ぶきっちょハンドメイド 改 セキララ造影CT

ほぼ毎週、主に大人の童話を書いています。それは私にとってストリップよりストリップ。そして造影剤の排出にも似ています。

楽園ーFの物語・バックヤードー逃げられた男

2021-03-26 22:40:32 | 大人の童話
 熱烈に愛している、という訳でもなかった。
 親に決められ、二度会っただけの相手なのだ。
 けれど、それなりに大切には思っていた。
 だから婚約を破棄された時には、流石に傷付いた。
 フィリアは自分を頼ってくれなかった。
 つまり自分は捨てられたのだ、と。
 そして二年近くが過ぎ、フィリアとその子供が追われていることを、父親から内密に知らされた。
 ロイは今度こそ、助けてあげられると思った。
 もしも二人が捕まったなら、自分が子供の父だと主張して、王から守ることが出来ると。
 けれど今度もロイは頼られることなく、二人は追われることがなくなった。
 やはり自分は役立たずだったのだ。フィリアに見限られた通り。
 ロイは気分を変えに、旅でもしようかと思いついた。
 その矢先、食堂で声を掛けられた。
 ハッサと名乗るその男は、フィリアはジャナの港で『アミ』と呼ばれていたと教えてくれた。
 居酒屋で働く『サミ』という女と、仲が良かった、とも。
 ならばそこに行こう、と、ロイは思った。
 『サミ』からフィリアの話を聞いて、そこから旅を始めよう、と。

ロイは港に着いてすぐ、目についた居酒屋に入った。
 奥の椅子に座るとすぐに、髪を高く結い上げた女が、注文を取りに来た。
 右手の小指に光る石は、女の瞳と同じ金茶色をしていた。
「君は『サミ』さん?」
 ロイの問いに、サミは斜めに顎を引いた。
「そうだけど。何か用?」
「初めまして。僕はロイといいます。『アミ』と呼ばれていた女性のことを聞きたくて」
サミは僅かに唇を尖らせた。
「どんな関係だったんですか?アミは故郷から逃げたんだから、それも聞かずに教えるわけにはいかないよ」
「もっともです。その前に教えて欲しいんだけど『アミ』は過去のことを話していた?」
「ううん。昔の事は、ほとんど」
 サミの返事に、ロイは眉尻を下げた。
「じゃあ話せない。残念だけど。『アミ』の過去にかかわることだから、勝手には教えられない」
「うーん。そっちももっともだね」
 サミは腕を組み、斜め上を見た。
「じゃあ取り敢えず、あたしのお客様ってことで。お酒を奢るよ」
 まだ疎らな客達の好奇の視線の中、サミはすぐに四角い盆を運んで来た。
 乗せられていたのは、大きな鉢だった。
 なみなみと注がれていたのは、透明に近い蒸留酒だ。
「この辺じゃ『三度の酒』っていうんだけど。受け入れる側が注いだ酒を、お客が一口、次に注いだ人が一口飲んで、残りは客が飲み干すんだよ。さあどうぞ」
 サミはにこやかに、両手で鉢を押しやった。
 ロイは大鉢とサミを見比べ、にっこりと笑った。
「有難う。頂きます」
 一口飲んで、サミに返す。
「ご馳走さまでした」
「どういたしまして」
 サミも飲んで、ロイに返す。
「じゃあ、一息に」
「では、頂きます」
 ロイは勢いよく、鉢をあおった。
 そして記憶を失った。

 目覚めたら質素な寝台の上だった。
 塩辛そうなスープの匂いに、目が覚めたのだ。
 頭の芯が、鈍く痛んだ。
 ロイは記憶を辿りながら、体を起こした。
 僅かに吐き気がする。
 寝台から降り、木の扉を開けると、サミが振り向いた。
 手には薄金色に光るおたまだ。
「あ、おはよう。何か飲めそう?」
「うん、なんとか。ここは君の家?」
「そうだよ。借家だけど。ほら、そこに座って」
 丸い椅子に座りながら、ロイが訊いた。
「僕は、倒れたんですか?」
「倒れたっていうより、爆睡かな。はい。熱いから気をつけて」
 ロイの目の前に、大きな鉢がどん、と置かれた。
 中身は美味しそうな、魚介と野菜のスープだ。
「運んで泊めてくれたんだね。有難う。でも君は、どこで寝たの?」
「そこのテーブルの上。宿酔いには、このスープが一番なんだ」
「頂きます。女性の部屋に運ばれて、寝台まで奪うなんて。本当に申し訳ない」
 サミは腰に手を当て、片眉をあげた。
「あたしはそんな可愛い女じゃないから。いいからそれを飲んで、少し寝ててよ。少しはマシになって、浜辺の散歩でもしたくなるから」 
 そして、その通りになった。

