ぶきっちょハンドメイド 改 セキララ造影CT

ほぼ毎週、主に大人の童話を書いています。それは私にとってストリップよりストリップ。そして造影剤の排出にも似ています。

楽園ーPの物語ー銀色の鳥

2021-08-27 22:51:16 | 大人の童話
 婚礼の宣伝効果は抜群だった。
 ドレスが飾られている十日間、見物人は引きも切らなかった。
 女達はその見事な刺繍に感嘆し、店に並ぶ布の色、特にサキシアブルーに魅了され、値段の手頃さに感激して帰って行く。
 それは多くの注文となり、評判は評判を呼んだ。
 不足してきた人手は、サキシアのアイデアで補充出来た。
 子育てで働きに出られない元お針子達を集めて、その子供達を子守り上手な女達にみてもらうことにしたのだ。
 庭に倉庫を建てて、納戸にしていた部屋を、その場所に充てた。
 サキシアはギャンと近くの安い借家に住み、染めの研究をしながら、子供達に昼食を作った。
 今まで自宅か飯屋で昼食を済ませていたお針子達も、希望すれば食べられることにした。
 家の事情で栄養状態の悪いお針子がいるのを知った、サキシアの発案だった。
 条件の良い職場には、意欲のある人材が集まって来た。
 有料で子供を預けたいという話も引き受けて、預かり所自体の利益も出るようになった。
 店の業績はうなぎ登りで、全てが順調だった。

「ただいま、サキシア」
 ギャンの声に、サキシアはスープをかき回す手を止めた。
「お帰りなさい。ギャン」
 二歩出迎えに出たところでギャンに捕まり、ハグされる。
「会いたかったあ!」
 そう言って放さない。
「お昼に会ったばかりじゃないの」
 いつものようにそう答えながら、サキシアは大人しくそのままでいた。
 長いハグを終えてから、ギャンはサキシアの膨らんできた腹にキスをした。
「ただいま、赤ちゃん」
 ギャンが立ち上がるのを待って、サキシアが尋ねた。
「何があったの?」
「やっぱり、分かっちゃったか」
 ギャンが肩をすくめた。
「サキシアが作った色の布を、勝手に売られたんだ。うちの分しか作らないって、取り決めてたのに」
「理由は思い付かないの?」
「うちは他の店より条件が良いんだよ。お義父さん達に訊いてみたけど、不義理なんかもしてないって。ごめんね、お金に貪欲だって、サキシアから聞いていたのに。油断してた」
「直接利益に繋がらない相手にだけ、素顔を見せるってあるものよ」
 サキシアがギャンの胸に頬を寄せた。
「貴方には人を信じる力がある。私はそんなギャンが大好きなの」
「本当に?」
 情けない顔でギャンが問う。
「勿論。それに」
 サキシアが顔を上げた。
「材料の仕入れ先から、原料はいつか漏れるわよ。そしたら他所も、同じ色を出せるようになるわ。独占出来なくなるのは、時間の問題だったのよ」
「それじゃあサキシアの努力が水の泡じゃないか」
 ギャンがむきになっても、サキシアは落ち着いている。
「町が染色で栄えれば、町の人達が喜ぶわ。取引も広がるだろうし、良いこと尽くしよ」
「そんなこと・・・全然考えてなかった」
 呆然とするギャンに、サキシアが微笑みかける。
「私ね、糸から染めて織ることを、勧めたかったの。何色か織り込めば、一見無地でも深みが出せるわ。変わり織りや柄物も織ってみたから、相談してみて」
「えっ?赤ん坊の産着織ってるんじゃなかったの?」
 今度はサキシアが、意外そうに目を見開く。
「ギャンのお兄さんに子供が産まれた時、お義父さん達と、お嫁さんのお祖父さんの両方から、沢山貰って着きれないからどうぞって。お実母さんが言ってたじゃないの」
「ああ、あの時」
 ギャンは実母が店に来た時のことを思い出した。
 サキシアが妊娠を報告すると『子供にアザが無ければいいけど』と、言ったのだ。
「お義母さんが怒らなかったら、俺が殴るとこだった」
 ギャンが口をへの字にした。
「心配して下さったのよ。なんともないわ」
 受け流す笑顔に、ギャンが切なくなる。
「愛してるよ。サキシア」
 思わず強く抱き締めた。
「私もよ。だけど赤ちゃんが苦しがるわ」
「ああごめん。ごめんね、赤ちゃん」
 ギャンは慌てて、サキシアを解放した。
 
