川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

【桐蔭野球ネタ】 もろくさ2024のご案内

2024年04月06日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
内輪ネタで恐縮です。

5月5日(日)、桐蔭学園中学が法人として失くなったタイミングで、ご縁と歴史に感謝すべく、大野球大会を催します!

ご家族を連れて桐蔭学園グランドにお集まりください!

数に限りはありますが、地下駐車場もご利用いただけます。

多くの方のご参加をお待ち申し上げております!
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学校法人のガバナンス

2023年06月20日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
学校法人のガバナンスが論じられるようになりました。

私の母校桐蔭学園の盛衰も、結局、ガバナンスつまり「校長・理事長をどう縛るか」の問題だと思っている。

ガバナンスとは、「どうやってトップの首に鈴をつけるか」って問題です。

鵜川校長がワンマンだったことはおそらく皆さんお認めになるところ。

そういう「ワンマン」を作らないことが、ガバナンスです。

ガバナンスとは、「ワンマン製造防止措置」「ワンマンを生まない仕組み」です。

って考えると、「校長が理事長を兼務する」ってのは、一番ダメなガバナンスなのでは。

全国の私学で、「校長が理事長を兼務する」って学校が、どれくらいあるのでしょうか。

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桐「蔭」と桐「陰」

2023年04月27日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
桐蔭学園も、大阪桐蔭も、和歌山桐蔭も、桐の「蔭」と書く。草冠(くさかんむり)が付く。

桐の蔭に鳳凰が宿る。生徒たちよ、将来、鳳凰のように飛び立てよ、それまでの学びの舎がここ桐の下の蔭だよ、という中国古典あたりの考えから。

これは東京高等師範学校(→東京教育大学→現筑波大学)での教えの伝統です。桐蔭学園の創業者たち(鵜川校長、榊原先生とか。美濃口教頭はどうだったか、、あの方はたしか海軍だったな、、)とかは、みんなこの東京高師(古い人はトウキョウコウシと言う)出身でした。

____________

ってのは知ってましたが、最近、48歳になり、桐蔭学園を卒業して30年経って初めて、東京高師繋がりの筑波大付属中高(悠仁さまがいらっしゃるところ)が、

 桐陰

って言葉を使っているのを知った。。筑波大付属では、蔭の草冠(くさかんむり)がない。。




これは最新号の月刊『HANADA』に載ってました。

ま、意味的には、桐のカゲ(陰、蔭)に宿るって意味からすると、どっちでもいいのかもしれませんが。

でも、桐という木々、葉っぱのカゲ、という本来の意味からすると、「草」カンムリがある蔭の方がいいような気もする…

これ以上の詮索はしませんが、我らが誇るべき母校の校名の由来に関わるので、記録にとどめておきます。
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学校法人のガバナンス

2022年05月20日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
最近、オリックス宮内さんとかが音頭を取って、学校法人のガバナンスが叫ばれている。

私は、理事長が校長を兼ねることはガバナンス上良くないと思っている。ワンマンになりすぎるから。

我が愛する母校・桐蔭学園の凋落も、カリスマ鵜川昇校長が理事長を兼ねてしまったからだ、と端的に私は分析している。

という中で、https://ump.p.u-tokyo.ac.jp/resource/1_bulletin12-paper.pdf(学校法人の理事長と校長との関係)という研究も出てきた。

学術的に、学校法人のガバナンスが研究される時代になりました。文化文明の進歩ですね。上記URLは後でしっかり読む。
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ガバナンスは50年100年のスパン コンプライアンス・内部統制は30年のスパン

2021年10月19日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
このブログの人気記事に,我が母校「桐蔭学園の衰退の原因」という記事がある。学校法人のガバナンス体制を問題視したもの。

マンモス校桐蔭学園は卒業生だけでたしか3万人? 5万人?もいる。親兄弟を含めた利害関係者だともう数十万人の関係者がいらっしゃる。今後もヒットする記事になるでしょう。

この「学校法人のガバナンス」を改めて考えると,カリスマ校長が学校を反映させることができても,それは一時的なもの。30年くらい。

カリスマ校長がいなくなっても学校の名声・業績を維持できるか。それは(校長を縛る)ガバナンスの問題。端的には学校法人の理事会の問題。だからガバナンスの方が,スパンが長い話。

