ぶきっちょハンドメイド 改 セキララ造影CT

ほぼ毎週、主に大人の童話を書いています。それは私にとってストリップよりストリップ。そして造影剤の排出にも似ています。

楽園―Pの物語―森の中

2021-10-29 21:46:15 | 大人の童話
「では、明日は出掛けますので」
 澄まし顔でリリアが言う。
「そう。色々と気を付けて」
 バシューが静かに返す。
「無論です」
 僅かに苛立ちを滲ませて、リリアは席を立った。
 こんな形で夕食が終わることに、給仕係はもう慣れてしまった。
 いつもと少し違うのは、バシューが上の空だということだ。
 式典の日に鳥肌が立った感覚が、バシューを波のように、襲い続けていたのだ。
 艶やかな髪、輝く肌、しなやかさを纏った強い四肢。
 くっきりとしたエキゾチックな顔立ちに、浮かべられた凄絶なほど妖艶な笑み。
 その笑みに、バシューは囚われてしまったのだ。
 文字通り、寝ても覚めても頭から離れない。
 十年前、兄の実の父が直系王族とされ、父親違いのバシューは傍系となってしまった。
 その時からバシューは、一人の妻しか娶れない。 
 その上、恋い焦がれる相手は人妻だ。
 その相手、サキシアが以前王宮で働いていたと聞き、バシューは臍を噛んだ。
 その時ならまだ、間に合った筈なのに、その存在にさえ気付いていなかったからだ。
 即座に言い訳も頭に浮かぶ。
 愛人を持つ王族ならば、過去に何人もいたからだ。
 それならば一番の問題は、サキシアの夫のように思えた。
 愛嬌と優しさだけが取り柄の男。
 二言三言言葉を交わしても、一月後には誰もが、顔も覚えていなだろう男。
 サキシアには不釣り合いな、凡庸な男。
 バシューにはギャンが、そういう男に見えていた。
 サキシアに自分という愛人がいても、当然のような気もする。
 リリアも愛人がいるのだし、自分達夫婦はお互い様だと強く思う。
 普段は心の奧に仕舞ってある、不満も顔を出してくる。
何を比べても、自分が兄に敵わないのは分かっている。
けれども兄が不義の子であるならば、前王の真の第一王子、自分が王位を継ぐべきではないか。
それを兄の真の父親、前王の異母兄の王位継承権を復権させてまで、兄に王位を継がせるなんて。
お陰で自分は傍系王族となって、王宮を追い出され、リリアを筆頭に周囲の見る目も変わった。
同時に第三婦人迄認められるという、特権も失った。
せめて、その前に・・・。
幾度となく繰り返された、思考のループが又、始まる。
バシューは目を閉じ、思考を止めた。
首を振って酒をあおり、長く息を吐く。
そして三月、待つことにした。
一時の気の迷いなら、それまでには覚める、そう考えたのだ。
もしもまだ覚めていなければ、
自分を赦す、と決めた。
 
