ぶきっちょハンドメイド 改 セキララ造影CT

ほぼ毎週、主に大人の童話を書いています。それは私にとってストリップよりストリップ。そして造影剤の排出にも似ています。

楽園ーFの物語・バックヤードー無骨な手

2021-04-30 21:53:04 | 大人の童話
聞き覚えのある声がして、 フィリアはカウンターの陰から入り口を覗き見た。
例の船の一行だ。
けれどフレイア、ルージュサンがいない。
店主も気付き、注文を取るついでの様に聞いた。
「今日は、あの娘は一緒じゃないんですか?」
「ルージュサンか。あの娘は養女に出した」
 船長の目元が僅かに陰った。
「貴族の貿易商に見込まれたんだ。あの娘が跡を取るんだから、直に耳に入るだろう。伸びるぞ、ガーラント貿易は」
 では、どこに行けば良いのだろう。
 近過ぎても遠すぎても、いけない。
 考えを巡らすフィリアを、マゼラが横目で見ていた。

 その日、暇をみて、マゼラが店主を裏口に呼び出した。
「ルージュサンの近くに行くんだろう?ハミにはもう、求婚したのか?」
 店主はそう言って、ウィンクをした。

 後片付けを終えて帰ろうとした時、フィリアは、マゼラに呼び止められた。
「俺の趣味は本で、それを売れば少しはまとまった金になる」
「そうなんですか」
 フィリアは戸惑った。
 話の着地点が何処なのか、さっぱり見当がつかない。
 今日は色々と考えたいというのに。
「どこかで飯屋か宿屋を始めるのもいいと思っている」
「ここを辞められるんですか?」
 自分が辞めるつもりだと気付いて、店の為に時期をずらせと言うつもりだろうか。
「一緒に行ってくれないか?働いてくれるだけでもいいんだが、出来れば妻として。勿論君の好きな場所へ」
 フィリアの仰天して、マゼラを見た。
 一体何を言っているのだろうか、この人は。
「妻、ですか」
「旦那がいるのか?」
「そういえば、そんな話をしたことさえありません。なのに、どうして急にそんなこと」
「十年以上隣にいたんだ。それで十分じゃないか?」
 十年以上。
 そう。十年以上だ。
 この人はいつも、見守っていてくれた。
 自分もいつからかずっと、この人の温もりを感じていた。
 激しさは無いけれど、染み入るように。
 そして今、私と一緒に娘を追ってくれようとしている。
 ずっと見習ってきた、無骨なようで器用なこの人の手。
 この手を、取って良いのだろうか。
 それならば先ず、話さなければならない。
 覚悟を決めて。
「私は・・・」
 フィリアは宮殿に入る少し前からの経緯を、かいつまんで話した。
 マゼラは少し驚いたが、たじろぐ様子は少しも見せなかった。
 そして。
「大変だったんだな」
 と、右手を差し出し、ためらった。
 フィリアはマゼラの右手を両手で包んだ。
 深い安堵。
 その奥に微かなときめき。
 この人は、何も知らぬまま、私を丸ごと、愛してくれていたのだ。
 マゼラが頬を、赤く染めた。
「俺は、君を喜ばせたり、嬉しくさせたりしたいんだよ。いつでも。本当は」
 マゼラは耳迄赤くした。
 仄かなときめきの行く方を感じて、フィリアは自分を愛しく思った。

「品書きが、前と大分違うな。料理人が変わったのか?」
 二年ぶりに訪れた船長に、店主が答える。
「前、来てくださってすぐに、二人とも辞めたんです」
「夫婦だったのか?」
「夫婦になって、辞めていきました」
「ここで何年働いていたの?」
「男は十五年、女は十一年ってところです」
 十一年?。
 船長はふいに、一度すれ違った女を思い出した。
 少し戸惑うように通り過ぎた、スカーフ越しでも美しいと解る、若い女。
「どんな女だ?名前は?どこから来た?」
 船長が矢継ぎ早に問いただす。
「ジャナから来た美人で、髪は銀色でした。今の年は三十過ぎ。ここではハミと名乗ってました。きっと、旦那が思っている女です」
 店主の言葉に淀みは無かった。
 決めていたのだ。
 もしも船長が気付いたら、教えてやろうと。
 それが彼女の為になることを信じて。

