選挙の効果

総選挙の意味

ガン  バリケイト伊東

2018-12-19 08:28:55 | 日記
  知人が肺がんで亡くなった。私の回りでも多くの人がガンで死んでる。日本は世界で一番ガンの罹患率が多いのが実感できる。人は死ぬように設定されてる。生まれると同時に死のゴールに向かって進んでゆく。どんなにか健康でも、10000メートルの高さから落ちたら死ぬ。どんなにかお金や権力を持ったところで死は必ず訪れる。人間の致死率は100%だ。70億人が生きてれば、70億人の死がある。日本人は他人の死には敏感だ。自分の死は遠ざける。自分の死に対して一番敏感にならなければならない。ただただ死は怖いと思ってるようだ。生きても110年の人生だ。宇宙137億年の時間の長さに比べれば110年ぐらい微々たるものだ。死は目前にある。遠い未来にあるものではない。生まれて1時間後に死ぬ事もあるのだ。1時間も100年もさほど変わらない。人間的時間スケールなど、宇宙時間からするとどうでもいい事だ。悟ったような事を言う私だが、死にたくない気持ちは強い。健康には恵まれてるが、突然の死もあるかもしれない。朝、起きて一番に考える事は、もしかしたら今日、死ぬかもしれないと頭に浮かべる事だ。人の運命などわからないのだ。だからこそ、今をしっかり生き抜くのだ。今、ここに生きてる事は確かだ。一寸先は死なのかもしれないのだ。死は逆説的なものかもしれない。死を目前にしたほうが人は生き生きしてくる。限られた時間をしっかり生き抜くのだ。だらだら生きるだけが能ではない。特攻隊のパイロットは死の覚悟で飛び立つのだ。天皇ためとか、国のためとか大義は、私からするとばかばかしいが、死を結晶化した思いは評価できる。今の下痢便垂れ流しのような若者たちの様は、死を覚悟して飛び立つ若者の心情など、全然理解でないであろう。軍国主義をいいなんて言ってるのではない。死があるから、生きるが輝くのだ。もし、人が死ななくなったら、今より人は堕落し下痢便垂れ流しの人生を送るようになるだろう。死のない人生など不幸なのだ。人生には絶対的に死がついてまわる。今日生きる事は、今日死ぬ事だ。今生きる事は、今死ぬ事だ。今、日本人は平和の中で生きる方向性を見失ってる。ふらふらとさまよってるだけだ。戦後民主主義の中で、死を意識させない、死を遠ざけた生き方は、生きる意味を見失う。死を意識し、目前に置いたほうが人生は生き生きとしてくる。この考え方を国家が個人に強要してはいけない。戦前の軍国主義はまさにそうだった。全体の中の死を美化してはいけない。死とはあくまでも個人的なものだ。生き様もいろいろ、死に様もいろいろなのだから。私も1時間後には死んでるかもしれない。なにも後悔はしない。それが運命なのだ。ありのまま受け入れる。毎日、毎秒、死を意識している。私が死のうが、生きようが地球は回り続け、宇宙はあり続ける。私の死など屁みたいなもんだ。今、ガンなどの死の病に直面している人には、私が書いた記事はきついかもしれない。不愉快な思いをされたならお詫びする。あくまでも私の死生感だ。