 メイはその客の姿を、上から下まで二往復見た。
 後ろには、きっちりと巻かれた美しい布が、織り方別、色順に、規則正しく並べられている。
 その横には『サキシアの恵み』と『白いサキシア』、しっかりと編まれた様々な籠が置かれていた。
 直売所の店頭だ。
 店員としてはあるまじき行為だが、それも致し方ない状況だった。 
 高貴な身成をした男が一人でドアを開け、王弟のバシューと名乗ったのだ。
「先日の表彰式で見た衣が気に入った。王宮の昔話でもしながら布を選びたい。サキシア殿はどちらに」
 その装飾品の家紋と、堂々とした様子から、メイは男がバシューに間違いないと確信した。
 失礼があってはいけないと、さっと緊張する。
「森に行っております。急いで呼んで参りますので、暫くお待ちいただけますでしょうか」
「森?何をしに?」
「小道に入って間もなく、小さな野原がございます。そちらで子供達を遊ばせております」
「右手にあった細い道だな。では、私が行く。そなたは店番があろう。馬はこちらに繋いでいくから宜しく頼む」
 言い終わるなり踵を返し、バシューは森へと急いだ。
 サキシアを訪ねると決めた時から、気が急いていたのだ。
 一刻も早く会いたい一心で馬を飛ばしたが、その間ももどかしく感じていた。
 森の中へと入っても、両脇の木々さえ目に入らない。
 ひたすら道の先へと目を凝らし、早足で進む。
 暫く歩くと、先が明るくなった。
 象牙色と深い青が見え隠れし、子供の声が響いて来る。
 突然、バシューの動きが止まった。
 ふいに耳鳴りが始まり、掌に汗が滲む。
 自分が何をしようとしているのか、分からなくなった。
 何度も深く呼吸をし、今度は静かに歩き始める。
 五、六歩先に進んだ所で、左側の木の陰に、男の姿を認めた。
 肩には鳥が乗っている。
 男はじっと、サキシア達を覗いているようだ。
 バシューの血が熱くなる。
「何をしているっ!!」
 叫ぶなり剣を抜いて走った。
 振り返った男は、バシューを見て大きく口を開け、身体を戻す。
 鳥達が高く舞い上がった。
「逃がすかっっ!!」
 勢いのままに、バシューが剣を振り下ろす。
「逃げろおっ!!」
 男の声がバシューの耳に届いた時には、男は地に伏していた。
「キャーッッ!!」
 子供の悲鳴。
「ギャンッ!?」
 サキシアが叫びながら駆け寄る。
「医者と担架っ!今すぐっ!」
 追って来たメイが、連れの男に叫ぶ。
 その男が来た道を駆け戻る。
 ミルドレッドとロイはその場で座り込んだ。
 サキシアは脱いだ上着で、ギャンが背中に負った傷を押さえる。
「ギャン!ギャン!しっかりして!ギャン!」
 ギャンは首を回し、バシューが血の付いた剣を下げたまま、立ち尽くしているのを見た。
 ほっとして、覗き込むサキシアと目を合わせる。
「無事でよかった。愛してるよ、サキシア」
「分かってる!分かってるから!しっかりして?ギャン!」
 サキシアは頭の中が真っ白だ。
―愛してるよサキシア!愛してるよサキシア!―
 鳥達が繰り返しながら飛び回る。
 サキシアの全身に、その言葉だけが雪崩れ込み、他の全てを押し流して、鳴り響いた。


楽園―Pの物語―傷に夫婦

2021-10-22 21:15:50 | 大人の童話
 宿の部屋に部屋に戻ると、サキシアは髪留めを引き抜いた。
「大収穫だわ」
 そう言うと満足気に肩を上下させ、ベッドに腰掛ける。
「沢山の人が布に興味を持ってくれたわね。何と言っても鋳型の名人と話せたのが良かったわ。渡りに船ってこのことね」
「サキシアが考えたことは、いつも魔法みたいに上手く行くね。来て良かった?」
 ギャンも隣に腰を下ろす。
「そうね。お義母さん達には迷惑をかけているけど、期待以上の成果を持って帰れそうよね?」
「お義母さんは孫といられて大喜びだよ。それよりもサキシア」
 ギャンが真顔でサキシアを見た。
「昔、王宮で何があったの?」
 サキシアから笑みが消えた。
 ほんの数秒、襲ってきた過去。
 ギャンが名を呼ばれて、散り去っていった痛み。
 それで終わりだと思っていたのだ。
「新国王の張り紙を見た時、サキシアは様子がおかしかった。それらは平気なふりしてるけど、王宮の話が出る度、体が硬くなる。立派なお墓を建てたのだってそうだ。王妃がゴミだと思ってくれたものが、高く売れたからって言ってたけど、サキシアの性格だったら、全部自分のものにはまずしない。一体何があったの?」
 ギャンにとっては長年の疑問でも、サキシアには藪から棒の話だった。
 どうして今までおくびにも出さずに、突然こんな風に問い詰めるのか。
 サキシアは事態に着いていけずに、返答が出来なかった。 
「ううん。言わなくてもいい。でも、どうしたらサキシアの傷が癒えるの?俺も手伝いたいんだよ」
「手伝うって・・・」 
「周りはなるべく巻き込みたくないけど、俺はいいんだ。サキシアが心の底から幸せになれるなら。サキシアを幸せにすることが、俺の幸せなんだから」
 ギャンの口調は穏やかで、目は静かだった。
 彼がとっくの昔に、覚悟を決めていたことを、サキシアは覚った。
 そして、言葉を探す。
今の真実を、確実に伝える言葉。
「私に見る目が無かったのよ」
 沈黙の後、サキシアが答えた。 
 言葉は気持ちに輪郭を与え、声は質量を明確にする。
「一人よがりに信じて、傷ついただけ。それだけのことなの。だけどもう、夢にも見なくなったわ。貴方のお陰よ、ギャン」
 サキシアはギャンに抱き付いた。
「私は今、幸せなの。毎日楽しいことで一杯で、過去のことなんて構ってられないわ。さっきは古傷がちょっと疼いただけ。今までずっと、見守ってくれていたのね、有難う。でももう、大丈夫。安心してね」
「本当に?」
 ギャンが静かに確かめる。
「本当に」
 サキシアはギャンの左肩に、頬を擦り付けた。

