ぶきっちょハンドメイド 改 セキララ造影CT

ほぼ毎週、主に大人の童話を書いています。それは私にとってストリップよりストリップ。そして造影剤の排出にも似ています。

楽園ーPの物語ー認識

2021-07-30 21:52:23 | 大人の童話
 工場で三月の実習を終えると、サキシアは自宅で作業を始めた。
 染めの工程は把握出来た。
 細かく刻んだ木の皮や、実や花を煮出した染め液で布を煮込み、触媒に浸した後、水で濯ぐのだ。
 分量や時間や回数、細かいコツも、メモしてある。
 サキシアが気になったのは、触媒だった。
 錆びた鉄を煮立てた酢水の、濃さを変えるだけなのだ。
 王宮で調度品を磨き上げる時も、様々な液体や粉を使った。
 材質や汚れによって、使い分けるのだ。
 選び誤ると、逆効果になることもある。
 サキシアはまず、他の金属を試すことにした。
 最初は銅だ。
 錆びた銅は既に、用意してある。
 竈の湯に木片を入れた時、ふいにメイの笑顔が浮かんだ。
 さばさばとした職人が多い職場だった。
 家柄で差別する者も、腫れ物に触るように扱う者もいなかった。
 王宮より遥かに居心地の良い、楽しい職場だったのだ。
 サキシアは苦笑して、首を横に振った。
 孤独には慣れているはすだ。
 サキシアは自分にそう言い聞かせ、手元に集中し、寂しさに蓋をした。

半月後、サキシアは仕立て屋にいた。
 初めての定期報告だ。
 早々に成果が出たので、意気揚々と扉を開ける。
 店にはギャンとアルム、店主のバスまで揃っていた。
「やあ、いらっしゃい」
 ギャンは遊びに来られたような気軽さだ。
「おはようございます。バスさん、アルムさん、ギャンさん。報告はどちらで」
「遠くて大変だっただろ?先ずは休んで。大丈夫。十日やそこらで結果が出るなんて思ってないよ」
 バスが先に、奥へと入った。
 そこは採寸所兼応接室になっている。
 その隣の部屋は、お針子達の作業場だ。
「そうだよ。お菓子も焼いたんだから。中入って」
 アルムがサキシアの手首を掴み、奥へと引いていく。
 サキシアが困りながら付いていくと、卓の真ん中に大きなパイが乗っていた。
「座って座って。美味しいんだよ。はい、どうぞ」
 そう言いながら、ギャンが一番大きな一切れを取って、サキシアの前に置いた。
「お茶ちょっと冷めちゃったけど、丁度いいね。ごくっといっちゃって。すぐ熱々のを淹れるから」
 アルムがお茶を注ぎながら言う。
「有難うございます。では、遠慮なく頂きます」
 サキシアはカップを持つと、香りを吸い込み、一口飲んだ。
「良い香りですね。喉もすっきりします」
 サキシアの頬が緩んだ。
「やっとちゃんと笑った」
 アルムがにんまりとした。
「いつも笑った顔まで堅苦しいんだから。もっと気楽にしていいんだよ」
「そうですか」
 サキシアは驚いた。
 仕事を変わって、随分肩の力が抜けたつもりだったからだ。
「申し訳ありません。以後気を付けます」
「ほら、そういうところだよ。あたしたちはあんたの母さんの知り合いで、ギャンの親なんだから」
アルムが片目をしかめてみせた。
「そうそう。こんな田舎のちっさい店で、畏まったって始まらない」
 バスも両眉を上げ、同意する。
「有難うございます」
 サキシアが照れたように話題を変えた。
「まず、見本を見て下さい」
 そう言いながら、皮袋から小さな布の束を取り出した。
 ピンク系と茶系、紅系に分け、が九枚づつ、左右と中央に置いていく。
 他の三人が揃って短く息を吸った。
「今までとは触媒を変えてみました。染料一種類につき九本づつ、染料と触媒の濃度を変えて、染めてみました」
「たった半月でねえ」
 アルムが溜め息をついた。
「工場で学ばせて頂いたお陰です。その間色々考えていました」
「ねっ、言ったでしょ?サキシアは頭も抜群で、その上努力家だって」
 顔を紅潮させて、ギャンが言う。
「たいしたもんだ」
 バスが唸った。

