にどのように関与しているかが問題視されている。
 特区制度は、規制緩和による経済活動の活性化の一手段として、全般的な規制は維持しながら、地区や分野などを限定して規制の対象から外す制度である。一見規制緩和に繋がりそうだが、行政上は規制の細分化、複雑化であり、審査手続きが細分化される。更に、組織面でも国家戦略特区諮問会議を新設し、内閣府が省庁横断的に事務を所掌するなど、屋上屋を重ね、複雑化しており、実体的には規制の撤廃、緩和からは程遠い制度となっている。
 今治市における加計学園による獣医学部の新設については、まず現在以上の獣医学部の新設が必要か否かであるが、京都府の京都産業大学からも提案がなされていたので、何故今治市なのか、何故加計学園なのかが問われなくてはならない。
 この問題をめぐり、同学園の理事長が安倍首相と大学時代からの友人であり、昭恵夫人も同学園の名誉園長であった他、現在でもゴルフや会食等で頻繁に交流している一方、「総理のご意向」とか「官邸の最高レベルの言ったこと」などと書かれた文科省のものと思われる文書が公表されたことから、国会の内外で問題視されている。これに対し、安倍総理大臣は「彼からこの問題について、頼まれたことはなく、働きかけていない」などと否定しているほか、菅官房長官も文書について、「怪文書のような文書だ」と述べ、また文書の存在の調査を求められた文科大臣が、‘その存在は確認出来なかった’など、働き掛けの事実や関係文書等の存在自体を否定し続けている。
 更にこの新設については、内閣府の担当審議官や和泉首相補佐官が関与している他、文科省出身の木曽氏が内閣官房参与として関与していたことが明らかになっている。木曽氏は、加計学園の理事である上、関連の千葉科学大学の学長であったことが明らかになっており、この問題への関与だけでなく、利害関係団体との実質的な関係者でありながら内閣官房参与を務めていたことから、‘利害の衝突’が存在する人物であるので、任命責任も問われるところだ。
 加計学園による獣医学部の新設については、余りにも首相サイドとの関係性が深い。それ自体に問題があるわけでは必ずしもないが、公務に就いている者が、新聞社を含め利害関係者と頻繁にゴルフをしたり、会食することは何かと疑惑を呼ぶので好ましくない。公務員の倫理規定ではこれを禁じており、首相や閣僚についても任期中は適用されるのであろう。
 また官邸首脳や自・公両党や一部保守系紙は、前川前文科省事務次官は、同省の天下り問題で辞任した人だとか、出会い系バーに出入りしていた人であるなどと言及し、同人の信頼性を疑わせる個人攻撃を行っているが、これは‘別件’で同人の発言を疑わせる‘印象操作’であり、森友学園問題同様、フェアーでないし、そのような批判をする資格もなさそうだ。首相サイドは、明らかに獣医学部の新設を強力に推進して来ており、‘関与はしていない’‘圧力を掛けていない’というのは嘘であろう。‘記録がない、文書等もない’も嘘であろう。森友学園問題同様だ。権力側が嘘や資料、記録の隠ぺいをしていながら、一方を別件で批判するのは如何なものであろうか。天下り問題にしても、文科省だけではない。若干関連団体や補助金団体への天下りは若干改善しているようだが、現在でもほとんどの経済官庁OB等が、企業等の顧問や社外取締役等として多数天下っている。その他省庁の天下り調査の結果はどうなっているのだろうか。
 しかし最大の問題は、首相や官房長官はじめ官邸、内閣府、文科省など、特区や教育行政関係者が、獣医学部の新設について、記録がない、文書が残っていない、記憶がないなどとこぞって関与していたことを否定していることだ。もし加計学園による獣医学部を今治市に新設することが必要で、京都産業大学の提案より適切であるというのであれば、その理由を具体的に説明すればよいことであろう。何故堂々と国民に対しその必要性、適切性を訴えることができないのか。何故、関与を否定しながら、国民の背後で事を進めようとするのか。森友学園の問題と類似する。今回の場合は、国家戦略として進めようとする政策において、特定団体、個人に便宜、利益を与えること、いわゆるえこひいきに直接、間接関与し、或いは推進しようとしていたものであり、公正、公平な行政の上でより責任が重い。
 関与を否定すればするほど、加計学園による獣医学部の新設が適切でなく、恣意的な筋わる案件であるとの印象を与える。
 安保法制の時に官邸が法制局長官人事に介入するなど、安倍政権下で官邸の官僚幹部への人事権が強化されている。これ自体は政権交代を前提とすると合理的な基準や範囲内の下で実施されることは必要であろう。しかし恣意的な人事介入が横行するようになると、官僚は首相、官房長官、大臣に物が言えなくなり、専制的な恐怖政治のようになる恐れがあり、物が言えなくなる。現状においては、首相や官房長官の発言や意向に沿わないことについては、記憶や記録にないと言い、また記録データや文書を廃棄したり隠したりするような行動が、今回の文科省や内閣府だけではなく、防衛省や財務省でも起こっており、非常に不健全で危険な状態にあると言えないだろうか。政策を歪めるだけでなく、真実を歪め、虚偽が正当化されようとしている。行政組織の統治能力、内部統制の欠如も甚だしい。
 最近、世界でマスコミ力も低下していると言われている。世論調査も当たらない。日本もそうなのであろう。マスコミが商業化、既成化し、報道やコメント、評論等がステレオタイプ化しているようだ。主要報道関係の論説クラス、評論家の多くは、官邸から食事等に誘われることを待ち望んでいるという話もある。だから呼ばれるような発言をし、記事を載せる。政府の考え方をいち早く報道することに追われ、それに対する疑問や多様な意見が見られない。このように政府内でもマスコミでも、発言がし難くなり、抑制され始めると、その傾向が加速し独裁化が進んで行くのではないだろうか。
 国家戦略特区は、アベノミクスの中でほとんど飛んでいない‘第3の矢’の規制緩和のいわば目玉として打ち出されたが、今日までほとんど成果が無いばかりか、規制緩和ではなく、規制の更なる細分化であり、実体的には規制の強化で、政権中枢に近い特定の団体、個人へのえこひいきや利益の供与になり易い制度となっていることが明らかになっていると言えそうだ。特区ではなく、得区だ。一定の条件で獣医学部の新設を認めるということでは‘規制緩和’だが、‘広域的に存在しないこと’という新たな条件をつけて規制を強化し、首相に近い加計学園による新設を認めている。
 確かに規制緩和には、強固な利益団体が存在し、それが保守層の支持基盤になっていることが多いので、その岩盤を打破することは困難である。それを打破するためには強いリーダーシップが必要であるが、それがえこひいき、情実のためであれば問題だ。
 特区制度などは廃止し、原則自由化し、もっと分かり易く、誰にでも公平に適用されるようにすべきであろう。原則規制ではなく、原則自由化として規制緩和を促進すべきであろう。原則自由化し、その上で弊害がある領域についてのみ規制すると共に、違反者には相当額の罰金を科すこととすれば、誰にでも公平で分かり易く、また罰金による違反者の抑止が出来るであろう。因みに、経済犯については、高額の罰金を科し、実刑は極めて悪質な事案以外は無くしてもよいのであろう。実刑判決を課しても、利益が残るようでは経済犯は無くならない。(2017.6. 2.)
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