『この国の道理は解らない』 
それはこの十年ですっかり、王弟妃リリアの口癖になっていた。
 隣国の王は、ラウルの父親が不明であるという情報を得、第二王女をあえて、弟のバシューに嫁がせたのだ。
 けれど十年前、王妃の不貞が正当化されたばかりか、ラウルが王位に着いた。
 父母に色々と言い含められて嫁いだリリアにとっては、まるで話が違ってしまったのだ。
 その上バシューが十五才の時、高熱を出したことを告げられた。
 リリアは呆然とした。
 王太后になる僅かな望みさえ、絶たれたのだ。
 その途端、身に纏っていた妖艶な香りも、侍女に習った媚態も、恐ろしく愚かで、滑稽なものに思えて来た。
 その羞恥心はバシューへの怒りに変わり、リリアは彼を遠ざけた。
 そんな時、リリアは従姉妹のパーティーで恋に落ちた。
 従姉妹のサリは奔放な未亡人で、リリアの会瀬にも協力的だった。
 貴族の火遊びは、子さえ出来なければ容認され易い。
 リリアは解らない筈のこの国の道理にかこつけて、危うい会瀬を重ね続けた。

 婚礼の日、バシューはリリアから値踏みするように見られても、特に何も感じなかった。
 政略結婚の始まりなど、そんなものだろうと思っていたのだ。
 リリアが見せる妙な媚びも、子が欲しいからだと、可愛く感じた。
 リリアが変わってしまったのは、ラウルの即位が決まってからだ。
 次第に蔑むような雰囲気が混じりだし、やがて怒りが加わった。
 十五歳の時、流行り病で高熱を出したことがあるバシューは、負い目を感じ、萎縮していった。
 そしてリリアの浮気を知っても、黙認を続けた。 