 ガーラント子爵は、船長の突然の訪問に驚き、その用件に更に驚いた。
 ルージュサンの母親が見つかったというのだ。
 預かって来たという手紙には、感謝の言葉と共に、ルージュサンの出自と、これまでの経緯が記してあった。
 万一にも、自分を通じてルージュサンに危害が及ぶことがないよう、会わないのは勿論、手紙もこれきりにしたいと。
 ルージュサンへの手紙には更に、謝罪の言葉が連ねてあった。
「私はあの店で、母の料理を食べていたのですね」
 子爵とルージュサンは、感謝に溢れた返信を、船長に託した。

 ラウルが生まれて三年が経ち、ダリアは二人目の男児に恵まれていた。
 ダリアは自分の不義を忘れたことは無かったが、その怯えを圧し殺しながらも、重ねていった時間に、導かれたのだ。
 その子はバシューと名付けられた。
 同じ年、王の第一夫人が亡くなった。
 デザントは実母を失くした悲しみも癒えぬうち、自分の第二夫人と第三夫人に、里へ帰ることを懇願された。
 デザントはそれを許し、改めて自分の非礼を詫びた。
 やがて王が崩御し、デザントが位を継いだ。
 新たに王妃を迎えるように進言した者もいたが、デザントはダリアをその座に据えた。


楽園ーFの物語・バックヤードー罪の行方

2021-04-23 21:48:11 | 大人の童話
  デザントは馬を走らせ、国王に事態を知らせた。
 ただ、デュエールの最期の言葉だけは、報告しなかった。
 あれは、自分へのメッセージだと、確信していたからだ
 様々な手配に追われる前に、夫人達には自分の口から知らせようと、デザントはダリアの部屋に向かった。
 デザントが扉を開けた時、ダリアは寝台の横で振り向き、チェストの引き出しを、後ろ手で閉めた。
「どうなさったのですか?夜中に突然」
 平静を装ってはいるが、視線が定まらない。
 訝りながらも、デザントは告げた。
「デュエール殿下が亡くなった」
 ダリアは全身を強ばらせ、真っ青な顔で後ろに倒れた。
 気絶したのだ。
デザントが素早く抱き止めると、寝台に横たえる。
 ダリアとデュエールは、儀式で何度か顔を合わせた程度だ。
 それが、失神するとは。
 その時、チェストの引き出しから、羊皮紙の端がはみ出してるのが見えた。
 デザントは思わず取り出して、視線を走らせる。
 デザントはデュエールの言葉の意味を理解し、手紙を引き出しに仕舞い直した。

デュエールは壊れた柵の横で、足を滑らせ、崖から落ちたことになった。
その葬儀は、極めて小規模に行われた。
 以前からの、故人の意思だったのだ。
 それでもデザントは雑事に忙しく、ゆっくりと寝る暇も無かった。
 デュエールとダリアのことは、その後間も頭にへばり付いていて、何かの隙に膨れ上がり、彼を支配した。
 デュエールが別荘で暮らすことを決めたのは、ダリアとの婚姻のすぐ後だった。
 一度だけ自分を通さず、急いで王に進言したのは、フレイアの件で、ダリアが苦しんでいる時だ。
 どうして気付かなかったのだろう。
 息を殺すように生きてきた、彼のただ一つの望みに。
 ダリアの気持ちが移ったとしても、元はと言えば自分が冷たくしたせいだ。
 もっと早く、自分に告白してくれれば、手の打ちようもあったものを。
 デュエールこそ王となるに相応しかった。
 その人格も才も風貌も。
 病気がちだったのも子供の頃だけで、耳が不自由でも唇を読み取れた。
 なのに。
 だからせめて。
 二月後、デザントはある可能性に想い至り、この上なく優しく、ダリアと夜を過ごした。

十日後、デザントは珍しい菓子を貰った。
 干した果実の中に、ナッツ入りの餡が詰めてあるという。
 いつも通り、王と第一夫人、そして自分の夫人達に届けさせようとして、気が変わった。
 それはいかにも、夫人達が喜びそうな、丸く愛らしい形をしていたからだ。
 ダリアにはフレイアの分も入れて五つ、第二夫人と第三夫人には三つづつだ。
「殿下」
 ダリアは作り笑顔でデザントを出迎えた。
 少しやつれて、顔色も悪い。
「具合が悪いのか?ちゃんと食べているのか?」
 デザントの問いかけに、ダリアが小さく笑った。
「殿下こそ、大分おやつれになって。ちゃんとお寝みになってらっしゃいますか?」
 デザントが苦笑した。
「お互い様か。では一緒に食べよう」
 そう言って菓子が入った箱の蓋を開けた。
「あら、可愛い」
 ダリアは本当の笑みを見せ、橙色の菓子をしげしげと見つめた。
「どうして、丸いままなのかしら」
 目を丸くして首を傾げ、答えを問うようにデザントを見上げる。
 これが、デュエールが命を賭けて恋した女性。
 自分が誤って求めてしまった、勝ち気で我が儘で、無邪気な、愛すべき女性。
 第二夫人と第三夫人も、デザントを気遣い、菓子には明るい笑顔を見せた。
 自分は一体、何をして来たのか。
子供欲しさに。
 デザントはその日から、毎日夫人達に挨拶をしに行き、時間を作っては、ダリアの棟に、通うようになった。

