川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

「はい」の返事は高杉晋作から

2024年10月11日 | 歴史
今、我々が返事として使っている「はい」は、高杉晋作から。

彼が上海に行った時、上海人が使っていた。

奇兵隊を創設して、「へい」「あいよ」「ははっ」などの、武士・農民の混在した返事を、統一するために、上海仕込みの「はい」を高杉が採用した。

へえ。

軍隊長の「〜であります」が長州弁で、男性が使う「僕」が吉田松陰由来だということは知っていた。ちなみに昔の警察が使った「おい、こら」は薩摩弁。

「はい」は高杉由来か、、、 そう思ってこれからはさらにハキハキした「はい」を使います!




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『幕末維新英傑伝』 菅野覚明

2024年10月05日 | 歴史
すっごい良かった。

幕末維新の英傑の伝記というよりも、著者の菅野覚明さんの、公平公正で、公明正大な、事実に即した、クセのない、誇張もない、品位のある筆致に。その人間性に。

文章から人間性が分かる。それを思い知らされる一冊でした。これほどに私に感動を与える本は、100冊に一冊くらい。

私は半年くらい、この本を勧め続けるかも。

◆ 明治時代は「軽佻浮薄」。同時代人の7割がそう思っていた。
 夏目漱石や新渡戸稲造が典型。
 それを「坂の上の雲」と持ち上げるのが司馬史観。
 司馬さんは昭和にイジメられたから、その反動で昭和が嫌いになり、明治に光明を求めた。
 明治時代ってのは、要するに「バブル」だった。

◆ 佐藤一斎の『言志四録』は徹底した「自省」の書。

◆ 武士は横に寝るときは、右手を上にして寝なかった。
 襲われたら利き腕を失うから。

◆ 安政の大獄の強硬な弾圧策も、幕藩体制の秩序感覚(酔って不覚を取っただけで死罪になりうる)からすると、別段奇異とするに値しない

◆ 海舟が井伊直弼を称して「あに大丈夫といわざるべけんや」

◆ 「かくすればかくなるものと知りながら 
   やむにやまれぬ大和魂」
 …松陰のこの句は、泉岳寺前で赤穂浪士に手向けて詠んだ

◆ 吉田松陰が取った政治行動は、下田密航事件のみ

◆ 松陰の松陰たる所以は、下田事件後の5年半の幽囚の時期の生き方にある。彼本来の行き行きとした生きざまが、牢獄という額縁をはめられることで、くっきりと浮かび上がってきた

◆ アーネスト・サトウが二次会で日本人サムライと芸者を上げてどんちゃん騒ぎ…幕末史はこれがなかりせばどうなっていたか。

◆ アーネスト・サトウの秘書になったのは、会津藩士。英国からすれば、敵方。

◆ 横井小楠には知識はなかった。ただ、「仁」という、世のため人のためという精神に基づいた智恵のみがあった。

◆ 佐久間象山には知識はあったけど、国家の経綸を図る見識はなかった。幕藩体制の枠内でしかモノを考えることができなかった。
 その象山の弱点は、「どうも、社会性に乏しく、人間関係や人の気持ちの機微に疎い象山の性格と関係があるように思われる」。
 …そう。性格が思想に影響する。マルクスなんかが典型。
  家庭連合信者を「ダニ」「ゴキブリ以下」と呼び続ける鈴木エイト氏の「性格」も、彼の思想に影響している。

◆ 常人に分からないくらいではないと英雄豪傑とは言えない
 …日本人的な考え、西郷隆盛を論じる文脈で。
  日本史で最も「分からない」人物が、西郷隆盛。
  その西郷は『代表的日本人』(内村鑑三)のトップバッター。
  To be great is to be misunderstood(エマソン)ってことですね。

◆ 禅を修めた西郷は、初対面で禅問答を仕掛けるクセがあった。
 橋本左内との初対面で相撲を提案したり。
 …禅問答は、理性ではなく、相手の「感性」を問ういい試験。
  私も、初対面の人とかに、突拍子もないことを言って、禅問答を仕掛けて、その人の「感性」を探ろうかな。。。

◆ 落馬して痛がる明治天皇に対し、西郷が
 「どんなことがあっても、痛いなどと仰ってはいけません」と訓戒。
 …ために明治天皇は、最後のご病床の中でもついに苦痛の言葉を漏らさなかった。
  西郷の武人としての最大の功績は、明治天皇の精神を大元帥にふさわしいものにしたことにある

