川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

『反証 統一教会』魚谷俊輔 からいくつか抜粋

2025年01月23日 | 宗教
『反証 統一教会』魚谷俊輔

■ 全国弁連は、「レフチェンコ事件」によって危機感を募らせた左翼勢力によって組織され、スパイ防止法制定運動の支援組織である国際勝共連合と、その関連団体である統一教会の壊滅を目的として、「霊感商法」反対キャンペーンを展開するためにつくられた組織であった。(P132)

 …魚谷俊輔さんの見事な定義。
  こういう定義があるんだ、という視点も広く持っていただきたい。

■ 統一教会に対して批判的な立場から調査を行う筆者とは利害関係において合致しない(P207)

 統一教会を批判する個人・団体、あるいは行政や宗教界の人々、一般市民に役立ててもらおうと考えている。
 このようなことを研究のねらいとして調査対象者に説明し、調査協力を得ている。(P406)

 …このように櫻井義秀氏は、ハナっから「ポジショントーク」をすることを公言している。

■ 出合ったときに統一教会であると知っていた人の方が、知らなかった人よりも最終的に入会する割合が高い(P239)

 …「正体隠し」には合理性がない。

■ 当然のことながら、禅の修行者も、たらふく食べて、存分に睡眠をとってから、坐禅をしたところで、おそらく〈悟り〉にいたることはないだろう。修行には、〈狂い〉にいたるだけの舞台仕掛けが必要なのである(P377)

 理屈や道徳ばかりを説いて、〈狂い〉の要素をいくらかでも持たない宗教は、磁力を失った磁石のようなもので、人を〈救い〉の世界に導き入れることもできなければ、そこに人が集うこともないだろう(P379)

 …この辺は町田宗鳳さんの本の引用。


 
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『ヒルティに学ぶ心術 渡部昇一的生き方』

2025年01月21日 | 宗教
齢50にして、カール・ヒルティにハマっている。20-30年前は、なんとも思わなかったけど。

ヒルティ全集を購入したいほど。今探しています。

「人は年を取るとキリスト教に興味が出てくる」(加齢とともに、人は宗教的になる)らしい。そう、ヒルティも言っている。
  • キリスト教は、修養できた人、あるいは人生経験をたくさん積んで謙虚な気持ちになっている人でないとわからないことがあって、まだそこまでいたっていない青年にとって、その教えはあまり合わないことがあるとヒルティは言っています。 
  • ヒルティも、ギムナジウム(高校)時代に受けた宗教教育をただただ嫌悪の念をもってしか思い出すことができませんでした。
  • 「スイスの聖者」「キリスト教精神の権化」と言われるヒルティも、「若い人にとってはキリスト教は合わないところ」があると言っています。
  • キリスト教と言うのは、その本質上、オカルトの世界をも含んでおります。
  • 高級すぎて、日常生活に合わない。(これらは渡部昇一)
  • あまり若い時から敬虔な人間になっては、使いものにならないところも出てきかねないのではないか。
  • あまりにも高い宗教であるので、(キリスト教は)普通の人には向かないところもある。
 
私が45歳からキリスト教に興味を持ったのも、加齢が影響っぽいですね。むべなるかな。
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一つの宗教を信じる真摯さ

2025年01月21日 | 宗教
町田宗鳳さんの本に出てきた、アメリカで薔薇売りをする、真摯な家庭連合・統一教会信者の姿。






想像するだに神々しい。

雨の日も、風の日も、嵐の日も、雪の日も。

交差点で、夜、薔薇売り。

なんのためなんだろう。

商売、金儲けのためなら、「嵐の日に交差点で薔薇売りをする」以外に、いい方法があるはずだ。

そうは考えない。

合理的に考えない。

不合理に考える。

愚かに考える。

愚かになる。

デクノボーになる。

そこに美しさが宿る。

実際にこういう姿を目にしたら、また思うところがあるのだろう。




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悟りに至るためには

2025年01月20日 | 宗教
悟りに至るためには、仕掛けが必要。






身体を苛める仕掛けが必要。

たらふく食って、ぐっすり寝ていては、悟りなんか開けない。

身体の極限状態であるからこそ、見えてくる世界がある。




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町田 宗鳳(そうほう)氏

2025年01月18日 | 宗教
魚谷鈍器本374頁で紹介されている、町田宗鳳(そうほう)さん。

 こちら(いい笑顔)