 八ヶ月後、ダリアは赤毛の男児を生んだ。
 デザントは『早く生まれたのに大きいぞ。よくやった』と、ダリアを労った。
ダリアは不安と己の罪に、戦いた。
 
フレイアは庭で、虫を追っていた。
 緑色を帯びた、虹色に光る虫だ。
 その虫は、細かい葉を付けた木の、少し高い枝に止まった。
 そのままじっと見つめていると、若い男が近付いて来た。
 サス国の、第五王子だ。
 亡き王妃は、サス国王の姉なので、デュエールの一周忌に合わせ、訪れていたのだ。
「捕ってあげようか」
 柔らかい声だった。
 フレイアは彼を見上げた。
「有難うございます。けれども、そのままにしておいて下さい」
「そうなの?」
「はい。この虫は、自由のままが良いのです」
「君は自由になれないの?」
 フレイアは少し考えてから答えた。
「私には、責任があります。その責任を果たすことが出来る自由。それが、今の私の自由です」
 あの夜、自分が二人を見てしまったせいで、きっとデュエールは自死したのだ。
 だから誰にも、口外してはならない。
 そして不義の子であるラウルに、王位を継がせてはいけない。
 それが、自分の責務だ。
 生まれではなく、自分の行いで背負ったもの。
 フレイアは力強い笑顔を作って見せた。
 第五王子はフレイアを見つめ、あやふやな笑みを浮かべた。
 それは、デュエールの笑みと、少し似ていた。

          

楽園ーFの物語・バックヤードー全ての罪は

2021-04-16 23:11:13 | 大人の童話
満月が中庭を照らしていた。
庭木の影がはっきりと地面に映っている。
東屋に近い煉瓦の径を、ダリアは歩いていた。
 フィリアの娘を身代わりに立てようとして以来、デザントが夜、訪れることは無くなった。
 そして又、婚姻と離縁を繰り返すようになり、今日で四度目のお披露目だった。
 広間では、いつものように、亡き王妃の愛した曲が演奏された。
 けれど、デザントと共に踊ることは、きっと、もうないのだ。
 あの日、確かに自分は輝いていた。
 今は、月光に照らされるだけだ。
 ダリアは一人、踊り始めていた。
 回って、止まって、すぐ回る。
 その時、延ばした手を誰かが掴んだ。
 背中を、上に引かれるように振り返る。
 デュエールだった。
 そのまま、踊り続ける。
 踊りやすい。
 自分が伸ばしたい場所、着きたい位置に、確実に導いてくれる。
 体の隅々までリズムに満たされていく。
 初めての感覚だった。
 夢中で踊り続ける。
 足がもつれて、倒れそうになるのを、優しく抱き止められる迄。
「最高!」
 東屋への階段に寄り掛かり、ダリアが言った。
「夢のようです」
 デュエールが言うと、ダリアが少し眉根を寄せた。
 聴覚を失ってから、デュエール言葉は、少しづつ聞き取りにくくなっていたのだ。
 聞き慣れた者でなければ、判別が難しいことも多い。
 デュエールは小枝を折り、月明かりが当たる土に、文字を綴った。
『夢のようです』
 ダリアが微笑む。
「夢かもしれません」
 この高揚も、すぐに舞い戻るであろう寂しさも。
『月の光も暖かいのです。知っていましたか?』
 デュエールが掌を月にかざす。
「本当に?」
 ダリアがその横に、右手を並べる。
「本当ね」
 目が合うと、同時に微笑んだ。
 見つめ合ってそのまま、夜に任せた。

 デュエールは、自分を止めることが出来なかった。
 廃嫡以来、全てを諦め、自分を圧し殺し、身を潜めるように生きてきたのだ。
 それでも消せなかった想い。
 そして七日目の夜、見てしまった。
 呆然と立ち尽くすフレイアを。
ーこれで終われるー
 デュエールは安堵し、深く、深く絶望した。

