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南田洋子さん(写真:産経新聞) |
くも膜下出血で東京都内の病院で入院中だった女優の南田洋子(みなみだ・ようこ、本名・加藤洋子=かとう・ようこ)さんが21日、死去した。76歳。東京都出身。通夜や告別式の日取りは未定。夫は俳優、長門裕之(ながと・ひろゆき、本名・加藤晃夫=かとう・あきお)氏。
昭和27年、映画「美女と盗賊」でデビュー。翌28年、同期の若尾文子さんと共演した「十代の性典」のヒットで「性典女優」として人気を集めた。
30年に日活に移籍。31年、石原慎太郎原作の「太陽の季節」のヒロイン役で一躍、看板スターとなる。この映画で初共演した長門さんと、36年に結婚した。
38年、「サムライの子」でブルーリボン助演女優賞を受賞。映画ではほかに「近松物語」「幕末太陽伝」「わが町」など。
39年に夫の長門さんとともに「人間プロダクション」を設立して、後進の育成とドラマ制作に乗り出す。テレビドラマにも意欲的に出演し、40年、NHK「紀ノ川」で日本放送作家協会賞最優秀女優賞を受賞。舞台でも活躍した。
「おしどり夫婦」として知られる長門さんとペアでフジテレビ「ミュージックフェア」の司会を16年間担当。アットホームな雰囲気が人気を集めた。交通遺児奨学金のチャリティー活動も長年続けたほか、平成10年には義父の介護体験をつづった「介護のあのとき」を出版。講演なども行っていたが、平成18年に引退。「認知症の兆候がある」と診断され、自宅で長門さんの献身的な介護を受けていた。20年11月には夫妻に密着したテレビのドキュメンタリー番組が放送され、大きな反響を呼んだ。
今月17日に自宅で倒れて病院に搬送され、手術を受けていた。
昭和27年、映画「美女と盗賊」でデビュー。翌28年、同期の若尾文子さんと共演した「十代の性典」のヒットで「性典女優」として人気を集めた。
30年に日活に移籍。31年、石原慎太郎原作の「太陽の季節」のヒロイン役で一躍、看板スターとなる。この映画で初共演した長門さんと、36年に結婚した。
38年、「サムライの子」でブルーリボン助演女優賞を受賞。映画ではほかに「近松物語」「幕末太陽伝」「わが町」など。
39年に夫の長門さんとともに「人間プロダクション」を設立して、後進の育成とドラマ制作に乗り出す。テレビドラマにも意欲的に出演し、40年、NHK「紀ノ川」で日本放送作家協会賞最優秀女優賞を受賞。舞台でも活躍した。
「おしどり夫婦」として知られる長門さんとペアでフジテレビ「ミュージックフェア」の司会を16年間担当。アットホームな雰囲気が人気を集めた。交通遺児奨学金のチャリティー活動も長年続けたほか、平成10年には義父の介護体験をつづった「介護のあのとき」を出版。講演なども行っていたが、平成18年に引退。「認知症の兆候がある」と診断され、自宅で長門さんの献身的な介護を受けていた。20年11月には夫妻に密着したテレビのドキュメンタリー番組が放送され、大きな反響を呼んだ。
今月17日に自宅で倒れて病院に搬送され、手術を受けていた。
先日の金スマだったか…途中でテレビを消した。
なぜ…あのような姿を見せたのか・・・最初は夫の長門裕之を恨んだ。
大半の芸能人が、闘病の姿や変わり果てた姿を見せず、いいイメージを残して亡くなっていくだけに、あの気品のあった人の現実を見せられ、少なからずショックを受けた。
人間は毎日…老いていく必然の中で生きている。
その生きざまが、わかる仕事をしているだけに、あの姿は辛いものであった。
私は昔から…長門裕之にはいい思い出がない。
育ちが良すぎるのか…人の痛みに気付かない…
そのまま大人になった人…という印象がある。
もし…南田洋子さんが正常な判断が出来たなら、いまの自分をさらしたであろうか?
安らかに…合掌