桐蔭学園は鵜川昇というある意味カリスマ?的な校長が一時的な繁栄を演出した。立地や時代背景(高度経済成長は体育会系体質にマッチした)に恵まれた部分もあった。

しかし昭和→平成の転換期に中高6年間を桐蔭学園で過ごした私は,「昭和の桐蔭」(強かった体育会系的体質)が,平成の時代に,時代との調和に戸惑っているように思えた(体罰を行う教師をどう扱うか,等)。まあ体罰はだいぶ残っていた。デコピンとかケツバットとか。

平成前期は,昭和の勢いを借りて成績は伸びていたけど,平成後期には見事に失速した。鵜川昇校長は実はカリスマではなかった。時代の変換になすすべはなかった。ガバナンスも効いてなかった。鵜川昇校長自身が理事長だったから,制度的にガバナンスの利かせようがなかった。

校長(や社長)が司るのはガバナンスではなくコンプライアンスないしは内部統制。コンプライアンスや内部統制が,一人のカリスマトップにより賄われることができるとしても,せいぜいその人が死ぬまでの30年くらい。

一方,校長や社長を縛るのがガバナンス。ガバナンスは,コンプライアンスや内部統制よりも,息が長い話し。その学校法人の理念や,会社の社是とか企業理念というものを,50年100年のスパンで,見守っていく。伝統を継いでいく。

それがあるべきガバナンスなんだろう。今流行りのMVVとかパーパス経営とかにつながってきますね。

人の寿命という属人的な要素に依存しない長いスパンが,学校法人のガバナンス。やっぱりコンプライアンスよりもガバナンスの方が大事といえますねえ,長期的視点だと。

まあ,中学高校を選ぶときには,自分(子ども)が過ごす数年さえよければいいと考えると,学校法人のガバナンスまでは,進学や受験(進路選択)において考慮要素にはならないんでしょうけど…。






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桐蔭学園 鵜川昇 校長・理事長の経歴

2021年05月08日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)

大田区で生まれ育って,父母の職業とか,軍隊入隊当時に体重が40キロしかなかったとか,終戦直後,キャサリーン台風が来るまで,闇商人をしていたってことなど,私が知っている事実と一致しています。

だれが書いたんだろ。
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竹中藤右衛門さんは桐蔭学園創立にあたり10億円以上無償寄付した

2021年05月08日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
桐蔭学園ができたのは昭和39年。その最初の校舎は,学園の発起人でもある,竹中工務店の創立者の竹中藤右衛門(14代)が,ポンッと竹中工務店で校舎を無償で建てて,「金ができたときの出世払い」として寄付してくれたんですね。

(聞いたことあったかもしれないけど)ちゃんとは知らなかった… こういう創立にあたりお世話になった人の思いなどが,桐蔭学園には詰まっています。

(いろいろ批判的なことを書いていますが)いい学園になってほしいですね。

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桐蔭学園の黒歴史(裏歴史)

2021年05月08日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
桐蔭学園の低迷の原因ってブログを書いて以来,やっぱり学校法人のガバナンスって大事だなと思っていろいろ発信していると,いろんな情報が私のところに集まってくる。

なかでも(ガバナンスの観点から)私の興味を引くのは,以下の2つ。

1 昭和57(1982)年,柴田周吉初代理事長が入院(4月)後,7月21日に,柴田理事長が三菱化成で預かっていた桐蔭学園の学校法人の理事長印を,鵜川校長(の部下の方)が「ちょっと借ります,すぐ返します」と言って預かり,そのまま返さなかった

 …7月21日ってのがえらい具体的。。。 その後にすぐ鵜川校長が理事長代行になった。

 …昭和53年に,鵜川校長が金銭トラブルを起こして神奈川県のなんとか教育長を辞任してから,柴田周吉理事長は鵜川校長を信頼せずに,理事長印を三菱化成に預けていたという。

2 その2年後の昭和59(1984)年に,鵜川校長が理事長に就任。さらにその2年後の昭和61(1986)年に,鵜川校長以外の理事が一斉退任(解雇)。この理事会の議事録はあるものの,実際に理事会は開かれなかった(という)。

