今日で5月は終わる。5月を総括すれば、令和協奏曲であった。しかし、安倍政権による虚構の演出も勢いをなくしてきた。令和初の凄惨な事件が起きた。19人が死傷した。5月も変わらず詐欺、虐待、横領、ヘイトスピーチ、政治家の失言。良い事より悪い事のほうが目につく。日本、どこに向かってるのだ。くだらない事が多すぎる。今日にも誰でもいい殺人が起きるかもしれない。日本人の心はすさんでる。病気なのだよ。自然災害が起きるかもしれない。長谷川豊による差別発言は看過できない。ポンポンと勢いまかせで、しゃべりまくるスタイルは失言を生みやすい。前にも腎臓透析患者への差別発言で、テレビの司会者を降板させられてる。元々、人権感覚に欠けるから差別発言が出てくるのだ。幸い、多くの日本人は彼の発言を不適切と判断し、謝罪させた。日本には、まだ健全な感覚が生きてる。健全な感覚が生きてる割には、多くの人権侵害が発生しているのが実情だ。人権は守らなければならない。人権は民主主義の基本理念だ。6月には、いい事が起きる事を祈る。しかし、なんとなく、5月より悪い事が起きるような気がする。それが人生なのだ。それが運命なのだ。
登戸での凄惨な事件から2日が経った。日本列島はいつもの普通の生活を取り戻したようだ。芸能人、ほれた、はれた、浮気した、グルメ、バラエティー番組を見てゲラゲラ笑いだ。被害者本人、家族にすれば生涯、事件を忘れる事はないであろう。亡くなられた人の家族にすれば、涙が止まる事はないであろう。どうしようもない喪失感に普通の生活を取り戻すなんて、いつの事なのだろうか。犯人もあわれだ。自分の存在を社会に示すのに、殺人だなんて普通の感覚ではない。殺人すれば、大きな事をやれば、社会は注目してくれるとでも、思ったのか。ひきこもり男の存在証明は、犯罪を犯す事。犯罪の中でも子供を狙うとは、最悪の選択だ。犯人、岩崎の名は日本の犯罪史に残るだろう。いい事をやって名を残す選択は、なかったのか。人生の方向性を間違えて進んでしまった結果が、凄惨な事件を生んだ。早い段階で、ひきこもり依存のあり地獄からの脱却すればよかったのだ。導いてくれる人もいなかったのだろう。岩崎も、ひきこもり依存から抜け出たい葛藤はあったのだろうが、ずるずると中学卒業以来、ひきこもりを続けてしまったようだ。人生、何歳になったって、やり直しはできるのだ。努力もしない、助けも求めない男には運命の神様は、ほほえまない。悲惨な事件を犯すように運命づけられてるのだ。そして、事件を起こした。悲惨な事件が起きる度に感じる事は、人間とは、何者、なんで神様は人間を誕生させたのか、人間はどこに向かってるのだ、人間の使命とは何なのだ。人間がますますわからなくなる。アインシュタインでも、人間を証明する方程式を作れないであろう。狂気は、普通の日常の中にひそんでるのだ。普通の顔をした人間が突然、普通を脱ぎ捨て、狂気の犯行を行うのだ。
トランプ訪日と皇室賛美に沸く日本で、また凄惨な誰でもいい殺人が起きた。昨日、東京郊外の登戸で19人がナイフで襲われる事件が起きた。女児と外務省勤務の若い男性が亡くなった。51歳の犯人も自殺した。なんでこんな凄惨な事件が起きるのか。被害者のほとんどが小学生だ。彼女等が味わった恐怖は想像を超える。ホラー映画を地でゆくような殺人事件に日本中が震撼した。今まで多くの誰でもいい殺人が起きた。秋葉原の通り魔殺人事件、池田小殺人事件、少し意味あいが違うが、相模原での障がい者殺人事件、新幹線内での殺人事件、池袋での通リ魔殺人事件、荒川沖での通リ魔殺人事件、高校生によるバスジャック事件、古くは、新宿西口でのバス内への放火事件等、永山則夫による4人の殺人事件、大量殺人を狙った犯罪が続出している。