「お昼の前にどっか行こうよ。今日は市が立ってるよ?」
 ギャンが上機嫌でサキシアに尋ねた。
「そうね。折角だから覗いてみようかしら」
「じゃ、右だ」
 ギャンが先に歩き出す。
 歩みは遅いが、スキップと同等の軽やかさだ。
「初めてだね。デート」
 左を歩くサキシアを、嬉しそうにギャンが見つめる。
「えっ?そんなつもりじゃ」
 サキシアが眉をひそめる。
「解ってるって。伯父さんと伯母さんに言われたからでしょ。いいんだ、理由なんてどうでも。大事なのは、これから二人で遊んで、お昼を食べるってことだよ。次からの分も了解取ってあるから、覚悟しといてね」
 サキシアが力無く笑った。
「ところでギャンは、伯父さん伯母さんって呼ぶのに理由があるの?」
「ううん、別に。今までそう呼んでたからそのまま。変かな?」
「息子って言われてるんだから、合わせた方が良いように思うわ」
「そっか。そうだね。そうしてみる。気付かなかった。ありがと」
 機嫌よく話をしながら、ギャンがゆっくりと歩く。
 その歩調に合わせて、サキシアの足早に歩く癖が抜けていった。
「じゃあ・・・あれ?あれは何?」
 サキシアが広場の人だかりを指す。
「ん?何が発表されたんだろ。行ってみよう」
 高く掲げられた公示を見ようと、人が集まっているのだ。
 近づくにつれすれ違う人が増え、会話の端々が耳に入ってくる。
ー新国王ー
ーダコタ様がー
 他にも王族の名が、いくつも上がっていた。
 群衆に混じり、少しづつ前に進むと、群れから出ようとしていた癖毛の男が、ギャンを認めた。
「ギャン、もう見たか?」
「ううん。まだ」
「ラウル王子は、昔亡くなったデュエール様の子供なんだってさ。そしてデュエール様の王位継承権を復活させるから、王になるんだって」
「ええっ?王妃様が不貞してたってこと?」
 ギャンの目が真ん丸になる。
「うん。でも貴族の姫は王族の直系を拒めないって決まりがあるから、いいんだそうだ。まあ、王様も外に女の子がいたっていうから、なんかな。で、その姫とフレイア姫を殺そうとした罪で、ダコタ様とフォッグ様が王族追放。んで、フレイア姫がサス国に嫁ぐんだって。ま、そんなとこだ」
「苦しい言い訳。誰の入れ知恵よ」
 サキシアが吐き捨てるように言う。
 それは小さな声だったが、ギャンはぎょっとしてサキシアを見た。
 その動きを追って、男がサキシアに気付いた。
「あれ?『青のサキシア』さん?」
「そうですが」
 久しぶりにそう呼ばれ、サキシアが不審顔になる。
「俺、トーマといいます。覚えてないと思うけど、学校で一個下だったんです。青いバッチ沢山着けて、いっつも真っ直ぐ前向いて歩いてて。とっても格好良かったんですよね」
「そう見えたんですか」
 自分の孤独と意地が、思いもよらない捉え方をされていたことに、サキシアは面食らった。
「うん。それでギャンも夢中だったんだ」
 トーマがギャンに視線を移した。
「二十年越しで実らせたんだね。凄いねギャン」
 ギャンが左手を顔の前で振った。
「ううん。そうなるように頑張ってるとこなんだ」
「じゃあ邪魔者は去るよ。サキシアさん、ギャンをよろしく」
 トーマが手を振って遠ざかると、ギャンが真顔になって、聞いた。
「宮廷で、何があったの?」
 一瞬の間があった。
「私が迂闊に信じた過ぎたの。もうみんな過去のこと」 
 サキシアはもう、いつものサキシアだった。



楽園ーPの物語ー新しい仕事

2021-07-23 22:07:25 | 大人の童話
「伯母さん。この前言った色の件、サキシアにおねがいしたいんだけど、いいかな?」
「それもいいけど、この娘は刺繍の腕もピカ一だよ。勿体なかないの?」
「サキシアは頭もピカ一なんだよ。その上、努力家だ」
「ふうん。なら、いいんじゃない?王宮で綺麗な布も、山程見ただろうし」
「じゃ、決まりね」
 ギャンがサキシアに向き直った。
「この辺の染め物は、色が少ないし皆くすんでるんだ。だから明るい色の布は遠くから仕入れてて、値段も高くなる。俺はこの町で、沢山の色の布を作りたいんだ」
 サキシアは昔の疑問を思い出した。
「ああ、だからだったのね。学校の女の子達の服は皆、色が綺麗で憧れてた」
サキシアの呟きに、ギャンが目を丸くした。
「えっ?全然そんな風に見えなかった。色は地味だけど、いつも素敵な刺繍が入った服を着て、誇らしげだったじゃないか」
「母が私の為に作った服だもの。それとは又、別よ。誰にも言えなかったけど」
「俺には言えるんだ」
 ギャンが嬉しそうに鼻の穴を膨らませる。
「『今』だからよ。でも良い仕事ね。詳しく聞かせて」
 サキシアが仕事の話を促した。

