お葬式・・・
誰しも必ず行う儀式・・・
喪主になる場合・・・
そうでない場合・・・
また、送られる当事者になる場合・・・
日本人の多くは、身内の死や葬儀と言うものを
現実世界からタブー視してきた。
海外では多くの国が、学校教育に死を取り入れ
啓蒙している国がある。
親族がアメリカにいる人から聞いた話では
幼少時から・・・生命や、死についての教育が日本より盛んらしく
医師資格よりも、葬儀教育課程の方がステータスが高いと聞かされ驚いた。
ここらが・・・国民性の違いであろう。
さて・・・最近は事前相談という形のものが、徐々にだが増えてきた。
先日も・・・「身内の心配を、葬儀屋さんに相談すると、長生きするそうですね・・・」と、言われたが、笑い話のようだが・・・これは事実である。
私はこれまで、説明会などで葬儀に関する多くのことを・・・当然で当たり前のように語ってきた。
しかし・・・一昨年に父を亡くした時に、
葬儀とは・・・
遺族とは・・・
というものが、恥ずかしながら初めてわかった。
葬儀を行う・・・
喪主になることの大変さが・・・
これらは・・・正直大事の連続である。
まして葬儀屋が葬儀を出すということは、おかしな話であるが、葬儀屋(相談者)がいないのであるら・・・本当に大変だと実感したものである。
いくらうちの社員や同業者の親友がいても、私の考えに異論を挟むことはない。
(それだけに・・・葬儀屋の葬儀は、正直大変だと思う)
私は、父の余命が少ないと医師から聞かされた時・・・密かに葬儀の準備を始めた。
まずは・・・
①どの様な規模にするのか?
②どこまでに連絡をするのか?
③場所はどこで行うのか?
この三点を重視した。
生前父に・・・「もし、父さんが死んだら、葬儀はどうしてほしいとかいう・・・希望はあるかいね・・・」と聞いたことが一度だけある。
その時・・・「あんたは、ワシの葬式を考えとるんかい・・・冗談じゃない。」と、烈火の如く怒りだした。
葬儀屋なのに・・・自分の死を描かないとは・・・無責任じゃのう・・・と思ったが、最後まで本人は、自分の葬儀に関することは口にせず、全ては私の一存で決めるしかなかった。
(仕方あるまい・・・誰が好きで自分の葬儀を描くものか・・・との思いも事実ある)
そこで、父が病と闘う時間を利用し考えた。
派手なことが嫌いで、目立つことをトコトン嫌った。
生まれ故郷に対する愛着は、相当強い。
葬儀屋として、祭壇に対する創意工夫を生きがいにしていた。
カープが三度の飯より好きだった。
親戚に対する愛情は尋常でなかった。
葬儀業界の他社と馴染もうとしなかった。
社葬とは・・・世間が、それに相応しい会社と認めた企業が行う儀式と口にしていた。
葬儀とは・・・故人を偲ぶ者が集まること・・・と、酔えば口にしていた。
以上のことに重点を置き
葬儀会場は・・・田舎の寺院
参列者は・・・親戚全員、父の同級生、私の悪友さんに一任、同業者のTくんと取引関係の一部、そして父がお世話になったお寺さん・・・に決めた。
参列者に関しては、当初親族のみとしていたが、色々なアドバイスや葬儀を迎える過程まで、秘密に出来ない状況が起こり、一部に迷惑を掛けたのは事実。
予想外のことが起こるのが葬儀と知ってはいたものの、まさか自分がその様な目にあうとは正直・・・思わなかった。
私は父が亡くなり、葬儀まで5日の時間をもうけた。
急いで葬儀を行う気は、最初からなかった。
亡くなって自宅に安置し、お世話になったご近所に連絡を入れ
弔問し、ご焼香をいただいた。
そこで・・・通夜、葬儀は、田舎で行う意向を伝え、参列は辞退していただいた。
自宅を出棺するとき、ご近所の方がお見送りを申し出られたため、それは快くお願いしますと伝え、多くの方に見送っていただいた。
次に・・・父がお世話になった寺院や、広島市内で愛着のあった、旧市民球場、流川、マツダスタジアム、会社と回り、通夜会場の田舎にある本家に向かった。
通夜は親族のみで行い、外部の方には寺院で行う葬儀に参列していただいた。
最近の葬儀は、色々と多様化している。
そこで葬儀を経験した私から、これから葬儀をどの様に行っていいのか思案されている人へ、アドバイスを送るなら・・・
誰のために葬儀を行うのか?
に重点を置いてほしい。
故人のためか?
親族のためか?
あるいは両方なのか?
私は90%以上・・・父に比重を置いた。
いまでも、それで正解だったと思う。
予算とか、宗教とか・・・親族の軋轢やしがらみ・・・など色々あるのが葬儀だが
それら一切雑音をシャットアウトし、故人を送る儀式・・・
その様な儀式を葬儀を考えている方には、心の隅においてほしい。
それだけ・・・人間の命は重いもの。
たかが葬儀・・・
されど葬儀・・・と思うなかれ。
駄文・・・長文・・・最後までお付き合い
ありがとうございました。