 翌日の日暮れ時、デザントはデュエールの住む、別荘に着いた。
 大雨で傷んだ屋敷の修繕が終わるまで、宮殿で過ごす予定だったものを、中途で戻ったと耳にして、話を聞きに来たのだ。
 ここ数年、ゆっくりと話をすることも無かった。
 一晩、腰を据えて語り明かすのも、良さそうに思えたのだ。
 以前そうしていたように、案内を待たずに上がり込む。
 後は庭の周辺を直すだけで、生活に支障はございません、と言いながら着いてきた侍女と、入った部屋に、デュエールは居なかった。
 庭への扉が開いている。
 二人で外に出ると、遠くにデュエールの姿が見えた。
 そのまま進むと、王妃が落ちた崖だ。
 黒い予感に襲われて、デザントは走った。
 デュエールの耳が不自由なのは幸いだ。
 もう少しで追い付ける。
 そう思った瞬間に、デュエールが振り向いた。 
 彼は目を見開き、次に白い歯を僅かに見せた。
「全ての罪は、私にある!」
 それは、高らかな宣言であり、贖罪であり、懇願だった。
 そして、崖の向こうに、身を踊らせた。

楽園ーFの物語・バックヤードー再会

2021-04-09 21:30:06 | 大人の童話
それから数ヶ月後、 フィリアの耳に、船の話が入って来た。
 停泊していても、船員が数人、船に留まっているというのだ。
 フィリアはナイフを握ったまま、その場に座り込んだ。
 マゼラは気付かぬふりをして、調理を続けた。
 それからフィリアは、その船が停泊している時に、港近くの用事を頼まれることが多くなった。
 フィリアはその度に目を凝らし、耳を澄ましたが、何も感じ取れなかった。
 ただ、未だに船員が船に残っていると言う噂にすがり付くように、二年近い歳月が流れた。
 そして又、フィリアが何も見聞き出来ずに帰った時、マゼラが唐突に言った。
「アムラントの話を知っているか?」
「知りません。どんな話なんですか?」
「遠い国の神話でね。昔、アムラントという男の子がいた。あまりに美しかったので、黄泉の女王に連れ去られてしまったんだ。アムラントの母親は悲しみのあまり、死後の世界に行ってしまう。そこは美しく、光溢れる場所で、皆穏やかに過ごしていたんだ。そして女王に大切にされ、一際輝いているアムラントに出会う。アムラントは、ここでの暮らしは満ち足りているから安心するようにと言って、地上に母を送り届けるんだ」
 フィリアは驚いてマゼラを見た。
 マゼラは気付いていたのだ。
「俺は本が好きなんだ。色んな話を知っている」
 マゼラはそう言って、横を向いた。
 その四ヶ月後、港近くの魚屋に行く途中で、フィリアは子供の笑い声を聞いた。
周りを見ても子供はいない。
間違いない。
あの船の上からだ。
フィリアは目を皿のようにして見つめた。
 けれど人の姿は見えない。
 陸からは物陰になる場所で、遊んでいるに違いなかった。
 フレイアはあそこにいる。
 サンタビリアとマゼラが言った通りだ。
 安全な場所で、大切にされ、幸福に、守られている。
 この手では出来ないことだった。
 こうしてフレイアの無事を確かめられる。
 それだけで幸せだ。
 涙が出るのは幸せだからだ。
 そして海が光るからだと、フィリア自分に言い聞かせた。

それから二年、アダタイ国は三つに分かれた。
 王の崩御をきっかけに、王子達の不仲が形になったのだ。
 もう、人質も身代わりも不要だ。
 他の事情で何が起こるか分からないが、一先ず安心だ。
 そして、この事情に気付いているならひょっとして。
 フィリアの予想は当たった。

