今日の朝のNHKのトップニュースが、日本製鉄によるUSスチール買収問題だ。日本製鉄の会長の記者会見も放送された。この問題はアメリカでも大きな問題になっている。アメリカ人のナショナリズムに火をつけたようだ。USスチールはアメリカの歴史、誇りなのだ。企業業績が悪いからと言って、日本の鉄鋼メーカーに買収される事に、アメリカ人のプライドを傷つけるような捉え方をされてるようだ。バイデン大統領は買収に対して禁止命令を出した。トランプ次期大統領も買収には大反対だ。この禁止命令に対して、日本製鉄はアメリカ政府とバイデン大統領を提訴した。やるね!けんかする気だ。 アメリカ大統領を裁判に訴えるなんて真珠湾攻撃みたいだ。1945年以後、日本はアメリカの忠犬ポチだ。アメリカには逆らえないで政策を進めてきた。一企業が、日本では大企業だが、アメリカ大統領を訴えるなんてすごい。そもそも、なぜ日本製鉄はUSスチール買収したいのか良くわからない。日本は人口現象で市場が縮小してゆくから、アメリカ市場で勝負したいのか。このあたりの事がマスコミは伝えない。日本政府関係者、日本の政治家も日本製鉄への支援発言はほとんどない。自民党保守政治家の連中からの支援発言があってもいいのではないか。5万人もの国民がアメリカ大使館前で 買収じゃまするな というデモは全然起きてない。アメリカでのナショナリズムは盛り上がってるが、日本でのナショナリズムは全然盛り上がってない。裁判になったところで勝ち目は、ほとんどない。最高裁に持ち込んでも、アメリカ最高裁の判事は9人の内、6人が保守派の判事だ。トランプの考え方に賛同するような判事ばかりだ。日本製鉄は日本国内の支援も乏しく、孤立した戦いをせざるを得ないようだ。バイロンの詩のように、男は負けると知りつつも戦わざるを得ない時があるのようだ。日本製鉄は悲壮感を漂させて戦わざるを得ない。裁判中に大統領が変わったり、アメリカ世論の風が変わるかもしれない。いい運命の転向があるかもしれない。私にとっても対岸の火事だ。買収がうまく行こうが、行くまいかどうでもいい事だ。親族に日本製鉄の関係者はいない。アメリカという大巨人に一人で戦いを挑む力のない男の悲壮感には応援したくなる。日本製鉄様、頑張ってください
豊洲市場でマグロの初競りが行われた。大間産の一匹のマグロにつけられた値段にびっくりだ。なんと2億700万円だ。過去2番目の高さだ。刺身にして食べれば一切れいくらになるのだ。庶民的には買えない高さであろう。以前には3億円越えのまぐろがあった。誰がこんなバカ高いマグロを買うのか。日本人の99%はこんなバカ高いマグロを買わない。マスコミが騒ぎ、宣伝にはなるだろう。買った者と売った者との広告宣伝にはなるだろうが、それにしても高い。マグロがゴールド並みに扱われている。マグロ以外にも、ウニの箱詰めが700万円で取引された。もともとウニは高いが、スプーン一杯いくらになるのだ。まだ、サクランボの季節ではないが、特殊な栽培のサクランボも取引された。一粒2万円だ。一粒2万円もするさくらんぼを買う人いるのか。その他にも時折、農産物、海産物の高値取引が報道される。スイカ30万円、ブド一房150万円などだ。日本の飽食も極めりか。ほとんど広告宣伝なのだ。広告宣伝しても高い広告費だ。広告にしても、買う者の金持ち自慢にしか思えない。私の回りにはバカ高いブランド化された農産物、水産物を買って喜んでる人間はいない。私もこんな世界、まったく興味ない。ブランドなんてまったく興味ない。ローレックス、ベンツ、シャネル、まったく興味ない。一品も持ってない。農産物、水産物のブランド化なんて、私にはおごりにしか思えない。日本には満足に食べれない人が多くいるのだ。日本全国に子供食堂が多くある。食事も満足に食べれない人からすると、一粒2万円もするサクランボや高級マグロは別世界の食い物だ。こんなバカげた飽食文化は続かない。日本の食料自給率は40%位だ。穀物ベースだと29%位だ。食料が豊富にあるわけではない。今はおごり、高ぶりの時代なのだ。長くは続かない。今の逆の力が働くようになる。餓えの時代が来る。その時になって、昔は大食い競争が行われたり、まぐろ一匹が2億円で取引されたりた時代があったのだとか、懐かしむだろう。日本人の食べ物に対しての執着はすざましいものがある。テレビ放送の6割は食い物関連の番組で構成されている。平和ですから、こんな異常とも思える食い物飽満文化が続くのでしょう。
