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長万部 町民センター

2023-10-16 01:59:09 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 

 先程は、国道5号線の交差点を右折しましたが、今度はその交差点を突っ切って真っすぐ進み、踏切を渡って温泉街の方へ向かいました。


 道なりに進んで行くと、町民センターと表示された建物が見えました。


 長万部町の博物資料館のようです。


 中を覗くと誰もいません。


 入園料の表示もないので、「おじゃまします」と呟きながら中に入りました。


 一階のホールに軌道自転車が置かれていました。

 

 

 南極の石が展示されていました。


 「南極の昭和基地周辺の露岩地帯は2億年前のゴンドアナ大陸の一部です。

 

 また強い風の作用で、硬い岩石がえぐられ、奇妙な形の蜂の巣岩(風蝕岩)などは日本では見られない貴重な岩石」だそうです。

 

 

 

 館内は二つに分かれ右が歴史資料室、左は鉄道関係の資料室のようです。


 右の部屋に入ると、3憶5千年前から始まる、長万部の年表が壁一面に掲げられ、それに関連する資料が展示されていました。


 6000年前ごろ、今の長万部辺りに人が住むようになったと言われ、

 

 
 当時の人達は石器を使い、

 

 

 縄文土器を作っていたそうです。


 世界遺産となった「北海道・北東北の縄文遺跡群」と重ね合わせて考えると興味深いものがあります。

 

 

 そして鎌倉時代、源頼朝に敗れた奥州藤原氏の残党が松前から木古内にかけて住むようになります。


 奥州藤原氏の名で、秋田で見た後三年駅を思い出しました。


 1670年頃、長万部は国縫を中心に交通の要所として栄えました。

 

 そして、あの新鮮組が京都で池田屋事件を起こした1864年に長万部村が設置されます。

 


 長万部という村、町に限らず、北海道入植が160年程の歴史(赤い枠内)でしかないことを再認識しました。

 


 6000年前から続く長万部を始めとする北海道での人々の暮らし。


 そして僅か120年前に長万部に鉄道が通り、その鉄道が今変革の波に晒されています。


 それらを踏まえ、今から50年後の日本にどんな変化が待っているかを考えさせられます。

 

 客観的で柔軟な発想が求められる気がしました。

 

 更に興味深かったのが、鉄道関係の資料室です。


 函館本線を走っていた蒸気機関車の貴重なプレートが揃い、昔北海道で活躍した「すずらん」「狩勝」「大雪」「利尻」等の懐かしい急行列車の行先表示などは他では見ることができない資料です。

 

 

  

 青春18きっぷで北海道を旅する程の鉄道マニアであるなら、長万部の町民センターを絶対に訪ねるべきでしょう。

 


 私は町民センターで結構な時間を費やしました。


 しかしまだ時間に余裕はありますが、早めに駅に戻ることにしました。


 駅に戻ると、ETさんが先に戻っていました。


 長万部温泉の丸金旅館で一風呂浴びてきたそうです。

 

 熱くて、記憶に残るお風呂だったそうです。


 観光センターで得たパンプレットを見ると、青春18きっぷの旅の待ち時間内で、3施設が利用可能のようです。

 

 

 

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長万部 あやめ公園

2023-10-15 00:11:29 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 長万部(おしゃまんべ)で乗り継ぐ倶知安(くっちゃん)行き普通列車の発車時刻は13時29分なので、長万部で2時間17分の待ち時間があります。


 私は長万部でレンタサイクルを借りることにしました。


 長万部でのサイクリングの前に長万部町市街の概念図を示したいと思います。


 今回私は、ABCDの順(矢印 参照)に自転車で市街を巡りました。

 


 前回同様、普段なかなか目にすることがない海浜植物を見たいと思いました。


 Bの場所で海岸に降りるとハマニガナが黄色い花を咲かせていました。


 ハマニガナは日本全国の海岸の砂地に生える多年草で5~10月に花を咲かせます。

 

 

  しかし今回、海岸で目にした花はこれだけでした。


 本州で秋に咲く花を見たいと思いましたが、今年は北海道も夏が暑かったそうで、その影響かもしれません。


 海岸を離れて、あやめ公園へ行くことにしました。


 私のホームページの項目に、「全国の花菖蒲・あやめ園」があります。


 今はあやめが咲く季節ではありませんが、長万部あやめ公園を確認したいと思いました。


 長万部訪問は三度目なので、凡その位置が頭の中にあります。


 国道5号を北へ進み、線路を渡りました。

 

 
 そのまま500mも進んだ交差点に、「右があやめ公園」の表示がありました。


 橋を渡った先で、左へ曲がる表示があり、100m程も進むと、あやめ公園に到着しました。

 

 パークゴルフ場が併設されているようです。

 


 管理棟の横に自転車を止め、公園の様子を確認しました。

 

 

 川の対岸でパークゴルフに興ずる人の姿が見えます。


 長万部のあやめ公園は、パークゴルフ場の中にアヤメが分散植栽されていました。


 一般的には、アヤメ、ハナショウブ、カキツバタをアヤメと称します。


 アヤメは乾いた場所に育ち、外側の花弁に網目模様があります。

 ハナショウブはハナアヤメの別名を持ち、アヤメの名で呼ばれることがありますがアヤメとは別の植物です。

 

 「長万部あやめ公園」で検索すると、植栽された花はハナショウブでした。


 長万部のあやめ公園に植えられているアヤメはハナアヤメです。
 

 

