フレイアはサス国に嫁ぐことを 決めた。
相手は七歳年上の、第五王子だ。
恋愛絡みではない。
幼い頃、庭で一度話したことがあるだけの間柄だ。
ラウルの王位が正当となった以上、他国との結び付きを深めるのは、王家の者として、当然の務めだと思ったからだ。
国からはナザルが付いて行くことになった。
同行前に高額な手当てを受け取り、一生仕えるのだ。
一行は順調に旅程を終え、旅の疲れも取れぬ間に、婚礼となった。
厳かな儀式の後、小規模な宴が催され、フレイアは王族達と顔を合わせた。
王の姉であるカナライの前王妃が、数人に似ているのは勿論、大叔父を想わせる面差しの者もいる。
小国同士、力を合わせながら、幾多の難局を乗り切ってきたのだ。
両国に深い関わりがあることを、今更ながらフレイアは実感した。
「ケダフは幼い頃から三度も他国に預けていてな、まあ、体のいい人質だ。それで婚期を逃してしまってな。突然そなたを娶りたいと言い出した時には、驚いたが嬉しかった。それが現実となった今日、これ程めでたいことは無い」
上機嫌で杯を重ねる国王に、全員が同意の笑みを浮かべる。
思いの外早く馴染めそうだと、フレイアは気持ちを軽くした。
新居に向かう馬車の中で、フレイアとケダフは初めて二人きりになった。
「フレイアとお呼びしていいですか?私のことはケダフと呼んで下さい」
ケダフが青い瞳で見詰める。
少しけぶるような眼差しだ。
「承知致しました。ケダフ・・様を付けてはいけませんか?」
「座りが悪いですか?」
ケダフが小さく笑った。
「では、フレイア様。したいことや興味があることはありますか?」
「そうですね。少し前に姉に会ったのですが、色々面白い話を聞きました。ですがまず、泳ぎでしょうか」
「大分勇気がありますね。ドレスでは泳ぎにくいし、下着姿でははしたない」
ケダフが又、笑う。
「ケダフ様は何に興味がおありですか?」
「今日はフレイア様と言わないと」
「では私も訂正します」
今度は二人、一緒に笑った。
ひとしきり笑った後、フレイアは表情を改め、ケダフに向き直った。
「何故私をお求めになったのですか?」
ケダフは微笑んだままだ。
「幼い頃、貴女もアダタイ国に要求されたことは、ご存知ですか?」
「存じています。カナライがそのまま要求を呑んでいれば、人質同士としてあの国で過ごしていたのかもしれません」
「そうですね。私はまだ幼い身でしたが、自分のような者がこれ以上増えないよう、祈っていました。そして同時に、貴女がどんな方で、どんな風にそだっているのか、とても気になっておりました」
「では、あの日庭で出会ったのは」
「はい」
ケダフがフレイアの両手を包んだ。
「貴女を見かけて、庭に下りたのです」
微笑んだまま、フレイアの目の奥を覗き込むように見つめる。
フレイアも同じように見つめ返す。
そのままケダフの館に着いた。
それは淡いベージュとアイボリーの石を積んだ、装飾の少ない建物だった。
カナライでは王族としての最低限の体面は保ちつつ、質素倹約、質実剛健を旨としてきた。
ケダフも同じ考えなのだろうと、フレイアは推測しながら歩を進める。
そして入口の扉が開けられた。
明るい色の絨毯、華やかな伝承織のタペストリー、金色が眩しいシャンデリア。
優美な曲線で表された花瓶には、豪華な花が山盛りになっている。
館の中は、花を食べ、レースに包まれて育ったような女性が、好みそうな調度品で満たされていた。
フレイアが無表情でケダフを見た。
「これは貴方のご趣味ですか?」
「親類がこぞって結婚祝いをくれるというので、ユリアに取りまとめてもらいました。私が常日頃、血税を使いまくっているわけではありませんよ」
ケダフが面白そうに言う。
「ああ、ドレス選びは母上と姉上達の娯楽ですから、お気を悪くなさらないで下さい」
「それは、拝見するのに覚悟が要りますね」
ケダフは何度も小さく笑った。
侍従と侍女も付いてくる。
白い扉の前に立つと、ケダフが微笑んだ。
「今日はお疲れになったでしょう?湯を沸かしてあります。今日はゆっくりとお休み下さい」
「有難うございます。お休みなさいませ」
ケダフの後ろ姿を見送って、フレイアは部屋に入った。
次の日、フレイアとケダフは庭を歩いていた。
ケダフは花を一種類づつ、説明していく。
フレイアは、膨らんだドレスの裾に注意しながら、付いていった。
それでも時々、レースやリボンを小枝に引っ掛けてしまう。
ケダフはその都度歩を止めて、
丁寧に枝を外してくれた。
もどかしいような、面映ゆいような、不思議な気分でフレイアは歩く。
少し高い木の下で、ケダフが止まった。
振り向いて、懐から小さな箱を取り出す。
「ここで渡すと決めていました」
「何をでしょう?」
「開けてみて下さい」
フレイアの手の上に、ケダフが箱を置いた。
金具を外すと、青い布にブラックオパールの髪飾りが乗っていた。
昆虫が象られ、エメラルドとブラックダイヤがあしらってある。
「これは、あの時の?」
フレイアは同じ種類の木の下で、ケダフに聞かれたことを思い出した。
「やっと、捕ってあげられた」
ケダフが微笑んで見詰めた。
二人の公務は驚くほど少なく、一日の殆どを二人で過ごす。
「姉が三人、兄が四人いますからね。大人しくしているのが、仕事のようなものです」
落ち着かない様子のフレイアを、ケダフはそういなした。
晴れた日は庭を散策し、書斎では各々好みの本を読み、居間ではお茶を飲みながら語らう。
レース編みに四苦八苦するフレイアの手を、ケダフが取って優しく教えてくれることもあった。
フレイアといる時、ケダフはいつも上機嫌だった。
侍従や侍女達も、ケダフが明るくなったと喜んでいる。
大切にされていることも、フレイアは感じていた。
それだけに、疑問が湧く。
自分達はまだ『白い結婚』のままだ。
何故、夜に来ないのか。
聞けないまま、夏になった。