「おや、上手だねぇ。どこかでやってたの?」
 大きな炭アイロンを操る手を止めずに、サキシアが答える。
「小さいのはよく使っていました。けれどこんなに大きいのは初めてです。メイさんは大変ですね。こんなに重いものを、一日中動かしているなんて」
「あんたこそ大変でしょ。家が遠いのに朝早く来て掃除して、まめに片付けもしてくれて。凄く助かってるよ」
「教えて頂いてるんですから当然です。役に立っているなら嬉しいです」
 サキシアは布の染め方を学んでいた。
 ギャンが謝礼を包み、取引先に頼んでくれたのだ。
 迷惑がっていた職人達も、サキシアを徐々に受け入れてくれた。
 筋が良いので意外と手間が掛からず、質問もタイミングを読むのでさほど邪魔にもならない。雑務は率先してこなすし、見事に片付けてくれた仕事場は、動きやすくなった。
 仕事は楽になり、効率も上がったのだ。
 おまけに、まめに作ってくる菓子も美味しい。
「本当に今月いっぱいなのかい?ずっといてくれりゃいいのに」
「親切な方が多くて、名残惜しいんですけど」
 サキシアの本心だった。
 ただ、主はいただけないと思った。
 謝礼として、始めにそれなりの金額は渡してある。
 けれども、それとは別に職人達にと頼んだ分を、配る気配が無いのだ。
 サキシアは職人達には何も言わずに、お礼に渡すつもりのスカーフの生地を、少し高価なものに変えていた。
「ところでサキシア」
 メイが声を低くした。
「『ちゃんと給金払ってるんだからこき使ってやれ』って、言われたんだけど、本当?どうも信じられなくて」
 アイロンに炭を足す手を止めて、サキシアが目顔で驚いてみせる。
 メイが深く頷いて、更に声をひそめた。
「そうだよね。あのケチンボが」
 サキシアが思わず吹き出すと、メイも丸いお腹を揺らして笑い始める。
「二人で楽しそうじゃねぇか。俺も入れてくれ」
 顎髭が濃い、中年男が寄ってきた。
 乾いた布を乗せた台車を押している。
「そういやティグ、あんたも布を持ってきてくれるようになったね」
 メイがからかうように言う。
「そうなんだよ。こっから染め上げ場の通路が、すっきりしちゃってさあ。洗って干したついでに、取り込んでこいっていうんだよ」
「通路が?」
「もちろん」
 ティグがすまして顎を上げてみせる。
 三人は一頻り笑ってから、其々の仕事に戻った。


楽園ーPの物語ー疼き

2021-07-16 21:52:58 | 大人の童話
 サキシアは生まれつき、顔にアザがあった。
 ひんやりと薄青い、滑らかなアザだ。
 額から左目を囲むように、清らかにくすんでいた。
 サキシアはそれを、あまり気にすることなく、幼少期を過ごした。
 移動用の馬を持つものさえ少ない、ひなびた村だ。
隣近所だけの小さな世界では、最初からそれが、当たり前だったからだ。
 父は腕の良い家具職人だったが、あまり裕福ではなかった。
 それでもサキシアの将来を思い、学校に通わせることにした。
 初等部五年、中等部三年を優秀な成績で終え、教育部に進めれば、二年で教師になることが出来る。
 一人で生きていくには、確実な手だてだった。

学校は隣町にしかなかった。
子供の足ではゆうに一時間以上かかる距離を、サキシアは父と歩いた。
明日からはこの道を、一人で通わなければならない。
サキシアの村から学校に通うのは『お金持ち仲間』の男の子ばかりだったからだ。
隣町は大きかった。
高い建物が並んでいて、道が広い。
一際大きな家に見とれたり、たまに通る馬車を目で追ったりしているうちに、学校に着いた。
「おっきいね、お父さん。こんなにおっきい木の建物があるんだね」
 興奮気味のサキシアに、父が言った。
「お前はここで、頑張って勉強するんだよ。そして教師になるんだ。一人で生きていけるように」
「一人で?私は結婚しないの?」
 サキシアが驚いて見上げると、父親は少し困った様子で、
「するともしないとも限らないさ」
と、言った。

「おはよう」
 と言いながらサキシアが教室に入っていくと、中の子供達が一斉にそちらを見た。
 皆一様に驚いた顔をして、互いにひそひそ話し合う。
 返事をしたのは三人だった。
 大きな赤いリボンを二つ、髪に着けている女の子が、サキシアの前に来た。
「ねえ、その顔、どうしたの?」
「顔?」
「目の回り、青いじゃない」
「ああこれ。生まれつきなの」
「へえ」
 その女の子は、勝ち誇るように、言った。
「かわいそうねえ」
 サキシアが戸惑っていると、前の扉から、女が入ってきた。
 目も体も細い。
 教壇に立ち、生徒達に着席を促す。
「初めまして。私はカドワといいます。これから一年、貴方達に色々教えていきます。皆さん仲良く一緒に学んで下さい。特に見た目や貧しさで、差別することがないように」
 血の気が引くような思いで、サキシアは覚った。
 父が言っていたのは、このことだったのだ。