 今回は、長万部で「あやめ公園」を確認することができました。


 花の季節は6月中旬のようです。


 その季節に、再び訪ね来たいものです。


 6月中旬に北海道を訪ね、シバザクラやチューリップ、菜の花を絡め、道内を廻るアイデアが浮かびます。


 あやめ公園を見終え、自転車で元来た道を戻りました。


 戻る途中の路傍に、民家の庭に咲くナツズイセンを見かけました。


 ナツズイセンは通常8月に花を咲かせますが、今日は9月18日です。


 北海道も今年は通年とは異なる異常気象だったようです。

 

 

 

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日本で唯一 太平洋と日本海に接する町

2023-10-14 00:11:16 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 八雲駅を出た列車は7分後に山崎駅に停車しました。


 進行方向左側の駅の周囲に数件の民家が見えます。


 民家の横で、屋根の高さを超える針葉樹が気になりますが、木の種類が分かりません。


 以前の記事にも書きましたが、今回の旅のテーマの一つが「マツの北限地」なので、針葉樹を見るとレンズを向けたくなります。

 

  
 反対側に噴火湾の海原が広がっていました。


 この辺りの噴火湾は、視界の先が湾口なので、海がひろやかです。

 


 次の黒岩駅名はアイヌ語の「クンネ・スマ(黒い・石)」に由来し、付近の海岸に黒い柱状節理の岩礁があるそうです。


 そして、黒岩駅の所在地は北海道二海郡八雲町黒岩です。


 二海郡八雲町は日本の市町村で唯一、同一行政区内で太平洋と日本海に接しています。

 

 2005(平成17)年に山越郡八雲町と爾志郡熊石町が合併し、二海郡八雲町が発足しました。

 

 その時初めて、日本で太平洋と日本海に接する町が誕生しました。


 同時に新設された二海郡(ふたみぐん)は、太平洋と日本海に面するという意味が名の由来で、二海郡は八雲町だけで構成されます。

 

 
 列車は長万部町に入り、国縫(くんぬい)駅に停まりました。


 クンヌイはアイヌ語の「クンネヌイ(黒い・野火)」や「クンネナイ(黒い・川)」が名の由来と説明されます。これを「くんぬい」と読める人は相当の北海道通だと思います。

 

 例えば、私の周囲の人達はみな、後志(しりべし)を「あとし」と読みますが、それが普通なのだと思います。


 1987(昭和62)年3月16日までは、この駅から日本海側の瀬棚町まで、瀬棚線が渡島半島を横断していました。


 瀬棚線には、函館から直通の急行「せたな」が運行されていました。


 瀬棚線廃止後は瀬棚町から長万部まで1日7本の代替バスが運行されていますが、その代替バスも近年利用率が低下しているようです。

 


 次の中ノ沢駅は、来年春のダイヤ改正に併せて廃止される予定で、1904(明治37)年から120年間の歴史に幕を下ろすことになります。

 

 開業当初は紋別駅と名付けられましたが、北海道内に同名の駅が多いことから、1914(大正3)年に中ノ沢駅に改称されました。

 

 中ノ沢の名は、この場所が二つの川の中間にあって、沢を成すことによります。

 


 中ノ沢駅を出ると程なく、車窓右手に並走する国道5号線が見えてきました。

 

 この国道も、高速道路の道央道が函館付近まで伸びた今は、昔程の交通量ではない気がします。

 


 列車が森駅を出た頃から私は、駅名などの撮影をせずに、のんびりと窓の景色を眺めながらETさんと旅の話しを続けてきました。


 この時ETさんから、ネットカフェに泊まることを教わりましたが、それが後で役立つことになります。


 そして列車は11時12分、2時間56分の運行を終えて、長万部(おしゃまんべ)駅に到着しました。

 

 

 

 

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旅は3つのステージで構成されます

2023-10-13 00:24:34 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 前回の 石谷駅と本石倉駅には本当に驚かされました。


 そして列車は石倉駅に停まり、続いて落部(おとしべ)駅に停車しました。


 これも2018年の写真ですが、緑色のスレート屋根を被った木造駅舎が雪国ならではの北海道らしさを感じさせます。


 駅名は、アイヌ語の「オテㇱウンペ (川尻・ヤナ・ある・処) 」に由来すると説明されます。アイヌがサケを捕る為のヤナ場があったようです。

 


 函館本線は落部駅の前後で海から少し離れましたが、トンネルを出ると再び海岸に戻りました。


 線路のすぐ傍が波打ち際です。


 この海は内浦湾で噴火湾とも呼ばれています。


 内浦湾(噴火湾)は室蘭の地球岬と渡島半島の砂原町砂埼を結ぶ線の内側で、ほぼ円形を成す海域で、イギリス人の船長が18世紀末に、湾を囲む駒ヶ岳、有珠山、樽前山の噴煙を見て、volcano bayと記して以来、噴火湾と呼ばれるようになりました。


 噴火湾の地図を見て、この湾全体がカルデラと思う人がいるようですが(私もその一人でした)、そのような証拠は一切ないそうです。

 


 そして普通列車は、特急列車の客が気付きもしない野田生(のだおい)駅に停ました。


 ノダオイは、アイヌ語の「ヌプタイ(野・林)」あるいは「ノット、アオ、イ(岬のある所)」に由来すると説明されます。


 集落に寄添う駅舎が微笑ましく見えます。

 


 次は山越駅です。

 

 
 しかしここは、海のすぐ傍。


 何で山を越えるのかと思いますが、こんな不思議な駅名も、アイヌ語の「ヤム・クシ・ナイ(クリを捕る為に通る川)が名の由来だそうです。

 

