今日は12月30日です。今年も後2日だ。私の回りは静かです。都心に住んでるが、人がいない。車も走ってない。皆故郷に帰ったのか。テレビからはくだらない番組のオンパレードだ。正月特番、年末特番と言うほどの価値があるのか。見なければいいのだ。日本では、幸い平和は続いている。世界は厳しい。ウクライナもガザもシリアも火炎の日々が続いている。アメリカも来年にはトランプ大統領が誕生する。何か悪い事が起きるのではないかと心配だ。日本は平和マンネリ病に犯されている。それでも平和はいい。戦争は悲劇しか生まない。平和だが、自然災害は今年も起きた。今年の1月には能登半島地震が起きた。同じ地で9月には洪水被害だ。どうして不幸が続くのか。被災者は生きるのに疲れてしまう。つらい人生を送ってる。なんとかしてやりたいのだが、何もできない。被災者だけでなく、多くの日本人は疲れている。ストレス、不安、自然災害、物価高騰などが日本人の心を侵害してゆく。みんな静かに耐えている。怒りを爆発させることはない。韓国人みたいに、もう少し怒ってもいいと思うのだが、、、。韓国でのユン大統領の罷免騒動は収まらない。本人はまったく辞任する気がない。ソウルの冬は寒い。夜にはマイナス4度にもなる。それでも、国民は議会前に連日15万人も集まって、やめろと気勢をあげている。。日本にはこのようなエネルギーはない。日本人は、政治的に去勢された民族になってしまった。平和はいいが、怒らないのも問題だ。ネットにグタグタと書いてストレスを発散している。言いたい事あるなら表に出ろ!そんな威勢のある人間が日本にはいない。後1日で2024年が終わる。不幸な事が起きないで新年を迎えて欲しい。来年は来年の風が吹く。心配したところでしょうがない。なるようにしかならない。皆様、いい新年を迎えてください。
正月まで後3日だ。世の中うきうきしている。世間的にブログとは、正月料理うまいだとか、公園のパンジーがきれいに咲いてるとか葛藤のない事を書くのがいいらしい。そんな葛藤のない事を書くなら、書かないほうがましだ。今日書く事は真剣な人権に関わる大事件だ。今では、飯塚事件と言っても知ってる人はわずかだろう。私も最近知った。えん罪の可能性があるかもしれないのだ。親族が再審請求を起こしている。死刑判決を受けた本人はすでに死刑執行されている。無実の人を死刑執行したなら大問題だ。二度と生き返る事はできない。1992年、北九州でふたりの女子小学生が誘拐され殺された。死体は山の中で発見された。犯人として子供の住んでいた近くに住んでいた50代の佐久間さんが逮捕された。裁判になり、佐久間さんは一貫として犯行を否定したが、佐久間さんは2006年10月に死刑判決を受けた。そして、2008年10月に死刑執行された。たった2年間で執行と異例の速さだ。死刑判決を受けた後、10年以上執行されない事だって多い。なぜ、異例の速さで執行されたのか。早く処分してしまえば、マスコミにがたがたと騒がれないだろうと、検察、法務省は考えたのか。事件の概要はこんなもんだ。なぜ、今、クローズアップされるのかと言えば、親族が再審請求を起こしているからだ。親族は無罪だと国を訴えてる。最近何かと検察が話題になる。袴田さんのえん罪事件でも、検察は証拠の捏造を裁判によって指摘された。大阪地検の検察官の部下の女性検事への強制性交事件も裁判になってる。その他にも工作機メーカーのえん罪事件も今、裁判になっている。飯塚事件でも親族側弁護士は検察にすべての証拠品の開示を請求している。が、検察は開示を拒否している。なぜ、拒否するのだ。検察にとって都合に悪い証拠でもあるのか。袴田さんのえん罪事件でも証拠品の開示の後、警察や検察の証拠品の捏造が疑われ、無罪になってる。事件捜査の時、黒と思われる証拠と同時に、白と思われる証拠も出てくるのが普通だ。検察は黒と思われる証拠だけ裁判に採用し、白と思われる証拠を隠してるのではないか。