 …この辺は,当時,読売新聞の記事にもなったらしい。実際に理事会を開かずに議事録だけ作るってことなんてあり得るのかと思いますが…

この辺の事実がもっと詳しく知りたい(事実関係の確認をしたい)。けど,もう35年以上も前ですね。歴史に葬られることになるのか…

情報提供者のご連絡をお待ち申し上げております! コメント欄は非公開なのでコメントくださいませ。  


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桐蔭学園の黒歴史 雇われ校長が理事会を乗っ取ると…

2021年04月17日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
桐蔭学園の黒歴史

私の専門とするガバナンス研究の一環で、雇われ社長が株主総会を乗っ取るとその会社はどうなるか…ってのを研究したい。学校法人で、校長が理事会を乗っ取って理事長になったらどうなるのか(桐蔭学園みたいな例)も研究したい。

以下は2ちゃんねるみたいなところからのほぼ抜粋。

ーーーーーー

昭和39(1964)年4月に学校法人桐蔭学園設立後、  創立者・柴田周吉理事長のもとで桐蔭学園の理事会の監事をしていた長男・柴田矩雄(三菱樹脂勤務)が 昭和52(1977)年3月に死去し、後任監事として次男の柴田紘次(味の素勤務)が就任した。  

昭和57(1982)年10月2日に柴田周吉理事長が亡くなった後、  多くの理事の反対を押し退けて鵜川昇は理事長と校長の両ポストを手にする。  

昭和59(1984)年6月には創設時からの理事である出光計助、大久保謙、長浜恵、福田信之、森山欽司の5名の連名で  当時の文部大臣宛に『桐蔭学園の現状について憂慮する』という文章が送付されたがその3ヶ月後、  任期満了という理由で彼らは解任された。そして昭和60(1985)年6月に柴田紘次も同理由にて解任された。  

この柴田紘次の保存していた資料によって膨大な鵜川昇の悪事の数々が露見していき、  更なる大きな闇の真髄まで導いてくれたのである。 

ーーーーーー

なんだかだいぶ実名なので信用ありそうな記事。
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ビジョナリー・スクール 桐蔭学園の凋落の原因その2

2020年10月29日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
ビジョナリー・カンパニーって考え方がある。良い企業が数十年の長きに渡り存続・繁栄するためには,その会社のビジョン・理念がしっかりしている必要がある,って考え。有名な本があるよね。

それと同様,進学校の盛衰を見ていると(っていうか母校桐蔭学園高校の衰退を見ると),学校にも,長く繁栄するためには「ビジョン」というか理念というか校是というか校風が重要なんじゃないか,って思えてくる。

要するに,いい学校であり続けるための要件としてのビジョン。長く繁栄するのは,ビジョナリー・スクール

典型例は… 麻布が江原素六の大人的な自由な校風を受け継いでいる。開成は質実剛健か。武蔵は旧制高校風のアカデミックなところ。栄光はMen for others, with others. その他はよく知りませんが。浦和高校あたりの県立の雄にも,良い特徴があったりしますね。

それに比べると我らが桐蔭は…
 
校訓が
ってのが寂しい。ちょっと抽象的だし(悪く言えば,何も言っていないに等しい)。私は中高6年いて,どの先生からも,校長(U理事長)からも,生徒からも,この「校訓」を聞いたことはなかった。

その他に,桐蔭学園には建学の精神ってのがあって,
  • 社会連帯を基調とした、義務を実行する自由人たれ。
  • 学問に徹し、求学の精神の持ち主たれ。
  • 道義の精神を高揚し、誇り高き人格者たれ。
  • 国を愛し、民族を愛する国民たれ。
  • 自然を愛し、平和を愛する国際人たれ。
これもねえ。。なんだか優等生的にいい文句をみんな集めたよ的な。最後の「…国際人たれ」を昨年に追加したようですが。。。

これも,校訓同様,私の中高6年で,話題にされることはなかった。要するに学校としてのビジョンが浸透していなかった。学校としてのアイデンティティがなかった,ということなのでしょうか。

桐蔭学園の凋落の原因は,U校長が理事長を兼ねたことによるガバナンスの停滞が主原因だと思っていましたが,上記の「ビジョン不足」もあるかもしれませんね。。

学校法人の経営者諸氏,ビジョンは大切ですよ!!




