川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

三菱社員は「おかめ」に学べ

2024年11月15日 | リーダーシップ・コミュニケーション
湯島の三菱史料館に行ってきた。旧岩崎邸の脇にあったので、岩崎邸に行ったついでに。

「おかめ」の面があった。

氏族がムスッとしていては商売にならないので、おかめを見倣ってニコニコ笑え、という岩崎弥太郎の考え。明治9年。


私は日頃からインテグリティ研修で「アラフィフは顔面筋が重力に負けて、普通の顔をしていても若手から見ると不機嫌に見える。だから1ミリでも口角を上げて目尻を下げて」って言っている。

同じことを岩崎弥太郎が言っていたのですね。

三菱系社員は特に、財閥の祖・岩崎弥太郎の「おかめ」からすべからく学ぶべし。
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会話における2者

2024年11月01日 | リーダーシップ・コミュニケーション
会話において、特にビジネス会話においては、以下の2者がいる:

1 自分の価値(バリュー)を上げようとする人
2 相手にとって価値(バリュー)があることを言う人

もちろん、後者の2が望ましいのだが、案外、多くないように思われる。

むしろ多くの方が、1(自分の価値を上げよう)ではないだろうか。

  • 「あ、それ私も知っています」(知識の披露)
  • 「それについては私は別のこんなことも知っています」(同上)
  • 「私もそんな経験をしたことがあります」(経験値の披露)

こんな感じの会話。

ビジネスでは全く意味はない。

ビジネスでは、相手の求めることを言わないと。

私は、特にビジネスでは、頭の良さとは「相手の求めることを過不足なく伝える」能力だと思っている。「過不足なく」には、当然、礼節をわきまえていることも含まれる。

上記の意味で、ほんとうに頭のいい人は案外少ない。私の体感的にも、100人に1人かそれ以下のように思われる。

自戒を込めて。

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愛は、知の極点である

2024年10月28日 | リーダーシップ・コミュニケーション
執行草舟が、西田幾多郎から受け取った言葉。

西田幾多郎の著作の、膨大な思索から、執行草舟が受け取ったのが

愛は、知の極点である

という西田幾多郎の言葉。

ちょっと独特。
普通、西田幾多郎って言ったら、誰もが、「絶対矛盾的自己同一」云々を言う。

執行草舟は違う。

そう。

違っていい。

本を読むこと、コミュニケーションすること、というのは、何を受け取るか」。

送り手がAと伝えても、受け手がA’とかBだと「受け取った」ら、コミュニケーションされた内容は、B。コミュニケーションは受け手が主役。

執行草舟の本の読み方は、万事、そういう感じ。
「何が書かれているか」ではない。
「著者が何を伝えようとしているか」でもない。

「読者が何を受け取るか」が大事。

だから内容はわからなくてもいい。
内容はわからなくても、わからないなりに、読者が何かを「受け取る」ことがある。

全集とか稀覯(きこう)本を蔵書として持つ効果も、そこにある。
内容が重要なんじゃない、「その本がそこにあること」が何かを語りかける。

____________

人は誤解されるのではない。
理解される努力が足りないだけ。

世の中の「誤解」というのは、そう「受け取った」ということ。

何を受け取られていいように、どう受け取られてもいいように、慎重にコミュニケーションしたいですね。

人(や組織)は「どうあるか」より、
「どう見られるか」だったりする。


 
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つまらぬことでもありがたく聞け

2024年10月27日 | リーダーシップ・コミュニケーション
つまらぬことでもありがたく聞け。
できない部下がつまらないことを言ってきても、ありがたく我慢して聞け。

こんな「仕事のライフハック」的なことを、『葉隠』では問いている。

人の意見を申し候時は、益に立たぬ事にても、
かたじけなくと深く請け合ひ申すべきなり

私にいちばん苦手なことかもしれません、どんな人のどんな意見もありがたく拝聴するようにします!