 サキシアは背筋を伸ばし、授業を受けた。
 学んだことを思い出しながら帰り、家に着いたら確認する。
 同級生にからかわれても放っておいた。
 『貧しい』家でも『無理して』学校に通っているのは、『顔にアザがある』からなのだ。
 それは教師になる為で、同級生と遊ぶ為ではない。
 サキシアは、そう自分に言い聞かせていた。
 そのまま三ヶ月耐えていると、面と向かって馬鹿にされることはなくなった。
 そしてある日、生徒達に厚紙が配られた。
「今日はお友達の顔を描いてみましょう。好きな子と、二人一組になって」
 サキシアは困った。
 このクラスは女子五人、男子十五人なのだ。
 一人余ったサキシアに、ギャンが言った。
「俺が組んでやるよ」
「ありがとう」
 サキシアは訝りながらもほっとした。
嬉しかった。
 けれど仕上がった絵には、サキシアの左目と、アザだけが描いてあり、題名が入っていた。
『青のサキシア』
 教師はギャンに両手を出させ、棒で叩いた。

 その日からサキシアは、『青のサキシア』と影口を叩かれるようになった。
 一部の教師でさえ、そう呼んでいることを知った時、サキシアは全てを割り切ってしまうことにした。
毅然とさえしていれば、負ける気がしなかった。
サキシアは孤独なまま、成績優秀者に与えられる青い花のバッチの全てを、手にしていった。
やがて『青のサキシア』の『青』は、『よくも悪くも際立っている』という意味に、変わっていった。

サキシアが十五歳になり、中等科を卒業する年に、父親が亡くなった。
 母は看病疲れで風邪をこじらせ、治った後も、息を深く吸えなくなった。
 収入も母親が刺繍の内職で得る、細々としたものだけになった。
サキシアは進学を諦め、成績次第で職に就けるという、王宮の試験を受けることにした。

 侍従長は困っていた。
 配属先を決める面接の場に、アザがある者がいたのだ。
 目の前に歩み寄り、見直した。
 サキシアは圧し殺していた不安が、一気に膨れ上がり、鼓動が強くなる。
「お前の名は?」
「サキシアと申します」
「そのアザはどうした」
「生まれつきでございます」
 侍従長が渋い顔をして、書類と照らし合わせる。
 サキシアの憤りを、諦めが包み込んだ。
「どうしました。何か問題があるのですか」
 上座から張りのある声が響いた。
 王妃のダリアだった。
「この者は極めて優秀な成績で試験を通過しております。けれど」
「身辺はどうなのですか?」
「地方の建具屋の娘です。その父親も亡くなって、体の弱い母親と二人暮らしです」
「そうですか。ならば問題はないでしょう。顔で仕事をするわけではありません。いや、かえって良いかもしれない。なに不自由なく育った娘より、様々な気持ちが分かるであろうから」
 サキシアはダリアを見た。
 この人に尽くそうと思った。

 サキシアは王妃の下働きになった。
 掃除から始めるのが習わしだった。
サキシアは埃一つ残さぬよう、羽箒と起毛した布を使って、壁を彩る装飾の窪みの一つ一つまで、丁寧に拭き取った。
 くすんでいた金属の壺も、必要に応じて液体に浸し、全てピカピカに磨き上げた。
王妃の棟は、薄いベールを剥いだように、明るさを増し、他の棟の女官も、その手法を見習うようになった。
 サキシアは人一倍よく動いたので、制服がそじるのも早かった。
 サキシアは糸を織り込むように繕い、回りはその見事な仕上がりに驚いた。
 やがて繕い物や刺繍を頼まれるようになり、サキシアは快く引き受けた。
 全て丁寧に仕上げたが、 それが王妃の品の時は、更に心を込めて針を刺した。
 サキシアはある日、王妃が読み終えた本を処分するように言われた。
 サキシアは処分する本を頂いてよいか、侍女長を通じて伺いをたて、了承を得た。
 本は時折処分され、サキシアの部屋には、本が貯まっていった。
 サキシアはそれを、学校や図書館に寄付することを思い付いた。王妃の評判が上がると思ったのだ。
 侍女長は再び王妃に伺いをたてた。
「処分するものは、みんな彼女の好きにさせていいわ」
 王妃は面倒くさそうに答えた。
 そして。
「昇進の時期が来ても、あの娘は下働きのままにしておいて。あのアザを目にすると、ぎょっとするのよ」
 そう、付け加えた。

