すっごい良かった。
幕末維新の英傑の伝記というよりも、著者の菅野覚明さんの、公平公正で、公明正大な、事実に即した、クセのない、誇張もない、品位のある筆致に。その人間性に。
文章から人間性が分かる。それを思い知らされる一冊でした。これほどに私に感動を与える本は、100冊に一冊くらい。
私は半年くらい、この本を勧め続けるかも。
◆ 明治時代は「軽佻浮薄」。同時代人の7割がそう思っていた。
夏目漱石や新渡戸稲造が典型。
それを「坂の上の雲」と持ち上げるのが司馬史観。
司馬さんは昭和にイジメられたから、その反動で昭和が嫌いになり、明治に光明を求めた。
明治時代ってのは、要するに「バブル」だった。
◆ 佐藤一斎の『言志四録』は徹底した「自省」の書。
◆ 武士は横に寝るときは、右手を上にして寝なかった。
襲われたら利き腕を失うから。
◆ 安政の大獄の強硬な弾圧策も、幕藩体制の秩序感覚(酔って不覚を取っただけで死罪になりうる)からすると、別段奇異とするに値しない
◆ 海舟が井伊直弼を称して「あに大丈夫といわざるべけんや」
◆ 「かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂」
…松陰のこの句は、泉岳寺前で赤穂浪士に手向けて詠んだ
◆ 吉田松陰が取った政治行動は、下田密航事件のみ
◆ 松陰の松陰たる所以は、下田事件後の5年半の幽囚の時期の生き方にある。彼本来の行き行きとした生きざまが、牢獄という額縁をはめられることで、くっきりと浮かび上がってきた
◆ アーネスト・サトウが二次会で日本人サムライと芸者を上げてどんちゃん騒ぎ…幕末史はこれがなかりせばどうなっていたか。
◆ アーネスト・サトウの秘書になったのは、会津藩士。英国からすれば、敵方。
◆ 横井小楠には知識はなかった。ただ、「仁」という、世のため人のためという精神に基づいた智恵のみがあった。
◆ 佐久間象山には知識はあったけど、国家の経綸を図る見識はなかった。幕藩体制の枠内でしかモノを考えることができなかった。
その象山の弱点は、「どうも、社会性に乏しく、人間関係や人の気持ちの機微に疎い象山の性格と関係があるように思われる」。
…そう。性格が思想に影響する。マルクスなんかが典型。
家庭連合信者を「ダニ」「ゴキブリ以下」と呼び続ける鈴木エイト氏の「性格」も、彼の思想に影響している。
◆ 常人に分からないくらいではないと英雄豪傑とは言えない
…日本人的な考え、西郷隆盛を論じる文脈で。
日本史で最も「分からない」人物が、西郷隆盛。
その西郷は『代表的日本人』(内村鑑三)のトップバッター。
To be great is to be misunderstood(エマソン)ってことですね。
◆ 禅を修めた西郷は、初対面で禅問答を仕掛けるクセがあった。
橋本左内との初対面で相撲を提案したり。
…禅問答は、理性ではなく、相手の「感性」を問ういい試験。
私も、初対面の人とかに、突拍子もないことを言って、禅問答を仕掛けて、その人の「感性」を探ろうかな。。。
◆ 落馬して痛がる明治天皇に対し、西郷が
「どんなことがあっても、痛いなどと仰ってはいけません」と訓戒。
…ために明治天皇は、最後のご病床の中でもついに苦痛の言葉を漏らさなかった。
西郷の武人としての最大の功績は、明治天皇の精神を大元帥にふさわしいものにしたことにある
◆ 西郷の思想に独自なところはない。道に志す、世のため人のために己を尽くす、という、当時の武士ならば誰でも持っていたような死生観・哲学を持っていたにすぎない。
西郷を西郷たらしめたのは、それを実践したこと。空理空論で終わるのではなく、児孫のために美田を買わずを地で行った。赤貧で暮らした。
「もし西郷の思想に独自性を求めるとするなら、それは思想の内容ではなく、このあたりまえの道徳を、完全に実行しようとしたところにある」
…これは本当にその通り。
その意味で、西郷とガンディは似る。
欲を徹底的に去ろうとして、ほとんど「仙人」のようになった点で、西郷とガンディは似る。
ただ、食欲を離れることができなかった西郷より、食欲を断つことに成功したガンディのほうが、一枚上手であるように思われる。
◆ 島津斉彬が「日本ノ玄機ヲ引起コシ、日本ノ日本タル所ヲ示サン」と言っている。
薩摩だけではなく、「日本」を考えている。視座が高い。
◆ 西周の『百一新論』は、儒教仏教キリスト教などの様々な教え(百教)を、一つにすることにある。
…渋沢栄一と成瀬仁蔵がやろうとした「帰一協会」みたいですね。
それを後年に文鮮明が「統一教会」でやろうとしました。
◆ 米国外交官タウンゼンド・ハリスの有名な述懐:
「私はときとして、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる」
…それくらい、ハリスの目には、当時の日本人が魅力的に映っていました。
なお、ハリスは厳格なピューリタンで、おそらく一穴主義で、「唐人お吉」との関係などは後世の伝説のようです。