川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

共感せず、共有せよ

2025年04月13日 | 言葉
ソウルでひらめいたこと。

無視せず、同情せよ。
同情せず、共感せよ。
共感せず、共有せよ。

共感と共有は違う。

空手の師匠が道場に

「友になろうとするな。友とともにあれ」

という標語を貼っていた。

夢を共有する。そういう仲間を増やしていきたい。
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美しさとは

2025年04月08日 | 言葉
眉目秀麗的な、外見的な美しさではなく、精神の、内面の美しさ。

これをどう表現したものかと、ここ1年くらい考えている。インテグリティって結局美しさなのでは、と思ったりしている。

悪徳の反対は、良徳ではない「美」徳。そんな示唆をいただきました。

美しさとは、「他者のために自分をどれだけ尽くしたか」で測られる。

私はそう思っていますが、いかがでしょうか。

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Righteousとは公明正大

2025年04月05日 | 言葉
Right と Righteous は違う。

Rightは、人の世界、世俗での正しさ。
Righteousは、天との関係、精神的な正しさ。美しさ。

この

 Righteous=美しい

というのは私の造語なのですが、最近気づくのは、Righteousは、美しいともいえるけど、

 公明正大

ともいえるな、と。

単なる「正しい」ってのと、「公明正大」ってのは違う。

天地神妙に誓って、誰に対しても、天に対しても、恥じることがない、正しさ。

それが公明正大。

 ※ ちなみにググった限りでは、公明正大の語源は不明。いい言葉を掻き集めたみたいな説明。

常に公明正大でありたいし、公明正大な人生を歩みたし。
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義ならざるものは結局美ではない

2025年03月26日 | 言葉
義ならざるものは結局美ではない

高村光太郎

この句が好き。 画像はこちら

似た句を高村光太郎は作っている。

義にして美ならざるはなし


義も美も、「羊」がいる。羊を生贄にするという神聖さを持つ言葉。

義であり美を目指さん。


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思惟(しい)

2025年03月20日 | 言葉
思惟(しい)って言葉が好き。

なんだか「深く」考えるって感じがして。

思索よりも深い感じ。

思惟的な生活を送りたい。思惟に耽りたい、って思うこともしばしば。

____________

かつてこんな分類を書いていた。若松英輔さんをパクって。

思考:アタマで考える
思索:こころで考える
思惟:いのちで考える

こちら(2022年過去記事)
こちら(2020年過去記事、何度も書いている)
こちら(2008年過去記事、皇太子殿下への批判)

たしか内田樹も思惟って言葉を使っていたのでは、、、 池田晶子だったか、、、

「思想」が最もオツム的。
次が「思考」。少し身体の下に下がって、自分で考える」という肉体感を伴ってくる。
さらに下に下がると「思索」。脳よりも心で考える。思う。感じる。
一番下が、「思惟」。脳ではなく、心よりもさらに下の、「肚」で感じるみたいな。

思想と思考と思索と思惟。

この辺の言葉に敏感でいたい。ビジネス書ばかり読んでいるとこの4語の区別はできない。

____________

書き手が、こういう言葉に敏感かは、読んでいるとわかる。

若松英輔さんなんかは、詩人だけあって、このへんの言葉選びが絶妙。

他に彼に匹敵するような言葉の敏感さを持っている人は、、、 思いつかない。

執行草舟さんは似たようなところがある。

池田晶子とか中島義道とか、世間に媚びない思想家が、こういう言葉の鋭敏さを持っていそう。

ウケる言葉を使うのではない。

自分が肚落ちする言葉のみを使う。

____________

Twitter(X)では140字しかないし、コンパクトに刺さることを言わざるを得ないので、思惟的になることはできない。

だからXにのみ生息している人は思惟的であることはできない。

媒体が思考様式を決める。

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生活の言葉と人生の言葉

2025年03月19日 | 言葉
若松英輔さんが分類する、生活の言葉と、人生の言葉。

いい。

バランスが大事ですね。




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今日の短冊

2025年03月18日 | 言葉
当代一番なんて志が小さい。

古今東西で一番を目指せ。

1000億人の中で一番を目指せ。

私は毎朝「1000億人で一番」を目指してます。

その工夫は追ってご紹介します。
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部外者意識

2025年03月18日 | 言葉
当事者意識ではなく、部外者意識。

会社は狭い。
狭い組織の、狭い常識。

正しさは歪みうる。
「当事者」である限り、義理・人情・感情・利害関係・しがらみから、逃れられない。

「部外者」として、メタ認知して、幽体離脱して、判断すると、間違えない。

さすが佐藤航陽さん。

若いけど、10年くらい前から尊敬している経営者の一言。




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マインド・コントロールという言葉は分断を生む

2025年03月16日 | 言葉
マインド・コントロールという言葉は必然的に分断を生む。

紀藤正樹弁護士(と郷路征記弁護士)は、30年近く、「家庭連合信者はマインド・コントロールされている」と言う。

裁判闘争の末、欧米の裁判所と同様に こちら 、日本の裁判所も「マインド・コントロール」という概念を認めなかったから、さすがに最近は「自由な意思を阻害され」って言い換えている。