 
 列車は山越駅を出た6分後に八雲駅に停車しました。


 八雲町に到着するまでは、ほぼすべての駅名がアイヌ語由来ですが、突然純和風な駅名に接し、バラ園でキクを見るような違和感を覚えました。


 八雲町は明治10年に旧尾張藩主徳川慶勝が八雲町開拓の為に3名の調査団を送ったことに始まります。


 そして徳川慶勝は入植地の名を、日本書記の「や雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」の冒頭から「や雲」を採って村名にしたと八雲町史に記されています。


 八雲駅は特急列車の停車駅で、函館から特急列車で1時間程度ですが、私が乗る普通列車はその倍以上の2時間18分をかけて八雲に到着しました。

 

 

 私は、旅は3つのステージで構成されると思います。


 一つ目は「構想のステージ」です。

 何処へ、どんな手段で、何を見聞きするかをシミュレートします。


 二つ目は「実行のステージ」です。

 旅に出ると、必ず予想は裏切られ、危機や想定外の果実が得られます。


 三つ目は「検証のステージ」です。

 旅の行程を振り返り、見聞きした経験の背景を探ることで、旅を昇華させます。


 そして今回の旅も、このブログを書く作業を通し、数十年前に北海道で過ごした頃に気になった、幾つかのクエスチョンを解き明かすことができました。

 

 

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鉄道ファンの皆さ~ん、早くしないと見逃しますよ!

2023-10-12 00:04:24 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 森駅に9時40分に到着した列車は、ここで22分停車します。

 

 私はETさんに誘われ、駅前の弁当屋さんで「いかめし」を買い求めることにしました。


 駅舎を出たすぐ左側の柴田商店の看板に「いかめし」の文字が見えます。


 しかし、ETさんは製造元の阿部商店で「いかめし」を買いたいようです。


 彼のスマホで検索すると、駅から4~500m先らしいのですが、列車の発車時刻までに戻らなければ旅は破綻します。


 二人は顔を見合わせ、頷きつつ柴田商店に入りました。


 店内には既に、同じ列車の乗客らしい人が「いかめし」を買い求める姿がありました。
 

 

 赤い包装紙に包まれた「いかめし」は840円だったと記憶しますが、間違っていたら御免なさいです。


 店のおばさんに、「昔は駅のホームで売っていましたよね」と問いかけると、「列車の窓が開く頃は、ホームで売っていたんですよ」とのお話でした。

 

 
 駅に戻って、列車への跨線橋を渡っていると、その下の1番線に札幌行きの特急が入ってきました。


 普通列車の長い停車時間は、この特急をやり過ごす為だったようです。

 


 ホームに戻ると、駅に接する堤防の上でウミネコがのんびり羽を休めていました。

 


 ETさんは、長万部行きの列車が動き出すと「いかめし」を幸せそうに食べ始めました。

 

 私は朝食べたおにぎりがまだ胃にある気がして、「いかめし」をザックに収めました。

 

 私の普段の生活は一日2食で、10時半頃に起きて、11時頃にブランチを食べる習慣ですから、二個入りの「いかめし」を今開ける気にはなりません。


 列車が森駅を出ても、私はETさんと旅の会話を続けました。


 私の旅は花や木を眺めることが主目的で、鉄道も好きですが、メインではないこと、十年以上前に定年を迎えた年金生活者で、青春18きっぷの旅は今回が二回目であることなどを、景色を眺めながらお話した記憶があります。


 ところが会話中は、つい手が疎かとなって、駅名などを写しそこねました。


 なので、これから先は長万部まで、2018年9月に撮影した写真を流用します。


 と記してから、PCを確認すると石谷駅の写真が出てきました。


 今回乗車した普通列車は石谷駅には停まりません。


 不思議に思って調べると、この石谷駅は2022年3月12日に廃止となっていました。


 あらまあと思い、改めて下の写真を見ると、ホームに生えるぺんぺん草が利用者の少なさを告げていました。

 

 
 そして2018年の旅で、列車は本石倉駅にも停車しましたが、この駅も今は存在しません。

 

 石谷駅と同時に廃止されたそうです。

 

 
 全国の鉄道ファンの皆さ~ん、早くしないと見逃しますよ!


 それにしても、列車内から写した石谷駅と本石倉駅の写真は、今ではかなりのレア品かもしれませんね。

 

 

 

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車窓に駒ヶ岳の姿が見えてきました

2023-10-11 00:28:06 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 普通列車は8時44分に新函館北斗に着いて、6分間停車しました。

 


 駅のホームは想像以上に狭く、そのホーム幅が凡その利用客数を教えていました。

 


 
 このとき普通列車から5~6人の乗客がホームに降りて乗車中の列車の写真などを撮影していました。

 

 多分その全員が青春18きっぷ利用で旅する趣味人の筈です。

 

 私もETさんもその中に含まれていたのは申すまでもありません。

 


 
 新函館北斗を出た列車は仁山駅へと少しずつ標高を高めてゆきます。


 仁山駅は、函館本線が20‰の急勾配で山岳丘陵地帯へ上る途中で、列車交換の為に設けられた信号所でした。


 仁山駅付近から函館方向を撮影すると、その中に函館山が写り込んでいました。

 


 仁山を出た列車は、国定公園に指定された大沼駅へと向かってエンジン音を響かせます。


 そしてほどなく、車窓左手に大沼が見えてきました。


 私はETさんや周囲の方達に聞こえる程の声で「あ、大沼」と声を発しました。

 


 旅行者らしき乗客が、カメラやスマホを持つ手を車窓にかざしました。

 