◆ 西郷の思想に独自なところはない。道に志す、世のため人のために己を尽くす、という、当時の武士ならば誰でも持っていたような死生観・哲学を持っていたにすぎない。
 西郷を西郷たらしめたのは、それを実践したこと。空理空論で終わるのではなく、児孫のために美田を買わずを地で行った。赤貧で暮らした。
 「もし西郷の思想に独自性を求めるとするなら、それは思想の内容ではなく、このあたりまえの道徳を、完全に実行しようとしたところにある」
 …これは本当にその通り。
  その意味で、西郷とガンディは似る。
  欲を徹底的に去ろうとして、ほとんど「仙人」のようになった点で、西郷とガンディは似る。
  ただ、食欲を離れることができなかった西郷より、食欲を断つことに成功したガンディのほうが、一枚上手であるように思われる。

◆ 島津斉彬が「日本ノ玄機ヲ引起コシ、日本ノ日本タル所ヲ示サン」と言っている。
 薩摩だけではなく、「日本」を考えている。視座が高い。

◆ 西周の『百一新論』は、儒教仏教キリスト教などの様々な教え(百教)を、一つにすることにある。
 …渋沢栄一と成瀬仁蔵がやろうとした「帰一協会」みたいですね。
  それを後年に文鮮明が「統一教会」でやろうとしました。

◆ 米国外交官タウンゼンド・ハリスの有名な述懐:
 「私はときとして、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる」
 …それくらい、ハリスの目には、当時の日本人が魅力的に映っていました。
 なお、ハリスは厳格なピューリタンで、おそらく一穴主義で、「唐人お吉」との関係などは後世の伝説のようです。


 
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『一億人の昭和史』

2024年09月30日 | 歴史
私の横浜の実家から借りてきた、『一億人の昭和史』。毎日新聞社。46年前。

以下のようなグロい写真もあったりして、歴史の真実に迫ることができます。





↑ アウシュビッツの被害者。


歴史好きな父の蔵書から。息子中2ももうこういう本が読めるかなと思いまして。



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わかる人にはわかる

2024年09月25日 | 歴史
わかる人にはわかる。

勝海舟ほど、明治に、批判された人はあるまい。
福沢諭吉から『痩我慢の説』で叩かれたり。

しかし、海舟は我関せず、

 行蔵は我に存す、
 毀誉は他人の主張

と受け流した。不朽の名セリフ。

相当な禅を修めた海舟ならでは。

____________

そんな海舟は、江戸城無血開城の思いを、「我を知るは独り南州」の漢詩に託して、

 おれの精神はこの四首の中に尽きているのだ。
 たくさんのことを言わないまでも、
 わかる人にはわかるからね。

とうそぶいた。

 

「説明責任」が喧(かまびす)しく言われる令和にはありえない、「わかる人にはわかる」。

まさに知己を千載に待つ態度。

令和の政治家に最も足りないのは、知己を千載に待つ態度ではないか。

それを中曽根さんは「歴史法廷の被告に立つ」と表現した。
 
 
以上、今日届いた以下の本から。


 
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功利主義者・唯物主義者の損得哲学

2024年09月24日 | 歴史
1899(明治32)年に刊行された、新渡戸稲造の『武士道』。

これは、渋沢栄一『論語と算盤』の刊行(1916=大正5年)より17年前。

新渡戸は、この『武士道』で、「功利主義者・唯物論者の損得哲学」を唾棄するように敵対視していた。

~~~以下引用~~~

功利主義者および唯物主義者の損得哲学は、魂の半分しかない屁理屈屋の好むところとなった。

功利主義および唯物主義に拮抗するに足る強力なる倫理体系はキリスト教あるのみであり、これに比すれば武士道は「煙れる亜麻」のごとくであることを告白せざるをえない

~~~引用終わり~~~

武士道 新渡戸稲造著 矢内原忠雄訳 p148)

 
こういう「功利主義者・唯物論者の損得哲学」に対抗する概念として、17年後に渋沢が論語・儒教を勧め、『論語と算盤』を刊行しました。

「功利主義者・唯物論者の損得哲学」は、令和の今にも、生きていますね、、、

というか、どんな人の心のうちにも、「功利主義者・唯物論者の損得哲学」は潜んでいる。そういう「安易な心」「弱い心」をどう御するか。

心中の賊に負けないようにしましょう!
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キリスト教と陽明学とエマソン

