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25歳の黒田博樹の思い出

2011年11月30日 17時06分19秒 | カープ

いま37歳だから12年前だったな・・・

黒田に出会ったのは・・・

 

そのときの印象は・・・聞き上手。

私のカープに対する思いを ジッと目を見て聞いてくれる黒田がいたのを昨日のように思い出す。

 

ルーキー時代に、阪神とのオープン戦で 中継ぎで起用され打ち込まれた。

そのとき解説の木下さんが 「この投手は中継ぎより先発が向いている」と言われたのを思い出し、「自分は先発タイプよね・・・」と聞くと 「そう思います。中継ぎは向いていないと自分でも思います」と語った。

また・・・「先発は中何日とか間隔があるじゃないですか。中継ぎは毎日出番を予測し待機が必要。だから自分が投げるときは一イニングでも多くマウンドに立っていたい。そうしないと中継ぎの人に申し訳ない」とも語った。

当時から登板日に、打線の援護が少なかった。そこで彼のコメントは 打線を擁護するものだった。

同席していた佐々岡氏が言った。

「黒田は偉くなったと思ったのが、昨年までなら 愚痴のひとつも出てました。先日完投はしたが僅差で負けた試合があったんです。そのときマスコミに囲まれ打線の援護がなかったことに言及されたとき、一点でも取られた自分に責任がある。相手の投手はそこを我慢した。僕はそこが踏ん張れなかった。次はそこを踏ん張れる投手になりたい…とコメントしたんです」

また佐々岡氏は・・・

「僕ら投手が打って勝つのは 確率的にものすごく少ないんです。やはり野手とは持ちつもたれつの関係でないと・・・」と語った。

 

当時のエースは佐々岡であった。

 

黒田はローテーションが何とか保証された若手の有望株に等しかった。

 

その証拠に・・・その年のオープン戦の広島市民球場で行われた西武戦。

東尾監督が、「明日の広島での試合に松坂を先発させる」と語ると、広島の山本浩二監督は、「うちは黒田で挑む・・・」との記事が掲載された。

黒田はその時のことを こう語った。

「あれは期待の重さを感じました。相手が松坂でしょう・・・オープン戦でしたが、負けたくない。このチャンスは絶対にものにするという気持ちでしたね・・・」

その試合・・・黒田は予定の5回を投げぬいた。

それからの黒田は 着々と自分の立ち位地を決めたと思う。

今となっては懐かしい思い出であるが、最後にファンへの思い・・・彼も佐々岡も盛んに口にしていた。

「僕らはファンあっての職業。本当に心からそう思っています」

彼の口から発信される言葉は、10年以上たって環境が変わっても不変であろう。

 

当時 黒田が色紙に書いた座右の銘・・・

不苦無栄光・・・(苦しみ無くして栄光なし)

彼は野球生活最後の 大きな苦しみを迎えているのかもしれない。


黒田はどなるのか…

2011年11月30日 16時24分58秒 | カープ

コメント・・・連続でありがとうございます。

情報屋を自称するT氏が・・・私があまりにも口を滑らすからか、音信不通になった。

 

さて昨日の九州スポーツの一面・・・

ヤクルト次期監督に江川卓氏・・・と掲載された。

しかし、誰も揶揄しない。

あれは九スポの特権というか らしさなんでしょうね。(笑)

私がやったら・・・どうなったことか・・・?

 

さて栗原や広瀬の残留が決まったと同時に、音沙汰の気配がまったくありませんね。

一番の今年のメインであった黒田復帰・・・静観状態です。

 

しかしどうなんでしょうか?黒田・・・

今日も聞かれた。

 

どうなるかわからないが、・・・復帰するのであれば、ここまで時間を要さいはず。

それを決断できないということは

①・黒田が大リーグに未練を残している。(アメリカ生活や家族の環境)

②・年俸に大きな開きがある。

③・カープとの話し合いで金銭以外に納得できない面がある。

④・カープの一部スタッフや選手に、黒田の復帰を望まない勢力がある。

このどれかではないのかと思う。

 

「前田が引退しないから復帰はない」という声もありますが、さてどうなんでしょうか・・・?