「ただいま、サキシア」
 ギャンの声に、サキシアは漬け物を刻む手を止めた。
「お帰りなさい。ギャン」
 三歩出迎えに出たところでギャンに捕まり、ハグされる。
 ―ファサー
「会いたかったあ!」
 そう言って放さない。
「お昼に会ったばかりじゃないの」
 いつものようにそう答えながら、サキシアは大人しくそのままでいた。
―ファササ―
 長いハグを終えてから、ギャンはサキシアの膨らんできた腹にキスをした。
「ただいま、赤ちゃん」
 ギャンが立ち上がるのを待って、サキシアが尋ねた。
「何があったの?」
「やっぱり、分かっちゃったか」
 ギャンが肩をすくめた。
「お義姉さんのお祖父さんが工場を売りたがってるって、お義母さんが言ってたろ?早速見に行ったんだ」
「何となく分かるわ」
―ファサ―
「町外れって言っても意外と近いし、川もあるしで良いんだけど。続きの野原と小さい森も、一緒に売りたいんだって」
「原料を栽培出来れば、染料が安定して手に入れられるわ。尚更良い話じゃない」
「そうか、そうだね。思い付かなかったよ。本当にサキシアは凄いなあ」
ギャンが大きく頷いた。
そして直ぐに、肩を落とす。
「でも、店とお義父さんの貯蓄を合わせたって、足りなさそうなんだ」
「その時は、婚礼石を売りましょう」
「何言い出すんだよ。あれはサキシアのだよ。別れた時の担保に、贈るものなんだから」
「私と別れる予定があるの?」
「そんな訳ないじゃないか」
「私もそうよ。だから構わないの。あの素晴らしい石を贈ってくれた貴方の気持ちは、ちゃんと受け取ったし」
 サキシアを見つめる、ギャンの目が潤んだ。
「俺の気持ちは、あんなんじゃないんだ」
―バササッ―
「それじゃ、お面になっちゃうわ」
 サキシアが笑う。
「そうじゃなくって」
 ギャンが眉毛と目尻を下げた。
「せめて、あの位は持っていて欲しいんだよ」
「ありがとう。その気持ちもしっかりと受け取ったわ」
 サキシアがギャンの胸に頬を寄せた。
―バサバサッ―
「支払いを分けてはもらえないの?」
「交渉してはみるけど・・・」
「じゃあ、そういうことで終わりにしましょう」
 サキシアがギャンから体を離した。
「お夕飯はどうしようかしら。お肉は炒めちゃったのよ。生のままが良いわよね。それとも虫?」
―ファササササ―
「ごめんね。森から付いて来ちゃって」
ギャンが真上を見た。
嘴の太い鳥が、くるくると回っている。
白に近い灰色で、羽毛の縁だけ色が濃かった。
光と動きで、銀色に光が流れて見える。
「見たことが無い鳥だわ。とても綺麗ね。どうぞ」
 サキシアが、皿から肉を一切れ摘まんで差し出した。
―ピイッ―
 鳥は肉を咥えてUターンし、上着掛けに止まって呑み込んだ。
「ああ、もしかして」
 サキシアは分厚い革の長手袋を、左手に嵌めた。
 鳥が飛んで来て腕に止まる。
「頭が良くて、優しい子ね」
 サキシアが嬉しそうに笑った。
「俺に付いて来たのになあ」
 ギャンが嬉しそうに文句を言った。
  