 あ行で笑いながら海に突進するロイに、目を丸くしながら、サミは後を追っていた。
「どうしたの?」
 やっと追い付き、質問する。 
「海って、本当に海だったから」 
 息を切らしながら、ロイが答えた。
 目の前には海が、どこまでも広がっている。
 空より重い、冬に向かう色だ。
「海は初めて?」
「うん」
 潮風にロイは目を細めている。
「都から出たことがなかったの?あんた貴族でしょ。大分庶民的だけどやっぱり違うよ」
「僕は九歳迄、母と牧場で暮らしてたんだ。あと、果樹園もあったよ。君はここで生まれたの?」
「ううん。ここよりずっと西。港もあるけど、漁師町だよ」
「じゃあ、ご両親は漁をしてたの?」
「父はね。母は私を生んで死んだって。でも意外と不自由はしなかった。子寄り小屋もあったし」
「子寄り小屋って?」
「漁師の家は忙しいから、昼間子供は集まって過ごすんだよ。簡単な読み書きや計算も、大きな子や面倒を見に来る大人達から、教えてもらえるんだ」
「それは、良い仕組みだね」
「うん。家族はもう居ないけど、友達は半分、家族みたいなもんなんだ」
 微笑んだサミの顎で、黄色いリボンがなびいている。
 鍔の広い帽子を、顎で結んで留めているのだ。
「昼間はいつも、被っているの?」
 サミが笑顔を引っ込めた。
「あたしみたいな女が、日焼けを気にしちゃ可笑しい?」
「ううん。全然。母もよく、そんな帽子を被っていたから、なんか、懐かしくて」
「へえ、これが」
 サミはリボンをほどいて、帽子を手に持った。
緩く束ねた金茶色の髪が、ふわりと持ち上がる。
 その時、強い風が吹いた。
 サミの帽子を巻き上げて、波の上に運んで行く。
「ああっ!」
 駆け出そうとするサミを押し留め、ロイが海に入っていった。
 帽子は左右に、徐々に沖の方へと逃げる。
 ロイがやっと掴んだ時に大きな波が来て、頭まで飲み込み、足を掬った。
 ロイは直ぐに立ち上がり、慌てて浜へと上がって来ると、青ざめたサミに帽子を渡した。
「はい。びしょ濡れになっちゃったけど」
 サミはにこりともしなかった。
「まさか、泳げないの?」
「うん。こんなに取れないとは思わなかった」
「『うん』じゃない。危ないでしょ。カナヅチのくせに何でこんなことしたの!」
「君が行こうとしたから」
「あたしはいいんだよ。そこの島にだって泳いでいけるんだから」
「よくないよ。服が濡れたら透けるでしょう?」
「そんなの、あたしはいいんだってば」
 今度はロイが怒りだした。
「『あたしはそんな』とか『あたしみたいな』とか『あたしはいい』とか、君は自分の扱いが雑すぎる」
 言い返そうとした口を一度閉じ、サミはするりと話題を変えた。
「急いで戻って着替えよう。次に銭湯でよーく温まって」
「うん。それから宿をとって暖かくして寝るよ。君はお店へ?」
「大体そう。帽子有難う」
「どういたしまして。明日もこの時間は空けられる?」
「ううん。医者の手伝い」
「へえ。それは凄いね。いつもなの?」
「時々ね。凄くはないけど」
「じゃあ明後日は?」
「空いてる」
「じゃあ、町を案内してくれない?」
「いいよ」
「有難う。明後日が楽しみだ」
 けれど二人は、次の日に会うことになった。
 宿屋の遣いが医者を呼びに来たのだ。
『客が風邪をひいてしまった』と。


