25~30年前は,東大に100人合格者を出し,全国で3位とかにつけていた,神奈川私学の雄(だった)・桐蔭学園。我が愛する母校。
今は東大合格者なし(別法人の桐蔭学園中等から数名)。
要するに,30年で,東大100人→0人。その(進学成績の)凋落っぷりは,文字通りnosedive 。崖を真っ逆さま,という勢い。その凋落っぷり,衰退ぶりは,私はもちろんイチ卒業生(1993年=平成5年卒。男子27期)としてとても嘆かわしいところ。。。
ただ,教育関係者の方々には,その変化ぶりは、とても興味深い研究対象なのでは,と思う。私だってとても興味ある(ので,進学成績の低下を聞くにつれ,いつもその原因を探ってきた)。
その参考までに,先日,桐蔭学園の草創期から今までの多くを知る方から,私が直にお話をお伺いする機会がありました。その方の話を踏まえて,私なりに,桐蔭学園の(進学成績の)凋落・衰退の原因と思えるところを記しておきます。
私なりにまとめると:
1 U校長の変貌・堕落
(1) 昭和60年=1985年から,創立から校長を務めてきた鵜川昇校長(以下「U校長」といいます。)がおかしくなった。U校長65歳。男子21期が高1ころ。
(2) どうおかしくなったか。金の亡者的になった。生徒増による売上増ばかりを目的とするようになった。
(3) これは,U校長が理事長になった(学園を乗っ取った,として週刊朝日に論じられた)昭和59年=1984年の直後の時期。
(4) 要するに,鈴を付ける/諫言する/叱る人がいなくなって,ワンマンになった。ガバナンスが効かなくなった。
学校説明会とかでも,U校長が教育の理念などをロクに語らず,進学成績ばかりを滔々と述べるので,父母からの評判が悪かった。1割くらいの父母が「U校長には失望した」という内容の感想/アンケートを出していた。
(5) 教育制度でいえば,統一到達度テスト(統到=とうとうテスト)を導入し始めた。できない生徒にも全員70点を取らせることを目標にしたもの。なお,正確な導入時期は不明です。
※ この統到テストでは,成績が上の方の生徒は「ほとんど満点」を取るので,何の意味も感じていなかった。成績の良かった私も,くだらないテストだな,と思っていた。
(6) この統一到達度テストは,桐蔭学園が誇る「レッスン制」(能力別クラス設定)の否定とは言わないまでも,対極をなすもの。
できる生徒とできない生徒に差を付けるレッスン制と,みんなが70点を取るという統到テストは,相矛盾する方向。
(7) 要するに,教育方針が一貫しなくなった。大所帯の桐蔭学園(私がいた当時は学年1500人程度)で,「全員が70点」を取れるわけがない。または,「全員が70点を取れるテスト」には意味がない。少なくともできる生徒にとって,教育的価値はない。
(8) 野球部・柔道部・剣道部…推薦で入ってきた生徒は成績が悪い。でも,そんな生徒にも70点を取らせる。取れないと,教師の責任とされた。
※ こういう体育会系の生徒の中には,高1くらいでも,「A,B,C… あれ,Cの次ってなんだっけ?」って言うくらい,学問的レベルが低い生徒が実際に私の周りにもいた。
(9) (統一到達度テストで目標未達のために)責任逃れをする教師は,ウソで固めた報告等をするようになった。教師がウソをつく。教育現場にウソが横行するようになった。
(10) もうひとつ。ウラの理由。なぜ統到テストが導入されたか…。実は,コネ入学者=裏口入学者(1学年で100人くらいも大量にいたという説も)の落ちこぼれ防止という目的。
コネ入学者の出来の悪さを,表面化させずに,(70点を取れない場合に)教師のせいにするという責任転嫁。責任転嫁される教師は,「やらされ感」一杯で,学校に対する忠誠心もなくなっていった。
…以上,一言でいうと,
ガバナンスの効かなくなったU校長が,私利私欲のために,統到テストという「下に媚びる」制度を導入し,その皺寄せというか無理が教師になすりつけられ,本来あるべき教育ができなくなった
ってことかな。全然一言でキレイに言えていませんが(笑)。
「文武両道」として有名だった桐蔭学園。でも,内部では,勉強する人は勉強,野球する人は野球,みたいな「文武別道」と認識されていた。スポーツ推薦で入学した生徒の成績が悪いのは当然であって,そういう「棲み分け」ができていた。
しかし,自ら掲げた「文武両道」の美名に踊らされ(酔いしれて),その形式・美名に,実態を無理に合わせようとして,運動部の生徒にも良い点を取らせようとして,教師に無理を強いて,ウソが横行する教育現場を招いた。