運命論者  バリケイト伊東

2018-07-05 07:44:33 | 日記
   私はかなり運命論者だ。個人、国や民族、組織、地球など、宇宙に存在する物、すべて運命の意思で動き、運命時計が存在している。日本に安部が総理大臣として君臨し、アメリカにはトランプが大統領として君臨している。北朝鮮にはキムだ。仲が悪かったキムとトランプは和解して戦争の危険性はだいぶさがった。運命なのだ。すべて神様のシナリオには一ページの狂いもなく書かれてる。日本の安部が戦前のファシズム体制を復活させたいと、政治活動しているのも運命なのだ。地球が宇宙に誕生した事も運命だ。そして、人間を誕生させた事も運命なのだ。人間とは神が作り出したですべての生き物の中で、最悪の生物だ。今となっては、神も後悔されてるだろう。過去1万年ぐらいから今に至るまで人間の生き様は、最悪の運命をたどってる。人間の歴史とは、破壊と死の歴史なのだ。そして、戦争の末に人間が絶滅する事も神のシナリオには書かれてる。運命なのだ。1万年どころか、千年後にも人間は絶滅して地球上にはいないであろう。己の愚かさによって滅びるのだ。地球の歴史は46億年だ。まだ若いが、いずれ寿命が来て、爆発して死をむかえるであろう。宇宙も永遠には存在しない。今、急速に膨張してるが、永遠に成長はしない。死を迎える時が来る。どのような死を迎えるのかはわからない。大爆発するのか、手品のように一瞬で消えてしまうのか、わからない。誕生から死まですべては運命なのだ。宇宙が誕生するのが運命なら、宇宙が死ぬのも運命なのだ。この宇宙に永遠に存在する物はない。当然、人間の存在などカゲロウのようなもんだ。人間の知恵などたいした事はない。人間が永遠に繁栄する事はない。絶滅する事は運命づけられてる。人間は長く生きても100年なのだ。宇宙時間に比べれば、100年の時間の長さなど微々たるもんだ。まばたきのごとしだ。人間とは何者と哲学するほどの価値はない。愚か者の集団に待ち受けてるのは死の洗礼だ。神が人間を誕生させたのも運命なら、絶滅の宣告をするのも運命なのだ。運命とは冷徹であり、平等だ。どんなにか権力やお金があっても運命を超えられないし、運命を変えられない。運命は運命としてすべてに超越して存在する。人間は運命の枠組みの中でしか生きられない。人間的には出来るだけいい運命を享受したいが、悪い運命も受けなければならない。自然災害の運命はどうしようもないが、人間が作り出した不条理な運命には、運命とあきらめず戦う事だ。最後には正義は勝つ。不条理な運命を受ける事も運命なら、不条理な運命を克服できるのも運命だ。信じる事だ。不正は正され、最後には正義は勝つ。今、運命の一瞬を我々は生きてる。先に、どのような運命が待ち受けてるのかもしれないだから、今をしっかり時間を大切にして生き抜きましょう。

私は何者

2018-05-13 08:53:47 | 日記
      私は何者    バリケイト伊東                       誰でもふと、自分は何者なのだと考える時があるのではないか。職業とか持ち物、家族構成とかの表面的なものではない。警官ですとか、会社員ですとか簡単に割り切れるのは答ではない。私は中学生くらいから考え続けてきた。今もわからない。永遠にわからないでいいのだろう。哲学的に、詩的に答えるなら、私は虚無の大海に浮かぶ枯れ葉、がいいだろう。私はかなりニヒルだ。いつも心にはニヒリズムの大海が漂ってる。知人からも伊東さんはどことなくニヒルだねと良く言われる。熱くなるタイプなのだが、どんなに熱くなっても、冷めてる部分がある。人間も宇宙の一部なのだ。人間の心は宇宙に包まれ、支配されてる。。私の一番の親友の宇宙は、虚無そのものだ。地球上で日々起きてる人間界の肥溜めのような出来事から離れたい時は、宇宙に避難するのだ。宇宙船に乗らなくても、目を閉じて宇宙に漂うのをイメージすればいい。地球が点になるぐらいの所に行って、自分を見つめるのだ。宇宙という虚無の大海が私を包む。私のふるさとに帰ってきたのだ。出迎える家族などいない。そんなべたべたした人間関係はいらない。私の心が虚無のエネルギーによって充満される。地球上で汚れた心や、破壊された心が修復される。ゼロに戻れる。宇宙という大きい虚無の器は、無限のエネルギーを内在している。永遠に燃え尽きる事はない。虚無のエネルギーが宇宙を作り出し、同時に宇宙を破壊してるのだ。創造と破壊は同時に進行している。宇宙には永遠に存在するものはない。生まれ、変化し、そして、消えてゆく。そして、また生まれ、変化し、消えてゆく。宇宙の生成流転は、その繰り返しだ。膨大な虚無のエネルギーは、神のエネルギーと言ってもいいであろう。虚無のエネルギーは神も作り出す。神が虚無を作り出したのかもしれない。時間は虚無を破壊し、同時に時間を作りだす。時間はエネルギーだ。虚無を心に取り込む事は、生きる力になる。どんなにきたえても、肉体は滅びる。虚無に満たされた心は永遠に生きる。虚無を内在している人間は、そんなに多くはいないが、回りの人々を元気づけ、幸福にするであろう。しかし、逆に負の虚無エネルギは人々を傷つけ、殺す。今の人間界の様を見ればよくわかる。地球上の人間界は、負の虚無エネルギーで満たされてる。逆にしなければならない。宇宙が人間を作り出したのだ。人間が宇宙を作りだしたのではない。人間はその事を自覚しなければない。今や、人間は虚無の大海に浮かぶ肥溜めだ。このまま、罪の自覚もなく、進めば、人間は神の怒りを買い、絶滅するであろう。虚無の膨大なエネルギーは地球を破壊する事など朝飯前だ。地球自身もまだ若い。膨大なエネルギーを持ってる。自然災害には気をつけましょう。