楽園ーPの物語ーサキシアブルー

2021-08-20 21:39:10 | 大人の童話
サキシアは困っていた。
 隣で手元を覗き込むギャンに。
 
ギャンに理想の青について聞かされて、サキシアは考えた。
 メインで売り出す色であれば、今までよりも一層、手に入り易い染料でなかればならない。
 婚姻を急ぐギャンを説得し、野山に近い今の家で、一人染色に集中した。
 育ちの速い木を、容易に増やせる草花を、片端から試していく。
 やっと澄んだ青が出たのは、厄介者扱いされている、草の根だった。
葉と茎に煌めく刺があり、何処にでも生え、どんどん増える。
 『トゲトゲの』『刺の奴』と呼ばれ、名前さえ付けてもらえない。
 けれども夏に、白く美しい花を着ける野草だ。
 それを革の手袋を嵌めて掘り、毎日煮出して染料と触媒の濃度を試し続けた。
そしてとうとう、思い描いた色に辿り着けそうなのだ。
期待を込めて、触媒液から桶から布を引き上げるところだ。
そして今、困っているのだ。
ギャンがピタリと横に着いて、サキシアの手元を覗き込んでいるからだ。
求婚を受けて次に会った時から、ギャンは目が合うだけでも抱き付いて来る。
その拍子に、布を下手に取り落とせば、やり直しだ。
サキシアは、いつも以上に手元に集中した。
引き上げた布を軽く絞って、瓶の水でよく濯ぐ。
 仕上がったのは、深く、濃く、艶のある青だった。
 僅かに雑味はあるものの、それも水に晒せば、艶と清涼感に変わりそうだ。
手渡された布を両手で広げ、ギャンが叫んだ。
「これだよこれ!!」
そして振り回す。
「晒せばきっと、完成だっ!!」
文字通り、狂喜乱舞だった。
ギャンのそんな姿を見るのは、サキシアには二度目のことだった。
一度目は結婚の承諾を実感した後だ。
 あの時とどちらが長いだろうと、サキシアが考えていると、くるりと回って、ギャンが飛び付いてきた。
「これで結婚してくれるんだよねっ!?」
 ぎゅうぎゅうと抱き締めたまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
 仕方なく一緒に跳ねているうちに、サキシアも段々と面白くなってきた。
二人で競うように高く飛ぶ。
そのうちに足がもつれて座り込んだ。
 息を切らしながら顔を見合せ、どちらからともなく笑いだす。
 その色は『サキシアブルー』と呼ばれるようになった。

アルムは見惚れていた。
隣で目を閉じている花嫁に。
 
 シンプルな白無地のドレスには、ふわりと薄手な生地を選んだ。
 胸の家紋は、レースの様な美しい刺繍を、サキシアが施した。
 白く塗られたその顔は、薄い色石で飾り付けてある。
 バスの予算に、ギャンの貯金全てを足して選らんだ、美しい物だ。
 バスとアルムの艶やかな朱赤の衣装。
 屋根の無い馬車を彩る、サキシアブルーの布と金のタッセル。
 全てが慣わしに乗っ取り、全てが特別だった。
 アルムは目を閉じたままの花嫁に付き添い、バスの御す馬車で、誇らしげに町内を一周した。
 慣わし通りに。 

楽園ーPの物語ー許し

2021-08-12 21:45:31 | 大人の童話
「サキシア、サキシア。起きて、遅れるわよ、サーヤ」
 白い朝の光の中、肩を優しく揺らされる。
 サキシアは懐かしい声に目が覚めた。
 幼い頃聞き慣れた、母の声だ。
 肩には未だ感触が残っている。
 昨夜は祭りの練習に駆り出された。
 村の女性有志が、歌い踊るのだ。
 子守唄代わりに聴かされた歌だったが、踊るのは勿論、堂々と歌うのも初めてだった。
 それは思いの外心地よい疲れを呼び、サキシアを久しぶりに深く眠らせたのだ。
 息を大きく吸うと、サキシアの瞳から涙が溢れた。
 ただただ涙が、こめかみを伝って髪を濡らす。
 それは胸の中で光の粒が跳ね回るような、中からぼおっと暖まるような、気持ちの良い涙だった。
 ずっと泣いてはいけないと思っていた。
 両親を困らせてしまうからだ。
 そして泣かないと決めていた。
 負けてしまうと思ったからだ。
 顔のアザに、世間に、自分の運命に。 
 母の亡骸を撫でた時でさえ、ずっと堪えていた。
 けれどもう、泣いても良いということだろうと感じた。
 サキシアはそのまま、涙が流れるままに、任せた。