 
 長万部行きの普通列車は、日本新三景の一つに選ばれた景勝地を車窓に映しながら、次第に観光列車の雰囲気を漂わせ始めました。


 そして、列車は大沼駅に停車し、

 


 大沼公園駅へと進んで行きます。


 しかし私は、この辺りから車窓の景色を同行の旅人達に譲ることにしました。


 何故かと言えば、私がこの辺りを普通列車で旅するのは今回が三度目なのです。


 初回は、2018年9月に東北のヒガンバナを訪ねる旅の途中、北海道でスズカケノキを見たくて、青森埠頭に車を置いて、フリー切符で道南を訪ねた時、そして二回目が2019年の青春18キップの旅で、この辺りの景色を堪能しています。


 人間欲張ったら碌なことはありません。初めてこの地を旅する人に窓の景色を譲らなければ、私はきっと地獄に落ちます。

 そして列車は赤井川駅に停まり発車しました。


 ちょっと蛇足ですが、北海道の小樽市に南接する赤井川村という村がありますが、この駅と赤井川村は一切無関係だそうです。

 


 赤井川駅を過ぎた頃から、私が座る進行方向右手車窓に駒ヶ岳の姿が見えてきました。(この先の駒ヶ岳の写真は2018年9月に撮影したものです)

 


 列車は牧草地や馬鈴薯畑を見下ろす駒ヶ岳を眺めながら、緩やかな山麓を走り下り、

 


 やがて噴火湾の岸辺に佇む森駅に到着しました。


 ホームに降りて函館方向を振り返ると、鈍色に光る鉄路の先で駒ヶ岳が微笑んでいました。

 

 

 

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函館本線 長万部行き気動車の旅

2023-10-10 00:17:48 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 想定通りの時間に函館駅に戻り、駅のコンビニでおにぎりを買って、プラットホームに待つ気動車に乗り込みました。

 


 長万部(おしゃまんべ)行きの列車は一両編成の気動車です。
 
 車両の前後に、3人程が座れるベンチシートを備え、それ以外は全てボックス席です。


 車外の景色を撮りたいので、窓際の席を探しましたが、進行方向に背を向けた一席しか空きはありませんでした。


 それにしても、このそっけない紺色のシートとむき出しの蛍光灯。


 動き出せば、床の下からゴウゴウとした低いエンジン音が響きます。


 乗客の殆どが普段着や作業着のままで、化粧品や週刊誌の吊りポスターなんて全く見かけません。


 そんな雰囲気に包まれた列車の旅が始まりました。

 

 
 函館駅を発車した列車は五稜郭の次に「桔梗」という駅に停まりました。


 桔梗はキキョウと読みますが、花の名前そのものが駅名です。


 昔から気になっていたので、今回その由来を調べると、地名そのものが桔梗なのです。

 

 駅のある辺りにキキョウが群生し、住民から桔梗野と呼ばれていたのが由来だそうです。


 植物名が付く駅名は珍しくありませんが、植物名そのものの駅名は全国で此処だけかもしれません。

 


  桔梗の次の大中山駅を過ぎた頃、車窓にアカマツの木が見えてきました。

 


  このアカマツは函館市桔梗町から七飯町までの14.3kmに続く松並木で、赤松街道と呼ばれています。


 2015年の秋に自転車で北海道を縦断した時、日高の静内町でアカマツを見て、北海道にも松が育つことを知り、松が育つ北限の地が知りたくなったのです。

 

 なので、今回の旅のテーマの一つが「松生育の北限地探し」です。


 という訳で、七飯駅付近まで、車窓から松並木の撮影を続けました。

 

 

 そんな風に、列車の外にカメラを向けて撮影を続けていると、向かいの席に座る男性に何か一言、主旨を説明しておきたいと思いました。


 騒がしくした訳ではありませんが、静かな時間を過ごしたい方であれば、少し迷惑だろうかと感じたからです。


 多分「どちらまでですか?」とか「お仕事ですか?」とか、そんな問いかけをした気がします。


 どんな会話だったか忘れましたが、このETさんは神奈川県の川崎市在住で、青春18きっぷを使って北海道を往復する旅の途中であることが分かりました。


 電車が函館駅を出た頃、膝の上にパソコンを置いて、リモートの打ち合わせらしい会話が聞こえたので、仕事の旅かもしれないと思ったのですが、


 そうですか! 私と同じように鉄道を楽しむ旅ですか、ちょっとほっとしました。

 

 

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美しい船体曲線「ナッチャンWorld」

2023-10-09 00:25:16 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 千歳坂を下り始めた右手に、鯨の模型を掲げた「鯨類供養塔」が見えました。

 

  
 この供養塔は、1957(昭和32)年に、遠洋捕鯨会社で船長・砲手を務めた天野太輔さんが自費に加えて、漁業会社や捕鯨会社からの賛助を受けて建立したものだそうです。


 碑文に26年間に捕鯨した頭数は二千数百頭に達する・・・」と記されていました。


 私が子供の頃は、かなりの頻度で鯨肉が食卓に上った記憶があります。


 そして1980年以前、独身貴族だった20代後半に寿司屋で食べた、鯨の尾の身の味は忘れられません。


 市電が走る通りに出た後、そのまま真っすぐ港へ向かう道を歩き続けました。


 100m程も進むと、はこだてマリーナの横に出ました。


 多数の白いボートが係留され、その奥に函館どつくのクレーンが見えます。


 函館市街で港らしい風景をみるのは久しぶりな気がします。


 青函連絡船を利用していた頃は、函館が港町であることを常に意識しましたが、それ以降は異人館や函館山の印象が強く、函館市街で港を感じることが少なくなった気がします。

 