楽園ーFの物語・バックヤードー幸運

2021-03-19 21:48:56 | 大人の童話
 謁見室の天井は、恵みの緑に繁栄の赤が鮮やかだった。
 黄金の彫金囲まれた玉座では、王が眉間に皺を寄せていた。
「陛下!フィリアの子をフレイアの代わりに差し出すというのは、、本当ですか?」
 デザントの口調も刺々しい。
「赤い巻き毛で名前も同じだ。王女であることも変わりがない。後から苦情が来ても言い抜けられるし、こちらには正式な夫人の子が残る。問題があるかね」
 デザントがたじろいだ。
「・・・寝耳に水、だったので。陛下はいつからご存知だったのですか?」
「フィリアに子がいることは、知ったばかりだ」
 デザントは三日前から、ダリアが会おうとしないのを思い出した。
 久々に月のものが来て、気分が悪いと聞いていた。
 あの日の昼、ダリアは実家に行っていたはずだ。
「ダリアですね?」
 王が僅かに目を細めた。
「王太子が第三夫人の姉まで望んで逃げられた。と、都中の笑いの種だ。私も伯爵に合わす顔がない。黙っていれば分からないとでも思っていたか?ダリアを責めるよりも先ず、己の行いを恥じるがよい!」
 デザントが顔を赤く染め、むっつりと黙り込む。
「話はそれだけか?」
 デザントは下を向いたままだ。
「二十七歳にもなって情けない。もう、戻るがよい」
 王の目配せで、侍従が扉を開けた。

 デュエールは馬を駆っていた。
 小雨に打たれた煉瓦の、匂いにさえ気付かない。
 王宮を離れて以降、世事には一層疎くなっていた。
 カナルの件で、フレイアを寄越せと詰め寄られていると、耳に入るなり飛び出したのだ。
 もう、かなりの日数が経ってると聞いた。
 その間、ダリアはどんな思いで過ごしただろう。
 いてもたってもいられなかった。
 デザントを通している暇は無い。
 直接王に、自分の策を上奏するのだ。
 アダタイ国の王は高齢で、三人の王子には、全員男子がいる。
 フレイアの幼さを理由に、金銭で時間を稼ぎ、裏工作で仲違いをさせればよい。
 アダタイ国が分裂し、小国となれば、この先カナライが脅かされることも減るであろうと。
 
フィリアは夜明け前に港町を出た。
 肩から掛けた布を外して、外套を着る。
 思い切って北に向かった。
 裏をかくつもりだった。
 途中で少し山に入れば、古い炭焼き小屋もあるはずだった。
カナライからジャナに向かう途中、蹄の音に驚いて、見付けたのだ。 
暫くそこに身を隠し、追っ手をやり過ごす。
そしてフレイアを置いてきた船の母港に向かい、その消息を探るつもりだった。
 腕の傷からはまだ、血が滲む。
 けれど、痛みは感じなかった。
 フレイアは自分と一緒に、陸に逃げたと思わせなければならない。
 町外れまでは、何とか誘導出来ていたように思った。
 けれどまだまだ、見つかるわけにはいかない。
 一昼夜歩き通して、フィリアはやっと、目当ての小屋に着いた。
 フィリアは大きく息を吐いた。
 建て付けの悪い、木の扉を開ける。
 少し、暖かい。
 奥で何かが、もそりと動いた。
 フィリアは総毛立って身を翻した。
 ほんの数歩で、左手を捕られる。
 強く引かれて体が反った。
 痛みで、うめき声が漏れる。
「怪我をしているのか」
 年配の男だった。
 フィリアの左腕を見つめていた。
「この小屋には、傷を負った獣が逃げて来ることがある。俺は手当てして治るまで置いておく。それでいいか?」
 顔を上げてフィリアを見た。
 色は黒く、皺は深いが、意外に肌に艶がある。
 フィリアは無言で頷いた。

 男は次の日、近くのに出掛け、敷布と掛け布団を担いで帰ってきた。
 部屋の奥に藁を積み上げ、敷布で覆い、布団を乗せる。  
 壁に紐を渡し、布を留めて言った。
「ここから奥はあんたの場所だ」
 フィリアがしきりに恐縮すると、男は軽く笑った。
 その笑顔は、フィリアの祖父に少し似ていた。
「俺は自分でしたいことしかしない。すまながったり、遠慮したりする必要はない」
 フィリアは傷に響かない範囲で家事をこなし、男は残りの雑事と炭焼きを続けた。
 二人はただ静かに働き、眠った。
 それは穏やかで、満ち足りた時間だった。
 フレイアのことさえなければ。