 サキシアは朝の支度を急いで済ませ、いつもと同じ時間に作業を始めた。
 湯を沸かしながら、干した黄花を天秤で量る。
 重さをノートに書き込むのも忘れなかった。
 良い色が出たら製法を書き写し、見本と共に、ギャンに渡すのだ。
 ギャンがそれを基に、染め物屋に注文する。
 仕立て屋に置いたその布の評判は上々で、店で反物自体も売るようになっていた。
 沸いた湯に黄花を入れると、表に蹄の音がした。
「あらギャン。又来たの?今日は早いわね」
 出迎えたサキシアは笑顔で、言葉とは裏腹だ。
 秋に向かう風が、気持ちよくその首筋を冷やす。
 帽子を取ったギャンも、明るい笑顔だ。
「依頼主としては、当然じゃないか」
「報告にはきちんと伺っています。それに薪は、一昨日届けて頂いたばかりだわ」
 その後のデートもお茶の時間も、今では決まり事になってしまっている。
「今日は良いものがあるんだ」
 ギャンが自慢気に顎を上げる。
「この間みたいに、突然笛を吹くのは止めてね。お茶でむせって酷い目に会ったわ」
「珍しい果物を貰ったんだ。一緒に食べよう」
 ギャンは袋の口を開け、テーブルに丸い実を三つ並べた。
 淡い黄色で、微かに緑がかっている。
 大きさは大人の拳程だ。 
「手で剥いて食べるのね。じゃあ手を出して」
 サキシアは柄杓で水を汲み、ギャンの両手に掛けた。
 自分の手も洗い、乾いた布をギャンに渡す。
「綺麗な色ね。爽やかな匂い」
「そうでしょ?新しいうちにって、急いで持って来たんだ」 
 向かい合って腰掛け、一つづつ実を手に取った。 
「頂きます」
 厚い皮に爪を刺すと、少し苦い香気が立つ。
 中の薄皮は柔らかく、一房含むと程よい甘さと僅かな酸味、角の無い香りが、サキシアの口一杯に広がった。
「美味しい」
「そうだね」
 サキシアは機嫌好く、房を次々と口に運ぶ。
 その笑顔と果物を一緒に味わう、ギャンは更に上機嫌だ。
「ねえサキシア。俺と結婚したら
、毎日こんな楽しい時を過ごせるよ」
 サキシアは一つ目の果実の、最後の房を飲み込んだ。
「そうね。そうさせてもらうわ」
「えっ?」
 ギャンが固まった。
 状況に頭が追い付かないのだ。
「えーと」
 残った果実を意味もなく転がしながら、目はサキシアに釘付けだ。
 そして視線をさ迷わせた後、やっと言葉を探し出した。
「本当に?いっつもけんもほろろじゃないか」
「私は滅多に嘘をつかないわ」
「それは・・・知ってるけど・・・うん、知ってる。俺は確かに知っているんだ」
 ギャンが顔を真っ赤にして、勢いよく立ち上がった。
「滅多につかない嘘がこれだとか、取り消しだとかはなしだよ?絶対に俺の奥さんにするからね!あ、そうだ。隣のご夫婦を呼んでくるよ。証人になってもらう」
 目を丸くして捲し立てるギャンに、サキシアは呆れた。
「そんなに信じられないの?誓約書でも書きましょうか」
「だって、サキシア」
 眉を八の字にするギャンを見て、サキシアはとうとう笑い出した。 「貴方といると、子供の頃を思い出すわ」
 そう言って、ギャンの左頬に触れる。
 ギャンの体がピクリと震えた。
「だけどもう、私はあの時の子供じゃない。愛されてるって、貴方が信じさせてくれたから」
 ギャンは益々眉尻を下げ、顔をくしゃくしゃにして、サキシアを抱き締めた。
「有難うサキシア。本当に有難う」
「こちらこそ」
 サキシアも優しく腕を回す。
 その体温と感激を、十分に味わってから、ギャンは静かに抱擁を解いた。
 今度はサキシアの二の腕を掴む。
「実はまだ、俺が一番欲しい色は出来てないんだ」
「理想があったの?どんな色?」
「青なんだ。深くて、艶があるんだけど、清らかな青」
「確かに、青系統は少ないわね。もうちょっと具体的に教えてもらえないかしら」
 尋ねたサキシアにギャンの目が答えた。
―ああ、そうか―
 サキシアは理解した。
 ギャンもあの頃の子供ではない。
 顔のアザに、別の意味を与えてくれようとしていたのだ。
 自分を呪縛から解放する為に。
 そしてその時期が来るまで、何ヵ月も待っていた。
 この人といれば、気を張り、顎を上げなくても、生きていける日がきっと来る。
 気分次第で俯き、髪型も好きに出来るだろう。
―この選択は正解だったー
 サキシアは確信した。
 







  


 