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桐蔭学園(学校法人)のガバナンス問題

2020年09月18日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
桐蔭学園の初代理事長の柴田周吉先生(三菱化成出身,立派な人だった)がお亡くなりになったのが1982(昭和57)年。

そこから桐蔭学園の理事内の抗争が2年くらい続く。理事長は置かれなかった。そのうちU校長が理事長代行になった。

理事長印は,三菱化成内に保管されていたが,そのうちU校長が手にするようになって,U校長が1984年(昭和59年)に,理事長に就任した。

理事長は普通は理事の過半数で選ばれるでしょうから,要するにU校長が,多数派工作で勝利したということなのでしょうね。

U校長ばかりを責めても詮がありませんが,逆の見方をすれば,柴田周吉初代理事長の相続・事業承継が上手く行かなかったという結果論になります。

初代理事長として,ご自身にもしものことがあれば,理事会(要するに学校法人の経営)をどうするかについて,もう少しいい予防策を張っていれば…というのは「歴史のたられば」であります。

この辺の闘争は,週刊朝日その他週刊誌で何度か報じられた。柴田周吉先生の次男の柴田紘次さんから,学園?U校長?に対する民事訴訟などもあった。

しかし,建学(開校)から20年を経って,結局,U校長は理事長も兼任し,ワンマン体勢が始まった。ここに桐蔭学園の凋落の原因があった。

我々若い世代は,「桐蔭学園はU校長が創ったもの」的な感覚を抱いてしまっています。しかし,それは大きな間違い。それはある意味「権力者による書き換えられた歴史」の刷り込みを受けているから。

U校長も,最初の20年(昭和39~59年=1964~1984年)は,要するに,「雇われ校長」だった。それが,1984(昭和59)年から理事長にもなって,変わった。。。

