写真は11月22日の北日本新聞が1面で報じた2代将軍徳川秀忠が加賀藩2代藩主前田利長に宛てた高岡城築城許可の書状が発見されたとの記事である。
時あたかも昨日は「どうする家康」で徳川秀忠が出る場面がありタイミングが良い。
秀忠は豊臣秀吉からも一字を貰い徳川家康の三男ながら評価が高い人物だ。
昨晩も家康が争いは止めて世の中を治めよと教えていた。
時代背景も大河ドラマと同じで豊臣と徳川がぎくしゃくしている時である。
前田利長の生母芳春院が人質で徳川に居る事にも気を遣った文書になっているなど似たような環境にある豊臣・徳川・前田家でこの時期に発見されるのは奇遇である。
このニュースは同日に北國新聞でも発表され、書状の展示は12月9日から来年2月12日まで高岡市立博物館で行われると記載されている。