でも、一理あるかもしれませんね。

 

まあこれだけは言えます。

カープが大リーグと同様な年俸を出せないのは黒田も承知です。

それでありながら黒田は・・・「日本復帰ならカープを第一に・・・」と表明してます。

昨年 複数年契約を提示されたのに、一年契約を申し出た。

その時点では黒田は今オフ・・・広島復帰で話は出来ていた。

鈴木本部長を窓口にし、黒田番と呼ばれる某紙の記者も張り付き・・・

カープの情報はもとより 黒田の胸中も それなりに理解しながら。

 

しかし一部関係者が・・・黒田の復帰を快く思わない話が入った。

それで・・・黒田復帰のシナリオが徐々に崩れはじめた。

金額や住環境には異論がなかったのに・・・

 

 

あくまでも憶測の域を出ないが、もし黒田が来期も大リーグとなれば…肝心のチームが 黒田復帰に諸手をあげて賛成していないのではなかろうか・・・

 

そのためのリスク回避が 野村(明大)のみの獲得であれば、春先から野村ありきできた カープのフロントは 来期の戦いを放棄したのと同じであると思うのだが・・・


ソフトバンクの高山投手コーチを逃したカープ

2011年11月30日 08時15分28秒 | カープ

高山氏を見て最初に思い出すのは・・・

昭和55年の夏・・・全国高校野球選手権。

秋田商業のエースで豪腕投手のイメージが・・・忘れることが出来ない。

 

この年・・・甲子園は大いに沸いた。

横浜 愛甲と早実 荒木の決勝戦や

原捕手(広陵)・西本投手(東海大四高)・川村投手(松商学園)・安西内野手(横浜)など、多数の選手がプロ入りした豊作の年でもあった。

 

高山氏や川村氏は、将来的には西武と密約があったのか

共にドラフト1位で阪急と日ハムに指名されたが、社会人のプリンスホテル入りして後に西武へ入団となった。(二人とも、プロ入りしたときには高校時代の豪快なイメージには遠く、それなりに完成された投手になっていた。)

 

さてその高山氏・・・後にカープへトレードでやってきた。

確か河田外野手(現西武コーチ)との交換だったと思うが、中継ぎで味のある投球スタイルだったものである。

高校時代はオーバーハンドから体重をうまく利用し、三振を取るイメージの投手であったが、カープでのイメージは腕を下げ サイドからコーナーをうまくつき、打ち取る投手であった。

 

昨日台湾で、アジアリーグの韓国戦決勝が行われた。

ソフトバンクは惜しくも敗れたが、藤岡投手が小気味よい投球でリズムよく投げ込む姿を見るにつけ ベンチで見守る高山投手コーチの指導だろうと思った。(このチームは投手の育成がうまく、本当に投手力が高い)

ソフトバンクは補強もだが、コーチやスカウトにスコアラーの編成でも、落合中日と双璧である。

特に監督候補者の育成もシステムが構築されているのだと思う。(王さんの方針だろう)

一部主力選手は、球団の査定方法に異論を唱えてはいるが、ファンに夢と希望を与えるチームだと思う。

親会社のソフトバンクが資金力豊富との見方もあるが、表面だけの見方をするとそう見えるかもしれないが、裏面からみてみると そこまで潤沢な会社ではなく、ひとつ間違うと大きな危険をはらむ企業にも見えなくない。

 

しかし本当に夢があると思わせる…このチームは。

 

秋山監督や高山コーチ・・・ここまで来る過程には苦労もあった。

それだけに選手をうまく操縦していると感じる。

 

指導者の育成を大義にしていたカープ・・・

高山氏が 独立リーグで西田真二氏のもとで働いていたとき、最大のチャンスがあったのだが、要請はしなかった。

このようなOBに、いい人材がいるのにかかわらず、安年俸を了解し従順な人しか雇用しない姿勢で本気の改革は出来るはずもない。

早くそこに気づかないと、有力な新人も入団しないチームになり、ソフトバンクや他チームとは大きな差が開き、気づいた時には一リーグ制になっていたでは遅いのだ。

 

カープはどこに行くのだろうか・・・