楽園ーPの物語ープロポーズ

2021-08-06 21:42:57 | 大人の童話
 三日後の昼下がり、サキシアの家の前に一台の馬車が止まった。
 馭者台から降りたギャンが、開け放された扉から中を覗く。
「サキシア!薪と酢を持って来たよ!何処に置くの?」
 桶から手を上げ、サキシアがギャンを認めた。
「ギャンさん、今一区切りつけますから、少しだけお待ち頂けませんか?」
「ギャンて呼んでよ。薪と酢を持って来たのは『仕立て屋のギャン』だけど、ここに居る時は『同窓生のギャン』だから」
 そう言いながら、ギャンは馬車から樽を下ろし、土間に置いた。
「薪は横の軒下だね?」
「少し待って下さいって。第一薪と酢なんてどうして?申し訳ないわ」
「いくらあっても足りないよね?様子を見に来るついでだよ」
「ついでって、こんなに沢山」
 さっさと薪を運び始めるギャンの横に、家から出てきたサキシアが並んだ。
「材料は店持ちって言ったでしょ。現物でも良い筈だ」
「そういえばそうだったわね。色作りに夢中で忘れてたわ」
「やっぱりね」
 ギャンが肩をすくめた。
「では遠慮なく頂いておきます。薪はうちのとは分けておいて下さい」
 サキシアが荷台の薪に手を掛ける。
「俺が運ぶからいいよ」
「そういう訳には」
 振り向いたサキシアの顎から、汗が滴った。
「力は俺の方がある。男が要らなくなったら、一体どうなると思う?」
 ギャンが口を尖らせる。
「そのうち女だけで繁殖するようになるんじゃないかしら」
 サキシアが真面目に答える。
「・・・そこまで飛ぶんだ・・・」
 ギャンは驚いたが、呼吸二つで立ち直った。
「それはそうと、今日はやけに暑いから、火を焚きっぱなしで大変だったろ?少し休んでなよ」
「あら、汗臭い?」
 サキシアが眉をひそめた。
「そこの川に行ってくるわ」
「臭くはないよ。汲んだ水は無いの?」
「あるけど。服のままで泳げば、一石二鳥よ」
「びしょびしょのまま、帰ってくるの?」
「夏は裾だけ絞っておけば、そのうち乾くわよ。涼しいし」
 ギャンが今度は、呼吸一つで立ち直った。
「ずっと、そんなことしてたの」
「・・・母がいたら叱られたわ」
 サキシアの微笑んでみせると、ギャンが、泣きそうな顔になる。
「とにかく俺が運んどくから、水浴びでも水泳でもしてきなよ」
「有難う。お言葉に甘えるわ」
 今度はサキシアか、泣きそうに微笑んだ。
 
 宣言通り、サキシアはずぶ濡れで帰って来た。
「お帰り」と言ってサキシアを見るなり、椅子に座っていたギャンが笑いだす。
「ただいま」
 久しぶりにの言葉に、サキシアが懐かしそうに微笑んだ。
 奥で手早く着替えると、服を絞って外に干す。 
 テーブルには木彫りの菓子鉢と素焼きの水入れ、大きなカップが乗っている。
「ああ、さっぱりした。本当に助かったわ。有難う」
 サキシアがもう一つカップを置き、濡れた髪を背中にはらいながら、向かいに腰掛けた。
 その指先は、染料で青黒く染まっている。
「どういたしまして。これ、お義母さんが焼いたクッキー」
 ギャンは菓子鉢の蓋を取ると、サキシアの前に押しやった。
「まあ美味しそう。この前のタルトも美味しかったし、アルムさんはお料理上手なのね」
 サキシアは水入れからお茶を注ぐと、ギャンの前に置いた。
「頂きます」
 ギャンがお茶を一口飲む。
「スッキリするお茶だね。美味しいよ。クッキーも食べてみて」
「では私も頂きます」
 サキシアが一つ摘まんで口に入れた。
「香ばしくってサックサク」
 サキシアから笑顔がこぼれる。
「お義母さんって呼んだら、凄く喜んでくれたんだ。それで行くなら持ってけって」
「そう。良かったわ。今度は何て呼んでもらおうかしら」
 サキシアはお茶を一口飲み、再びクッキーに手を伸ばした。
「お義母さんはちょくちょくお菓子を作ってお針子さん達に出すんだ」
「えっ?それを持ってきちゃったの?」
「まさか」
 ギャンが笑った。
「別に焼いてくれたんだよ。でも、家に来てくれたら、毎回お菓子が食べられるよ。家の近くに竈が三つある貸家もある」
「ここは川も井戸も近いし、すぐそこが野原と山よ。染めに使う植物を探すにも、ここが便利だわ」
「じゃあ俺がこっちに住むよ。お菓子が出た日は持って帰って来る」
「お菓子の為に引っ越すの?お菓子がある時だけ持ってきてくれた方がましじゃない?いいえ。そもそもお菓子の為にそこまでって、私がどれ程食い意地が張っていると思っているの?」
 サキシアが訝りながら二枚目を摘まむ。
 ギャンの眉が八の字になった。
「俺が結婚申し込んでるの、分かってる?」
 クッキーを入れようと口を開けたまま、サキシアが固まった。
 ギャンがその指からクッキーを抜き取り、開いた口に放り込んで、下顎を上顎に優しく合わせる。
 サキシアは反射的にクッキーを噛み砕き、飲み込んだ。
 そして無意識にお茶で流し込む。
 サキシアの目の焦点が合うのを確認し、ギャンが続けた。
「俺はサキシアと幸せになりたいんだ」