楽園―Pの物語―表彰式

2021-10-15 21:36:21 | 大人の童話
王太后のダリアは、憂鬱そうに目を閉じて座っていた。
 ラウルの即位十周年の園遊会に、出席しているからだ。
 この十年、特に功績のあった臣下や国民を、労うのが目的だった。
 侍従の説明に、上の空で相槌をうちながら、ダリアの頭の中では、不満が駆け回っていた。
 臣下はまだいい。
 ダリアはそう思っていた。
 王宮のしきたりを、それなりに分かっているからだ。
 けれど一般の国民は違う。
 ダリアを苛つかせるのは彼らだった。
 貴族でもないのに、慣れない宮廷風の正装をして、ぎくしゃくと滑稽な真似を繰り返す者ばかり、ダリアは見てきた。
 己に相応しい身なりと、節度ある言動をしていれば、それで良いというのが、彼女の持論だった。
 開催時刻より、大分早く来るのも、気に触った。
 迎える側の都合を、考えて無いからだ。
 誰かを助けることも、経済の隆盛も、大切なことだ。
 褒章を与えるのは、王族として当然だとは分かっている。
 だけれども、彼らは。
 堂々巡りの不満に、鬱々としていると、ざわめきがすうっと引いた。
 目を開けて、参加者達の視線を追うと、見事な青色が飛び込んで来た。
 ドレスは光で微妙に変化する、深い青の無地だ。
 長いベストは、先染めで織り上げた大胆な柄、ベルトは緻密なパターンだ。
 市民が祝いの席で着る、シンプルな正装だが、居並ぶ婦人達が贅を凝らした、どのドレスよりも美しかった。
 その上、くりの深い衿元は彼女のしなやかな首のラインを、絞った胴はその細いウエストを、際立たせていた。
 青く光る黒髪、エキゾチックな顔立ち、白く輝く肌。
 ダリアとは全く違う、凛とした美貌。
 サキシアだった。
 古参の女官達でも、すぐには気付かなかったが、ダリアは一目で分かった。
―これだったのだ―
 ダリアは覚った。
 サキシアを人目に触れさせないようにし、疎み、遠ざけたのは、この美しさを恐れてのことだったのだと。
 けれどその動機を、無意識下に押さえ込んでいたのだ。
 プライドが傷付かないように。
 ダリアは左横を見た。
 夫の目も、サキシアに釘付けだった。
 大多数の列席者と同じように。
 ダリアは腰を浮かせて、王族達の様子を見た。
 ラウルは平静の様だが、王弟のバシューどころか幼い王子達までも、食い入るようにサキシアを見ている。
 ダリアは呆然と、椅子の背にもたれ掛かった。

 サキシアは会場に入るなり、皆の視線が突き刺さるのを全身で感じた。
 計算通りだった。
 アザが消えてから、注がれ続けていた視線だ。
 今ではサキシア自身も『真珠のサキシア』と呼ばれ、町中に美しさを讃えられているのだ。
 これは商品宣伝の、絶好の機会だった。
 あわよくば、印刷のスペシャリストとも、繋がりを持ちたい。
 そう思って出席を決めたのだ。
 会場に入る途中、薄く曇っている場所が、幾つも目についた。
 『サキシア式』が廃れたのは少し残念だったが、もう十年も経つのだ。
 そんなものだろう、とも思った。
 王宮を辞して十年。
 思いもよらなかった場所に、サキシアはいた。
 サキシアは不思議な気分で首を回す。
 すると、自分を睨み付けるダリアが目に入った。
 くっ、と。
 心の古傷が疼いた。
 甦って膨れ上がり、サキシアを飲み込んでいく。
 そのまま、王族の並ぶ上座を見渡した。
 サキシアの顔に、笑みが浮かぶ。 
 それは凄みを感じさせるほど、艶然としたものだった。


楽園―Pの物語―宮廷からの手紙

2021-10-08 21:12:47 | 大人の童話
 八日後、生まれたのは優しげな男の子で、ロイと名付けられた。
 翌年から、布の柄はどんどん多様に、そして美しくなり、工場は更に拡張された。
 『トゲトゲの』を栽培する土地も大幅に増やされ、数年後には町の一大産業にまで発展していた。
 サキシアのアザは完全に消え、ギャンと三人の子供達、そして五羽の鳥達と仲睦まじく歩く姿は、人目を引いた。
 その頃には『母の恵み』は『サキシアの恵み』、『白花茶』は『白いサキシア』、『トゲトゲの』自体は『真珠のサキシア』と呼ばれるようになっていた。

「お母さん、今度はどんな柄?」
 ファナが後ろからサキシアに抱き付き、その手元の布を覗き込んだ。
「お帰りなさいファナ。鳥の柄よ」
 サキシアが解きかけの布を掲げ
て見せた。
 テーブルには布から抜いた糸が、きっちりと並べられている。
「今日は何があったの?学校にはもう慣れた?」
「う~ん。七歳っていっても私はもうすぐ八歳だしね。得だとは思うわ。ミルドレッドとロイは?」
「お向かいに遊びに行ってるわ」
「今度はお向かい?女の子とばかり遊んでいると、ロイも女の子になっちゃうんじゃない?」
「確かに、口が達者なのは貴女達に似てるわね。でも『ただいま』が、まだだったわね」
「はぁい。『ただいま』」
「じゃあおやつにしましょう。テーブルには触らないでね」
「分かってます。お母さんの作業部屋のものには触りません。お母さんの他はね」
 サキシアは椅子から立ち上がり、振り向いて小さな体を抱き締めた。
「大好きよ、ファナ。沢山お話聞かせて頂戴。手は洗った?」
「うん。食べる準備は出来てるわ」
 ファナは大きく口を開けて、ダイニングへの扉を開けた。
 