このマインド・コントロールって言葉は良くない。アメリカの判決では1990年からpseudo-science(エセ科学)呼ばわりされているのに、日本で使い続けることが。

彼らはマインド・コントロールされている、って表現は、面と向かって
君たちはマインド・コントロールされている、ってこと。

これはつまり

キミはマインド・コントロールされている

ってこと。

想像してください。

みなさんの話し相手が、みなさんに

あなたはマインド・コントロールされている

って言ってきたら。

はぁ? バカにしてんのか? なぜそう言える?

って議論になって、信頼関係も、建設的な関係も築けない。

別にマインド・コントロールって言葉を使う必要はない。

世界80億人、みんな、時代と環境の影響を受ける。

環境の影響を受けない人間はいない。

誰かしら、何かしらの影響を受けて、思想や考え方を形成している。

軍国主義時代には、どんな知性も軍国主義的になる。
男尊女卑の時代には、どんな立派な人もやや女性を下に見る。
奴隷制の時代には、トマス・ジェファーソンも奴隷を使う(黒人奴隷の使用人を孕ませたりもした)。

その「環境の影響」を、マインド・コントロールという言葉を使う必要はない。

  ※ 西田公昭氏は、「軍国主義もマインド・コントロール」と言うが、「コントロール」という言葉にそぐわない。

どんな影響も、程度問題。

物理的に監禁されて強要されるのでない限り、人の考えを容易に「コントロール」なんかすることはできない。

だからマインド・コントロールなんて使う必要はない。

____________

「あなたはマインド・コントロールされている」というのは、知性と自由意志と自主性を認めない、人を最も侮辱する行為。

紀藤正樹弁護士が30年やっているのは、こういう分断を生む行為。

マインド・コントロールって言葉は絶対に使ってはいけない。

それは社会に分断を生むからだ。

____________

でも、紀藤正樹・郷路征記・鈴木エイトあたりは(この3人だけですかね)、まだマインド・コントロールって言っている。

 ※ 西田公昭氏は最新刊で、家庭連合についてはマインド・コントロールという表現をしていない

欧米の裁判で否定されても、絶対に考えを変えない、マインド・コントロール信者。マインド・コントロール教。

決して過ちを認めないのはカルト的である。

欧米で全否定されているのに、東洋の小国でマインド・コントロール論を展開し続ける彼ら3人は、とてもカルト的である。
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全躯保妻子

