東京は朝から雨だ。私の心もうっとしい。今日も日本では朝から下痢便垂れ流しのような話題ばかりだ。医師2人が強姦容疑で逮捕、性犯罪容疑で自民党を離党したばかりの国会議員が、今度は元高校生から淫行容疑で訴えられた。そして、議員辞職。社会的地位や責任のある人間達のおぞましい犯罪には、あきれてものが言えない。その他にもいじめ、詐欺、横領、芸能人ほれた、はれた、不倫しましたの、いつも同じメニューだ。テレビは朝から深夜まで、どこのラーメンうまいと、食い物番組を流し続けてる。日本ではくだらない話題が主流になってるが、世界は大きく変わろうとしている。トランプと北朝鮮のキムがベトナムで会談を行った。世界平和を模索してる2人に世界が注目している。いい成果が出る事を願う。トランプの政治姿勢は、アメリカ国内では生き詰まってるが、朝鮮問題での外交姿勢は、今のところうまくいってるようだ。お互い、譲歩して折り合いを見つけ出すのを期待する。2年前まで、ちびのロケットマン、老いぼれ野郎とののしりあっていたのからすると、様相がまったく変わってしまった。ポイントはキムが核開発をやめるか、すでにある核兵器を放棄するかだ。キムからすると、様々な経済制裁を解除してもらいたい、経済支援をアメリカから得られるかだ。供にウィン、ウィンの関係を築き上げたいのだ。取引上手のトランプからすると、今回の会談の成功を80%ぐらい信じてるのだろう。日本にだって、今回の会談の結果は影響するのだ。拉致被害者の早期帰国に関係している。安部はトランプに拉致被害者を早く返すように頼んだが、キムは簡単には返さないであろう。安部の北朝鮮を敵視する姿勢には、キムは心を開かない。日本も北朝鮮との間に外交関係を作るべきだ。少しずつしこりをほぐす努力をしなければならない。そうしないと、拉致被害者の帰国なんて永遠にありえない。日本の外交は安部政権誕生以来、世界の流れから乖離し始めてる。内向きの薄ぺっらいナショナリズムは、日本を包んでる。日本は、世界の骨太のナショナリズムのようには動いてない。島国の島国根性と言いようしかない日本人が多いのだ。日本の悪口を言う人間を非国民扱いするような最近の風潮は、ゆがんだナショナリズムだ。こんなゆだんだナショナリズムで外交をするのだから、外交がうまくいかないのだ。最近の韓国との冷えた関係を見ればわかる。トランプもアメリカファーストを訴えて大統領になった。民族、国家のナショナリズムを訴ええてるが、アメリカ自体、移民国家であり、多様性の国なのだ。定住外国人が2%位の日本とはナショナリズムの概念が最初から違うのだ。日本は増々ガラパゴス化してゆく。世界の流れから取り残されてゆく。気づいてないのは、日本人だけだ。気づいた時は、日本は外国、特に中国に飲み込まれてる。外交とは、内政の上に成立っいてるのだ。外交だけが独立してるものではない。今の日本の政治は病気だ。内政がうまく行かなければ、外交もうまく行かない。トランプとキムの会談が成功する事を祈る。
まただ、渋谷区で誰でもいい殺人が起きた。40代の若い男性施設長が殺された。犯人、言わく誰でも殺したかったそうだ。最近、良く起きる動機不明の殺人だ。しかし、今回は少し事情が違う。事件が起きた児童保護施設に、犯人の若い男が入所してた事があるのだ。誰でもいいと言いながら、この施設と何らかのトラブルがあったのかもしれない。新幹線内での誰でもいい殺人であり、秋葉原での無差別殺人であり、荒川沖での無差別殺人であり、最近の日本では誰でもいい殺人が多発している。人を殺すには理由があるだろう。恨みだ、金を奪うとか、そんな簡単に人を殺せないと思うのだが。心を病む若者が多すぎる。バイトテロに見る幼稚でチャラい若者たちは、殺人すらゲーム感覚で行うのかもしれない。殺される方はたまったもんではない。殺された人間の家族の悲しみを、犯人は考えた事があるのだろうか。一時の感情に支配された行為がどれだけ残された家族を傷つけ、犯人家族も社会から冷たい態度を取られるのか、考えた事があるのか。心の中のモヤモヤ感やイライラ感を他人に向けて爆発させるのは、賢くない。愚かだ。もう少し、健全な解消法があるだろう。犯人達も、今の日本の社会的病理に犯されてるのだ。多くの日本人は心が病んでる。病んでる自覚はない。わけわからず、無意識に犯罪的な事をやってしまう。町をうろつく若者達は、上着のポケットにスマホとナイフを持ってる。すべての若者がナイフを所持してるわけではないが、若者の心は、ナイフのように人を傷つけやすさと、若者自身も心を傷つけられやすいのだ。若者よ、人を簡単に殺すな!自分の家族がたいした理由もなく殺されたら、いい気持ちはしないだろう。明日はあなたが被害者になるかもしれない。いや、あなたが加害者になる可能性すらある。そのぐらい日本人の心の闇は深い。