U校長・理事長の親族/娘さんにお金が流れるようになったり。。
 
 ※ ちなみに女子部の創設は昭和56(=1981)年。もう柴田初代理事長はあまり意思表示できていなかった?

~~~

私の専門のガバナンスから考えてみる。学校法人の,理事長は経営を,校長は教育を司る。役割が違う。これが学校のガバナンス。チェックアンドバランスが効く。

しかし,校長が理事長を兼任すると… やりたい放題。教育と経営の区別がなくなる。他の学校法人で,理事長が校長も兼任して,長く成功している学校があるのだろうか?

まとめると,

 ✓ U校長は,最初の20年の雇われ校長である間は,良かった。
 ✓ 理事長を兼任して,拡大路線に入ってから,悪くなった。

こういう見方ができるようですね。ガバナンスの一般論から考えてみるといかにも興味深い。




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桐蔭学園の進学成績 低迷の原因

2020年09月17日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
25~30年前は,東大に100人合格者を出し,全国で3位とかにつけていた,神奈川私学の雄(だった)・桐蔭学園。我が愛する母校。

今は東大合格者なし(別法人の桐蔭学園中等から数名)。

要するに,30年で,東大100人→0人。その(進学成績の)凋落っぷりは,文字通りnosedive 。崖を真っ逆さま,という勢い。その凋落っぷり,衰退ぶりは,私はもちろんイチ卒業生(1993年=平成5年卒。男子27期)としてとても嘆かわしいところ。。。

ただ,教育関係者の方々には,その変化ぶりは、とても興味深い研究対象なのでは,と思う。私だってとても興味ある(ので,進学成績の低下を聞くにつれ,いつもその原因を探ってきた)。

その参考までに,先日,桐蔭学園の草創期から今までの多くを知る方から,私が直にお話をお伺いする機会がありました。その方の話を踏まえて,私なりに,桐蔭学園の(進学成績の)凋落・衰退の原因と思えるところを記しておきます。

私なりにまとめると:

1 U校長の変貌・堕落

 (1) 昭和60年=1985年から,創立から校長を務めてきた鵜川昇校長(以下「U校長」といいます。)がおかしくなった。U校長65歳。男子21期が高1ころ。

 (2) どうおかしくなったか。金の亡者的になった。生徒増による売上増ばかりを目的とするようになった。

 (3) これは,U校長が理事長になった(学園を乗っ取った,として週刊朝日に論じられた)昭和59年=1984年の直後の時期。

 (4) 要するに,鈴を付ける/諫言する/叱る人がいなくなって,ワンマンになった。ガバナンスが効かなくなった。

 学校説明会とかでも,U校長が教育の理念などをロクに語らず,進学成績ばかりを滔々と述べるので,父母からの評判が悪かった。1割くらいの父母が「U校長には失望した」という内容の感想/アンケートを出していた。

 (5) 教育制度でいえば,統一到達度テスト(統到=とうとうテスト)を導入し始めた。できない生徒にも全員70点を取らせることを目標にしたもの。なお,正確な導入時期は不明です。

 ※ この統到テストでは,成績が上の方の生徒は「ほとんど満点」を取るので,何の意味も感じていなかった。成績の良かった私も,くだらないテストだな,と思っていた。

 (6) この統一到達度テストは,桐蔭学園が誇る「レッスン制」(能力別クラス設定)の否定とは言わないまでも,対極をなすもの。

 できる生徒とできない生徒に差を付けるレッスン制と,みんなが70点を取るという統到テストは,相矛盾する方向。

 (7) 要するに,教育方針が一貫しなくなった。大所帯の桐蔭学園(私がいた当時は学年1500人程度)で,「全員が70点」を取れるわけがない。または,「全員が70点を取れるテスト」には意味がない。少なくともできる生徒にとって,教育的価値はない。

 (8) 野球部・柔道部・剣道部…推薦で入ってきた生徒は成績が悪い。でも,そんな生徒にも70点を取らせる。取れないと,教師の責任とされた。

  ※ こういう体育会系の生徒の中には,高1くらいでも,「A,B,C… あれ,Cの次ってなんだっけ?」って言うくらい,学問的レベルが低い生徒が実際に私の周りにもいた。

 (9) (統一到達度テストで目標未達のために)責任逃れをする教師は,ウソで固めた報告等をするようになった。教師がウソをつく。教育現場にウソが横行するようになった。

 (10) もうひとつ。ウラの理由。なぜ統到テストが導入されたか…。実は,コネ入学者=裏口入学者(1学年で100人くらいも大量にいたという説も)の落ちこぼれ防止という目的。

 コネ入学者の出来の悪さを,表面化させずに,(70点を取れない場合に)教師のせいにするという責任転嫁。責任転嫁される教師は,「やらされ感」一杯で,学校に対する忠誠心もなくなっていった。
 
 …以上,一言でいうと,

ガバナンスの効かなくなったU校長が,私利私欲のために,統到テストという「下に媚びる」制度を導入し,その皺寄せというか無理が教師になすりつけられ,本来あるべき教育ができなくなった

ってことかな。全然一言でキレイに言えていませんが(笑)。

「文武両道」として有名だった桐蔭学園。でも,内部では,勉強する人は勉強,野球する人は野球,みたいな「文武別道」と認識されていた。スポーツ推薦で入学した生徒の成績が悪いのは当然であって,そういう「棲み分け」ができていた。

しかし,自ら掲げた「文武両道」の美名に踊らされ(酔いしれて),その形式・美名に,実態を無理に合わせようとして,運動部の生徒にも良い点を取らせようとして,教師に無理を強いて,ウソが横行する教育現場を招いた。

理念もロジックも通用せず,教師同士が怒鳴り合い,その怒鳴り声の大きさで雌雄が決せられるような現場もあった…。

優秀な先生は,そんなロジックが通じない職場に嫌気をさして,辞めていった。昭和が終わる頃に桐蔭を去った英語の藤井英男先生 ー私の恩師ー などもそのたぐいだろう。
 
って書いていくと,「U校長が変わったから」って理由に見えそうだけど,本質はそうではない。人間はそんな簡単には変わらない。ガバナンスです

ガバナンスが効かなくなった(校長が理事長を兼ねた)から,U校長の本性が顕れたんです。U校長の資質の問題というよりは,学校/学園としてのガバナンスの問題です。

U校長は,柴田周吉・初代理事長がご存命中は,むしろ「雇われ校長」としては素晴らしい実績を残しました。それは讃えられていい。

しかし,U校長が理事長を兼務するようになって,ワンマンになり,金の亡者になり,私服を肥やし?,教育現場が堕落した。良い教師も集まらなくなった。
 
2 拡大化の弊害

上記のように,ガバナンスが効かなくなって,U校長がワンマンになった1985年=昭和60年ころから,生徒を無理に増やした。

どんな学校でも,一学年10クラス500人が限界といえる。管理上,一学年10クラスであれば,学年主任は,他の9人を束ねればよい。目が届く。

ところが,ワンマンU校長体制になってから,一学年が,20クラス1000人になった(女子を合わせると,1学年が30クラスで1500人)。一学年20クラスとか30クラスとなると,学年主任の目が届かない。だから,若手教師の教育が行き届かなくなった。教師の質も低下した。

そして,急遽増員した生徒に対応するため,質の悪い教員を大量に採用せざるを得なくなった。それで教育の質もさらに落ちた。