それから八年、第二王子のバシューが十五歳になった。
 王は年と共に穏やかになり、王妃と子供達を慈しんだ。
王と睦まじく過ごしていると、王妃はデュエールとのことを夢だったように感じることが出来た。
 それはとても魅力的な感覚だった。
そうなるとデュエールからの手紙が邪魔だった。
なのでそれを本に挟んで、処分するよう、侍女に渡した。
紙と革なので、焼却場に回されると思ったのだ。
処分品をサキシアの自由にさせていることなど、とうに忘れていた。

サキシアは勤務終わりに本を渡された。
あてがわれている部屋に戻って、いつもの様に本を開けると、二枚の紙が落ちた。
何気なく拾い上げ、読み進めるうちに、サキシアの手が震えだした。
そしてきっちり紙に包んで、箪笥の奥に仕舞い込んだ。

サキシアはずっと、掃除係のままだった。
サキシアは特に不満にも思わず、受け入れた。
他の係に回ったり、階級が上がったりすれば、外部と接することも増えてしまう。
それを嫌うのは、やむを得ないことに思えたのだ。
そして同時期に入った者や後輩の階級が上がり、もしくは嫁いで辞めていく中、サキシアは『掃除神の遣い』と呼ばれる二十八歳になった。

その年、母親が病に倒れた。
大きな病院に移せば、なおる見込みもあったが、お金が足りなかった。
給金の殆どを送金していたので、貯えがあまり無かったのだ。
思い悩んだ末、サキシアは前借りを申し込んだが『規律が乱れるから』と、断られた。
三ヶ月後、母親は亡くなった。
葬儀を済ませ、宮殿に戻った暫く後、サキシアは知らない男に呼び止められた。
何か秘密を教えて欲しいというのだ。
サキシアは言下に断った。

年が変わり、サキシアは新入りのマヌアが前借り出来たと、人伝に聞いた。
兄が店を出す助けをするのだという。
サキシアは耳を疑って、侍女長を捜しに行った。
 廊下を渡っていると、王妃の声が聞こえて来たので、サキシアは端に寄り、畏まった。
「本当に煩わしいったら。この痒み、なんとかならないのかしら」
 王妃は侍女にこぼしながら、サキシアを認めるた。
「ここで何をしているの?」
「侍女長を捜しておりました」
「用件は?」
「前借りは規律の為に認めない、と、聞いておりましたので、マヌアの件を」
「辞められては困るからです」
 王妃が苛々と遮った。
「あの娘は器量が良いしまだ若い。嫁ぎ先も働く場もいくらでもあるでしょう。お前とは違うのです。その顔で全く図々しい」

 晴れ上がった空の下、真新しい墓標がよく映える。
 手紙を売ったお金で買った、立派な墓石だった。
 昨日据えたばかりだ。
 母親の好んだ、小さな花弁の青紫の花を供え、サキシアの祈りは長い。
 蹄の音に祈りを止め、サキシアは振り向いた。
いつものように背筋を伸ばし、さばさばと墓地を出ようとすると、フレイアが馬から下りるのが見えた。
 フレイアは馬の背から花を下ろし、サキシアを認めると黙礼した。
「サキシアさん。母の代りに謝らせて頂けませんか?」
 サキシアは無表情で見返した。
「何をですか?」
「前借りを許可しなかったせいで、お母上がお亡くなりになってしまった」
「王女様の責ではありませんし、もう、何か変わるものでもありません」
 サキシアの口元が僅かに歪む。
 フレイアはその笑みに、彼女が手紙を渡したことを、確信した。
「手紙をダコタ殿下に渡しましたね?」
 サキシアはくすりと笑い、視線を逸らした。
「王女様がそう決めてらっしゃる以上、私の答えに意味はありません」
「貴女を裁くことも出来るのですよ」
「何の罪ででしょうか?下げ渡された不用品は私の物。文書では頂いておりませんが、周知の事実です。それをねじ曲げてまで、私を裁くおつもりですか?」
 サキシアが再び、フレイアを見返す。
「そもそもあの手紙にある事実を、隠しておくことことこそ、民への裏切りではないのですか?」
 サキシアは一礼して、フレイアの横を通り過ぎた。
 二通のうち一通は、王への懺悔と懇願の手紙だった。 
 細かいことはぼかしてあって、王妃への手紙と合わせなければ、決定的な証拠にはならない。 
 サキシアは王への手紙だけをダコタに売ったのだ。
もしも王妃が、謝罪か墓参りに来てくれれば、もう一通の手紙は渡すつもりでいた。
 王女を相手にしても、思った程心は晴れなかった。
 仮に王妃が来たとしても、あまり変わらなかったかもしれない。
 王妃を信じ、懸命に仕えた十四年。
 残ったものは、白い墓石だけだ。 
 けれど、もういい。
 全ては終わったのだ。
 サキシアは家に戻って、残した手紙を燃やした。