 二月後、フィリアは店の掃除をしていた。
 地道に教えてくれたマゼラのお陰で、簡単な料理なら、もう任せてもらっている。
 掃除までする必要は無いと、店主もマゼラも言ってくれるが、感謝の気持ちだ。
 最後の卓を拭いていた時、開け放した扉から、マゼラが飛び込んで来た。
「ハミさん!すぐに出て!左に行って先の角を左だ!」
「はい?」
 フィリアが無意識に首を傾げた。
「スカーフをしっかり被り直して、急いで、でも、何気ないふりをして」
 フィリアは目を見開いた。
「はいっ。有難うございます!」
 言うより早く、道に飛び出す。
 角を曲がると同時に、足を緩めた。
 目に入ったのは、四人の男と子供の姿だった。
 真っ赤な巻き毛を三つ編みにし、肩車されて蛸の顔真似をしている。
 肩車しているのは、あの船長だった。
 前の男は、後ろ向きで歩いている。
 横の男達は、愉しげに笑っている。
 にらめっこをしているらしい。
 子供が堪えきれずに吹き出した。
 大笑いをして体を反らし、限度を越えて逆さになる。
 間違いない。
 記憶の中にある、妹の顔とそっくりだ。
 それにあの、見事な赤毛。
 擦れ違う時に、もう一度顔を見る。
 間違いない。
 子供は、横の男に抱き取られ、今度は尻取りを始めた。
 目をくりくりさせながら、元気に繋げる。
子供を抱いている男は、子供の巻き毛が頬に触り、くすぐったそうだ。
 皆上機嫌で、のんびりと歩いている。
 太陽のようなその子は『ルー』、時々『ルージュサン』と呼ばれていた。
 フィリアは気力を振り絞り、そのまま通り過ぎた。

 その後は、船に船員が留まることはなくなった。
 フィリアはその船が入ったと聞く度に、胸を高鳴らせて街中を歩き回った。
 そしてある日、フィリアが働く食堂に、一行が入って来た。
フィリアは思わず、仕切りの陰に身を隠した。
 体がカタカタと震えている。
 店主が注文を取り、マゼラがいくつかの料理をフィリアに振った。
 フィリアは深く息を吸い、長く息を吐いた。
 それでも、手の震えが止まらない。
 腹から温かい光が、沸き上がるようだ。
 果物の皮を剥きながら、フィリアは幸福に包まれていた。


楽園ーFの物語・バックヤードー見つけた男

2021-04-02 21:33:51 | 大人の童話
「あんたは本当に弱っちいねぇ」
 麦の入ったとろとろのスープを、スプーンで掬いながら、サミが言った。
「面目ないです。でもほ自分で食べられます」
 寝台で、ロイが言った。 
背にクッションを当て、上体を起こしている。
「お椀を置く台がないでしょ。はい、あーん」
「それも手で持てます」
 ロイが困って身を引いた。
「恥ずかしい?大いに結構。もう恥ずかしい思いをしないように、無茶を慎めるからね」
 サミはもう三日、宿屋に通っていた。
 居酒屋に行く時刻まで、ロイの看病をしているのだ。
 ロイの具合が良くなるにつれて会話が増え、次第にお互いの昔話が、多くなってきていた。
「どうして医者を手伝っているの?」
「初めてここに来た時、近くの崖から海を見ていたらさ、止めてくれたんだ。『死ぬのはあと三日待て』って」
「死ぬ気だったの?」
 サミが笑った。
「まさか。でも、本気で止めてくれた。だからここに住むことにしたんだ。たまに手伝うのは、恩返しみたいなもんかな」
「どうして崖にいたの?」
 サミは珍しくためらった。
「あ、今のは無し。ごめんね、立ち入ったことを聞いて」
 慌てるロイにサミが苦笑した。
「別にいいよ。姉さんがいたんだ。優しくて凄い美人の。町に働きに出たんだけど、苛められた揚げ句、濡れ衣を着せられて、腕に泥棒の入れ墨を入れられたんだ。女中頭が旦那の愛人で、嫉妬したらしいんだけど。それから入れ墨を自然に隠せるように、少し寒い国に行ったんだ。だけどそこでも酷い目にあってさ、一番近い海だったここに、身を投げたんだ。だから父さんが死んだ時に、ここに来てみた」
 平静を装うサミの声が少し上擦っている。
 その様子をじっと見ていた、ロイが微笑んだ。
「君は強い。そして優しい。お母さんも、産んで良かったと思っている。勿論、お姉さんも、お父さんも、皆君がいてくれて喜んでるよ。きっと。きっとだ」
 サミは少し目を見開いた後、ロイに背中を向けた。
「あんたのお母さんは、どうしてるの?」
「死んだよ。僕を手放して間もなく。急な病で」
「あんたと、引き離されたの?」
ロイは小さく首を横に振った。
「母は身分違いを理由に、父の求婚を拒んだんだ。その後、父は母と恋人のまま、受け入れてくれる女性と結婚した。僕が生まれた時、父は僕を引き取ろうとしたけど、母は、僕が大人になるまでの半分、九年は自分で育てると言って、父と別れた。お陰で僕は祖父母と叔父にも囲まれて、のびのびと幸せに育ったんだ。父に引き取られてからも、僕は幸せだったよ。義母も兄妹も、おおらかで優しいんだ」
 サミは横目でロイを見た。
「あんた、ここの干物は食べた?」
「うん。この宿の夕食で。普通の魚だったけど、凄く美味しかった」
「そうでしょ?海で育った魚は
、潮風に当てて干すのが一番なんだ。他の場所だとやっぱり違う。海の魚には海なんだよ」
 今度はロイが目を見開く番だった。
 それから二人の間の空気は、風がそよぐ日溜まりの様な、こそばゆくて居心地が悪いような、良過ぎる様な、きらきらとしたものに変わった。