 更に進んで行くと、目の前に、美しい船体曲線を見せる船が現れました。


 船腹に楽し気なイラストが描かれ、船首に「ナッチャンWorld」の船名が記されています。


 岸壁で釣りをしていた男性に、この船は何ですか? と聞いてみると、


 「昔、函館から青森に行ってたフェリーで、最近は動かないね」


 とのお話でした。


 「それは勿体ないな~ 」と答えましたが、係留費用も馬鹿にならない筈で、かなりお金に余裕がある会社が所有しているの?と思いましたが、頭の中に沢山の???が浮かびました。

 


  更に船体に近寄ってみると双胴船で、かなりのスピードが出る筈です。

 

 そして、函館で一番インスタ映えすると思います。


 記事を書くに当たってググってみると、「ナッチャンWorld」は


 「2011年の東日本大震災の時に、自衛隊の緊急災害援助部隊派遣に活用され、その後防衛省が大災害に備える目的で借り上げ、自衛隊の演習や装甲車、戦車などの輸送に使われました。

 

 2019年の台風19号襲来時に自衛隊の派遣部隊を乗せて仙台港へ向かい、2018年には、青森ねぶた祭ツアーに運用されています。」

 

 とのことです。

 

 
 なるほど、頭の中の???が全て消えました。


 ウィキペディアには、防衛省の賃料は約3憶5千万と記されます。


 自衛隊が災害時に対応する船を新たに作れば、大きな費用と維持費が必要です。誰が考えたのか、素晴らしいアイデアだと思いました。

 

 そして私は、満ち足りた思いで散策を終え、函館どつく前から市電に乗って、函館駅へ戻りました。

 

 

 

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「箱舘」が函館の語源と言われる

2023-10-08 00:18:07 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 函館山の裾をロープウェイの方向へ進むと、称名寺(しょうみょうじ)の前に出ます。


 門の前に、寺を紹介する掲示物が掲げられていました。


 「箱館開港当初はイギリスとフランスの領事館として利用され、境内に函館の語源と言われる「箱舘」の館主・河野政通の供養碑、墓地には日露漁業㈱創立者の堤清六など、著明な人の墓や記念碑がある」

 

と記されていました。


 函館の語源と言われる「箱舘」って何なの?と思いググってみると、

 

 「室町時代の1454(享徳3)年、津軽の豪族 河野政通が宇須岸(アイヌ語で湾の端を意味するウスケシ)とよばれた漁村に館を築き、その館が箱に似ていることから「箱舘」と呼ばれるようになった」だそうです。

 

 知らなかったな~


 そして日露漁業㈱創立者の堤清六ですが、


 「1906(明治39)年に、新潟出身の堤清六と函館出身の平塚常次郎が創業した堤商会が日露漁業の始まりで、その翌年にロシア領のカムチャッカ半島へ行きサケ・マス漁で成功します。

 

 日露漁業は昭和になって北洋母線式サケ・マス・カニ漁業を開始し社業を発展させた」そうです。


 かっての函館は、北洋漁業の出漁基地として栄えましたが、その基盤を作ったのが堤清六だったようです。
 

 

 称名寺の隣に実行寺

 


 
 その隣に東本願寺船見支院が丘の上から海を見下ろしていました。
 

 

 東本願寺船見支院の門の脇に「近代彫刻の先駆者 中原悌次郎の墓」と題する解説文が掲げられていました。

 


 中原悌次郎の名は耳にしたことはありますが、詳細を知りません。


 足りない教養を補う為にググってみると、


 「1888年に北海道釧路市に生まれ、1897年に旭川に移り叔父の養子となります。札幌中学時代3年生の時に落第したのを機に上京して彫刻を始め、1910年の文展で初入選。

 

 その後「石井氏の像」「行乞老人像」「若きカフカス人」などの作品を残しますが、貧窮生活の中で結核を患い、1921(大正10)年に34歳の若さで亡くなりました。

 

 中原悌次郎は、荻原守衛、高村光太郎とともに、日本近代彫塑の柱となる人物と評されます。遺骨は実父に抱かれ、函館の中原家の墓に葬られた」

 

 とのことです。


 そうだったんですか、私は20代の後半を旭川で暮らしましたが、旭川駅から北に続く買物公園に数多くの彫刻が展示されていた訳を、この歳になってやっと理解しました。

 

 
 列車の発車時間を計算しながら、東本願寺船見支院の前から、市電通りに通じる千歳坂を下りました。

 

 

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北海道は空の青さが魅力です

2023-10-07 00:03:50 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 電車が函館どつく前に到着すると、一目でそれと分かる服装の人達が、市電から降りて函館どつくの中に入ってゆきました。


 私は電停前の公園に掲げられた掲示板を撮影すると、函館山の山裾へ上る道へ歩を進めました。


 いつの旅でもそうですが、旅の途中は時間がもったいないので、掲示板の表題を見て、内容は読みません。


 そしてブログを書くときに内容を確認します。


 この辺りが「弁天岬台場跡」だそうです。


 江戸幕府は、現在の函館どつくの一角に1864(元治元)年に台場を作り、箱館戦争の時、旧幕府脱走軍が占領しましたが新政府軍に降伏、その後は明治政府陸軍の砲隊が守備し、1896(明治29)年に港湾改良のために取り壊された、そうです。

 


 同じ公園に「新選組最後の地」の石柱が建てられていました。


 新選組は、江戸時代の終わり頃、幕府を倒そうとする人達を取り締まった組織で、農民出身の近藤勇や土方歳三等が活躍しました。

 