 翌日、サキシアは隣町にいた。
 八年間通った、学校がある町だ。
 村からの道は、昔より整備されてはいたが、それでもかなり荒かった。
 子供の足で、毎日よく歩いたものだと思う。
 母校を見に来たわけではない。
母親が、仕事を請け負っていた仕立て屋に、お礼と挨拶に来たのだ。
 自分の腕も、売り込むつもりだった。
 店にいたのは店主の妻のアルムで、心のこもったお悔やみの言葉をくれた。
 涙が滲むのを止めるように、サキシアが差し出したショールを見て、アルムが目を輝かせた。
「凄いね!お母さんも上手かったけど、これは本当に凄い!ああ、息子にも見せたいよ!」
「ご子息がいらっしゃるのですか?」
「そうなんだ。綺麗なものを見極める目だけはあってね。養子に貰ったんだけど。いい年をして、嫁もとらずに、高望みばっかりして」
「伯母さん、外まで聞こえるよ!」
 仕立て屋の扉が勢いよく開けられた。
「俺は、綺麗で頭がよくて、気が強い女を探しているだけなんだ」
 サキシアが顔を向けた。
 見るからに陽気な男だ。
 おどけた顔が、板に付いている。
「ほらっ・・・いた」
 沸き上がる喜びが、男の全身を震わせた。
「サキシアっ!!俺だよっ、ギャンだよっ。やっと会えた!!でも絶対会えると思ってたっ!!」
 面食らいながらも、ガキ大将の面影を探すサキシアを、ギャンが見つめる。
「あの時は上手く言えなかったけど、キリッとした顔に、青い仮面を着けたみたいで、本当に凄く綺麗だと思ったんだ」


楽園ーFの物語・バックヤードー真意

2021-07-09 21:40:59 | 大人の童話
 十日後、フレイアは庭で遊びに興じていた。
 持ち手がついた板で、毛を押し固め皮を被せた打ち合う、サス国で親しまれている球技だ。
 男装ではあるが、上着の丈は長く、鮮やかな花柄だ。
 軽快なラリーの合間合間に、フレイアは右奥の木陰に目を向ける。
 椅子で観戦しているケダフが、その度に軟らかい笑みを返すからだ。
 太陽と風と愛情。
 全てを身体いっぱに感じて走り、打つ喜び。
 フレイアは満ち足りていた。
 お茶の時間が告げられると、フレイアが対戦していた侍従に礼を言い、遊びは終わりになった。
木陰に駆け寄るフレイアを、ケダフが立って拍手で迎える。
「素晴らしい!貴女が館一番の名手だなんて、思ってもみなかった」
「いいえ、彼はまだ少し遠慮しています。私は二番か三番です」
フレイアが笑顔で返す。
「二番は分かるが、三番とは?」
「まだ貴方の腕前を、拝見していません」
 ケダフが苦笑した。
「私はもう年だ。それより今度、馬場に行こう」
フレイアの踵が思わず上がった。「本当に?凄く楽しみです!」
「こんなに喜んで貰えるなら、もっと早く行けば良かった」
「乗馬は、いえ乗馬も得意です」
フレイアが澄まし顔で言った。「ケダフ様もお好きなんですか?」
「いや、私は貴女の勇姿に見とれる予定だ」
「それは・・・残念です」
 少しうなだれたフレイアの頭に、ケダフが優しく右手を乗せた。

「ユリア、貴女はいつからケダフ様を知っているの?」
ユリアは花を活ける手を止めて、フレイアを見た。
「庭師の父に付いて来ていたので、十二の頃からです」
 初めて会った時から、ケダフはユリアを気に入って、やがて侍女にした。
 妹のように可愛がるのは、十年経った今でも変わらない。
「私には具合が悪そうに見えるのだけど、違うと言うのよ。貴女はどう思う?」
 フレイアは首を傾げた。
「そうですね。機会があったら、私からも伺ってみます」
「有難う。宜しくね」
 フレイアが微笑む。
 ー花のようだー
 ユリアは思った。
 初めの頃はもっと凛々しく、力強かった。
 話し方から仕草まで。
 この女性はケダフ様に変えられたのだ。
 ケダフ様は、この美しい女性を愛していたのだ。
 ずっと。
 嫉妬の時は過ぎた。
 幼い恋心は、諦めと感嘆に変わった。

