徳ちゃん繁昌リポート

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老け顔に迎えられた故郷、昔に戻れない歳月

2012年08月14日 | 休日通信
お盆期間中、いつの間にか都会は閑散とした休日風景、混み合う車両も人混みもなくのんびりムード。一方、田舎はというと待ちに待った帰省で親類も集まりちょっとしたお祭り騒ぎです。「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・・・・・・遠きみやこにかへらばや」(室生犀星)

父母の生まれ育った「柳川」、私にとっても故郷のようなもので、小学生の頃までは親に連れられ盆と正月には決まって帰っていましたね。クリークが広がる本家裏の物置小屋から直に釣糸を垂れ、夏は花火遊びに肝試し、冬はお年玉で買い食い、よく腹をこわしたり、いとこ達と雑魚寝して夜ふかしの度に叱られたり、それでも故郷は懐かしい、やっぱり帰りたい場所なんですよね。
有明海に流れ込む筑後川の河口に広がる「柳川」は町のいたるところに掘割が巡らされた美しい城下町です。文亀年間(1501~04)に蒲池氏が城を築いたのが「柳川」の始まりで、その後、城主は鍋島氏、立花氏、田中氏と目まぐるしく代わり、元和元年(1615)に再び立花氏が返り咲き、以後12代にわたって統治し幕末を迎えることとなります。こうした大名たちが工夫を重ねて築いたお城は何重もの掘割に囲まれた要害堅固なものであって、掘割には3つの水門が設けられ、1つの水門を切ると外堀一帯が、残り2つを切ると城郭を残して城下全体が水没してしまう水城の機能を持っていたということです。詩人北原白秋や壇一雄の生誕地で、水郷「柳川」は堀割の川下りにうなぎでも有名で毎年多くの観光客が訪れています。

そんな故郷で叔父の法要があり出かけてきました。西鉄特急電車に揺られ、あの頃の50年前にタイムスリップ?薄れかけた昔を手繰り寄せながら車窓に目をやると、通り抜ける沿線の景色も様変わり、有明沿岸道路が走りびっくりするほど拓けていましたね。
叔父叔母も年老い、見知らぬ若い親戚も増え、いとこ達も老け顔!?お互いこんな歳かと笑いながら昔話しで盛り上がりましたよ。決して戻れない歳月の重みを改めて気付かされたのでした。


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