三度目に町から帰って来た日、男がフィリアに告げた。
「カナライは半月前に諦めて引き上げたそうだ。王女のアダタイ行きは、金を払って引き伸ばしたらしい」
 フィリアの瞳は喜びに輝き、次いで、寂しさに翳った。
 男はフィリアの目指す港に、変わり者の知人がいると言って、手紙を書いてくれた。

 フィリアは半月かけて、目的の都に着いた。
 ここなら、あの船の話が聞けるはずだ。
 紹介状を持って訪ねた相手は、白髪混じりの漁師で、皿洗いを探している、宿屋を紹介してくれた。
 フィリアはハミと名乗った。
 宿屋の主人は恰幅と愛想がよく、料理人のマセラは痩せて無口だった。
 干物を作っていたことを伝えると『捌いてみろ』と、魚を預けられた。
 銀色の細い魚に、同じ色に光るナイフを走らせていると、フィリアはふいに、不思議な感覚に陥った。
 二年前、なんのあてもなく港に着いた自分に、サミは暮らしの基盤を作ってくれ、友人になってくれた。
 職場の女達も、なにかと親身になってくれ、だからこそ、子供が宿ったと分かった時の空恐ろしさも、不安も、乗り越えられたのだ。
 フレイアが生まれた時は、皆、我が事のように喜んでくれ、一緒に育ててくれた。
 追っ手からも上手く逃れられ、山小屋では助けてもらった上、紹介状も書いてくれた。
 そして今ここで、干物屋で学んだことが、役に立っている。
 全てが偶然で、必然だったような気がする。 
 自分は、ずっと恵まれていた。
 沢山の人と運に、守られ、与えられ、助けられていたのだ。
 だからきっと、大丈夫。
 フレイアも、きっと。
 フィリアは手元が滲んでしまい、肘の内側で目頭を拭いた。
    

楽園ーFの物語・バックヤードー二人の王女

2021-03-12 21:50:12 | 大人の童話
 ダリアが女児に恵まれたのは、それから二ヶ月後のことだった。
 王宮を訪ねた男爵夫妻は、喜びながらも、孫同士が似ていることに驚いた。
 ダリアは有頂天だった。
「可愛いでしょう?次は王子を産むの」
そう言って無邪気に笑う。
重圧から解放されたデザントが、その様子を愛しそうに見つめる。
 赤ん坊が王から賜った名前は、偶然にも『フレイア』だった。
 男爵夫妻は安堵しながらも、胸騒ぎを押さえ切れなかった。

 半年後、東の大国アダタイと、国境のカナルで争いがあった。
 アダタイは和平の証として、フレイア王女を寄越すようにと迫った。
 王子の嫁という名目だったが、事実上の人質だった。
 デザントはダリアに「王が決めてしまえば、誰も逆らえぬ。覚悟しておくように」と、言った。

 次の日ダリアは実家を訪ねた。
 突然の訪問に使用人は慌てて、男爵夫妻を出先から呼び戻しに行った。
 三年ぶりの実家は、変わっていなかった。
 懐かしさに席をたち、自分が使っていた部屋を見に行く。
 そこも全くそのままだった。
 子供を産んだ自分が、ここに帰されることはもうないだろう。
 ダリアは、くすぐったいような気持ちで部屋を眺め、廊下へ出た。
 隣はフィリアの部屋だった。
 王宮を出ると同時に、自ら姿を消したという。
 模範生の姉が思い切ったことをしたものだ。
 どんな理由か知らないが、迷惑なことだ。
 ダリアはその部屋の中へ入った。
 思った通り、フィリアの部屋もそのままだった。
 フィリアは何を考えていたのだろう。
 ダリアはチェストの引き出しを開けた。
 中には、十通足らずの手紙が入っていた。
 フィリアからの手紙だった。
 ダリアは夢中で読み漁る。
 頭がカーッと、熱くなった。
ー未だに、未だに私だけ除け者にして!ー 
「やっぱり帰るわ!」
 執事にそう言い捨てて、ダリアは宮殿に戻り、その足で王に拝謁を願い出た。