理念もロジックも通用せず,教師同士が怒鳴り合い,その怒鳴り声の大きさで雌雄が決せられるような現場もあった…。
優秀な先生は,そんなロジックが通じない職場に嫌気をさして,辞めていった。昭和が終わる頃に桐蔭を去った英語の藤井英男先生 ー私の恩師ー などもそのたぐいだろう。
って書いていくと,「U校長が変わったから」って理由に見えそうだけど,本質はそうではない。人間はそんな簡単には変わらない。ガバナンスです。
ガバナンスが効かなくなった(校長が理事長を兼ねた)から,U校長の本性が顕れたんです。U校長の資質の問題というよりは,学校/学園としてのガバナンスの問題です。
U校長は,柴田周吉・初代理事長がご存命中は,むしろ「雇われ校長」としては素晴らしい実績を残しました。それは讃えられていい。
しかし,U校長が理事長を兼務するようになって,ワンマンになり,金の亡者になり,私服を肥やし?,教育現場が堕落した。良い教師も集まらなくなった。
2 拡大化の弊害
上記のように,ガバナンスが効かなくなって,U校長がワンマンになった1985年=昭和60年ころから,生徒を無理に増やした。
どんな学校でも,一学年10クラス500人が限界といえる。管理上,一学年10クラスであれば,学年主任は,他の9人を束ねればよい。目が届く。
ところが,ワンマンU校長体制になってから,一学年が,20クラス1000人になった(女子を合わせると,1学年が30クラスで1500人)。一学年20クラスとか30クラスとなると,学年主任の目が届かない。だから,若手教師の教育が行き届かなくなった。教師の質も低下した。
そして,急遽増員した生徒に対応するため,質の悪い教員を大量に採用せざるを得なくなった。それで教育の質もさらに落ちた。
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基本的には以上ですね。
◆ 人材のタイムラグ
この14年くらい(U校長は堕落しているけど,進学成績は落ちていなかった)時期を,どう説明するか。これは,「堕落の結果がすぐ見えない」「教育の結果が出るのには時間がかかる」「中高一貫校では,ブランドは6年続く」ってことではないか。
人材(生徒の質)を考えてみよう。中高一貫だから(半分は高校から「外進」として入るとしても),中1になろうとする小6(の親)が学校を選ぶのは,「6年先輩の大学合格実績」。
例えば,21期の大学入学成績が良かったら,それを見て,6歳下の27期(ちなみに私)が入る。27期の成績が良かったら,それを見て6歳下の33期が入ってくる…。
このように「人材には(6年の)タイムラグがある」ってことなんじゃないかな。ちなみに東大合格者がランキング10位に入ったのは,平成元年~12年の,たった12年でした。
夏の夜の線香花火のような,儚い輝きでした。
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その他に,よく桐蔭学園の凋落の原因と論じられるところにコメントしておく。
✓ スパルタではなくなったから
平成になった頃から,殴る,デコピン,ビンタなどの体罰がなくなったから,というもの。特に,昭和のマッチョでスパルタな桐蔭をギリギリ知っている私の世代(しかも私みたいに,強い野球部にいて,そのスパルタ桐蔭の恩恵を受けた卒業生)には,ある程度の説得力を持つ理論。
でもしかし,こんな理由(スパルタでないから成績落ちた)を認めると,ではスパルタ・体罰をしないといい教育ができないの?ってことになる。これはもはや教育の否定です。
ですから,「平成になって教育が甘くなった(modestになった)」というのは,桐蔭学園の進学成績が落ちた理由にはなりません。
✓ 教員の組合結成
たぶん,平成5年ころ?桐蔭学園の教員に,組合ができましたね。これが理由だと。まあ一理ありそう。学園・学校との一体感が教師に失われたから…
でも,組合ができて組織がだめになるなら,どんな大会社もだめになっているよね。。。 だから完全な唯一の理由ではないはず。
なお,私は他の進学校で教員が組合を作っているかは知りません。
✓ 地域開発
桐蔭学園が伸びている時期には,宅地開発等で,桐蔭学園の近隣住民にはいい家庭の人(良い生徒)が多かった,というもの。先日Facebookで,見知らぬ先輩がそう書いていた。
たしかに一理あるだろうけど,教育や進学成績は,生徒の質だけでは決まりません。しかも,桐蔭みたいなNosedive(急激な没落)は,生徒の質だけでは説明できません。理由は常に複数あります。
教員側(学校側)にも大きな原因があるはずです。