 
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大谷翔平の「アメリカ的」挨拶

2024年10月21日 | リーダーシップ・コミュニケーション
大谷翔平が、日本人離れした、「アメリカ的」挨拶をしている。

この動画 の、5-6秒。

相手の目をしっかり見て、顔全体の表情を和らげる。

とってもアメリカ的。

さっすが、やるじゃないかショウヘイ!
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慣れ→馴れ→狎れ

2024年10月20日 | リーダーシップ・コミュニケーション
慣れると、いずれ馴れる。
馴れると、いずれ狎れちゃう。

慣れ→馴れ→狎れ。

鍵山秀三郎

____________

これはいい。

私の昔の後輩にもいた。

慣れたせいか、馴れちゃって、ゆくゆくは狎れていた。
つまり私が舐められていた。

一度、こういう慣れ→馴れ→狎れを体現したような人に会った私には、この

 慣れ→馴れ→狎れ

がすごく刺さる。

慣れるのはいいですが、馴れ馴れしくしてはいけませんね!
親しき仲にも礼儀あり。

 
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「なぜ」で問い詰めると…

2024年10月18日 | リーダーシップ・コミュニケーション
「なぜなぜ分析」を人にやると、鬱になる。

「なぜ」「どうして」を部下にぶつけるのは、鬱の発生装置。

私が学んだ、アドラー心理学@ヒューマン・ギルドでも、テキストに

「『なぜ』『どうして』と聞かれると、質問された人はつじつま合わせの回答をしようとして、半分以上ウソがまじりがちである」

とまで書いています。

この「半分以上」はデータに基づいたものではないようですが、私の体感的にも、むべなるかな、という気がします。

 
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日本が変わるスイッチが入っている映像 - 裸の男とリーダーシップ

2024年10月17日 | リーダーシップ・コミュニケーション
有名な動画。

リーダーシップが重要なんじゃない。
フォロワーシップが重要。

そう受け取っています。


日本が変わるスイッチが入っている映像 - 裸の男とリーダーシップ



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三番からは惣がかり

2024年10月17日 | リーダーシップ・コミュニケーション
武士道のバイブルというか嚆矢の、『甲陽軍鑑』。武田信玄の行動とかを書いた。

そこに、

 三番からは惣がかり

って言葉がある。

戦で、一番エラいのは、一番槍。
勇気があるから。

2番目のフォロワー(一番槍を刀で助けに行く人)も、エラい。

でも、3番からは、総掛かりになるから、エラくない。
大将首を獲ったところで、どデカい手柄ではない。

実際、桶狭間でも、大将首を獲った(今川義元を討ち取った)毛利新介は、対して報奨を得ていない。

要するに、ファーストペンギンになれよ、ってこと。
勇気ある奴は、一番最初に手を上げろってこと。

リーダーになれ。
なれなければ2番のフォロワーになれ。

リーダーシップとフォロワーシップの重要性を言っています。

有名なこの動画みたいですね。 
____________

なお、世界中で大将首を獲った人は数多いるけど、この毛利新介って、日本人ではいちばん有名ですね。

調べると、本能寺で討ち死にしています。 こちら


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縁に恵まれない人の共通点

2024年10月17日 | リーダーシップ・コミュニケーション
カリスマ結婚コンサルタントの白駒妃登美さん曰く、

素敵な縁に恵まれない人の共通点は、
素敵な人の前だけでいい顔をすること

言えてる。当たってる。

誰に対してもいい顔を。
誰に対しても笑顔を。
誰に対しても眼施を。




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宗教者の外部とのコミュニケーション

2024年10月14日 | リーダーシップ・コミュニケーション
大阪中央公会堂。

111年前に建築され、105年前に内村鑑三がイエス再臨運動で講演した由緒ある建物。

ここで、「信仰の価値を未来に紡ぐ」ためのONE OSAKA 10.14イベントに登壇してきました。

さすがにいい会場でした。宗教の力って何? って話をしてきました。

ーーーーーー

こちら大阪の気の合うクライアントさんと話して解像度が上がった、最近気になっているネタ。

我々ビジネスマン、特に私は、「一瞬一瞬が勝負」だと思ってコミュニケーションしている。

初対面のクライアントから信頼を得るのは、一瞬。
クライアントから信頼を失うのも、一瞬。

その一瞬の緊張感の中に生きている。

例えば、クライアントから「⚪︎⚪︎についてどう思いますか?」と訊かれて、「えぇとぉ〜、それはですねぇ〜」的に、ダラダラと、そのクライアントが想定する答えよりレベルが低いことを言ったら、その瞬間、もうそのクライアントから一生仕事をもらえない。

足元を見られる。我々(国際弁護士、でなくてもレベルの高い弁護士)はそういう世界に生きています。

一方、宗教の方は、どうやら、それほど「一瞬」に対する緊張感がない方が多いようだ。

特に、その宗教内の、内輪の会話ばかりしている場合。「愛」と「赦し」が支配する、温かいカルチャーにいるから。

つまり、宗教者が、外部とコミュニケーションしていくためには、「愛と赦し」の世界から抜け出して、「一瞬一瞬が勝負」的な、コミュニケーションの緊張感を上げることが必要かもしれない。