検察の証拠品の開示拒否は許されるもんではない。裁判所は開示するように検察に命令しなければいけない。このえん罪事件での特例さは、死刑執行されてしまってるのだ。日本でのえん罪を疑われる事件で、死刑執行されたのはこの飯塚事件だけだ。もし、裁判で無罪が確定したなら、どうやって国は償うのだ。億単位の賠償金を払っても、死刑執行された人間は二度と生き返らない。事件当時、取り調べた警察、警察官、検事、死刑判決を下した裁判官は、責任を取らないのか。取らさなければいけない。日本では、えん罪に関わった警察官、検事、裁判官が刑務所に入る事はない。えん罪防止法を早く制定しなければいけない。法を作る政治家だって、えん罪事件に巻き込まれやすいのだ。えん罪は、国家権力による犯罪だ。もう一度言う。えん罪は、国家権力による犯罪だ。日本人はえん罪を犯罪という認識がない。裁判ミスでは済まされないのだ。何もやってないのに、犯罪者の汚名を着て生きていかなければいけないのだ。えん罪に関わった警官、刑事、裁判官、うその証言をした人を罰する法を早く作らなければいけない。えん罪、明日は我が身だ。あなたやあなたの家族がやってもない犯罪で逮捕され、有罪判決を受けたら、まして、死刑判決を受けて死刑執行されたらどんな気がするのだ。検察は、早く証拠品を開示しなければいけない。隠さないでください。日本の刑事司法は、ほこりをかぶった古さだ。江戸時代から全然進歩してない。
東京はいい天気だが、天気にだまされないようにしなければいけない。日本が抱えている問題は膨大なのだ。毎日、へどが出るような出来事ばかりだ。そんな中、さわやかなニュースをテレビで見た。埼玉県の高校生が政治的デモをやった。約250人が参加した。え、ほんとうですか、最近、日本で高校生のデモなんてまったく聞いた事ない。大人だってデモをやらない。日本の高校生は幼稚でチャラい。政治には関心がない学生ばかりだ。そんな若者がデモをやるとは、すごい。50年前の学園紛争の頃には高校生のデモもあったが、、、。埼玉県が薦める共学化への反対デモだ。参加者には男子高校生が多い。少ないが女子の高校生もいる。埼玉では、伝統的に男子は男子、女子は女子で教育が行われてきたようだ。私には性別で分けて教育を受けさせるのがいいのか、悪いのかはわからない。男女平等だが、男子校には男子校の気風があり、女子高には女子高の気風があるのだ。そういうものを尊重してもいいのではないか。参加した高校生達が共学化への反対デモをする事自体、すごいのだ。日本では大人だって政治デモはやらない。賃金安くてもストライキは起きない、物価が高騰したって、税金が高くても、政治家の不正にも抗議のデモはやらない。外国のような激しい政治デモは日本では見られない。文句あるなら、抗議したいならネットにグタグタ書くのではなく、埼玉の高校生みたいに堂々と街頭でデモをやればいいのだ。高校生が政治デモをする事に反対する人もいるみたいだが、先進国の高校生なら政治には敏感に反応する。今、韓国でのユン大統領の罷免活動に多くの高校生が参加している。日本のけつの穴のゆるみぱなっしの政治風土が異常なのだ。世界は革命か死かの激しい闘争をしている。朝からバラエティー番組を放送してゲラゲラ笑ってる、朝から深夜までラーメンうまい、カレーうまいと食い物番組を垂れ流ししている国は日本位だ。日本が政治的葛藤がない国になったのか。そんな事はない。葛藤だらけだ。平和マンネリ病に犯されているからわからないのだ。わかろうとする気もない。埼玉の高校生の政治デモを支持します。いろいろと妨害があると思うのですが、頑張ってください。応援します。