死生観

2018-05-01 10:08:59 | 日記
    死生観          バリケイト伊東                     今日は5月1日。東京はいい天気だ。案外こんな日に大地震は起きたりして、多くの人間が死んだりするのだ。いきなり不吉な話で始まったが、死とは日常的な事なのだ。特別な事ではない。生き神の側にはいつも死に神が存在している。私は朝起きると、今日で人生が終わってしまうのではないかと、1%ぐらい頭の片隅に自分の死をイメージする。99%何も起こらないが。67歳の割には健康だし、肉体をしっかりきたえてる。見た目、死とは程遠い感じだが、突然死ぬかもしれない。交通事故で、ガンで、過度のストレスで、日頃の政治的言動に反感を持った人間に殺されるかもしれない。実際、おまえ呼ばわりするコメントが届いてる。仮に殺すという内容のコメントが届いたても、驚かないし、警察にも連絡しない。警察が100%守ってくれるわけではない。政治的な信念や、理想を貫いて殺されるなら、望むところだ。坂本竜馬も、キング牧師もケネディも政治的理想や信念を貫いて暗殺された。死を恐れたら、理想は達成できない。人は遅かれ、早かれ死ぬのだ。死ぬ事を恐れるな。人には運命というものがある。生まれる日、場所とか、死ぬ日、死ぬ場所は決まってるのだ。生れ落ちた時に、生の確定と同時に死も確定するのだ。人生とは執行猶予で生きる事だ。死を過度に恐れる事はない。死を目前にしたほうが逆説的に生き生きしてくるのだ。死を見つめる事は、生きるを見つめる事なのだ。だらだら生き延びるだけが能ではない。命をかけて己の信念や理想のために戦い死ぬなら、後悔はない。人はどんなに長く生きても、100年の人生だ。生まれてすぐに死ぬのも、100歳で死ぬのも、さほど差はない。宇宙137億年の長さに比べれば、100年ぐらい一瞬だ。だからこそ、人生という短い時間を大切にしなければならないのだ。一瞬を、今を、一日を、1年を大切にしなければならない。今日死んだところで、後悔しないようにしなければならない。今の日本、生きる事に疲れ、生きる目的を失った人間が山ほどいる。そんな人間が誰でもいいから殺したいで、簡単に人を殺してしまう。人の命を奪う事は、他人の命や人生を粗末にする以前に、自分の命や人生を粗末にするから出来るのだ。なぜ、生まれ、なぜ、生きてるのか、なぜ、死ぬのか、もう一度考えるべきだ。このテーマは人間にとって永遠の問題だ。殺人を犯した人間にとっても大切な問題なのだ。再犯を防ぎ、より良き人生を歩むためにもしっかりと考えて欲しい。話が長くなった。ページが足りない。この辺でやめよう。今日、一日をしっかり生き抜いてください。

愛の賛歌

2018-03-30 10:22:59 | 日記
    愛の賛歌       バリケイト伊東                      世界の始まりに愛を見る。世界の終わりに愛を見る。世界は愛に満たされてる。世界が消えても愛は残る。世界が燃え尽きても愛は残る。人は裏切っても愛は裏切らない。愛を信じる者は愛に救われる。愛を信じない者は愛に見放される。愛を傷つける者は愛に傷つけられる。愛がない砂漠には花は咲かない。愛がない森には、命は宿らない。愛がない海には、暗黒が広がる。宇宙に愛が現れた時、神は命を創造した。愛のない命は死に神に愛される。宇宙の果てに愛を見る。宇宙は愛に満たされてる。宇宙から時が消えても愛は残る。戦場に愛を見る。殺し合いの中にも愛はある。絶望と憎しみの中にも愛はある。平和を祈って愛を信じよう。愛は人間の最後の砦だ。人間が人間でいられるのは愛の力だ。愛で罪深き人間をきれいにしよう。人を愛そう。人を信じよう。世界の始まりに愛を見る。世界の終わりに愛をみる。