2024年09月23日 | 歴史
キリスト教と陽明学は似ている。内村鑑三が『代表的日本人』でそう語っている。

書中で、高杉晋作が長崎で聖書を読んで「これは陽明学に似ている、我が国の分断ここに始まらん」的に言ったエピソードも内村が紹介している。

そもそも内村鑑三『代表的日本人』の5人のうち2人(西郷隆盛、中江藤樹)が陽明学徒だし。

内村以外にも、山田方谷の文脈でも、キリスト教と陽明学の類似性は語られている。こちら

どこが似ているのかな、、、 心を重視するところかな。内心を重視。心の声を聞く、みたいな。

____________

心の声を聞く、と聞いて思い出すのがラルフ・エマソン。

Nothing is at last sacred but the integrity of your own mind 
(心の中のインテグリティほど神聖なものはない)

って言葉のインパクトは強い… 彼のウィキを見ると、スウェーデンボルグの影響をすごく強く受けたとか、カーライルを尊敬していた、って出てくる。

カーライルのことは余り知らないが、この論文はよかった。こちら

エマソンの弟子みたいなデビッド・ソローは、最近(1980年ころ)までアメリカですごく流行っていた。当時にアメリカに留学していた人から聞いた。

ソローの影響はロシアのトルストイ、インドのガンジー、キング牧師の公民権運動にまで及んでいる。

ソローとカーライルは不勉強だ、、 勉強することがたくさんある、、

____________

神谷美恵子に「うつわの歌」ってのがあって こちら 、自分を「うつわ」にして風を通す、って表現が出てくる。

これって新井奥邃の「有神無我」の境地。自己を無にするから、神に近づく。自己を「器」「機能」「道具」にして大きな円を実現しようとする。

ちょっと(いや、だいぶ)情報量が多くて読みづらいと思いますが、私の脳内ではこの辺のconnecting the dots を試みています。。



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菅野覚明の武士道論

2024年09月23日 | 歴史
武士道といえば菅野覚明さん。昔彼の本を読んで、しっかりした論調に印象が残っている。

20年ぶりくらいに再び彼の本を手に取っている。

 ※ 18年前に『武士道の逆襲』を読んでました。私の記憶もあながち悪くない! 


 

やっぱりいい。気合いと根性の精神論的な薄っぺらいことは言わない。該博な知識をもとに、きっちり分析されている。

武士道を語らせたら、菅野さんの右に出る人はいないだろう。以下は葉隠の抜粋と解釈。

■ 分別があると、出遅れる。


■ 毎朝、懈怠なく、死んでおくべし。


■ 毎朝、毎夕、死に、死に、常住死身になる。

■ 自分の股を刀で貫く。これも必須の修行の一つだった。


■ 股抜きをしていない、傷のない股なんて、恥ずかしくて、人前で見せられなかった。


■ 理想の自分に近づける生き方が、「道」。

 理想に近づくのはインテグリティだから、「道」ってインテグリティなんですね。


■ 道に目覚めること、それが「覚悟」。


■ 『中庸』の有名な一節。

 誠は天の道。
 これを誠にするのが、人の道。


■ 木村重成って武士は、首を取られた時に備えて、香を、頭髪に染み込ませていた。

 死に首に香を炊け。


■ 会津藩って、儒教ではなく、神道なんですね。




 ※ 武士道の本って、新渡戸稲造『武士道』の解説本を除けば、10冊くらいしかないんですね。
 私もそのうち武士道について一冊くらい書くかな、、、
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楠公と松陰の「七生」

2024年09月23日 | 歴史
吉田松陰の辞世は「身はたとひ武蔵の野辺に…」と知られている。

でも、本当に、人生の最期に書いたのは、上記ではなく、

 七たびも生きかへりつつ夷(えびす)をぞ
  攘(はら)はんこころ吾れ忘れめや

っていう、「七回生まれ変わっても攘夷をやって外国人を打ち払うぞ、絶対忘れないぞ」という、怨念めいたというか、執拗というか、エキセントリックな辞世だった。

■ 『留魂録』 冒頭の句(10月25日) 

 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂 

  十月念五日 二十一回猛士」


■ 最後の句(翌26日)

 「かきつけ終わりて後

 心なることの種々かき置きぬ思い残せることなかりけり
 呼び出しの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな
 討たれたる吾れをあはれと見ん人は君を崇めて夷払へよ
 愚かなる吾れをも友とめづ人はわがとも友とめでよ人々
 七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ吾れ忘れめや
 
