他責する前に。
他責は醜い。他責は惨め。他責はカッコ悪い。
35年前の、中学野球部時代から、私は「言い訳しない」ことを自らに課してきました。
桐蔭学園中という、一学年の野球部が44人もいるマンモス校で、先輩に嫌われずに上手くやっていくためには、周りを見て、「言い訳しちゃいけないんだな」と、中1のころに、合点しました。
それから、「損してもいいから言い訳をしない」人生を歩もうと誓い、ほぼその通りに生きてきました。
だから私は、他責する前に、こう自らに問いかけることにしています。
お前は「これ以上何もできない」ってほどやったのか?
この問いに、「YES」と答えられることは、実はほとんどない。
「これ以上何もできない」って思うほど、何かを「やり切る」ってことは、実は多くない。
1つの仕事しかしていないならともかく。
たくさんの仕事を抱えていると、キャパの問題から、どうしても、「1つの案件に全集中」するってことは難しい。
だから、ほとんど常に、「これ以上何もできない」って言えるほどその案件に「尽くし切る」ことはできない。キャパ的に。
だから私は、他責しません。常に自責します。
自責って、要するに、痩せ我慢。
論語とか武士道とかキリスト教って、要するに痩せ我慢なんだなと思っています。