 山の木がちらほらと色付く頃、ケダフが倒れた。 
 ケダフの手を、震えながら両手で握りしめるフレイアを見て、ケダフは隠すことを諦めた。
「母の血統に、たまに出るんだ。四十過ぎで力が入りにくくなって、徐々に進んでいく。だから母が同じ二番目の姉も、好きな相手と結婚出来た」
 少し苦しい息で、ケダフが続ける。
「私は貴女が重荷から解き放たれて、相応しい誰かと幸せになることを祈ってきた。けれどその気配は無かった。だから思い切って縁談を持ち掛けたんだ。貴女は自分で荷を下ろしてから、私の所に来たけれど」
「そうですとも。だから長生きして下さい」
 ケダフが小さく笑い、フレイアの手を握り返した。
「私には貴女をもっと自由にする、奥の手があるんだ」
 それが何を指すのか見当がついてしまい、フレイアは激しく、首を横に振った。

 その日から半年足らずでケダフは逝った。
 夫に先立たれた王族の妃は、寺院で喪に服し、一生を終えるのが習わしだ。
 けれど『白い結婚』の場合は、一年喪に服した後、使用人を一人付け、持参金とともに国を出されるのだ。
 付いていくのは、本人のたっての希望でユリアに決まった。

「お姉様、御機嫌いかがですか?」
 ルージュサンは驚いた。
 扉を開けたらフレイアが立っていたからだ。
 後ろにはナザルと、見たことが無い女だ。
「溜め息も出ないほど、美しいお義兄様はどこ?いえ、その前に、双子の姪っこ達かしら」
「セランは書斎で仕事です。オパールとトパーズはそこの居間でお昼寝を」
 ルージュサンは首を捻った。
 フレイアはこんな性格だっただろうか、以前と大分違う気がする。
「ではまず居間だわ。ここね?」
 フレイアは話しながら進み、扉を開けた。
 急ぎながら摺り足でソファーに近寄る。
「これは可愛い!可愛いにも程があるわ!二人もいたら大変でしょう?私が一人貰ってあげる」
「まだ乳を飲んでいます」
「こんなに可愛い寝顔を見れば、乳の一つ二つ出るでしょう。確か知り合いの犬もそうだった」
 やはり変わった、変わり過ぎだ。
 ルージュサンはその変化を確信した。
 話し声を聞いて、セランが下りて来た。
 ルージュサンとフレイアが同時に振り向く。
「やあフレイア様!いらっしゃい。これは、ルージュサンが二人いるようだ」
 どちらかというと、セランが二人ではないか。
 ルージュサンは先が思いやられた。
 でも何とかなるだろうと、思い直した。
 全く何が起こるか分かりはしない。
 だから人生は楽しいのだ。

ー完ー

楽園ーFの物語・バックヤードー色は変われど花は花

2021-07-02 21:56:33 | 大人の童話
 避暑だといって連れてこられたのは、森の中の別荘だった。
 フレイアはさほど暑さを感じていなかったが、その家が気に入った。
 湖の中の小さな島にぽつんと一軒、建っているのだ。
「二番目の姉に借りたのです。明日は近くの女性達も来ますよ」
 ケダフがフレイアにウインクをしてみせた。
 難問を解決したのだ。