 しかし幕府軍は1868年1月の鳥羽伏見の戦いで新政府軍に敗れ、近藤勇は4月25日に処刑され、1869年5月18日に土方歳三が箱館戦争で戦死し、新選組は解散しました。

 


 私は気ままに、函館山の麓の魚見坂を上ってゆきました。

 

 

 坂の途中で、空き地から眼下を望むと、民家の屋根と函館湾越しに渡島半島南端部の丘陵地帯が見えていました。


 それにしても、北海道は空の青さが魅力です。


 北海道に入ると私はいつも、澄み渡る空の青さに、身も心も解放される安堵感を覚えます。

 

 湿度が低いせいでしょうか、それとも視野に人造物の比率が少ない為でしょうか・・・? 多分私の先入観や心理が視覚に影響するのかもしれません。

 


 
 魚見坂を上る途中、時間配分を考えつつ左へ折れると、函館山散策コース案内図が掲げられていました。


 この場所は、函館山観音コースの入口のようです。


 距離/約1,120m 所要時間/約35分 と記されています。


 数年前にNHKの「にっぽん百低山」という番組で函館山が紹介されました。


 その番組のサブタイトルは「山高きが故に尊からず」で、私の脳神経細胞は、その発想に強く共鳴します。


 酒場詩人の吉田類が全国の低山を訪ねる番組構成も秀逸です。


 吉田類は番組で立待岬からのコースを登りますが、函館山には日露戦争前に作られた軍事要塞があったので、民間人の立ち入りが制限されて自然が残り、今は600種もの花が咲き誇ることが紹介されました。

 

 こんなことを知ったら、一度は函館山を散策したいと思うのですが、でもね~ 私にはやりたいことが多すぎます。

 

 

余談ですが、今回の記事が当ブログの1000題目となります。

2010年の11月20日にスタートしてから5268日

読んで頂けてることが唯一の励みとなっています。

本当に有難うございます。

 

 

 

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函館も美味しいものに溢れています

2023-10-06 00:05:50 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 五稜郭駅に5時40分ごろ到着しました。

 


 2019年の青春18きっぷの旅のブログでも書きましたが、五稜郭駅は午前0時から5時30分まで待合室が閉鎖されます。


 青春18きっぷを使って12~1月や3~4月に北海道の旅を計画する方は注意が必要です。


 フェリーターミナルから歩いて来て、12月や3月に駅舎が閉まっていたら悲惨ですよ。

 

 

 待合室の壁に令和5年度の全国高校総合体育大会(インターハイ)のポスターが張られていました。期間は7月21日~8月21日と記されています。


 そうだったんですね、今回の旅の前に旭川や帯広でホテルを探すと何処も満室で、たまに空室があっても2万円近い部屋しかないのです。


 ということで今回私は、一人用のテントを持参しました。


 まあそれはそれとして、そんな状況下でも旅を諦めない私のガッツを誉めてやって下さい。


 しかしま~ 見方を変えれば、72歳になっても・・・ ん~ ちっとも懲りてないかもしれません。

 


 高校総体のポスターの横に花咲線のポスターが張られていました。


 釧路と根室を結ぶ135.4㎞の花咲線を、8月1日から9月30日までの期間、特別列車が運行されることを告げています。


 「地球の息づかいを感じさせてくれるかのごとく、大自然の中をゆっくりと進みます」と記されていました。


 そうなんです、私はこの列車に乗る予定なのです。


 待ってろよ、花咲線!

 


  そしてその横のポスターは函館グルメを紹介していました。


  函館も美味しいものに溢れています。

 

 

 私のパソコンの中に、10年以上前に函館に来たとき、ふらり入った居酒屋で飲んだひれ酒と、

 


 アジの刺身の写真が出てきました。


 このアジが抜群に美味しかった記憶があります。しかも安かったな~


 車に寝袋を積んで走り、地方都市の夜間割引のコインパーキングに車を停めて、街の居酒屋で酒と地魚を楽しむ。そんな旅のスタイルも楽しいですよ。

 


 五稜郭駅のホームに、いさりび鉄道からの、函館行き普通列車が入ってきました。

 


 動き出した列車の窓から函館山が見えてきました。


 今朝はあの山の麓の右端辺りを散策するつもりです。

 

 
 列車は5分程で函館駅に到着しました。


 そして私は、7時前に函館駅の駅舎を出て、

 

 
 駅前の市電の電停から、函館どつく前行きの電車に乗ります。


 数えきれぬ程、函館に来ていますが、函館どつくの周辺に行ったことがないので、今日は待ち時間を利用して、港町の雰囲気を味わうつもりです。


 事前のネット調査で、駅前から終点までは12分、運賃200円を確認しています。


 今日は、函館本線を乗り継いで旭川を目指しますが。そのスタートとなる函館本線、長万部行き普通電車の発車時刻は8時18分です。


 8時5分頃までには函館駅に戻りたいと思います。

 

 

 

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函館フェリーターミナルから五稜郭駅への徒歩ルート

2023-10-05 00:04:25 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 「当船は間もなく函館港に入港します」のアナウンスで目を覚ましました。


 周囲に2~3人いた筈の乗客の姿は既になく、他の人達は下船準備を整え、ロビーに移動したようです。

 

 

 フェリーは予定時刻通りの3時20分に函館埠頭に着岸しました。

 