~~~

基本的には以上ですね。

◆ 人材のタイムラグ

ただ,桐蔭学園の進学成績が落ちたのは,男子33期くらい(平成11年=1999年頃)から。これは,上記1のU校長の堕落(21期ころ=昭和60年=1985年)から,14年も経っている。

この14年くらい(U校長は堕落しているけど,進学成績は落ちていなかった)時期を,どう説明するか。これは,「堕落の結果がすぐ見えない」「教育の結果が出るのには時間がかかる」「中高一貫校では,ブランドは6年続く」ってことではないか。

人材(生徒の質)を考えてみよう。中高一貫だから(半分は高校から「外進」として入るとしても),中1になろうとする小6(の親)が学校を選ぶのは,「6年先輩の大学合格実績」。

例えば,21期の大学入学成績が良かったら,それを見て,6歳下の27期(ちなみに私)が入る。27期の成績が良かったら,それを見て6歳下の33期が入ってくる…。

このように「人材には(6年の)タイムラグがある」ってことなんじゃないかな。ちなみに東大合格者がランキング10位に入ったのは,平成元年~12年の,たった12年でした。

夏の夜の線香花火のような,儚い輝きでした。

~~~

その他に,よく桐蔭学園の凋落の原因と論じられるところにコメントしておく。

✓ スパルタではなくなったから
 平成になった頃から,殴る,デコピン,ビンタなどの体罰がなくなったから,というもの。特に,昭和のマッチョでスパルタな桐蔭をギリギリ知っている私の世代(しかも私みたいに,強い野球部にいて,そのスパルタ桐蔭の恩恵を受けた卒業生)には,ある程度の説得力を持つ理論。

 でもしかし,こんな理由(スパルタでないから成績落ちた)を認めると,ではスパルタ・体罰をしないといい教育ができないの?ってことになる。これはもはや教育の否定です。
 ですから,「平成になって教育が甘くなった(modestになった)」というのは,桐蔭学園の進学成績が落ちた理由にはなりません。

✓ 教員の組合結成
 たぶん,平成5年ころ?桐蔭学園の教員に,組合ができましたね。これが理由だと。まあ一理ありそう。学園・学校との一体感が教師に失われたから…
 でも,組合ができて組織がだめになるなら,どんな大会社もだめになっているよね。。。 だから完全な唯一の理由ではないはず。
 なお,私は他の進学校で教員が組合を作っているかは知りません。

✓ 地域開発
 桐蔭学園が伸びている時期には,宅地開発等で,桐蔭学園の近隣住民にはいい家庭の人(良い生徒)が多かった,というもの。先日Facebookで,見知らぬ先輩がそう書いていた。
 たしかに一理あるだろうけど,教育や進学成績は,生徒の質だけでは決まりません。しかも,桐蔭みたいなNosedive(急激な没落)は,生徒の質だけでは説明できません。理由は常に複数あります。
 教員側(学校側)にも大きな原因があるはずです。

~~~

これは私の持論でもあるのですが,下に媚びる組織は必ず崩壊する。間違いない。いろんな意味で教育の底上げ(できない生徒の救済)は必要だろう。しかし,統到テストは,「下に媚びる」制度ではなかったか。

運動部の生徒が70点を取るためのテストを,東大を目指す生徒が受ける必要があったのか。だれも,U校長の方針に異を唱えることはできなかった(空気として)。U校長の暴走と傍若無人をだれも止められなかった。ガバナンスが利いていなかったから。