 次の日は特訓だった。
 侍従達には南側への外出を禁じ、女達だけで岸に出る。
 地元の女達は皆服を脱ぎ、ふっくらとした身体を、惜し気もなく陽に曝した。
 フレイアもドレスの紐をするすると解き、躊躇なく脱ごうとする。
「フレイア様!」
 侍女のユリアが飛び付いた。
「いきなり何をなさるのですか!幕がありますでしょう?」
 フレイアが顔を赤らめた。
「あ、荷物を置く為ではなかったのですね」
「泳ぐためのお召し物も用意してございます。どうぞこちらへ」
 ユリアが小さな青い幕へと、フレイアを導いた。
 後ろ向きのまま、笑いを噛み殺す。
 フレイアを初めて見た時、ユリアはその武人のような動きに驚いた。
 けれどもそれも、近頃ではすっかり鳴りを潜め、柔らかなドレスで過ごす優雅な時間が、似合うようになっていたのだ。
 実は無理をしていたなどと、気付く者もいないくらいに。
「がっかりさせてしまいましたか?」
 幕の中でドレスを脱ぎながら、フレイアがユリアに問う。
「いいえ。安心致しました。短い間でこうも変わられるとは、魔術でもかけられているのかと、疑っておりましたので」
 ユリアは慣れた手付きで、受け取った服を畳みながら答える。
「魔術ですか。似たようなものかもしれません。こうゆうドレスは、実際に動きを制限するだけでなく、相応しい身のこなしをしなければならない、という気にさせます」
 真面目に答えるフレイアに、ユリアは又、微笑ましい気持ちになった。
自分より年上なのにも拘らず、フレイアが時々子供のように感じられるからだ。
「ではこちらに着替えられたら、すいすいと泳がれますね」
 ユリアが取り出し服は、肩から腰までと、腰から膝までの二枚に分かれていた。身体に添い、よく伸びる。
 色は真っ赤で人目を引き、肌のは映らなかった。
「努力します。沢山の方々にご協力に相応しい結果を、出したいと思っています」
 フレイアは水着をてきぱきと身に付け、一刻も早く、水に入りたい様子だ。
 ユリアが幕の入口を捲った。
「きちんとお召しになられています。他の者には黙っておりますなら、たまには子供にお戻り下さいませ」
 フレイアが目を見開いて、破顔する。
「有難う。ユリア」
 フレイアが地元の女達の元へ、駆け出す。
 その様子に、女達が目を丸くする。
「あらあら、変わった奥方様だとは思ったけど」
 女達は笑いながら歓迎した。
「さあ、こちらへ」
 フレイアは言われるままに、浅瀬に入った。
「身体中の力を抜きながら、ゆっくりと仰向けになって下さい」
 フレイアは素直に力を抜く。
一瞬顔が沈んだが、すいっと浮き上がり、丸い空が見えた。
 薄く、綺麗な青だ。
 目の端に、丸みのある雲が見える。
 この空は故郷に続いている。
 同じように自分も、故郷の自分からずっと、続いているのだ。
 フレイアはふいに、そう実感した。
そして思わず伸びをして、ぶくぶくと沈んだ。

 夕食には地元で買った魚が、卓いっぱいに並べられた。
 久々に思う存分、身体を動かしたフレイアは、次々と皿に取ってもらい、美味しそうに平らげた。
 そろそろデザートに移る頃かと、フレイアはケダフに目をやり、皿の魚が、あまり減っていないことに気が付いた。
頬も春より、少し削げたようだった。
「ケダフ様、どこかお悪いのですか?少しお痩せになったようですが」
「元々夏は苦手でね。明日からは美味しい魚を山ほど釣り上げて、少し太るように心掛けよう」
 ケダフの目が笑っている。
目で合図して皿を下げさせ、話題を変えた。
「どう?泳げるようになりましたか?」
「勿論です。少しだけれど。色々と有難うございます」
「それは良かった。まだ日はある。どんどん上達するでしょう、きっと」
 そう言って両手を卓の上で組んだ。
「実は、貴女に謝らなければならないことがあります」
「何でしょう?改まって」
フレイアが少し身構えた。
「私は、母上や姉上達がドレスを送り付けるのを、放っておきました。それは、こんなドレスが似合う生き方もあるのだと、貴女に身体で感じてもらうのに、良い機会だと思ったからです。けれども、貴女が拒み難い立場であることに、配慮が足りなかった。申し訳ない」
 フレイアはケダフの顔を、まじまじと見詰めた。
「そうだったのですか。そんなお気持ちに思い至らず、最初の内は、ただ不自由に思っていました。けれども今、振り返ってみれば、効果は確かにあったようです」
「ああ、よかった」
 怒った様子もないフレイアに、ケダフはほっと、息を吐いた。
「これからは嫌なことは嫌、したいことはしたいと、私に何でも話して下さい」
「何でも、ですか?」
フレイアが悪戯っぽく聞き返した。
「はい。慣れないドレスに戸惑う貴女は大変可愛らしかったけれど、裸足で走る貴女も、とても目映いに違いありません」
「ご覧になっていたのですか!?」
「まさか。でも大当たりでしたか!」
 ケダフが笑った。 
 僅かながらフレイアの口が尖るのを見て、尚更愉快になったようだ。
 やがて笑いを納めると、フレイアに優しい微笑みを向けた。
「ここは姉と義兄が出会った場所なんだ。三番目の兄が学友達と遊びに来ているところに、姉が顔を出してね」
 フレイアはケダフとよく似た義姉と、眉の太い兄を思い浮かべた。
「義兄は貴族でも跡取りでもなかったけれど、自分が手に入れられるものは全て手に入れて、姉に捧げるからと、求婚したんだ。実際義兄は鉱山をいくつも掘り当て、国有数の資産家になった。この別荘も姉の為に、買い取ったんだよ」
「それは凄いですね」
 感心するフレイアに、ケダフの目がけぶるような憂いを帯びた。
「私には何の能力も無いが、貴女に与えられるものは、全て与えたい」
 その瞳に何故か、フレイアは言い様のない不安に駆られた。