「アミ!開けて!」
 押さえた叫び声と共に、フィリアは夜中に扉を叩かれた。
アミの声だ。
フィリアは飛び起き、扉を開ける。
「カナライの男達が何人も、 あなたと子供を探してる。 きっと役人だ。ここにもすぐに来る」
アミが早口で忠告をする。
 アダタイとカナライの話は、フィリアの耳にも入っていた。フレイアを捜す理由には、すぐに思い当たった。
「ありがとう。助かったわ」
そう言いながらフィリアは身支度を整え、フレイアをショールでくるんで麻袋に入れ、 長い布で斜め掛けにした。
アミは皮袋に巾着と食料を詰め込んで、逆の肩に掛けてやる。
「何もかも、本当にありがとう。きっと、幸せでいてね」
「アミ、負けないで」
フィリアが頷いて 借家を後にする。
小路を通って、街を出るつもりだった。
けれどすぐに、人影を認めた。
その人影が走り出す。
次の横道に入って、 やり過ごそうとした。
「いたぞっ!」
抜けた先にも人影があった。
又、 小路に入る。
隠れる物陰が見つからない。
方向を選ぶ余裕はなかった。
フレイアが泣き出さないか、 ヒヤヒヤしながら 小走りで逃げ惑う。
どこを走っているのか、どこに向かっているのかさえ分からなくなってくる。
やがて、 港へ出た。
大きな船が、 何隻も泊まっている。
その中の一つのデッキに、 木箱が積まれていた。
サミが言っていた船だった。
サミの故郷が母港で、子供達とよく遊んでくれた船員が、 船長と副船長になったという。
再会して嬉しかったが、 翌朝発ってしまうと。
 その時、フィリアの腕の中から声が聞こえた。
フレイアがぐずりだしたのだ。
その声は小さなものだったが、フィリアには何倍も大きく聞こえた。
今まで大人しくしてくれていたのが、大きな幸運で、それが長く続かないことを、フィリアに覚らせたのだ。
 フィリアは賭けることにした。
 近くの小舟に乗り込んで、堤防に繋がれた縄を解き、櫂を握る。
 船を目指して必死に、けれど静かに漕いだ。 
 船の舳先に近付くと、縄の先を輪にして、高く投げる。
 一回、二回。
三回目で上手く掛かった。
 フレイアをしっかりと背にくくりつけ、縄をよじ登る。
 何度か手を滑らせて、皮が剥けたが、かまってはいられなかった。
 舳先に取り付き、腕の力を振り絞って、同時に船の側面を蹴る。
 木箱の陰に駆け込んで、座り込むと、フレイアの顔を麻袋から出し、乳を含ませた。
 一度寝たら、なかなか起きない子だ。だから仕事場の隅に寝かせてもおけたのだ。
 フィリアはフレイアを寝かし付け、麻袋に入れた。
辺りを見回した。
 小さな鍼が目に入る。
 左手首の上に当て、歯をくいしばって右に引く。
 滴り出した血を絞り『救けて』と、麻袋に書いた。
 これで差し迫った危険から、この子を置いたことを察してくれるに違いない。
 一番上の木箱を開け、そっと、そっと、置く。
 右手をフレイアの胸に当て、祈りを込めて、息を吐いた。
 布袋から上着を取り出し、端を裂いて左腕を縛った。
 他は丸めて斜め掛けした袋に詰める。
 心臓を引き剥がすように、フレイアは小舟へと急いだ。
 小舟を元に戻したら、追っ手を連れてこの場から離れるのだ。
 もし捕まって拷問されても、絶対にこのことは話さない。
 フィリアは縄から小舟に飛び降りた。

 節度は守っていた。
 乳兄妹とはいえ身分が違う。
 とはいえ、生まれてすぐに亡くなったという妹への思いも、重ねていなかったとは言い切れない。
 王太子の第二夫人になると聞いた時は、王妃になれるかもしれないと、無理に自分を納得させた。
 けれども、王太子は二年で彼女を見限り、その一年後、五番目の夫人を迎える為に、里に帰した。
 『どこに出しても恥ずかしくない姫君』を『子が出来ずに帰された女』にして。
 今、捕らえられようとしているのも、貴族の姫君だった女性だ。
 それが身一つで国を捨て、子を産み育てた苦労は、並大抵のことではあるまい。
 なのに連れ戻され、子を奪われようとしている。
 この女性も同じ犠牲者だ。
 あの男と不条理の。
 だから、言ったのだ。
 あの人が逃げた逆を指差し。
「あっちに行ったぞっ!!」
と。
あの人が逃げた抜け道に向かって。
「私があの道を見張ります」
と。

