50歳の誕生日に、用事があって横浜の実家に帰ったら、79歳の母親から、封筒に入ったお祝いをもらった。
母親の楷書はとても美しい。
楷書では私の遥かに上。
私の母親は、豪快で破天荒でブラックユーモアが好きで、いわゆるたおやかな淑女という感じではないのですが(許せオカン!)、この字を見ると、そういう私の人間観察も見直さなければ、という気がする。
書には人格が表れる。
茨城シンポジウム。
実兄邸に挨拶。
甥っ子の字が飾ってあった。
中3の時に書いたらしい。
中3でこの文字は立派、、
実物はもっと迫力ありました。
写真では半分くらいしか墨痕淋漓たる勢いは伝わらない、、
何事もリアルが一番ですね。
「人」という文字の、空画。この画像の点線。
空画というのは、筆が紙に触れていないときの、筆先の動き。
こういう空画なんだ、、、 こういう空画もあるんだ、、、
この「人」の、一画目から二画目への空画が、私の空画とは全然違う、、、
書を嗜む人でも、9割の人がこうは書かないはず、、、
勉強になりました。
ウェルビーイングの前野隆司さんが、書にハマっている。
それを彼女は「花求心」と名づける。漢文的には「求花心」であるべきと思うけれども、まぁいい。
いい書を書くため、天地一如になるためには、朝、顔を洗うときから、背筋を伸ばしておく。
彼の師匠の 嶋田彩綜 さんが、ブッ飛んでる。神と一体化したようなスピリチュアルな方。
いい意味で、突き抜けてる。
嶋田師範の究極目標は、花を求めること。心の中に。
それを彼女は「花求心」と名づける。漢文的には「求花心」であるべきと思うけれども、まぁいい。
そのためには、すべてに感謝する。
書は天と地を繋ぐ。
書は天と地を繋ぐ。
新極真会の塚本徳臣師範が到達した境地と同じだ、、
良寛の「天上大風」は肩肘張ってなくていい。
書は、鑑賞者にいい効果を与える。
書は、「書く禅」である。
良寛の「天上大風」は肩肘張ってなくていい。
書は、鑑賞者にいい効果を与える。
書は、「書く禅」である。
そうですね、「自分を失くす」効果があるような気がする。自分を整えるというか、心を整えるというか。
サウナより効くかも。
如何に天と地を繋ぐ書を書くか。
如何に天と地を繋ぐ書を書くか。
私も空手とか毎朝のGYMでの逆立ち時に、「天と地の間に気を通す」ってイメージすることがある。
人間的に成長すると、自ずから姿勢は良くなるらしい。
書道の根本精神は、霊性心の発現、、、
人間的に成長すると、自ずから姿勢は良くなるらしい。
書道の根本精神は、霊性心の発現、、、
霊性心の発現は、真の個性発揮、、、
書を通じて、世のため人のために尽くす。尽くし切る。
書を通じて、世のため人のために尽くす。尽くし切る。
指で書くのは下、
腕で書くのは中、
心で書くのが上。
私がいつも言ってきたことと同じことをやはり先人も言っている。
いい書を書くため、天地一如になるためには、朝、顔を洗うときから、背筋を伸ばしておく。
今という時が、イザという時。
イザという時が、今。
嶋田師範の先生が、田中という方。その田中先生は、中村天風の教えに共感していた。
嶋田師範の先生が、田中という方。その田中先生は、中村天風の教えに共感していた。
今日、51−51を記録した大谷翔平も、中村天風を読んでいる。
やっぱり天風はしっかり読まないといけませんね。
今後の、私の書に対する向き方が変わりました!
ウェルビーイングとか幸せの研究で有名な前野隆司さんが、書にハマっている。
書は、行動を丁寧にすることにつながる。
書には「生き方」が出るんです。
「天と地の繋がりを取り戻す営みの断片を紡ぐ」だって。
いいね。
パラパラみているだけですが、メチャ、スピリチュアルなことを言っている。
そうそう。
書は人をスピリチュアルにというか、謙虚に、ピュアにする。「心が整う」作用があります。
知人の書道の師範から、教わったこの本。
まだ途中ですが、すごくいい。
書が、世界平和のためになる。
書は、行動を丁寧にすることにつながる。
感性を研ぎ澄ますことにつながる。
書は、心を磨くこと。
そのとおり。
書には「生き方」が出るんです。
「天と地の繋がりを取り戻す営みの断片を紡ぐ」だって。
前野さんがスピリチュアルを通り越してオカルト的になっている。そんな見方もできるほど。
前野さんのお師匠さんは、「天からの指示」で書を営んでいるそうな、、、
前野さんのお師匠さんは、「天からの指示」で書を営んでいるそうな、、、
多分もっとたくさんいい言葉がこの本に書いているはず、またおって紹介します!