  十月二十六日黄昏書す      二十一回猛士」



以上のようなことなど、この熊本の多久善郎さんは、よく調べていらっしゃる。

松陰は、かつて、「七生説」ってのを書いて、

必ずや後の人をして亦余をして興起せしめ、七生に至りて、而る後、可と為さんのみ。噫(ああ)、是れ我れに在り

とまで言っている。

死後に後世の人々を興起(発奮)させて、ようやくオレは成仏できるんだ、それがオレだ

っていう気概ですね。 

戦中の「七生報国」ってのは、この辺の吉田松陰の精神を拠り所としています。ま、淵源は松陰ではなく、楠木正成の「七生滅賊」なんですけど。
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大石内蔵助 辞世

2024年09月23日 | 歴史
忠臣蔵の大石内蔵助の辞世がいい。

あら楽し思ひは晴るる身は捨つる
 浮世の月にかかる雲なし

人生におけるタスクをやり遂げた清々しさ、晴れ晴れとした気持ちが現れている。

320年前、こういう日本人がいました。

 
この大石内蔵助が切腹した場所 ここ には、今も

正義を愛し名節を重んじる者は暫くここに歩を停めよ

という碑文が表示されている。


今度見に行くかな、、
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論語と算盤 -精神性(天・神との関係)

2024年09月22日 | 歴史
論語と算盤ブームにあやかり、「論語と経営・コンプライアンス」というセミナーをしています。 こちら

そこで、渋沢栄一の論語の師匠で従兄の尾形惇忠が、「至誠如神」という言葉を使っているのを知りました。

あの、世界遺産の、富岡製糸場の工場長だったときに、尾形はこの言葉を工場に掲げていました(今度、富岡製糸場にでも行って、現物を見てきたい)。

あの時代の、クリスチャンでもない人が、「神」って言葉を使うのはとてもめずらしい。惇忠と「神」についてはいつか深堀りしたい。

あの時代(幕末から明治初期)に、疾風怒濤の激動はありましたが、以下の言葉からすると、精神性についても、大きな波動があったように感じる。

ほぼ同時代(漱石はやや若い)の4名が、みなさん、似たような言葉を語っている。冒頭の画像はもらい画像で失礼します。

■ 西郷隆盛:敬愛人(この言葉は中村敬宇・康煕帝から)
■ 夏目漱石:則去私
■ 尾形惇忠:至誠如
■ 新井奥邃:有無我

単なる4人の偶然の一致とは言い切れまい。明治の時代に花開いた精神性に思いを致している。

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二松学舎と渋沢栄一

2024年09月20日 | 歴史
渋沢栄一は二松学舎にも縁があった。

その傾倒する陽明学と、三島中洲を通じて。

三島中洲は、明治19年に、もう「義利合一」の論陣を張っている。


渋沢の考えは三島の考えの影響を受けた。


渋沢が若い頃、従兄の尾形惇忠を通じて学んだ水戸学。

エキセントリックな尊皇攘夷かと思っていたら、熊沢蕃山の思想を重視していたんだ。

陽明学的なところもあったのかな。


昨日見てきたどこかの渋沢施設で、水戸学が「知行合一」を掲げていた的なことを書いているパンフレットがあった。

これ初歩的なミスだろう、知行合一は陽明学でっせ、って思った。でも、蕃山の思想が水戸学に入っているなら、

 水戸学は知行合一

はあながち間違いでもないのかもしれない。

その水戸学が井伊直弼にどれくらい影響を与えていたのか、とかも興味あるなぁ。

いずれにせよ、渋沢の学問の師である尾形惇忠は、知行合一を学則にしていたんだ。

だったら陽明学どっぷりですね。


渋沢は、60歳以降も、陽明学に傾倒。

日本陽明学の系譜を並べた林田明大さんの本に、渋沢栄一は出てこなかったけど、、






ドトール名誉会長の鳥羽さんも論語好きなんだ。


渋沢はアダム・スミスの道徳感情論を意識して、勇気付けられていた。

昨日渋沢施設で聞いた、渋沢の肉声の講演でも、彼はアダム・スミスのことは語っていた。


女子教育にも力を注ぎ、91歳から死ぬまで、ポンジョ日本女子大の校長を務めた。


ちなみにですが、一橋大学の淵源は、森有礼なんですね。勉強になりました。





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トヨタはミシンを作っていた

2024年09月14日 | 歴史
終戦直後、GHQの規制で、日本のトヨタなどの会社は、国産車を製造販売することはできなかった。






だからトヨタは、ミシンなどを作っていた。

トヨタ御三家のデンソーも、冷蔵庫などを作っていた。

トヨタ御三家のアイシンの、コムセンターという展示館に行ったら、トヨタ製の(アイシンが作っていた)ミシンが展示されていました。




なお、ミシンは、マシーン(機械)が訛った言葉です。
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渋沢栄一『論語と算盤』の時代背景