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これは私の持論でもあるのですが,下に媚びる組織は必ず崩壊する。間違いない。いろんな意味で教育の底上げ(できない生徒の救済)は必要だろう。しかし,統到テストは,「下に媚びる」制度ではなかったか。
運動部の生徒が70点を取るためのテストを,東大を目指す生徒が受ける必要があったのか。だれも,U校長の方針に異を唱えることはできなかった(空気として)。U校長の暴走と傍若無人をだれも止められなかった。ガバナンスが利いていなかったから。
なお,桐蔭と同じくらいの進学成績を誇っていた巣鴨中学・高校も,桐蔭の轍を踏みそうらしい。理事長+校長だったカリスマ教師が亡くなり,その息子さんがまた理事長+校長をやっていると… カリスマが2代続くことは,古今東西,ない。巣鴨の今後に注目です。
本稿は,たぶん,続く。
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後記1(お詫びとエール):
いろいろ桐蔭学園の悪口めいたことを書いていますが,私は生粋+筋金入りの桐蔭ファンです。母校愛は誰にも負けない。私ほど桐蔭にお世話になった卒業生はいないんじゃないか。
今は,U校長・理事長から数えて,3代も代わって,新理事長が,アクティブ・ラーニングを掲げて,有名大学進学のみを校是としない,新たな教育理念を掲げて頑張っていらっしゃる。
それは全力で応援する。偏差値なんかクソ喰らえ。頑張れ,先生たち,そして可愛い後輩の生徒たち!!
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後記2(学校法人のガバナンス):
中小企業でも,社長が株主総会を乗っ取って…などの事例がありますよね。大手ではユニバーサルエンターテインメントなど。
いい情報あればコメント欄(非公開です)へのコメントやDMをお待ち申し上げております!
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後記3(教師の質):
男子30期代以降の方から「低迷の原因は教師の質の低下では」とコメントを頂きました。たぶん当たっている。ではなぜ教師の質が低下したのか。学園に,校長に,良い教師を集める実力と魅力がなかったから(本稿で書いたように,ガバナンスが利いていなかったので,ワンマン体制の悪い側面が出たから)でしょうね。。。
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後記4(ビジョナリー・スクール):
「批判ばかりして,建設的な意見を言わない」卑怯な振る舞いは私の最も唾棄するところ。だから私なりに建設的な見解を述べておきます。
いや,立派ですよ。この新しい建学の精神。国際化とSDGsにマッチしている。でもなんだかなあ。より個性が失くなっていくというか。建学の精神ってのは,「増やす」ものではなく,むしろ「減らす」もの。そこに「立ち返る」もの。
建学の精神が,長ったらしく5つもあったら誰も覚えられない。実際,私が桐蔭にいた中高6年間で,先生の誰からもこの「建学の精神」を聞かされたことがない。生徒が話題にしたこともない。
要するに「建前」なんですね。理念や精神が多すぎると「建前」に堕する。シンプルに削って,全校生徒が覚えやすいものにしたらいいんじゃないか。
※ こういう<キレイゴトの理念とか精神を網羅的にする>のは,制定する側の,自己満足のマスターベーションなんですよね。カッコいいだろ,的な。どうだ,的な。オレは仕事したぞ,的な。
私の専門のコンプライアンスでも,こういう「私は仕事しましたよ」的な第2線(管理部門)の態度を「アリバイ的なコンプライアンス」と批判しています。
理念の話に戻します。
開成の
「ペンは剣よりも強し」「質実剛健」とか麻布の「
青年即未来」とか,伝統校には,だれでも分かるような「これ」という理念があります。桐蔭も,建学の精神とか校訓を増やすんじゃなく,削って削って,「これが桐蔭だ」ってものを見つけた方がいいと思う。
ヴィジョナリーなカンパニーは伸びる。理念に基づく経営をする会社は長く続く。それと同様,ビジョナリーな学校が伝統校として生き延びるのだと思います。
桐蔭のビジョンの具体案を考えると… 「桐蔭」の由来は「桐樹の蔭に鳳凰が宿る」。そこからとって,「未来の鳳凰たれ」とかはどうでしょう。
うーん,抽象的すぎるな… もっといい案を考えておきます。。
↑ ビジョナリー・カンパニーについての最新の本