ビジネスの世界で、ダラダラ的を射ない話をしていては、愛されないし、許されない。

一瞬でバカにされ、蔑まれ、葬り去られる。

ーーーーーー

ちょっと別の切り口ですが、宗教者も、something of everythingで、つまり森羅万象についてアンテナを立てて多少は何かを語れるようにしたおいた方が、外部の人とのコミュケーションは進む。

家庭連合ではなく、宗教一般の話。

その宗教のことだけではなく、広く社会についても勉強しているのであれば、外部から見ても信頼性が上がる。

むしろ、「その宗教のことしか知らない」人に対しては、その宗教によほど興味があるのではなければ、魅力を感じない。魅力を感じない人とはコミュニケーションも広がらない。

こう考えると、宗教が、今後、「社会から理解される」ようになるためには、むしろ、進んで「自分たちが社会を理解する」ことが大切になってくる。

宗教者にはハードルが高いかもしれませんが、宗教の未来を考えて、厳しめにコメントしています。


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多数派には常にデリカシーがない

2024年10月13日 | リーダーシップ・コミュニケーション
最近、反家庭連合の紀藤正樹弁護士とかその後輩の阿部弁護士のTweetとかを見ていると、言葉足らずで意を尽くしていないので、なんだか品がないな、と感じる。

ま、多数派に属して、裁判の結果とかがいいと、どうしても言葉足らずになり、それが少数派から「下品」「傲慢」「高慢」って受け取られるんだろう。。

って考えると、本日のさいたまシンポジウムでパネルディスカッション(窪田順生さん、小嶌希晶さん、今中カナさんと)をしながら、ひらめいた。

 多数派の言動は、少数派からは、
 高慢・下品に(デリカシーなく)見える

ってのは、ほとんど一般化できる普遍的真理ではないか、と。

こうも言い換えられる:

 支配派の言動は、被支配派からは、
 高慢・下品に(デリカシーなく)見える

例えば、

  • 日本で、日本人が、外国人に対して、デリカシーがない
  • 仕事で、男性が、女性に対して、デリカシーがない
  • 健常者が、障害者に対して、デリカシーがない
  • 健康な人が、病気がちの人に対して、デリカシーがない
  • 能力ある人が、ない人に対して、デリカシーがない
  • 学歴ある人が、ない人に対して、デリカシーがない
  • 金持ちが、貧乏人に対して、デリカシーがない
  • 出世した人が、左遷された人に対して、デリカシーがない
  • モテが、非モテに対して、リテラシーがない
  • ノッポが、チビに対して、デリカシーがない
  • 巨乳が、ペチャパイに対して、デリカシーがない
  • 美人が、ブスに対して、デリカシーがない
  • イケメンが、ブサメンに対して、デリカシーがない
  • 子がある者が、子がない者に対して、デリカシーがない
  • ストレートが、LGBTに対して、デリカシーがない
  • 英語得意な人が、不得意な人に対して、デリカシーがない

これらすべて、実際に「デリカシーがない」かどうかはともかく、「デリカシーがないように見える」ってことは、たくさんあるはず。

例えば、英語が不得手な人にとっては、だれかが英語を喋るのを聴くだけで、「鼻につく」と受け取られる。そう聞こえちゃう。

私なんか、仕事的には、多数派(ないしは、支配的な地位にいる側)に属するが多い、、

東大卒の私が言うことと、同じことを高卒の人が言ったとして、同じ内容なのに、私が言ったからという理由で、聴き手が腹を立てる、ということはある。

「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」が重要だったりする。

能力の低い人からは、能力の高い人の「存在だけで不愉快」だったりしますから、、 私も私の存在自体がハラスメント的になっている場合もあるだろう、、、 心せねば。

いい他山の石になりました。

この、多数派の言動は、少数派からは、高慢・下品に(デリカシーなく)見えるってのは、多数派には、気が付かない。

自分が多数派に属するということ(少数派が存在するということ)すら自覚的ではない場合がありますから、、、

反家庭連合さんのお陰様で、すごくいい勉強になりました。常に社会の片隅にいる(ように思える)少数派の存在を念頭においた、言動をとらないといけませんね!
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心よりも深い場所から

2024年10月10日 | リーダーシップ・コミュニケーション
 
最新刊『宗教・カルト・法』の、最後の、若松英輔さんの、以下のコメントが良かった。

____________

(中山註:愛についての「核心にふれる言葉」として)
フランスの哲学者シモーニュ・ヴェーユの一節です。

「・・・・・・その言い方は、何気なく発した言葉が人間存在のどれくらい深い領域から出てきたかによって決まる。

 そして驚くべき合致によって、その言葉はそれを聞く者の同じ領域に届く。

 それで、聞き手に多少の洞察力があれば、その言葉がどれほどの重みをもっているかを見極めることができる」(鈴木晶訳)