 フェリー前方の下船口からフェリーターミナル(FT)の待合室へ向かいました。


 待合室に10数人の客が集い、各々がソファーに座って朝を待ちます。


 私のこれからの予定は、5時半頃に五稜郭駅まで歩き、6時48分の始発列車で函館に行って市内を散策、その後、函館8時18分発の普通列車で長万部へ向かうつもりです。


 待合室に座っていると、外がだんだんと明るくなってきました。


 北海道は東京よりもかなり緯度が高いので、8月の函館は4時半頃から明るくなり始めます。

 


 外が明るくなり始めたので、私はフェリー埠頭の岸壁まで歩き、函館湾越しに見える函館山を撮影し始めました。

 


  東の水平線に雲がかかり、期待通り朝陽に染まる函館山を見ることはできませんでしたが、30分程の間に、函館山が目覚めてゆく様子を堪能することができました。

 


 フェリーターミナル(FT)の待合室に戻ると、時間が少し早いのですが、五稜郭駅へ向かうことにしました。

 

 前ページで青森駅から青森FTへのルートを紹介したので、今度は函館FTから五稜郭駅までのルート図を示します。

 

 
 最初はフェリーターミナル前の道を真っすぐ北東方向に進みます。


 500m程歩くと、Aの場所で片側2車線の広い市道を横断します。

 


 そのまま100m程進み、Bの地点で国道227号を横断します。


 信号を渡って振り返ると、駐車場を備えたローソンが朝日を浴びていました。

 


 国道を渡った後も真っすぐ進むと、道はCの場所で民家に突き当りますので、そこを左に曲がります。

 


 左へ曲がった100mほど先で道はクランク状態【右に折れてすぐ左へ折れる】となりますので、道なりに進めば、Dの地点で国道に出て、右手にはローソンがあります。

 

 
 ローソンの駐車場を右に曲がって、真っすぐ進むと、150m程で大きな交差点がありますので、信号を2度渡って、歩いて来た国道の反対側の歩道に移ります。

 

 ここで歩道を反対側に移動しておかないと、その先の跨線橋上に横断歩道がありません。


 反対側の歩道を200m程も進むと、函館本線と国道5号を同時に跨ぐ跨線橋があります。

 


 ここで跨線橋内に入らず、その横の脇道を真直ぐ進んだ、Eの地点に、跨線橋上への階段があります。

 


 跨線橋に上ると、眼下の線路の左手先に五稜郭駅が見えます。

 


 JRの線路と国道5号を超えた場所で、左側から国道への階段を降り、国道に沿って北へ300m程も進めば、五稜郭駅に到着します。


 函館FTから五稜郭駅までは約1.6km、徒歩で20数分程の道のりです。

 

 

 

 

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徒歩で青森フェリーターミナルへ

2023-10-04 00:47:41 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 前回の記事にも記しましたが、青春18きっぷを使って東京から青森まで2410円で来たのに、青森駅からフェリーターミナルまでの約2kmをタクシーに乗って、1000円程の費用を浪費するのは主旨に反します。

 

 なので、青春18きっぷで北海道を目指す、志を同じくする人であるならば(なんとまぁ大袈裟な!)青森駅からフェリーターミナルまでは歩くべきです。


 と言うことで、まず最初に、青森駅西口からフェリーターミナルまでの徒歩経路の概略図を示します。

 

 

 


 この図は、2019年青春18きっぷの旅のブログで使ったものを改変しました。


 今回は、青森駅西口から海沿いの県道に出るルートが異なります。


 前回のルートより分かり易く、距離が少し短くなった気がします。

 

 
 青森駅西口広場のロータリーを北西の角から出ました。



 目の前の三階建てのビルに、JRの制服を着た人が入ってゆきました。

 

 
 門に掲げられた施設名を確認すると「東日本旅客鉄道株式会社 盛岡支社 総合事務所」と記されていました。

 


 ビルの前の道を西へ2~300mほど進むと、大きな駐車場を設えたパチンコ屋がありますので、その駐車場の縁を回り込むと、

 


 青森湾に沿ってはしる広い県道に出ます。

 


 県道の東方向に、青森マリーナを跨ぐ青森ベイブリッジの橋柱が見えます。

 


 県道に出た後は、ひたすら西に向かって30分程も歩き続けると、目の前にフェリーターミナルの灯りが見えてきます。

 


 このルートを、ネットで確認すると「2.2km 徒歩34分」と表示されました。

 

 

 青森と函館を青函フェリーと津軽海峡フェリーの2社が結びますが、青春18きっぷを利用する場合、函館FTに着いてからJR五稜郭駅まで歩くつもりならば、青函フェリーを利用する方が便利です。


 函館の津軽海峡FTと五稜郭駅間の距離が約2.5kmなのに対し、青函FTと五稜郭駅間の距離は1.6kmですから、青函フェリーを利用すれば、歩く距離が900m程短くなります。 車で旅する場合は無視できますけどね。


 ということで私は、今回も23時30分発の青函フェリーを利用しました。


 青森-函館間の運賃は片道2700円です。復路のキップを一緒に買うと、復路運賃が1割引になります。


 ところで私は、青函フェリーと津軽海峡フェリーの運賃は同じはずと勝手に思い込んでいました。

 

 しかし、運賃には数百円~千円の差があり、青函フェリーの方が安価です。

 

 ただし、津軽海峡フェリーの方が、客室が綺麗との情報を耳にしましたが、私は確認できていません。

 

青函フェリー 2019年以降運賃

 

 

 津軽海峡フェリー 2023年4月1日以降 運賃

 

 

 ということで、私は青函フェリー「はやぶさ」の雑魚寝スペースに横になると、そのまま深い眠りに落ちたようです。

 

 いつ出航したかも知りません。

 