 翌朝、知らせを受けた船長は、急いで船に向かった。
 そこで赤ん坊と血文字を目にすると、出港時刻を繰り上げて早早に港を後にした。 


楽園ーFの物語・バックヤードー南へ

2021-03-05 21:38:51 | 大人の童話
恐怖と陶酔の時間を終えて、デザントがフィリアの耳元で囁いた。
「第一夫人も第二夫人も、嫁いで三年経っている。準備を急ぐ」
 フィリアの全身が一瞬で冷えた。

 翌朝まだ暗いうちに、フィリアは王宮を出た。
 峠を越える街道を、南へ急ぐ。
知り合いの一人もいない。
 別荘も、親類の家も、婚約者の領地も無い方角を選んだだけだ。
 重い荷物は、山道から少し逸れた藪の中に捨てた。
 水と干菓子、僅かなお金と貴金属だけを皮袋に詰め、斜めに下げている。
 蹄の音に怯えて、一度山に入ったが、後はひたすらに、道を歩き続けた。

 二日後の夜遅く、フィリアはジャナの港に着いた。
 目についた居酒屋に入ると、髪を高く結い上げた女が、注文を取りに来た。
「おすすめの夕食を一人分お願いします。それと、近くの宿を、教えて頂けますか?」
「もう、ほとんど閉まっているよ」
 皮袋一つを持ち、疲れきった様子のフィリアを見て、女が言った
「うちに泊まったら?」
「えっ?」
 フィリアが驚いて聞き返した。
「野宿になったら物騒じゃないか。狭くて汚いけど我慢してよ。あたしはサミ。あんたは?」
る フィリアが戸惑う。
 本名はまずいだろう。
 でも考えていなかった。
「じゃあ、アミでどう?あたしのひいばあちゃんの名前だよ。あんたみたいに美人で、おまけに長生きしたんだよ」
サミはそう言ってフィリアの背を叩き、「気楽にいこうよ」と、笑った。

 次の朝、フィリアはサミと一緒に魚のパン粥を食べていた。
 焼き魚もパンも、店の残り物だったが、久々に睡眠が足りた若い身体に、穏やかに、かつ力強く、染み渡っていった。
 その様子を嬉しそうに見ている、サミも食欲が旺盛だ。
大人びた身なりはしているが、二十歳そこそこなのだ。
「ところでさ、アミ。これからどうするの?」
「一人で生きていきます」
 フィリアは言い切った。山道を歩きながら決めた、硬い決意だった。
「ああ」
サミは何か言いたげに、フィリアを見た。
けれどすぐに、笑顔に戻る。
「じゃあ働かなきゃね。あてはあるの?」
「いえ、全く」
「こんなに美人なんだから、看板娘に引っ張りだこだとは思うけど」「あまり人目に触れたくないんです」
「う~ん・・・そうだ!。知り合いの乾物屋で人手が足りないって。どう?話を聞きに行かない?」
「えっ?本当ですか?有難うございます。あ、ですが、そんな、何から何まで」
 嬉しいやら恐縮するやらで戸惑うフィリアに、サミが笑いかけた。
「訳ありは港じゃよくあることさ。女同士、助け合わなきゃね」
 
「これは確かに『ナイフは持ったことがある』だねぇ」
 丸顔の女主人が、太い腕を組み、フィリアの手元を覗き込んだ。
「でも大丈夫!うちは惣菜も作ってるからね。なあに、魚の匂いが染み付く頃には、嫌でも一人前になるから、安心おし!」
 女主人はからからと笑い、フィリアの背中を叩いた。
 フィリアはその突き抜けた明るさに圧倒されて、見上げていた。