今日の朝はいい気持ちだ。沖縄での辺野古埋め立ての県民投票が、70%もの反対投票を得た。投票率も50%を超えた。反対派の完全勝利だ。この結果を日米政府は真摯に考えなければならない。民意を尊重しなければならない。即刻埋め立てをやめるべきだ。沖縄は熱いのだ。沖縄の熱さが全国に拡がればいい。沖縄から安倍政権打倒ののろしをあげる時期が来た。民意を無視して、強引な埋め立て工事をやり続けるのは、安部政権のおごりとしか思えない。安部にとっても、今回の結果はかなりのダメージになっただろう。4月の地方選、7月の参議院選挙に悪影響を与えるだろう。安部の虚構政治を終わらせなければならない。
東京はいい天気だ。日曜日の朝は気持ちいい。しかし、日本を包む政治的、社会的雰囲気は、慢性的に曇りだ。今の政治閉塞をもたらしてるのは、国民の政治への無関心さと、平和が長く続いてるからだ。平和はいい。しかし、長く続く平和は、日本人を政治的に不能にしてしまう。今、日本の総理大臣は安部だ。6年間もの長期政権を続けられるのも、今の腐ったような社会的雰囲気のせいだ。安部が特別に強い権力者というわけではない。周りの政治的勢力が弱すぎるのだ。野党も弱い。自民党内にも安部を脅かすような強い政治家がいない。安部の強さとは、相対的な強さだ。安部一強とは、絶対的な強さではない。そして、今、安部は3選されて権力の座にいる。任期いっぱい勤め上げれば、9年の長期政権になる。今の時点でもトップクラスの長期政権だ。さらに4選もあるような報道がなされてる。いい加減にしろだ。安部の周りのごますり政治家が、安部に4選をすすめてるようだ。いつまで総理をやり続けるのだ。対抗馬はいないのか。自民党内の岸田、野田、石破とか政治家の名前はあがってるが、安部を倒せるほどの強さはない。かつての自民党内の激しい権力闘争に比べると、今の権力闘争は物足りない。安部の頭をスリッパでたたけるような政治家がいない。権力闘争とは、本来、非常に激しいものなのだ。戦国時代を見れば、わかる。殺し合いの闘争なのだ。民主主義の時代になったって、権力闘争は激しいものなのだ。日本の今の権力闘争は、虚構だ。誰もが安部の顔色をうかがってる。政治家ばかりでなく、マスコミも安部のご機嫌取りをしている。何を怖がってるのだ。日本はひたすら腐ってゆくだけだ。内向きのゆがんだナショナリズムだけが横行してゆく。安部の4選を阻止できるのは、日本人というより自然災害か戦争による悲惨な経験かもしれない。がれきと餓えの中で日本人は目覚める。日本では平和は、日本人の精神性を弱く、幼稚にしてしまう。私は戦争を望んでるのではない。しかし、政治暴動も起きない日本は、健全ではないのだ。格差は広がり、国民は不安だらけだ。それでも、日本では暴動は起きない。日本人は我慢強い。安部的政治家が権力の座に座り続けられてるのは、74年もの長い虚構の平和のおかげなのだ。虚構は夢みたいなものだ。夢からさめれば、ひどい荒野に置かれてるのがわかるであろう。安部の4選、もしかしたら5選もの長期政権は、日本を完全に腐らせてしまう。見せかけだけの繁栄の中で日本は、消えてゆく運命なのかもしれない。50年後には隣の大国、中国に吸収合併されるかもしれない。権力の長期化は、良くない。長く続く権力はガン化するのだ。安部を倒さなければならない。本当の意味で日本をいい国にしなければならない。
北海道でまた地震が昨夜起きた。去年の9月に大きな被害をもたらした厚真町で震度6弱だ。住民はびっくりしただろう。幸い、今の所、大きな被害は出てない。日本での今年初の大きな自然災害だ。日本では自然災害のない年はないのだ。毎年、何かしらの自然災害が起きる。日本では自然災害に終わりはないのだ。いつも現在進行形だ。明日はあなたの土地に自然災害が起きるかもしれないのだ。他人ごとと思わず、常に自分の問題として考えなければならない。その事が自然災害から身を守るのだ。常に自然はあなたを狙ってる。人間は自然に依存しなければ生きてゆけないが、自然は、人間など面倒くさい存在としか思っていないようだ。今、一番あぶない所は東京や大阪などの大都市だ。人口が密集し、建物も密集してるからだ。特に東京は危険な時間帯に入ってる。大地震が起きた時、常に何をすべきか考えておかなければならない。自然は、人間には甘くない。人間が作り出した構造物が凶器になる。建物が、車が、電車が、電気が、油が、水が、人間が生産したすべての物が凶器になるのだ。日頃、我々の生活を便利で豊かにしてくれる物が、人間に刃を向けてくるのだ。いなかの畑の中で地震を受けても、大きな被害は受けない。何も人間的生産物がないのだから。コンクリートの固まりもないし、燃える物もない。近年の自然災害の被害を大きくしてるのは、人間的生産物の量の大さと種類の多さなのだ。だからこそ、生産性の高い大都市は大きな被害を受けやすいのだ。その事を肝に命じて置くべきだ。自然は、政治の様や、社会の在り方など関係せずに自然で在り続ける。自然災害と言うよりは、自然の生理なのだ。人間も自然の一部なのだから、自然の声に耳を傾けるべきだ。聞く耳を持たない人間には、自然は罰を与えるだろう。