 

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青森駅は4年前の記憶とのキャップが大きすぎる

2023-10-03 01:07:23 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 青森駅の改札口を出て、その光景に驚きました。

 


 下の写真は4年前の2019年8月24日に、ほぼ同じ場所で撮影したものです。


 柱に黄色と黒の縞模様のテープが巻かれ、通路の壁にベニヤ板が張られていました。


 通路は狭く 「この通路は本当に西口に通じるのか?」と心配した程です。

 


 同じ駅とは思えないピカピカの通路を進んで行くと、ガラス窓に包まれた、明るい吹き抜けのホールで、エスカレーターのステップが音もたてずに私を運んでくれます。


 周囲は暗闇に包まれ、人影は見えず、全てが私の為にあるような、なんだか、とっても贅沢な雰囲気です。

 


 駅舎の外へ出て、すぐに振り返って外観を確認しました。


 え~! 以外に言葉が見つかりません。


 何しろ、私の4年前の記憶とはあまりにも違いすぎるのです。

 


 論より証拠、2019年8月24の同時刻に同じ場所を撮影した写真をご覧ください。


 駅前に、客待ちタクシーが一、二台停まるばかりで、周囲にコンビニの灯もありません。ほの暗い街灯を灯した道が闇の中へと消えてゆきます。

 

 
 しかし今は、ゆったりしたスペースを確保した駅前広場は、足元を照らす灯りが、四つ星ホテルのエントランスのようなシックな雰囲気を醸していました。


 ん~ ちょっと言い過ぎですが、何しろ4年前の記憶とのキャップが大きすぎます。

 


 西口の変化に驚いたので、東口はどうだろう?と思いました。


 そこでもう一度、駅の連絡通路を戻り、改札口の前を通って、東口に出てみました。


 一見したところ、東口に大きな変化はなさそうです。

 


 
 しかし東口への通路は工事中で、その通路に、東口旧駅舎跡地に10階建ての駅ビルを建てる計画が掲げられていました。


 完成は2024年度だそうです。

 

  
 今度来る時迄に、青森駅の外観は大きく変化している筈です。


 それにしても半世紀間に生じた変化は驚くばかりです。


 50年前には、夜明け前に青函連絡船を降り、大きな荷物を持った大勢の旅人が長い通路を歩き、上野行きの特急列車に乗り換える姿を私は今も覚えています。

 


 もう一度西口に戻り、フェリー埠頭を目指して歩き始めました。


 4年前の18きっぷの旅の記事にも書きましたが、青森駅からフェリー乗り場までのタクシー代は僅か1000円程です。

 

 しかし、東京から青森までの数百キロを、青春18きっぷを使って2410円で来たのに、僅か2㎞程の移動に1000円も使うのは馬鹿げています。

 

 100円だって使いたくないのは、当然の感情です。


 それでもまあ、冷静に考えると、歩く途中で目にした赤ちょうちんの誘惑に負けたとして、地酒を飲んで、新鮮な地魚を食べて、3000円程度で済めば、安いな~と思いますので、そこが男の愚かさです。

 

 

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今だからこその青春18きっぷ

2023-10-02 00:33:57 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 秋田駅で青森行きの快速電車に乗り換えました。


 11分の乗り継ぎ時間に改札を出て、駅ビル内のコンビニで、二個セットのおにぎりとペットボトルの日本茶を購いました。


 今日の夕食は梅干しと昆布のおにぎり二つのみです。


 飛び乗った快速電車は19時23分に秋田駅を発車しまし。

 


  乗客は少なく、ベンチシートに座る人達は皆、寛いだ姿勢でスマホの画面を覗いていました。


 私は今も、スマホを持たぬ絶滅危惧種種ですが、こんな光景を目の当たりにすると、浦島太郎になったような気分を味わいます。


 そんなスマホ所持が当たり前の時代ですが、私も持ちたいとは思いません。


 多分あと何年かすれば、スマホがないと、バスや電車の利用時に不便を感じる予感はありますが、それはそれで、その時に対応できますので、急ぐ必要は全くありません。

 「皆が持っている」という状況は、私がスマホを持つ為の理由とはならないのです。

 


 夜のとばりに包まれて、快速電車が走り続ける間、幾度か、停車駅の光景などを撮影しようと試みましたが、全て徒労におわりました。

 

 
 そして電車は、約3時間後の22時18分に青森駅に到着しました。


 秋田からの電車を、改札口へ向かいながら振り返ると、電車の行先表示が既に「弘前」の文字に代わっていました。


 このことに限らず、JRは車両の運用や労務管理に、無駄を出さない努力を図っているように見えます。


 今回の旅でも、ローカル線の多くでワンマンカーが運行されていました。


 普通列車が停まる多くの駅で無人化が進んでいます。


 私が50年程前に学生だった頃、全国の県庁所在地では、鉄道駅が都市の玄関口でしたが、今は高速道路のICがその機能を担い始めています。


 全国の地方都市やその近郊に於いて、鉄道は中長距離を繋ぐ特急列車などを除き、普通列車は住民の足としての機能を車に譲り、既に後戻りできない状況になっています。


 私は鉄道が好きで、一日中電車に乗っていても飽きることはありません。


 しかし、それほど好きな鉄道であっても、利用する人が居なくなれば、経済的合理性に従わざるを得ません。


 なので私は、今という時代の節目に際して、普通列車で全国の旅が楽しめるタイミングを見逃したくないと思うのです。

 


 
 そして4年ぶりに降り立った青森駅は、4年前の記憶と大きく変わっていました。

 

 

 

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