 
禅僧。密教修行も経験して天台宗阿闍梨に。

  • 14歳で出家、
  • 臨済宗、
  • ハーバード、
  • ペンシルバニア、
  • プリンストン、
  • 国立シンガポール大学

ってすごい経歴。

『<狂い>と信仰』で、

  • 腹を空かして狂ったように修行しないと、悟りも開けない。
  • 「たらふく食って、たっぷりぐっすり寝る」なんて甘い根性では、宗教の何たるかが分からない

的なことを仰っている。

 
魚谷鈍器本の正確な引用はおって来週以降。

この『<狂い>と信仰』はポチリました。

狂うってのは大事。

論語でも「狂狷」ってのが2番目に価値が高い。

山縣狂介(有朋)、東海一狂生(高杉晋作)、、、松下村塾の塾生もみんな狂ってました。

英語でもOnly the Paranoid surviveっていいますし。 

____________

狂ったほどに何かに打ち込む。

宗教に限らず、そういう経験を持つことは幸せだし、そういう経験を持たぬ者は不幸である。

なにせうぞ くすんで
 一期は夢よ ただ狂へ

閑吟集



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ヘレンケラーとリンカンはスウェーデンボルグ信奉者

2025年01月18日 | 宗教
ヘレンケラーのみならず、リンカンも、スウェーデンボルグ信奉者だった。

瀬上さんの本が年末にまた出たので、読んでいます。




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火事場泥棒

2025年01月17日 | 宗教
20年以上前の献金を返せ?

宗教はATMではない。

寄付したのを返せ?

家庭連合が評判悪いからと言って、火事場泥棒のように、20年前の献金を返せというのは、、、






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宗教は権威主義なもの

2025年01月05日 | 宗教
どの学者も言う。

宗教はそもそも権威主義的なもの。

だから、ある宗教が権威主義的だからといって、それは批判するに値しない。

問題は、どの程度権威主義的で、どの程度人権を侵害しているか、ってこと。

ただ、こう書いていながら、修行僧とかに、「人権」ってどれくらい観念できるんだろう。

もちろん、人権は権利としてはあるんだけど、阿闍梨になるための千日回峰みたいな修行を、「自ら進んで」やっていることなどをイメージすると、、、

みんなその境遇を理解して自ら引き受けているんだろうね、、、、

それを後になって「同意してなかった!   あれは人権侵害だ! 権威主義だ!」っていうのは、、、

おかしいですよね。

霊感弁連がやっているのは全部これです、、、、




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赦しは、赦し得ぬものへの赦し

2024年12月31日 | 宗教
フランスの哲学者ジャック・デリダは「赦しは、赦し得ぬものへの赦し」と言った。

仏語の原語は”Le pardon est le pardon de ce qui ne peut être pardonné”

英訳は "Forgiveness is the forgiveness of what cannot be forgiven."

アメリカの神学者・ラインホールド・ニーバーがimpossible possibility(不可能の可能性)っていう高度で崇高な概念を提唱している。

そのニーバーの哲学・神学を研究していたら、このジャック・デリダの難解なる言葉に出会った。
____________

福音書ルカ23:34にも、この偉大で崇高なる「赦し」の文脈で、有名な言葉がある。

イエスが十字架に架けられながら、十字架に架けた悪い人たちに向かって:

「父なる神よ、彼らを赦し給え。彼らは自分が何をしているか分かっていないのです。」

Jesus said, “Father, forgive them, for they do not know what they are doing.”

____________

家庭連合が解散騒ぎになったときに、田中会長もルカ23:34を引用されて、信者に冷静さと赦しを説いたらしい。

解散させようとするメディアや政府(文科省)に対して、福音書の一節を引用して、信者に平静を求める。

なんと素晴らしい宗教であることよ。

オウム真理教とはだいぶ違いますね。
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禅とは

2024年12月28日 | 宗教
乃木希典・山岡鉄舟・東郷平八郎らの禅の師匠だった南天棒。こういう明治の傑物の師匠ということは、まあ近代日本の礎を築いた一人。

その怪僧・傑僧・名僧南天棒が言う「禅」とは。

~~~以下引用~~~

禅の体験とは、第一に見性であり、第二は行解相応だ。

見性とは、本来万人が具有する本心、すなわち仏性を徹見、自覚することで、これを心証という。

行解相応とは、その心証と相応して一如となった人格活動だ。公案は天地の物ごとく生きた公案ならざるはない。

歩々これ道場サ。