2025年03月16日 | 言葉
私の愛読書『李陵』で、ダメな、保身の官僚を表現する5字。

 ※  著者の中島敦は『李陵』を書きかけで死んだので、最終校正前の、書き下し文ではない、この漢字5文字がそのまま残されて本になっている。

この「全躯保妻子」は、

身を全うし、妻子を安んずる

と読む。

自分の地位の保全と、妻子の安寧ばかりを考える奴。

自分の出世と家族の生活が第一で、精神も哲学も信念もない奴。

こういう奴に勇気は出ない。

勇気ある発言をするのではなく、日和見の、同調圧力に屈した、権力に媚びたことしか言わない奴。

人物になる、良い人間を目指すというのは、この全躯保妻子、身を全うし、妻子を安んずる人間を唾棄し、そういう人間に成り下がってたまるかと思うこと。

昨日出てきた三宅裕之さんのパーティ(冒頭画像)で、ちょっとの立ち話で、どなたかと、「真善美を目指さなきゃダメ」的な会話をした。

真善美を目指さず、身を全うし、妻子を安んずるような奴には、勇気は出ない。




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言葉ではなくコトバを読む = 正しく誤読する

2025年03月15日 | 言葉
今手元にないが(おって正確に引用します)、たしか『井筒俊彦ざんまい』の冒頭にすごいいいことが書いてあった。

「読む」というのは主体的で独創的とも言える営み。

書き手が書いた言葉を超えて、書き手が伝えたかったコトバを読み込む。

それを井筒俊彦は

 正しく誤読する

と表現している。

この辺の表現は知っていたが、今日、腹落ちした。

井筒俊彦だからだ。

井筒俊彦ほどの博覧強記だから、書き手は、みな「井筒俊彦よりレベルが低い人」。

レベルの高い井筒俊彦は、「レベルの低い彼はこういうことを書きたかったんだろう」と補って、書き手の言葉を超えたコトバを読み取った。

書き手と読み手のこの「非対称性」というんでしょうか、「圧倒的なリテラシーの差」があると、読み手は、書き手の言葉を超えて、コトバを読み取れる。正しく誤読できる。

私も年間500冊読むので、井筒俊彦には程遠いけど、「言語化がお上手」と言われることがある。言語化の本書いて、とも。

そんな私の最近のコミュニケーションを振り返ると、相手が言葉にできないコトバを私が受け取って、それを私の言葉にしている。それが、私が周りから評価される「言語化」なんだろうな、と。

言語化とは、相手や世間が、言葉にすることができないコトバを、言葉にすること。

そういえるだろう。

なお、この文脈の「言葉」はシニフィアンで、「コトバ」はシニフィエって意味に近い。

 
やっぱり簡単なビジネス本ばかり読んでいても刺激は少ない。

井筒俊彦みたいな、「読んでもわからない本」に挑戦することで、いろいろ得られるものがある。

自分の知的レベルを超えた本に、絶えず挑戦せねばならぬ。
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獣身を成して後に人心を養う

2025年03月13日 | 言葉
福沢諭吉の言葉で「まず獣身を成して後に人心を養う」ってのがある。

だから今でも慶應義塾の中学の入試では体育がある。

____________

家庭連合の教えで

神(父母)の心情
僕(しもべ)の身体

ってのがあるそうですが、それを聞いて福沢諭吉を思い出しました。

____________

家庭連合が30年頑張っている南米の秘境レダ。

そのレダ開発の持つ世俗的な意義を考えながら、下僕の身体的な、地に足をつけた、行動が伴う、For others のみならず With others  的な、「宗教の実践」という意味もあるんだろうと思いました。
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爲ん方尽くれども

2025年03月12日 | 言葉
今日暗唱した文。

コリント人への手紙2 の4:8-9

We are hard pressed on every side, but not crushed; 
perplexed, but not in despair; 
persecuted, but not abandoned; 
struck down, but not destroyed.

文語訳がいいんですよ。

われら四方より患難を受くれども窮せず、
爲ん方つくれども希望を失はず、
責めらるれども棄てられず、
倒さるれども亡びず。

特にこの「爲ん方(詮方、せんかた)尽くれども」(perplexed)ってのが。

これを本のタイトルにした人がいるくらい。


 
せんかた尽くれども、希望を失わず!
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ラインホルド・ニーバーの詩を暗唱しました

2025年03月11日 | 言葉
年末に「すばらしい、暗唱したい」って書いた、ラインホルド・ニーバーの詩を、暗唱しました。

聖書で最も有名な一節、コリント人への手紙1の13:13の以下を前提にしているはずです。

these three remain: faith, hope and love. But the greatest of these is love.

いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。 このうちで最も大いなるものは、愛である。

____________

“Nothing that is worth doing can be achieved in our lifetime; therefore we must be saved by hope.

取り組む価値のあることは、生きているうちには何一つ成就し得ない。
だから我々は希望によって励まされる。

Nothing which is true or beautiful or good makes complete sense in any immediate context of history; therefore we must be saved by faith.

真・善・美は、歴史的に、何一つすぐには理解されない。
だから我々は信仰によって支えられる。

Nothing we do, however virtuous, can be accomplished alone; therefore we must be saved by love.

我々のなすことは、どんなに徳の高いことでも、1人では達成し得ない。
だから我々は愛によって助けられる。

No virtuous act is quite as virtuous from the standpoint of our friend or foe as it is from our standpoint. Therefore we must be saved by the final form of love which is forgiveness.”

どんなに徳のあることでも、相手から見れば、自分で思うほど徳があるわけではない。だから我々は、究極の愛 -赦し- によって救われる。

____________

こちら(過去記事)

この冒頭の、「価値あることは生きているうちに達成できない」っての、いいですね。

執行草舟が言う、「永遠の憧れ」を表している。

夢のうち、生きているうちに達成できるものを野心という。

大富豪になる、フェラーリに乗る、世界一周する、など。

夢のうち、生きているうちに、一人では、絶対に達成できないものを志という。

世界平和、格差廃止、世界を明るくする、同調圧力を失くす、、、など。

志を持ち続けることの大切さを説いています。
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事務所の短冊

2025年03月11日 | 言葉
首相官邸をバックに、事務所に短冊を掲げています。

一番右は荘子の一節。

生を殺す者は死せず、
生を生かす者は生きず。

「一粒の麦」そっくりなことを言っています。
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