なお,桐蔭と同じくらいの進学成績を誇っていた巣鴨中学・高校も,桐蔭の轍を踏みそうらしい。理事長+校長だったカリスマ教師が亡くなり,その息子さんがまた理事長+校長をやっていると… カリスマが2代続くことは,古今東西,ない。巣鴨の今後に注目です。

本稿は,たぶん,続く。

~~~

後記1(お詫びとエール)

いろいろ桐蔭学園の悪口めいたことを書いていますが,私は生粋+筋金入りの桐蔭ファンです。母校愛は誰にも負けない。私ほど桐蔭にお世話になった卒業生はいないんじゃないか。

今は,U校長・理事長から数えて,3代も代わって,新理事長が,アクティブ・ラーニングを掲げて,有名大学進学のみを校是としない,新たな教育理念を掲げて頑張っていらっしゃる。

それは全力で応援する。偏差値なんかクソ喰らえ。頑張れ,先生たち,そして可愛い後輩の生徒たち!!

____________

後記2(学校法人のガバナンス):

「雇われ校長が理事長を兼任すると(または理事長が校長を兼任すると)学校法人はどうなるのか」ってガバナンスを研究しています。桐蔭学園の理事長・校長の変遷はこちらに私がまとめました。

中小企業でも,社長が株主総会を乗っ取って…などの事例がありますよね。大手ではユニバーサルエンターテインメントなど。

いい情報あればコメント欄(非公開です)へのコメントやDMをお待ち申し上げております!

____________

後記3(教師の質):

男子30期代以降の方から「低迷の原因は教師の質の低下では」とコメントを頂きました。たぶん当たっている。ではなぜ教師の質が低下したのか。学園に,校長に,良い教師を集める実力と魅力がなかったから(本稿で書いたように,ガバナンスが利いていなかったので,ワンマン体制の悪い側面が出たから)でしょうね。。。

____________

後記4(ビジョナリー・スクール):

「批判ばかりして,建設的な意見を言わない」卑怯な振る舞いは私の最も唾棄するところ。だから私なりに建設的な見解を述べておきます。

桐蔭学園は,50周年を記念して,2014年に,建学の精神を1つ増やしました。「自然を愛し,平和を愛する国際人たれ」というもの。

いや,立派ですよ。この新しい建学の精神。国際化とSDGsにマッチしている。でもなんだかなあ。より個性が失くなっていくというか。建学の精神ってのは,「増やす」ものではなく,むしろ「減らす」もの。そこに「立ち返る」もの。


建学の精神が,長ったらしく5つもあったら誰も覚えられない。実際,私が桐蔭にいた中高6年間で,先生の誰からもこの「建学の精神」を聞かされたことがない。生徒が話題にしたこともない。

要するに「建前」なんですね。理念や精神が多すぎると「建前」に堕する。シンプルに削って,全校生徒が覚えやすいものにしたらいいんじゃないか。


 ※ こういう<キレイゴトの理念とか精神を網羅的にする>のは,制定する側の,自己満足のマスターベーションなんですよね。カッコいいだろ,的な。どうだ,的な。オレは仕事したぞ,的な。
 私の専門のコンプライアンスでも,こういう「私は仕事しましたよ」的な第2線(管理部門)の態度を「アリバイ的なコンプライアンス」と批判しています。


理念の話に戻します。

開成の「ペンは剣よりも強し」「質実剛健」とか麻布の「青年即未来」とか,伝統校には,だれでも分かるような「これ」という理念があります。桐蔭も,建学の精神とか校訓を増やすんじゃなく,削って削って,「これが桐蔭だ」ってものを見つけた方がいいと思う。

ヴィジョナリーなカンパニーは伸びる。理念に基づく経営をする会社は長く続く。それと同様,ビジョナリーな学校が伝統校として生き延びるのだと思います。
 

桐蔭のビジョンの具体案を考えると… 「桐蔭」の由来は「桐樹の蔭に鳳凰が宿る」。そこからとって,「未来の鳳凰たれ」とかはどうでしょう。

うーん,抽象的すぎるな… もっといい案を考えておきます。。

↑ ビジョナリー・カンパニーについての最新の本 

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桐蔭学園と自衛隊

2020年03月01日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
我が愛する母校桐蔭学園@横浜は,規律正しさを旨としていた。悪く言えば,軍隊的なところがあった。少なくとも私が所属していた四半世紀前は。

例えば:

1 国旗掲揚
 毎日朝8時半と,夕方5時ころ?

 国旗掲揚塔を向いて直立不動で君が代を訊く…

 たとえトイレで大便をしていても立ち上がって国旗掲揚塔の方を向け,的な教えであった。

  ※ これはほとんど平成とともになくなった。昭和時代の話。

 2 団体訓練

 通称「ダンクン」。
 
 「桐蔭体操」的なものがあった。

 武田元先生は「天突き体操」とか言ってなかったか?

 点呼をするのに,各班のリーダーが,「総員●名,現在員●名…」とか言う。

3 野球部のランニングの掛け声

  これは自衛隊のものをそのままパクっている
 