 ダイニングのテーブルには、木彫りの菓子鉢が乗っていた。
 中には雑穀を挽いて香ばしく焼き上げた、丸い菓子が入っている。
 椅子に着なり、ファナは一つを手に取った。
 サキシアがお茶を注いだ時には、二つ目を口に運んでいた。
「先生が言ったことは覚えているの。だから問題を解くのは簡単。でも、どうしてそうなるかが解らないの」
「例えば?」
 サキシアも菓子に手を伸ばす。
「春に咲く花は知ってるの。でもどうして春に咲くのか解らないの。空の色が変わるのは知っているの。でもなんで変わるかが解らないの」
 サキシアの菓子を摘まむ手が止まった。
 ファナが研究者を志すかもしれないと、直感したのだ。
今まで子供だからと思っていた集中力も、時折投げ掛ける思いがけない質問も、それに繋がるように思えた。
 サキシアはファナの髪を優しく撫でた。
「それはね、ファナ。自分で考えなさい。貴女は今、色んなことを知る手掛かりを教わっているの。取りあえずの答えは、上の学校に行けば習うけど、きっとその先にも解らないことが出てくる。その謎は貴女が解くしかないわ。考えることが、その訓練になるはずよ」
「ふーん。そうなんだ」
 半分も解らないという顔をして、ファナが話題を変えた。
「あと、友達に訊かれた『ファナはお金持ちなのに、なんで安いペンを使っているの?可愛いのを買って貰えばいいのに』って」
「うちはお金持ちじゃないのよ、ファナ」
 サキシアはファナの目を見詰めた。
「うちは町では大きな店と工場を持っているけれど、お金は経営者として働いた分しか貰ってないのよ」
 ファナに言い聞かせながら、サキシアは考えた。
 ファナが将来、研究をしたいと言えばさせてあげたい。必要な本があれば、読ませてあげたい。
 本はあまり出回っているものではなく、結構値も張る。
 専門書となれば尚更だろう。
 絶対数が少ないのがいけないのだ。
―絶対数?ー
 サキシアの頭に、何かが引っ掛かり、過ぎていった。
 急いで、けれどもそろりそろりと引き戻す。
 基本的に本は、書き写すか、一枚一枚版画のように、木を彫って刷られている。
 けれども字ならば数十種類だ。
 それを沢山作って枠の中に並べれば、使い回しがきく。
 文字は丈夫な金属を、鋳ぬいて作れないだろうか。
「お母さん、何か思い付いたの?」
 ファナの問い掛けに、サキシアは我に帰った。

「ただいま!」
「お帰りなさい」
 サキシアとギャンは声を聞いた瞬間、相手が軽い興奮と緊張を、押さえていることに気付いた。
「貴方が先に」「君が先に」
 同時に言って、同時に笑いだす。
 先に笑い終えたのはサキシアだった。
「私の話は急がないから、先に聞きたいわ」
「うん」
 ギャンが大きく頷いた。
「王宮から手紙が届いたんだ」
 