斎藤知事の百条委員会での答弁が終わった。今後答弁はやらないとのこと。パワハラは認めてない。指導に少し行き過ぎた感はあったと言ってるが、謝罪する気はなさそうだ。自殺した告発者の職員や家族に謝罪する気はない。未だに、パワハラ告発というより、誹謗中傷の類だと告発者を非難している。なにしろ、選挙戦が面白い展開になった。最初は誰も応援者なんかいないのに、最後は斎藤コールが神戸の街に響き渡った。斎藤知事はマスコミにいじめられてる。マスコミから斎藤知事を守りましょうと、多くの賛同者が集まった。日本での最近の選挙戦は、変な選挙選が繰り広げられる。犬、猫が立候補するのだ。斎藤知事を応援する人々の感覚はひとりぼっちの知事を守ってあげたいという感じなのか。母性本能をくすぐったのかもしれない。今の日本は女の感性で動いている。男がだめだ。大衆心理も潜在的に女性的だ。斎藤知事は演説もへた、大衆を熱狂させるようなカリスマ性もない。それが女の母性本能をくすぐったのかもしれない。守ってあげたいと思わせるようだ。斎藤知事が肉体的にマッチョでトランプみたいな演説したら、落選していたかもしれない。日本では弱弱しさのほうが受けるのだ。欧米とは全く逆の現象だ、欧米では弱弱しい政治家、指導者は受けない。演説で涙を見せただけでも、落選してしまう。日本は特殊な感性の国だ。政治家の選挙に芸能人への推しみたいな心理が働いてる。最近の選挙では、フャン心理が強く出るようだ。支持者を増やすというより、フャンを増やしたほうが勝利に近づくようだ。日本では1+1は2ではない。単純ではないのだ。欧米で生まれた民主主義を日本に根ずかせるには時間がかかる。日本人の独特の感性を理解しないと政界で生きてゆけない。投票に勝てない。
日本の2024年の総括をしてみたい。今年も平和が続いたが、能登半島で地震が起きた。同じ土地で水害も起きた。総じて日本は、平和過ぎて危機感がなさ過ぎる。平和マンネリ病が蔓延している。日本の政治活性は低すぎる。確かに103万円の壁とか、給食費の無料化とか、政治資金規正法は大切だ。私も野党が求めている案に賛成だ。が、韓国、ウクライナ、ガザ、シリア、アメリカ大統領選だとか外国で起きている政治、社会の激しい闘争劇に比べると、スケール感が全然違う。日本では暴動も大規模デモもストライキも起きない。ネットでグタグタと誹謗中傷するのが日本的なようだ。日本でも今年は、国政の衆議院選挙が行われたが、投票率は52%位か。投票しない人が多い。日本では、独特な政治スタイルが出来つつある。ネットによる政治活動が盛んになってる。韓国みたいに15万人も集まるデモは日本では起きない。ネットで多くの情報が拡散すれば真実になるのか。 兵庫県のパワハラ知事は再選してしまった。何かおかしい。日本人の感性、良識、常識がゆがんでるように感じる。内向きのナショナリズムが一層ゆがみを強くする。日本の悪口を言うのは良くない、悪口を言う人を許さない、そんな人はネットでぼこぼこにしてやるとかだ。すべてが陰湿で女性的だ。日本には男がいない。女の腐ったような男ばかりだ。日本は全体的に落ち目の国だ。多くの国民も衰退を感じている。不安だからこそ、大谷などのスポーツ選手の活躍に日本すごいの自画自賛ナショナリズムが声高になるのだ。なんとか2024年も静かに終わりそうだ。12月31日に東京に外国からミサイルは飛んでこないだろうが、大地震は起きるかもしれない。未来は安泰ではない。2019年の年末に2020年1月から始まるコロナ騒動など誰も予想できなかった。2025年も穏やかな日々を送れればいい。しかし、何が起こるかわからない。それが人生だ。人生は悲劇的な事ばかりではない。結婚が決まったり、子供が生まれたり、たくさんのお金を得られたり、病気が治ったりといい事も多くある。 人生はプラスマイナスゼロだ。今年はいい事がなかった人も来年は、いい事多くあるかもしれない。悲観しないようにしましょう。2024年も地球が終わりになるまでの通過点でしょう。時間はまだまだ続きます。2025年は日本も世界も幸福で満ちあふれた年になるように祈ります。バイバイ