電車が函館どつく前に到着すると、一目でそれと分かる服装の人達が、市電から降りて函館どつくの中に入ってゆきました。
私は電停前の公園に掲げられた掲示板を撮影すると、函館山の山裾へ上る道へ歩を進めました。
いつの旅でもそうですが、旅の途中は時間がもったいないので、掲示板の表題を見て、内容は読みません。
そしてブログを書くときに内容を確認します。
この辺りが「弁天岬台場跡」だそうです。
江戸幕府は、現在の函館どつくの一角に1864(元治元)年に台場を作り、箱館戦争の時、旧幕府脱走軍が占領しましたが新政府軍に降伏、その後は明治政府陸軍の砲隊が守備し、1896(明治29)年に港湾改良のために取り壊された、そうです。
同じ公園に「新選組最後の地」の石柱が建てられていました。
新選組は、江戸時代の終わり頃、幕府を倒そうとする人達を取り締まった組織で、農民出身の近藤勇や土方歳三等が活躍しました。
しかし幕府軍は1868年1月の鳥羽伏見の戦いで新政府軍に敗れ、近藤勇は4月25日に処刑され、1869年5月18日に土方歳三が箱館戦争で戦死し、新選組は解散しました。
私は気ままに、函館山の麓の魚見坂を上ってゆきました。
坂の途中で、空き地から眼下を望むと、民家の屋根と函館湾越しに渡島半島南端部の丘陵地帯が見えていました。
それにしても、北海道は空の青さが魅力です。
北海道に入ると私はいつも、澄み渡る空の青さに、身も心も解放される安堵感を覚えます。
湿度が低いせいでしょうか、それとも視野に人造物の比率が少ない為でしょうか・・・? 多分私の先入観や心理が視覚に影響するのかもしれません。
魚見坂を上る途中、時間配分を考えつつ左へ折れると、函館山散策コース案内図が掲げられていました。
この場所は、函館山観音コースの入口のようです。
距離/約1,120m 所要時間/約35分 と記されています。
数年前にNHKの「にっぽん百低山」という番組で函館山が紹介されました。
その番組のサブタイトルは「山高きが故に尊からず」で、私の脳神経細胞は、その発想に強く共鳴します。
酒場詩人の吉田類が全国の低山を訪ねる番組構成も秀逸です。
吉田類は番組で立待岬からのコースを登りますが、函館山には日露戦争前に作られた軍事要塞があったので、民間人の立ち入りが制限されて自然が残り、今は600種もの花が咲き誇ることが紹介されました。
こんなことを知ったら、一度は函館山を散策したいと思うのですが、でもね~ 私にはやりたいことが多すぎます。
余談ですが、今回の記事が当ブログの1000題目となります。
2010年の11月20日にスタートしてから5268日
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