いよいよ2018年最後の日になった。刻々と時間は進む。後、約15時間後には2019年だ。来年はどんな年になるのか。いろいろ不安と期待が交差する。その前に今年を総括しなければならない。日本経済は好調だ。しかし、普通の人には豊かさの実感が持てない。大企業ばかりがひとり勝ちだ。子供の7人の貧困状況は変わらない。格差に対しての政策も、日本政府の救済措置はもうひとつだ。政治は、ほんとうにひどすぎる。安部のうそ、独裁暴走政治が止まらない。野党が弱すぎる。メディアも弱い。国民も政治には無関心。これでは権力者の暴走を止められない。2019年は政治の流れを変えられるか、微妙だ。自然災害は猛威を振るった。自然はまったくコントロールできないのだ。日本にとって自然災害は、現在進行形だ。2019年も自然災害が日本を襲うだろう。もしかしたら、東日本大地震レベルの災害が日本を襲うかもしれない。自然の心は読めない。私個人の総括は、経済的にかなりうるおった。なんと、宝くじで1億円をあてた。3000万でフェラーリを買い、7000万はスカイツリーの屋上からばらまいた。今、記事を読んでる人はざわついてるだろう。ほんとうかよ、冗談だ。うそ、作り話だ。私は、ほとんど宝くじを買わない。当たるはずもない。高級車なんて興味もない。金銭欲もさほどない。普通の生活で十分、満足している。今の日本人の頭の中は、金しかないのか。毎日、多額の詐欺、横領のニュースが報道されてる。物欲主義と拝金主義になってしまった日本人は、破滅の道を歩むであろう。日本は次第に富を生み出せない国になろうとしている。国の借金も莫大だ。高齢化であり、少子化であり、人口減少であり、平和鈍感症であり、自然災害であり、意欲低下症であり、じわりじわり腐りが進行してゆく。栄える者は滅びるということわざがある。永遠に栄える国も民族もいない。歴史上多くの国、民族が栄え、滅びていった。日本も下降ラインの流れにあるようだ。蓄えた富を使い果たした後は、中国に飲み込まれる運命かもしれない。今、病気や経済的理由、人間関係でつらい時間をすごしている人々が、早くいい状況になられる事を祈ります。気休めだが、今の私には祈るしかない。2019年は、日本の虚構と閉塞のくそ溜まりに光がさすように祈るだけだ。光をさしてくれるスーパーマンが現れる事を祈る。
いよいよ年末だ。一日は短いようで長い。長いようで短い。時間のとらえ方は人それぞれだ。日本には、過労死なんていう忙しく働く人間がいる一方、時間が余りすぎてしまう人間もいるのだ。だらだらと一日をすごすのは、もったいない気がする。人生は限られてる。有効に使わなければならない。時間を制する者は、成功者への道だ。成功とはお金持ちになる事ばかりではない。お金を離れたところでも、成功の道はある。今年、行方不明になった子供を見つけたボランティアが話題になった。彼は、あいてる時間はボランティア活動をしているそうだ。人のために時間を有効活用するのは、成功者と言えるだろう。自分より他人を優先させるような生き方は、どこの国でも尊敬を集める。そうは言っても、人間はキリストにはなれない。自分の欲望のためには、人をだます、人を殺す、それが人間なのだ。人間の本質は悪と罪だ。罪を犯さない人間はいない。昔から人は時間がありすぎると、悪をなすということわざがある。これは真理だ。普通に働いてれば、収入がある。お金があれば、強盗も泥棒もする必要はない。働かないで、お金がなければ悪い考えが浮かぶようになる。すべての人間がそうだとは言わない。貧しくても、多くの人間は犯罪を犯さない。しかし、最近の日本における詐欺、横領には人間性の本質を見る。お金さえあれば、楽できる、遊べる。人間とは快楽主義なのだ。普通の生活に満足せず、より多くのお金を欲しがる。犯罪に手を染めても、お金が欲しいのだ。人をだまして得たお金でブランド品を着たところで、心の貧しい人間はあわれだ。物で人生、人格を証明しよとする様は、ばかばかしい。人間を深堀すればするほど、人間に期待するものはない。神が作った最低生物だ。神も今頃は後悔してるだろう。時間は人間を強くする反面、弱くもする。どちらかというと、有り余る時間は、人間を堕落させる。ほどほどに忙しいのがいいのだ。年末は強盗だ、ひったくだとか犯罪が多くなる。人間の悪性が出やすい時期だ。被害者にならないように気をつけよう。いや、加害者になるかもしれない。悪も善も紙一重だ。