ある方と、「道」について会話。
「道」を学ぶ者は、違う。なんか違う。
柔道、剣道、弓道、合気道、空手道、茶道、華道、書道、、
信念があるというか、落ち着きがあるというか、美学がある。
そう仰っていた。たしかにそんなところはある。
なぜ、そういえるか。
1 果てしなさ
「道」は、ほど遠い。道の追求には、終わりがない。果てしない。
大きな円の一部になるような営み。だから、謙虚になる。傲慢にならない。
道を学ぶ者は、その「果てしなさ」を知っている。だから道を学ぶ者は謙虚になる。
2 10年単位
1の「果てしなさ」から来る「謙虚さ」とつながるというか、1の原因ともいえますが、「道」の習得には、10年単位がかかる。
例えば、新極真の城南川崎支部の一般男子で、黒帯になるには平均10年近くかかるのでは?
10年とか20年とかやって、ようやく「道」の遠大さ、尊さ、果てしなさを実感する。10年続けないと分からない、ないし体感できないことがある。
たとえば、空手の基本稽古。最初の5年とか10年は、意味もわからず、wax on wax off @カラテ・キッド で、言われるがままにやる。やらされる。
でも、10年経つと、「おお、この意味ワカラン動きには、こんな深遠な意味があったのか!!!」って発見して、興奮することがある。
このように、「10年やってようやくその価値が分かる」ことがあるのが、「道」。単なるスポーツでは、こういうことはあるとしても、あまりこういう言い方はしない。
ま、そのカラクリを強引に紐解くと、「道」は古いから、その教えは篩にかけられており、容易に変えることはできない。例えばカラテの立ち方の三戦(サンチン)立ちとか。
でも、三戦立ちのその立ち方がなぜいいのか、なぜそういう立ち方をしなければならないのか、その立ち方を数センチ変えたらどうなるのか、を師範が説明することはない。
「そういうものだから」という、誠にぶっきらぼうの、会社だったら即パワハラ認定されそうな答えしか与えられない。とても言葉足らず。
その言葉足らずも原因となり、基本事項の深奥さが分かるのが、10年かそれ以上あと。
他の例を挙げよう。
書道では、
- 指で書くのは下の下
- 手で書くのは下
- 腕で書くのが上
- 心で書くのが最上
みたいに言われる。でも、この「3 腕で書く」に来るまでに、ひょっとしたら10年くらいかかるかもしれない。
だから「書道って、手とかで書くのではなく、心で書くもんだよね」っていう会話をすることができる人は、書道を10年近く嗜んだ人。それ以外の人にはちんぷんかんぷんなところがあるだろう。
かように、「道」の効果は、10年後に出る。
だから、道を歩む者は:
1 意味もわからず言われたことをやる純朴さ、単純さ、粘り強さ、忍耐力がある。
2 自分が「大きな円の一部にすぎない」ことを知っている。
3 「円の一部にすぎない」つまり歴史の一微粒子にすぎないから、謙虚であり、真摯である。
こういうところが、「『道』を学ぶものは筋が通っている」的な印象を与えるのだろう。
取り急ぎの言語化です。以下の本にはとてもヒントが多そうなので、またおって言語化に試みます。
自民党総裁選。皆さん字が、、 残念。
どんぐりの背比べだが、それでも序列をつけると、、、
ベスト:加藤さん
ワースト:河野太郎さん
でしょうか。
政治家の字の巧拙は興味を持ってきた。
今回の9人はとても残念、、、 いつもは一人くらいはシャレになる字を書く人がいたんですが。
政治家は色紙を描く機会が多いから、書を学ぶ政治家も多いはずなんですが。例えば安倍晋三さんなんかは、書を少し学んだな、という感じの字だった。
字には人格・性格が現れます。
いつか、いい字を書く宰相が生まれるといいですね。