~~~引用終わり~~~

感性と、行動力。

そう受け取りました。

 
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「よくわからないまま入信して抜けられなくなった人」が果たしているのか

2024年12月26日 | 宗教
西田公昭氏っていう、日本でほぼ唯一、「マインド・コントロール」って概念を広めようとしている学者がいます。

学術サイトで検索したら、マインド・コントロールについてはこの人の論文しかヒットしないらしい。

欧米では、マインド・コントロールは「似非科学 pseudo-science 」として排斥されている。裁判所で。

その、世界では誰もおそらく論じず、日本では西田氏しか論じない「マインド・コントロール」論者の西田氏が、最近、ライター窪田順生さんとのインタビューで、すっごいヘンなことをおっしゃっている。

「旧統一教会の場合、どういう宗教なのかを隠したり嘘を用いたりして勧誘をして、よくわからないまま入信して抜けられなくなった人もいます。」 


✓ よくわからないまま入信…
 んな奴はいないはず、、、

✓ 抜けられなくなった人、、、
 いつでも脱会できます、自然消滅的に脱会する人も多数、、、

ですから、「よくわからないまま入信して抜けられなくなった人」ってのは、、、

んな奴いねーよ!

って思います。いるんだったら示してほしいです。

 後記:いや、西田さんのアタマの中では、今の家庭連合信者10万人もみんな「よくわからないまま入信して抜けられなくなった人」なのかもしれない、、、
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家庭連合の「地獄」は普通の地獄とは違う

2024年12月26日 | 宗教

家庭連合が定義する「地獄」は、普通の地獄とは違うらしい。だから「地獄に堕ちる」なんて言わないらしい。

そんな情報を得たので、ChatGPTに聞いてみた。

ChatGPT:

家庭連合(旧統一教会)の教義において、「地獄」という概念は、伝統的な宗教での死後の罰としての地獄とは異なる解釈がされています。

地上地獄の概念:

•家庭連合の教えでは、現在の世界は「地上地獄」として捉えられています。これは、人類が神の理想から離れ、堕落した結果として、地上での生活が苦しみや不幸に満ちている状態を指します。したがって、信者はすでに地上地獄にいるとされ、「地獄に落ちる」という概念は存在しません。

 

神の国の建設: 

•家庭連合のビジョンは、「神の国をつくる」というポジティブなものであり、信者は地上天国の建設を目指して活動しています。そのため、「地獄に落ちる」といったネガティブな発想は教義には含まれていません。

 

信者の証言: 

•一部の報道では、家庭連合が「地獄」で脅すと強調されていますが、実際の信者たちは日々喜びと感謝で信仰生活を送っており、そのような脅しは存在しないと証言しています。

総じて、家庭連合の教義では、「地獄」は現世における人類の堕落状態を指し、信者は地上天国の実現を目指して活動しています。「地獄に落ちる」といった恐怖心を煽る教えは存在しないとされています。


〜〜〜引用終わり〜〜〜

へえ。私が聞いていたとおりの情報がChatGPTからも得られました。

文科省が、200個位の陳述書を出して、家庭連合を解散させようとしています。

その陳述書の多くには、「地獄に堕ちると脅されたから」と連発してますが、これはみんな、文科省の「作文」で嘘っぽいですね。

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「愛と義の楕円形」の3000年の変遷

2024年12月23日 | 宗教
愛と義の楕円形(内村鑑三)。両者のバランスが大事。

旧約聖書の時代は、「義」が強かった。

イエス以後に「愛」が広まった。新約聖書の時代。

特に、ルネサンス以後は、宗教が担ってきた「愛」が、ヒューマニズムにその場を奪われている。

宗教のプレゼンスが落ちている。人は宗教を必要としなくなっている。

 参考過去記事 (宗教の役割が減っている)
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愛と義の楕円形