2018年もうすぐ終わり、2019年を迎えようとしている。新年を迎えると言ったところで、日本人の多くは、新鮮な気持ちで迎えるわけではない。どちらかというと、不安のほうが強いのではないか。今の日本人の心の核はもやもやとした不安だ。不安は、草食化した民族の心を強く支配している。羊はいつも肉食動物に食われるのではないかと、脅えてる。高齢になって認知症になったら、寝たきりになったら、ガンになったら、生涯、非正規労働者でいるのか、自然災害、原発事故、ブラック労働、様々な不安が日本人を津波のように襲う。天皇陛下だって不安や悩みを抱えてるのではないか。退位した後、息子の新天皇はしっかり仕事をしてくれるのかとか、天皇の権威を政治家に利用されるのではないかとか、天皇も人間なのだ。神ではない。いろいろと不安や悩みをかかえてるのではないか。政治家だって選挙の際、落選するのではないかとか不安を抱えてる。権力者の安部だって不安はあるだろう。腸の病気を抱えてるし、権力者の座を奪われるのではないかとか、ライフワークである憲法改正がうまくいくかとか不安や悩みはつきないのではないか。不安なのだが、日本人は不安を積極的に解決しようとはしない。ぶつぶつとぐちをこぼすだけなのだ。暴動や革命は、今の日本では起きない。羊は肉食動物にかみつくような事はしない。外国の羊は肉食動物にかみつく。かみつき方を知ってる。日本人も50年前は権力にかみついた。今みたいに忖度、萎縮なんていう事はなかった。不安であり、悩みであり、不条理を積極的に戦って解決しようとした。不安に押しつぶされてゆく日本人は、哀れな感じだ。人生とは比較も見本もない。個人的なものだ。不安は、人それぞれに大きさも種類も違う。自分で解決できないなら、人に相談する事だ。多くのカウンセラーが存在している。そのカウンセラーだって、専門以外は不安や悩みを抱えてるかもしれない。日本は不安、悩みのアリ地獄社会だ。だから、宗教、酒、麻薬などの悪質依存にはまりやすいのだ。日本人の不安マグマは当分、爆発する可能性はない。不安のマグマに押しつぶされ、人格が崩壊してゆくようだ。心を病む人間しかいない日本は、どこに向かうのだ。墓場だ。暴力的に解決するより、浅草サンバで踊りまくって不安、悩み、ストレスを発散させよう。異議なし。
東京地裁は、福島原発の事故当時の強制起訴された3人の経営者に禁固5年の刑を科した。大津波は予測されたのに、なにも被害防止のために対策を講じなかったと、断罪した。事故の3年前に東電の子会社が最大15、7mの大津波を予測し、経営陣に伝えていたが、彼らはまったく無視して対策をしなかった。東電経営者達の怠慢さが事故を大きくしたのだ。この判決は妥当だ。自然災害を軽く見ている経営者は、経営に関わってはいけない。福島での事故は終わっていない。いまだ、原発敷地内は高濃度の放射能汚染だ。メルトダウンしたデブリも取り出せてない。山側からも大量の地下水は敷地内に入り込んでる。いつ、収束するのだ。子供が安全に遊べる土地になるには、1000年はかかるのではないか。プルトニウムの半減期は24、000年だ。一度、環境中に放出たれた放射能はほとんど回収できない。人間だけでなく、野生動物や植物など生態全体を長い期間傷つける。生物の健康だけでなく、原発周辺の人々の生活も破壊してしまった。いつ、元の生活に戻れるのだ。危険極まりない原子力発電は、即刻やめるべきだ。安部政権は原発を廃止する気はなさそうだ。日本の原発はすべて海沿いにある。すぐ側が海なのだ。日本は地震国だ。どこの原発でも、福島のような津波被害の可能性があるのだ。各電力会社も、福島事故以後、いろいろと津波対策をしているが、絶対的に津波被害を防げるとは言い難い。一番の安全対策は原発を廃止して、解体する事だ。福島事故時には54もの原発があったのだ。よくも狭い国土に多くの原発を作ったもんだ。