楽園―Pの物語―子宝

2021-10-01 21:42:12 | 大人の童話
 サキシアの大好きな果物を、袋一杯にもらって、いつもより少し早い時刻に、ギャンは帰宅した。
『おかえりなさい』
 と、出迎えたのは、ピールだけだった。
「サキシア、ファナ、奥にいるの?」
 そう言いながら靴を脱ぎ、居間に上がって、部屋履きに履き替える。
 顔を上げると、横倒しにされた長いソファの上に、ファナが安全シートごと、括り付けられていた。
 頭にはぺルルが乗っている。
「おかえりなさい、ギャン。今、ご飯が出来るから、少し待っててね」
 隣室から顔を出した来サキシアに、ギャンの頬が弛む。
「ただいま、サキシア。ファナはどうしたの?お仕置きか何か?」
「まさか。今朝パールの子が孵ったでしょう?巣を覗きたくてあちこち上るのよ。危ないからこうしたの」
 ギャンはファナの視線を追った。
 その先には確かに、部屋の角に置いた流木の上の、巣箱があった。
 ファナは安全シートもソファーの存在も忘れたように、見入っている。
「そういえば、お義母さんから聞いたんだけど、『安全シート』が勝手に真似されてるんだって」
 眉根を寄せてギャンが言う。
「そうなの。じゃあ作り方を教えてあげないとね。丈夫じゃないと危ないわ」
「え?いいの?サキシアが思い付いて何度も試作して、やっと完成したのに」
「教室を開けば布の売り上げに繋がるし、お店の宣伝にもなるでしょう?。なにより『安全シート』が広まれば、椅子から落ちる子供が減るのよ」 
 サキシアの笑顔を、ギャンがしみじみと見つめた。 
「・・・サキシアは凄いなあ。沢山見えて皆の幸せを選ぶんだ。布染めの時と一緒だね」
「私は思いつきを言うだけよ。形にしているのは、ギャンとお義父さんお義母さん、そして協力してくれる皆だわ。いつも有難う。そしてその、袋の中身もね」
「えっ、分かるの?」
「もちろん、匂いが」
―バサバサバサ―
 窓から飛び込んできたパールに、二人の目がいく。
 その嘴には、大きな毛虫が二匹、挟まれていた。
『ピーッ』『ピーッ』
 鳴いたのは雛達で、口を開けたのは雛達とファナだった。
 パールが雛達とファナの間で、右往左往する。
「ファナ!口を閉じなさい!今すぐに」
 サキシアの声に、ファナが口を閉じた。
 そして不服そうにサキシアを見る。
 パールは雛達の元へ向かった。
「理由が知りたい?」
 サキシアの質問にファナが頷く。
「私達は一緒に暮らしているけど、体がとても違うでしょう?パール達には羽や嘴があるし、私達はとても大きい。だから必要な食べ物も、体に悪い食べ物も違うのよ。ここまでは、分かる?」
 ファナが又、頷く。
「お利口ね。ファナは本当に理解が速いわ。そして私達はご飯に色々あげてるけど、それだけでは足りないの。だからパールは外に行って、雛達にご飯を取って来るのよ。なのにファナが雛と同じに口を開けていたら、ファナにも食べさせたくなるでしょう?だから二つの訳で、ファナは雛の真似をしてはいけないの。分かった?」
 ファナが更に頷く。
「本当にファナは利口で優しいわね。そろそろ私達もご飯だから、下りましょう」
「ああ、俺が下ろすよ」
 ギャンがソファの紐に手を掛ける。
「有難う。私はご飯の支度をするわ」
 土間に向かうサキシアの背に、ギャンが声を掛けた。
「サキシアはいつも、ファナに詳しく話すよね」
 サキシアが振り向いて頷いた。
「何をするか分からないもの。この前『おしっこやうんちがしたくなったら教えて』って言った時には、道の真ん中でいきなりおむつを外して大の字になったのよ。ファナはまだ話せないのに、合図を決めなかったから。パールとぺルルが『おしっこ、おしっこ』って言いながら、頭の上を飛んでいたから、近くの家ですぐ、トイレを貸してくれたけど。そうじゃなかったら、お尻を出したファナを抱えて、街中を走り回っていたわ」
 サキシアは、いたって真顔だ。
「そ、それは大変だったね」
 ギャンの声は、笑いを圧し殺して震えていた。