「もう大丈夫。馬にでも船にでも乗って下さい」
 医者がそう太鼓判を押して帰った日、サミが真面目な顔をして言った。
「あたしはあんたに、謝らなければいけないことがある」
 ロイが少し身構える。
「何?急に改まって」
「あんたが来た日、酒を大鉢で飲ませたけど、三度の酒は、小皿でするものなんだ」
「ああ、知ってた」
 ロイがくしゃっ、と笑った。
「でも、君が飲ませたいなら、飲もうと思った」
 サミが眉間に皺を寄せた。
「何で?」
「その指輪を見たから。それは二度目に会った時、あの人が着けていた指輪だ。僕が誉めると、最初に会った時、僕が好きだと言っていた石で作ったのだと、微笑んでいた」
「じゃあ、あたしはあんたのことを聞いている」
 サミはロイに向きなおった。
「アミは『あまりに申し訳ないことをしてしまって、赦しを乞うことさえ出来ない人』だと言っていた。そして『サミの方がよく似合うわ』って、あたしにくれたんだ」
 最後は言い訳のように、早口になる。
 そして指輪を引き抜いて、ロイに差し出した。
「あんたに返す」
「え?これは元々あの人の物なんだよ。贈られた君が持つべきだ」
 ロイは差し出された左手を、両手で包んだ。
「本当によく似合ってる。君の瞳と同じ色だ。あの人は見る目があるんだね」
「・・・有難う。あんたとの関係が分かったから、もう、アミの話が出来る。良かった」
「沢山聞かせて下さい。僕はあの人のことを、あまり知らないんだ」
「うん。港でも案内しながら、あたしが話せることは全部。だけど、その後も」
 そう言ってサミは横を向いた。
「あたしも、旅に着いて行っちゃ駄目ですか?一応傷を縛ったり、薬を煎じたりは出来るから、もしもの時には役に立つと思うし、邪魔になったら置き去りにしてもいい。それに・・・」
 サミは目一杯、顔を背ける。
「万が一の事があっても、結婚なんてしなくていいし、子供もあたし一人で育てるから」
 サミの浮き出た首筋も、耳たぶも、真っ赤に染まっている。
 ロイは後ろからサミを抱き締めた。
「まず、僕の家族に君を紹介させてくれ。その後、君の親戚みたいな友達に、二人で会いに行きたい。そして小さい式を挙げて、一緒に牧場で暮らそうよ。海はちょっと遠いけど。ねえ、『うん』と、言って?」
「だって、あたしなんか・・・」
 サミの声は消え入りそうだ。
「君が自分に『なんか』を付けていた事を忘れる位、僕は君を幸せにしたい。その機会を、どうか、僕に、与えて欲しい」
 サミは体を固くしたまま、泣きそうな顔で黙り込み、やがて、言った。
「私の本当の名前はサンタビリア。姉さんのミントベルと合わせて、サミにしたんだ。姉さんの分も幸せになるって決めて」
 ロイの腕に力がこもった。
「有難う。頑張るよ。サミ、サンタビリア。道中はアミ・・・フィリアの話を聞かせて。僕たちを結びつけてくれた、恩人でもあるからね」

 サンタビリアは、ロイの家族に歓迎された。
 皆、フィリアの件で、胸を痛めていたのだ。
 サンタビリアの故郷では、思いもよらない幸運があった。
 堤防沿いの道で、フィリアと再会したのだ。
 サンタビリアはフィリアの左手を、ロイはフィリアの右手を取って、歓びと感謝の応酬になった。
 サンタビリアはフレイアの行方を聞き、船長達がフレイアを守ってくれることを請け合った。