東京は言い天気だ。正月休暇も終わった。いつもの日常が戻ってきた。多くの人が町を歩いてる。車もいつものように走ってる。しかし、今の日本には、韓国のような熱気はない。韓国では正月返上で政治闘争が大もめだ。ユン大統領の逮捕ができない。させないように激しいデモも行われている。うらやましい政治闘争が行われている。日本では激しい政治デモなんてまったく行われない。物価高い、税金高い、賃金低い、政治家の不正、それでも多くの日本人は怒りを爆発させる事はない。不満がたまらないのか。暴動、大規模デモ、ストライキがないから日本はいい国だと言う始末だ。私の感覚、世界の感覚とはかなり違う。自民党は少数与党になった。それでも、去年の衆議院選挙で190議席を獲得した。自民党が負けたと言われてるが、大負けではない。100議席を割るというなら大敗であろうが、多くの日本人は自民党を支持している。保守化、右傾化が日本人の心を支配している。この壁を日本人は破れない。変化を望まないのだ。だらだらずるずると今に寄りかかってる。日本では時間が止まってる。政治的時間が動かないのだ。動かないどころか、時間が過去に戻り始めている。勢いのあった昭和に戻り始めている。昭和芸能、昭和の生活様式を懐かしく回顧している。今の日本人は時代の壁の前でうろうろ、おろおろしてるだけだ。壁を壊そうとする人間はいない。世界は壁を激しく壊して、新しい世界を手に入れようとする。しかし、日本人は何もしない。今に満足してしまってる。日本の衰退は著しい、だから日本すごいの自画自賛ナショナリズムだけは、盛んになるようだ。正月の間に大リーグの大谷の活躍するテレビ放映がたくさん流された。日本人が自慢できるのは大谷しかいないのか。なんか寂しいですね。世界はどんどん変わっていくのに、日本は変われない。極東の栄えた国がどんどん落ちぶれてゆく。日本は平和だが、時間が止まってる。時間が死んでいる。誰か、時間に命を与えろ!
ようやく2日から使えなかったグウブログが今日の朝から使えた。一安心です。2日間、なんで使えないのか悩みましたね。今日、使えなかったら量販店のパソコン修理に出そうかと考えていた。どうしてもつながらないなら、他の会社のブログに変更すればいいと考えたりもしました。原因としてNTTがサイバー攻撃があったの報道があった。その影響で使えないのか。日頃、自民党政権を批判するような事ばかり書いてるから圧力をかけられたのか。ウィルス対策を強めに設定したからグウにつながらないのか。グウへのサイバー攻撃があったのか、いろいろ考えました。悩む分だけ人は強くなる。今、こうして書けています。良かったです。おそらくグウのスタッフも正月返上で対応されたのでしょう。ありがとうございます。
今日は2025年1月1日です。あけましておめでとうございます。東京はいい天気だ。太陽が輝いています。静かだ。人が歩いてない。家の近くに神社がないから人がいないのか。車も走ってない。ヤマトの宅急便は営業しているようだ。配送員が台車に荷物を載せて歩いていた。正月そうそう仕事か。ご苦労様です。日本は忙しい。正月でも働いている人は多いのだ。町風景を描写しても、どうでもいい事だ。私は、現象の裏にある政治的、社会的病理を今年も追及する覚悟だ。今年はどんな年になるか。なんとなく動乱の年のなるような気がする。日本のあくびが出るような平和は、そろそろ終わりになるかもしれない。1月にアメリカでトランプが大統領になる。俺流で世界を支配するようだ。戦争があちこちで起きるかもしれない。今だって世界中、戦争だらけだ。さらに戦争が増えると考えると、胸が苦しくなる。ウクライナを支援しない、パリ協定を離脱、違法移民を追放する、アメリカ国内でガンガン石油を掘る、中国には関税を50%かけるとか波乱が予想される。世界がトランプを中心に回るようだ。石破総理はトランプに会談を申しこんだが、拒否された。日本の総理大臣などは、トランプには眼中がないようだ。軽く扱われている。安倍とは扱いが全然違う。安倍とトランプは馬が合うようだ。何度も会談を行ったり、ゴルフをやってる。その安倍も暗殺された。日本で銃による暗殺が起きるなんて信じられないが、事実だ。今日の事件、出来事とは過去からのつながりであり、今は未来につながってる。トランプの大統領誕生も歴史的必然なのだ。安倍の暗殺も歴史的必然なのだ。宇宙に存在しているすべては刻々変化している。変化しないものはない。特に人間の存在、人間の営み、人間の生活、人間の政治は常に動いてる。出来れば戦争なく、自然災害も規模が小さく、人間的犯罪も少なければいいのだが、そうはいかない。人間の本質は悪と罪であり、自然の本質は破壊と死だ。地球が回り続ける限り、自然災害は起きる。自然の生理を変えるわけにはいかない。人間の悪性度は増々高まっている。人類絶滅の危機は遠い未来ではない。人間が発する自らの毒によって人間は絶滅するだろう。千年後には人間は絶滅している。もう少し早く絶滅するかもしれない。2025年は絶滅が加速する年になるか、逆に反省して地球の自然と共存する年になるかもしれない。誰もイスラエルに攻撃されているガザみたいになりたくないが、破壊と死の洗礼を受ける町が増えてゆきそうだ。新年そうそう悲劇的話で恐縮だが、事実は事実なのだ。一月以内に何か大きな事件、出来事が起きるかもしれない。