政治性もない、いじめへの報復でもない、金目的でもない、動機が不明なのだ。動機が不明と言いながら動機はあるのだ。心に鬱積したものを爆発させてる。登戸での殺人事件の犯人も長い間、引きこもり状態であった。報道されたところによると、切れやすい性格でもあったようだ。社会に入れない、社会に溶け込む努力をしない、人間関係も築けない、自分を受け入れてくれない社会に恨みを抱くようになったようだ。加えて切れやすい性格が犯行を引き起こしたのだろう。日本には16歳から39歳まで50万人を超えるひきこもり者がいるのだ。誤解を与えるかもしれないから断っておく。すべてのひきこもり者が凶悪犯罪を起こすわけではない。殺人を起こすようなひきこもり者は本当に一部だ。私が述べた一連の通リ魔殺人の犯人達はひきこもりではない。普通の社会生活をしている。しかし、社会に対してなんらかの不満、イライラ、モヤモヤ感を抱いてる事は、確かだ。それは多くの日本人の精神状態でもある。多くの日本人は病んでるが、病んでる自覚がないだけだ。通リ魔殺人を行う人間も普通の人間も紙一重なのだ。人を殺す行為は、近代では日本だけでなく、世界中で禁止、抑止されてる。ブレーキがしっかり掛けられてる。法以前にモラルで人に危害を加えていけないと、多くの人間の心の共通認識だ。しかし、日本だけでなく世界中で毎日殺人が行われてる。子供や女性、高齢者などの弱者に対しての殺人、暴力事件は後を絶たない。残忍な犯罪が絶えないのは、心のブレーキが壊れてるか、設定が間違ってるかだ。キリスト教が言うように、人間の本質は悪と罪なのだ。人間の深層心理には言い知れない悪のマグマが渦巻いてる。悪のマグマを暴走させないようにしなければならない。こんな凄惨な事件が起きても、日本社会は、一か月もすれば忘れるだろう。被害者本人、家族は生涯忘れる事はないであろうが。明日は我が身なのだ。日本中どこでも、警察力を強化しても、通リ魔事件は起きる可能性があるのだ。気をつけても、防ぎようがないのが実情だ。普通の顔をした人間が突然、ナイフを持って襲ってきたら逃げるしかないのだ。逃げる時間もない。運のなさを嘆くだけだ。誰もが被害者になる可能性があり、誰もが加害者になる可能性すらあるのだ。そのぐらい日本人の心は病んでる。心のブレーキが壊れてしまえば、人は簡単に暴力や殺人を行う。今後も、誰でもいい殺人は起きるだろう。被害者本人、家族が早く心の傷から回復されるように祈ります。
トランプが日本に来た。安部のおもてなし、忖度は権力者というより、召使いのようだ。相手は言いたい放題、やり放題のトランプだ。安部は、ご機嫌取りのようにふるまう。日本国民も珍獣、奇獣が来たようにカメラを持って写真撮影だ。アメリカやヨーロッパではトランプの行くところ、いつもデモ隊から罵声を浴びせられる。日本とは全然待遇が違う。安部はトランプをうまく利用している。サーカスのライオンを扱う調教師のようだ。トランプも日本ではおとなしい。トランプにすれば、日本との貿易赤字を解消したい思いが強いのだ。それだけだ。日本を守りたいなんていう思いは薄い。日本に対して、自分の国は自分で守れと、発言した事がある。トランプは、経済的な利益を常に考えてる。具体的には、アメリカ製品に対する関税の引き下げを実現させたいのだ。トランプはなんらかの取引を行ったかもしれない。トランプは打算的な人間だ。安部が考えてるような皇国史観とか、日本の固有の文化なんか全然興味は、ないかもしれない。そんなのどうでもいい事なのだ。トランプの興味は、アメリカに利益をもたらす話だけだ。トランプは、拉致被害者の家族との面会もした。安部からすれば、トランプにキムに拉致被害者の帰国を頼みたいのだ。しかし、かなりハードルは高そうだ。トランプはアメリカでヒスパニックの強制送還を行ってる。その際、親と子供を隔離させてる。こんな情のない事をやる男に拉致被害者の帰国なんて、しょせん無理なのだ。トランプは今日帰国する。早く帰れ!ハードな独裁者、トランプ、ソフトな独裁者、安部、二人とも早く政界から去ってください。その事が日米国民の幸福につながります。