2024年09月11日 | 歴史
渋沢栄一『論語と算盤』が刊行されたのは、大正5年=1916年。

大正デモクラシーの初期。藩閥政治の終わり。

藩閥政治を代表する山縣有朋は、別荘・邸宅を7つ持っていた。目白の椿山荘とか京都の無鄰菴が有名。この「7つ」ってのはググっても出てこないけど、ネットが出る前の20世紀に、小島直記とかの本で私が読んだ。

30年ほど前の記憶に頼ってますが、ウィキでも山縣の邸宅は8個も出てくるから、大きな間違いではあるまい。山縣が死んだのは大正11(1922)年。

つまり、藩閥政治のネポティズム(コネ)が、まだまだ激しかった。立派な人間が出世するとは限らなかった。薩長出身というだけで、能力識見に劣る者が、でかい顔をしていた。

そんな時代に渋沢は、人格主義(論語)と合理性(算盤)の重要性に、警鐘を鳴らした。メリトクラシー(能力主義)にスポットライトを当てた。

あまりこういう考えは書かれていないけど、時代背景からしたら、こういう言い方もできる。

なお、『論語と算盤』の内容自体は、実は私はあまり面白いとか大事だとか思ってない。。

『論語と算盤』から我々が受け取るべきは、「みんなしっかりした人間になれよ」という、『自助論』(スマイルズ・中村正直)で書かれているような、やや道学者臭のする優等生的な好々爺のメッセージ。

『論語と算盤』を読むのもいいですが、私の3時間のセミナーにお越しいただくのもいいかもです! 

 こちら(9月20日セミナー)
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明治はこんな時代だった

2024年09月08日 | 歴史
新紙幣の顔・渋沢栄一『論語と算盤』にインスピレーションを受けて、「論語と経営・コンプライアンス」ってセミナーを開始します。

9月20日から。こちら

セミナー資料はPPTで200頁を超えました。

『論語と算盤』刊行は大正初期。その時代背景を伝えるべく、「明治はこんな時代だった」ってエピソードを紹介します。

  • 明治のころ、お侍が零落して英国人の庭師(のようなアシスタント)に。
  • そのお侍はいつも微笑みを讃えていた。
  • 手元不如意で、刀を担保に、雇い主の英国人にお金を借りた。すぐ返した。
  • 英国人がなんか精神不安定になり、お侍を叱責。
  • するとお侍は、紳士的に微笑みで対応。
  • 英国人はその「微笑み」に対して「ニタニタ笑ってんじゃねえ」って思ってブチ切れて、お侍を打擲。
  • お侍は、(おそらく腰に差した)長刀を翻して英国人の頭上をシャッと斬る。空気だけ。
  • 英国人はさすがに肝を冷やしたのだろう、後日、お侍に謝ろうとした。
  • しかし、その謝罪の機会は、二度と訪れなかった。
  • お侍が、切腹していたから。
  • なぜ切腹したか。
  • 無体な打擲という不名誉を受けた。その報復に、刀で英国人を斬り殺すのは容易。
  • でも、「刀を担保に金を借りた」つまりお世話になったから、その刀で世話になった人間を斬ることは許されない。
  • とはいえ、打擲という侮辱には堪えられない。
  • だから切腹、、、
なんとも「サムライ」的なエピソード。小泉八雲が書いているんだから、デマではないだろう。

明治というのはこういう時代でした。
こういう人間がいる時代が、明治でした。

 ※ お侍が、腰に刀を差していたなら、廃刀令が出る明治3年以前のエピソードですかね。

以上、「日本人の微笑」、以下の本の840頁。 

 
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ちょんまげはいつまで

2024年09月08日 | 歴史
ちょんまげはいつまで?

小泉八雲のエッセイに、ちょんまげの人が出てくる。明治のいつ頃までだろうかなと思って調べると、、、

明治3年に散髪廃刀令が出て髪型が自由化され、でも多くの武士はちょんまげのまま。

明治5年に明治天皇が断髪して、洋髪が流行り始めた。

でも、芳野世経って人は、国会議員を務めたりしたけど、1927(昭和2)年まで、ちょんまげで通した。

つまり、明治+大正+昭和初期を通じて、ちょんまげの人間ってのは存在していたんですね。

「ちょんまげだから」というだけで、時代の特定はできないということが分かりました。
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