~~~

以上の桐蔭ネタは,40代以上の桐蔭OBOGには懐かしい話。

さて,これらの理由は,おそらく,桐蔭草創期に在籍していた,

  長谷川博一先生と佐々木喬(たかし)先生

がいずれも自衛隊出身であったことの影響のようです。

桐蔭学園に規律を持ち込んだ先生方ですね。

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桐蔭とは 2020

2020年01月05日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
(2005年の記事を一部訂正)

桐蔭学園OBでもほとんど知らないその名の由来。


という故事にちなむ。

桐蔭学園の初代理事長・校長鵜川昇氏の出身の

東京高師(東京高等師範学校のちの東京教育大,現在の筑波大学)

の影響。


桐蔭学園の校章の「五三の桐」も,東京高師(教育大)の影響です。

桐蔭の文化祭の名前(鵬翔祭・鸞鳳祭)も

上記故事の影響を受けています。

~~~

最近に野球で有名な大阪桐蔭は,別に教育大・筑波大とは無関係に,

「桐蔭学園」という名前がカッコいいから,

大阪産業大学高等学校から改名しただけ。


改名の際に,本家の桐蔭学園に,電話で一言

「あの~,桐蔭って名前,使わせてもらってイイっすか?」

って仁義を切る電話があった,

と誰かに聞いた。


~~~

桐蔭学園より古い和歌山桐蔭も,東京高師か教育大出の人が創っている? 


 ※念のため調べたら,和歌山の方は由来が違う…

~~~

というわけで,桐蔭学園も,大阪桐蔭も,和歌山桐蔭も,

それぞれが全く独立していて,姉妹校でもなんでもありません

(スポーツの定期戦などの交流もない)。
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桐蔭学園と大阪桐蔭の違い 関係

2018年09月14日 | 桐蔭学園(の栄枯盛衰)
「本家」(と言いたい)神奈川の私学桐蔭学園(もっと本家は和歌山桐蔭だけど)を遥かに凌ぐ有名校/協力校になっちゃった,大阪桐蔭。

姉妹校?とか言われますが,はい,全く関係ありません。

大阪桐蔭が名前を 大阪産業大学高校 から大阪桐蔭に帰るとき,

桐蔭学園に「名前使わせてもらいますけどいいっすか?」的な電話があった。

まあそれで桐蔭学園も,今や,ネームバリューが おこぼれ で上がった?

~~~

いずれにせよ,桐蔭 ってのは,

  桐(きり)の蔭(かげ)に鳳凰が宿る

って故事から来ている。

生徒たちが鳳凰のように大きく育ってくれよ,という意味。

だから桐蔭学園の文化祭は,

 鳳翔際

とか

 鸞鳳祭

とかいう,鳳凰にちなんだネーミングになっている。

~~~

そもそもの由来は,桐蔭学園を建立した初代理事長の柴田周吉さんとか,鵜川昇さんとか,その辺の方々が,みんな

 東京高等師範学校(東京高師)→東京教育大学(現筑波大学)

の出身であって,その東京高師において,この


  桐(きり)の蔭(かげ)に鳳凰が宿る

ってのが言われていた(はず)。

だから,東京高等師範も,教育大も,筑波大も,校章が,五三の桐。

桐蔭学園も,五三の桐。 

大阪桐蔭も七五の桐だけどね

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