時代表記が令和になって約1ケ月になろうとしている。新しい時代になったからと言って、日本は何も変わってない。日本人の心は昭和や平成に依存している。誰も新しい時代の扉の向こうに飛び込もうとしない。扉の向こうで世界を切り開こうとしない。腐った時間が過ぎてゆくだけだ。ナショナリズムの高揚感は、最近強くなったが、多くの日本人は、不安症候群のまま、今に依存している。令和、令和と踊らされてるだけだ。安部政権の天皇利用による雰囲気作りは、日本を天皇制の国の印象を内外に与える。もちろん、日本は天皇が国家の中心にいるわけではない。主権在民の国だ。天皇は象徴の存在だ。安部政権による過剰の演出に疑問を感じてる人は少ない。新天皇の顔見せに10万人以上が押し寄せるとは、人気アイドル並みだ。安部は、天皇を戦前のように国家元首にしたいのだろう。そして、天皇を利用して自分の権力を最大限に行使したいのだろう。戦前の軍国主義者は、天皇の権威を利用した。天皇を神にした。絶体神になった天皇に忠誠を誓わせた。安部はまた戦前と同じような事をしょうとしている。大手マスコミも安部政権に協力している。平和もない、人権もない、自由もない、豊かさもない時代に日本を戻したいようだ。ファシズムとは、民主主義の対極にあるものだ。絶対にファシズムを復活させてはいけない。安部の危険思想に警戒する人は少ない。驚く事に、日本の若者の半数が安部を支持しているのだ。最近では40代まで支持者を拡げてる。日本の若者は、世界の若者とはかなり違う。世界の若者は体制や権力、権威に抵抗する。日本でも、50年前はそうだった。草食化した若者は、体制を打倒しようとはしない。むしろ、近づいてごまするような事をする。日本では、高齢者のほうが安部に対して闘争的だ。日本の政治は、どぶ沼のような事態だ。長く続く平和は、日本人の精神を退化させてしまった。天皇制のような過去戻りの政治思想が復活しようとしている。復活させてはいけない。野党が弱すぎるのだ。相次ぐ選挙での戦略のミスでいつも大敗してしまう。勝てる選挙も落とすのだ。安部が絶対的に強いわけではない。安部は習近平やトランプ、プーチンのような強さ、カリスマ性を持ってるわけではないが、選挙になると自民党が勝ってしまう。選挙制度に問題があるのかもしれない。小選挙区制は、与党有利の傾向がある。なにしろ一人しか選ばれないのだから。100票差でも負けは負けなのだ。仮に中選挙区に戻しても、日本全体が右傾化し、天皇崇拝が高まってる今では、自民党が強いのではないか。野党も共産党を除けば、天皇制に批判的な事を言える雰囲気ではない。むしろ、皇室のほうが天皇を政治利用するなと、暗に安部政権を批判してるようだ。退位した天皇は、テレビメッセージで何度も私は象徴の天皇だと、言ってる。天皇の政治利用は絶対にやってはいけない。国民は安部やマスコミの虚構の演出にだまされてる。戦前の天皇制の時代にどれだけ多くの人権被害が起きたか。どれだけ多くの人間が戦争で死んでいったか。どれだけ多くの人間が餓えて死んでいったか思い返さなければいけない。私は天皇個人を責めてるわけではない。利用したがる連中を責めてるのだ。