 宗教の世界に生きる者は、あまりに
「あたま」から語り過ぎたのではないでしょうか。何と呼んでもよいのですが、私たちが通常「こころ」と呼ぶよりも深い場所から言葉を発すること、そうすれば、相手の深い場所に届くというのです。

 宗教における言葉のはたらきはきわめて重要です。

 しかしそれが「知」の言葉で終わってはならない。井筒俊彦は、知の言葉には終わらない、沈黙さえも含んだ意味の顕われを「コトバ」と 表現しました。

 言葉だけでなく、「コトバ」において他者と向き合うこと、そこに私たちの最初の、そして究極の実践があるのではないでしょうか。
____________

さすが若松さん。

この文脈は、党派性なく、「カルト」云々とかとは無関係に、語られたものです。

上記の「あたま」からではなく、「こころ」と呼ぶよりも深い場所から言葉を発する、というのは、若松さんの本(彼の詩を含めて)をほぼ全て読んでいる私には、なんとなく分かります。

「アタマ」で演繹的に理論をこねくり回すのではなく。

「ココロ」ないしそれより深い肚の底から、帰納的に、自分独自の、湧き上がってくる言葉を紡ぎ出す。「魂の叫び」を、言語化する。拾う。

それが、今の宗教界に重要な、「対話」のあり方だと思う。

そしてこのコミュニケーションの態度は、宗教だけではなく、一般的なコミュニケーション全般にも、通じるはず。

____________

上記シモーニュ・ヴェーユの引用を、今一度、御覧ください。彼は、話す「内容」について語っているのではありません。

「言い方」について、語っています。内容よりも、「言い方」に、話者の、態度、人格、姿勢、誠実さ、、、 これら全てが、自ずから、隠しようもなく、にじみ出るのです。

その「言い方」に、対話を促す態度・姿勢を感じさせるか。
または、対話を拒む態度・姿勢を感じさせてしまうか。

対話の成否と行方については、すべて、「言い方」が問題だったりする。内容ではなく。

実際、夫婦喧嘩の9割も、話す「内容」ではなく、話す「言い方」に端を発しているはずです!
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全身を見せた方が後援は盛り上がる

2024年10月05日 | リーダーシップ・コミュニケーション
アメリカでは、18世紀とか19世紀、ベンジャミン・フランクリンとかがいた建国初期の頃、キリスト教の説法がすごく流行った。

数百、数千、数万人が、牧師の演説に熱狂する。フランクリンも自伝でいくつか書いている。



その辺の演説などを分析すると、話者の身体がたくさん聴衆に見える方が、聴衆は盛り上がる。

スティーブ・ジョブズの演説みたいに。私もそのスタイルですが。



「身体と露出度と、観客の共鳴度は一致する」そうです!

GMOの株主総会に行ったことがあって、そこで、GMOトップの熊谷正寿さんが、身体全部を株主に見せていた。縁台の後ろに隠れて、ではなく。これは、GMOの透明性を象徴しているようで、印象が良かった。

のみならず、観客(株主)の「共鳴度」を引き上げる効果もあったんですね!






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Amazonに書評を書くのも人生修業の一つ

2024年09月21日 | リーダーシップ・コミュニケーション
先日読んだ『論語とやせ我慢』に、以下の書評をAmazonに書いておきました。

____________

小林秀雄が、士道とは痩せ我慢であり、士道なんてきれいごとを言っていると俗化(陳腐化ってことだろう)するけど、痩せ我慢って言っておけば俗化の心配がない、と言っていることが勉強になりました。

また、痩せ我慢が公私の別の文脈にあることにも納得感がありました。美学とは痩せ我慢であり、我々が論語その他古典から学ぶのも、「痩せ我慢という美学」なのかもしれません。


 
____________

いい本には書評を書く。これが著者へのリスペクト。

コンビニの店員さんがネパール人だったら、ありがとうの代わりに「ナマステ」と言う。これが彼ら彼女らへのリスペクト。

ビルの清掃の方々の名前を覚えて、名前で呼ぶ。これも彼ら彼女らへのリスペクト。

<「損得勘定のない人間関係」において、どれだけ相手をリスペクトできるか。>

ここに人間性の本質が出るし、少しでも思いやりのある振る舞いをすることが、人生の修行の一つと心得ています。
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