2024年12月23日 | 宗教
内村鑑三は「愛と義の楕円形」を説いた。

愛だけではダメ。
義だけでもダメ。

そのバランスが大事。


長い目で見れば、近世以前、中世までは、「義」が強かった。
神は怖かった。遠かった。

近世以降、「義」よりも「愛」が強くなった。
神は身近になった。我々の内心に降りてきた。
個人主義、ヒューマニズムに影響されて。

そして現代、「義」がほとんど忘れ去られている。

____________

私が弁護している家庭連合でも、コンプライアンス宣言をした2009年とか、創始者文鮮明が亡くなる2012年までとか、または名称を家庭連合に変更した2015年くらいまでは、「義」的な色彩が強かった。

しかし、ここ最近、特に家庭連合になってからは、「愛」が強いんじゃないだろうか。

いいとか悪いとかではなく。

いずれにせよ、「愛と義の楕円形」は、とても大事だと思う。
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神の弱さは人間より強い

2024年12月22日 | 宗教
アメリカの歴史的な神学者・ラインホールド・ニーバーを深堀りしていたら、「神の弱さは人間よりも強い」って言葉に出逢った。

意味がわからないのでChatGPTに訊いたら:

~~~以下引用~~~

「神の弱さは人間よりも強い」という言葉は、ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の神学的思想に関連しています。

これは、ニーバーが神の性質を理解する際に強調した「逆説的な力」の概念を表現しています。特に、キリスト教の神学と倫理における**「力と弱さ」**の関係を説明するために用いられることがあります。

この言葉の意味を理解するためには、以下の点に注目する必要があります:

1. 神の力と弱さの逆説

「神の弱さは人間よりも強い」という言葉は、神が全能でありながらも、私たちが通常想像するような支配的な力を行使しないという逆説を表しています。

キリスト教の教えによると、神は人間に対して無限の力を持っており、すべてを支配する存在です。しかし、この力がどのように現れるかは、私たちの人間的な理解を超えています。

神が「弱い」とされるのは、例えばイエス・キリストの生涯に見られるように、神が自らを人間の弱さや苦しみに参加させ、権力を行使せず、謙遜と犠牲の中で愛を示すという面です。

このような神の姿勢は、物理的・政治的な力を使うことなく、最も深い形で人々を変え、救いに導く強さを持つという理解に基づいています。

2. 十字架の逆説

キリスト教の中心的な教義である「十字架の死」も、この「神の弱さ」と「人間の強さ」の逆説的な関係を象徴しています。

イエス・キリストが十字架にかかって死ぬことは、当時の目から見ると敗北や弱さの象徴です。

しかし、キリスト教徒にとって、十字架は「神の力」が最も強く現れた瞬間であり、神の愛と犠牲によって人間を救う力を示しています。

すなわち、神が弱さを選び取ることによって、最も強い力が発揮されるという逆説です。

3. ニーバーの倫理と神学

ニーバーは、人間が持つ倫理的な限界や自己中心的な傾向に対して非常に現実的な視点を持っていましたが、同時に「神の弱さ」という概念を通じて、道徳的な力や愛が人間の限界を超えることを示しました。

ニーバーにとって、神の「弱さ」は、力を誇示することなく人々を導く愛や犠牲の力であり、これは人間の力による支配や暴力とは本質的に異なります。

4. 人間と神の関係

この言葉が示すもう一つの重要な側面は、人間が持つ力の限界と、神が示す愛と憐れみの力の違いです。

人間の力はしばしば自己中心的で暴力的な方向に向かいがちですが、神の力は愛と赦しに基づいており、その「弱さ」が人間を変える力となります。

まとめ

「神の弱さは人間よりも強い」という言葉は、神の力の本質を表現したもので、神が力を行使する方法が私たちの常識に反しているという逆説的な教義を表しています。

神は物理的・政治的な支配を通じて力を示すのではなく、謙遜と犠牲の中で愛を示すことによって、人間に真の変革と救済をもたらすのです。

この「弱さ」は、実は最も深い強さであり、人間の力では到底成し得ないものです。

~~~引用終わり~~~

いいですね。God works in mysterious ways と同じですね。

ってか、コリント人への手紙1の1:25にまんまあるんですね。

the foolishness of God is wiser than human wisdom, 
and the weakness of God is stronger than human strength

天を怨まず、人を咎めず。

どんな運命に遭っても、それが神のご意思だと思って、なにか意味があるんだと思って、それを受け止めて、前に進んで行かねばですね。

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