 二ヶ月後、春と夏の間の夕方、サキシアは二人目の子供を産んだ。
 店に呼ばれているうちに、ファナが生まれてしまったアルムも、今度はしっかり付き添えた。
「これはまた、可愛い女の子だね。ファナちゃんとは別の良さがある」
 取り上げ女が嬉しげに言う。
「有難うサキシア。お疲れ様」
 アルムがサキシアの右手を握る。
「無事ですか?元気ですか?」
 産声を聞いたギャンが、ファナを連れて入って来た。
「二人とも元気ですよ。とっても愛くるしい女の子です」
 取り上げ女の返答に、ギャンが安堵の溜め息を吐いた。
「この子はギャン似ね。子供らしい可愛さがある。あんたも小さい頃は可愛かったのよ」
「俺は今でも可愛いよ」
 アルムに言い返しながら、ギャンがサキシアの左手を包み込む。
「有難う、サキシア」
「こちらこそ。ギャン」
 微笑むサキシアは汗だくで、目は赤い。
 ファナは取り上げ女のすぐ横で、赤ん坊をじっと見ている。
「名前を決めなきゃな。何にしよう」
 ギャンの独り言にファナが答えた。
「ミルドレッド!」
 四人が一斉にファナを見る。
「「「「話せるの!?ファナ」」」」」
 声も見事に揃っていた。
 ファナが頷く。
「何で今まで話さなかったの?」
 ギャンが尋ねる。
「いらなかった」
 二呼吸した後、サキシアが口を開いた。
「ごめんなさい、ファナ。私が先回りし過ぎたのね。あなたの伸びる力を奪ってしまった。これからは、なんでも話してね」
 ファナがサキシアに駆け寄った。
 ギャンとアルムがサキシアの手を離す。
 ファナがサキシアに抱き付いた。
「おかあさん、好き」
 サキシアも強く、抱き締め返す。
「有難う。私も大好きよ」
 取り上げ女が、赤ん坊に産湯を使いながら訊いた。
「ミルドレッドは、ファナ王女の一人娘で『美の国』を継ぐんだよね。教えたの?」
「神話の本を読み聞かせたことがありました」
 サキシアが答える。
「君の名前はミルドレッドだ。今日は良いことがてんこ盛りだよ」
 ギャンがミルドレッドを覗き込んだ。

 翌年の秋、サキシアは暖かい陽を浴びながら、籐椅子でベストをほどいていた。
 その腹は、胸の少し下から、丸く膨れている。
 今度は男の子だろうと、サキシアは思っていた。
 ミルドレッドより二ヶ月早く孵った雛のうち、雌のポーはミルドレッドにベッタリで、雄のプルンはサキシアが妊娠した頃から、サキシアに付いて回るからだ。
 どんな子供に育つのか、サキシアは楽しみでも少し不安でもあった。
 ファナは何かに興味を持つと、何時間でもじっとしている。
 けれど突然、思いもよらないことをする。
 ミルドレッドは足が早く、一歳の誕生日には走り回っていた。
 目を離すと、すぐ何処かに行ってしまい、そそっかしくて怪我が絶えない。
 見た目も全く違った。
 南方から来たサキシアの母の血が濃く出たのか、ファナは少しエキゾチックな美人顔だ。
 ミルドレッドはギャンの父方に多い丸顔で、子供らしく可愛らしい。
 ファナのお下がりのセーターを、ミルドレッドに着せることも考えたが、似合う色がまるで違う。
 ギャンが柄入りのベストをもう着ないと言ったのは、丁度良かった。
 サキシアは、ソファで寝息をたてている子供達に目をやった。
 二人とも、それなりに良いお姉さんになりそうな気がする。
 それでも、今よりもっと忙しくなるだろう。
 ミルドレッドが生まれてから、染めの工夫もあまり出来ていなかった。
 後染めならば、繊細な柄で染める方法が、いくつもの地方で発達している。
 サキシアは先染めで複雑な柄を織り出したいのだ。
 サキシアが突然、自らの手元に見入った。
 染めてから手解き、その糸と同じく染めればいいのだ。
 寸分違わず染めるのは大変な技だろうが、工場には頼りになる職人が何人もいる。
 その研究を許してくれる他の職人達が、ギャンがバスがアルムがいる。
 自分はなんて恵まれているのだろう。
 サキシアはうっとりと、そしてゆったりと微笑んだ。