三日後、男爵家は大騒ぎだった。
期日を過ぎても戻らないフィリアを心配して、出した使いが戻ったのだ。
 門番は予定していた日の未明に出たという。
 自ら姿を消したのだろうか。
 けれど何故?。
 その時、玄関の方から、荒々しい足音が聞こえてきた。
 執事の制止する声とともに、近付いて来る。 
「男爵!」
 デザントだった。
「フィリアが帰ってないとは誠か?」
「王太子様!」
 男爵夫人は、両手で口を覆った。
 男爵も驚きを隠せない。
「私どもは、宮殿にいるものだとばかり」
「行き先に心当たりはないのか?」
「ございません」
「無いはずはなかろう。親ではないか!」
「そう、おっしゃられましても」
 男爵には違和感があった。
 王太子が熱心過ぎるのだ。
 自ら馬で駆け付けた上、この取り乱しようは。
 男爵の視線に気付き、デザントは後ろを向いた。
「そうか。ではこちらはこちらで捜す。何か思い出したら知らせよ。もし見つかれば、直ぐ宮殿に戻らせるように」
「宮殿で何があったのですか?」
「何が?」 
デザントが振り向いて、ギョロりと男爵を見る。
その目で男爵は確信した。
「最初から一年のお約束でした。『戻らせる』とは、どういったことでしょう」
 デザントが一瞬怯んだ。
 けれどすぐ、噛みつくように言い返す。
「また居なくなると困るからだ。手続きが済み次第、フィリアを娶る」 
 男爵は合点が言った。
 同時に腹が熱くなる。
 自分への怒りなのか、デザントへの怒りなのか、自分でも分からなかった。
 けれどその怒りが、身分を忘れさせた。
「では、それが理由なのでしょう」
 男爵は大きく息を吸った。
「あの娘は、フィリアは従順な娘です。私達に背くどころか、困らせることすら一度もございませんでした。それがこの事態を、招いたのです。そしてそのフィリアが、初めて自分の意思を通そうとしている。私はせめて、その気持ちだけでも守ってやりたい。もしも殿下がお心を変えて下さらなければ」
 男爵は胸を張り、デザントを見上げた。
「正式な使者が来る前に、私は爵位を返上致します。お気に召さなければ、投獄でも何でもなされば良い。それが、私の覚悟です」
 見上げた目に熱がこもる。
「あえて姉妹でとおっしゃる程に、フィリアをお気に召されたのであれば、あの娘の覚悟を踏みにじらないで頂きたい」
「違うのだ」
 デザントが首を振る。
「フィリアも私に惹かれているのだ。私達は、惹かれ合っていたのだ」
 そう、あの日から。
デザントは確信していた。
勘違いでは決してない。
「なのに何故なのだ。私にはさっぱり分からない」
「仮に惹かれていたとしても、未明に姿をくらましたのは、追っ手を恐れてのことでしょう。それがフィリアの決意です。フィリアはもう、殿下への答えを出したのです」
「答えの理由を訊くことさえ、許されないと?」
「フィリアが拒んでおりますゆえ。身分で心まで十分になされると?」
 男爵は、あえて疑問を疑問で返した。
 まだ幼かったダリアの次にはフィリアを。
 男爵は歯軋りをした。
 この男は私達を愚弄している。
 身分に任せて。
 今度こそ、自分は守らなければならない。
 いつも家族のことを思ってくれていたフィリアを。
 その目の熱が、更に上がる。
睨み合いは、父の思いが制した。
 男爵は次の日、甥との養子縁組を、白紙に戻した。

 男爵夫妻は、フィリアは南に向かったものと推測した。
船に乗る路銀もないはずなので、きっと港にいるだろうことも。
男爵は友人の腹心に、ジャナ出身の男がいることを思い出した。
二人は快く承諾し、数週間後、男爵夫妻はフィリアからの手紙を手にした。
フィリアは戻るようにとの勧めにも、せめて援助をとの懇願にも、頑として応じなかった。
翌年、フィリアは女の子を産んだ。
男爵夫妻は港まで、密かに二人に会いに行った。
フィリアの荒れた手に、夫人は涙した。
フィリアはその手で我が子を抱き、ストールで包むとよく眠ってくれるのと、幸せそうに微笑んだ。
真っ赤な巻き毛のその赤ん坊は、フレイアと名付けられた。
その後男爵は、より慎重に連絡をとるようになった。