事故など最初から想定していなかったのだ。原発は絶対安全ですと、専門家も政府も太鼓判を押していた。人間が作った機械、システムに絶対安全だなんていう保証はない。すべてがおごりなのだ。福島原発事故は人災の側面でもあるのだ。今まで多くの自然災害を経験してきてる割には、日本人はすぐに忘れるようだ。2011年の福島での悲惨な事故も日本人の記憶から消えようとしている。絶対に忘れてはいけない事故なのだ。過去の出来事ではなく、今の出来事なのだ。今、稼働している原発は少ないが、原発そのもは50基も存在してるのだから。なんらかの事故、自然災害で爆発事故を起こす可能性があるのだ。政府の安全ですの言葉にだまされてはいけない。2018年の年末は、多くの日本人は故郷に帰る、海外旅行するだとか、浮き上がってるが、今、この瞬間にも事故が起こるかもしれないのだ。自然の心は、人間には読めない。大地震が今、日本を襲うかもしれない。危険は現在進行中なのだ。20もの原発が爆発事故を起こしたら、日本列島には人間は住めなくなるだろう。無人の廃墟だらけの日本に吹く風は、日本人の愚かさをあざわらうようだ。無人のさびだらけのスカイツリーの周りを飛び交う白いカラスの群れは、放射能による突然変異によるのだ。巨大化したタンポポは人間の背丈ほどもある。繁栄を誇った渋谷や新宿の街をイノシシやシカが走り回る。さびだらけけのバス社内には、人間の白骨が積み重なってる。救急隊も助けられず、強い放射能で死んでいった人々の無念さが伝わってくる。私は一足先に新年の夢を見た。来年はいい年になってほしい。
東京の朝は曇りだ。日本人の心のようだ。平成の後半は、日本人の心は、慢性的にもやががってる。そんな中で皇室人気は高まってる。皇室の存在が日本人に気持ちのいい光をあたえてくれてるようだ。天皇誕生を祝って皇居に82、000人もの人が集まった。アイドル並みの人気だ。新年の参賀には、130、000人の参加が予定されてる。なぜ、人気が高いのか。日本社会が右傾化してる。この事は事実だ。戦前の軍国主義に対してのアレルギーも薄くなってる。参加している多くの人も、日本会議の連中みたいに天皇を政治の中心に置きたいなんては思ってはいないだろう。天皇陛下の人柄も人気を集める要因だ。ぎすぎすした日本社会で、天皇のやさしい感じはいやしになる。私も天皇の人柄は好きだ。大衆はいつも何かに依存したいのだ。導かれたい願望が強い。芸能アイドルだったり、宗教であったり、政治指導者であったり、時には物であったりする。天皇がトランプみたいな性格なら、日本人の心は離れるだろう。そもそも、天皇は憲法で政治的発言はできないし、象徴の天皇なのだ。お飾り的存在なのだ。それでいい。戦前のように天皇の権威を利用して、ファシズムを復活させたいと考えてる連中には、天皇は利用価値がある。天皇自身も会見で私は象徴の天皇だと、度々発言している。安部らのファシズム復活への動きに牽制をかけてるのかもしれない。戦前では天皇がマスコミの前で会見などなかったのだ。現人神(あらひとかみ)であったのだ。当時の軍国主義政権は天皇を徹底的に神格させ、偶像崇拝させた。戦後、人間宣言させて、神は人間になった。天皇もうんこする人なのだと、日本社会は受け入れた。今となれば、当たり前の事ではないか。もし、その当時、天皇はうんこする人間だと、公言するなら警察に逮捕されたであろう。ばかばかしい軍国主義の虚構がまかり通っていたのだ。今でもアイドルは、おならをしないなんていう話がある。ばかばかしい。人間とは、依存や虚構なしに生きてはゆけないのかもしれない。皇室人気には、かなりあぶない側面もある。皇室や天皇に依存したがる大衆を利用したがる政治家が問題だ。戦前のように天皇や皇室を神格化させ、虚構をふくらませるような政治的動きには警戒しなければならない。民主主義とファシズムはまったくイデオロギーが違う。今後も天皇や皇室に政治力を与えてはいけない。あくまでも象徴の天皇であり、皇室は政治的問題に介入してはいけない。皇室内からも、今の日本のあぶない雰囲気に異論が出始めてる。秋篠宮が皇室を政治利用するよな動きに度々発言している。大嘗祭は、公費でやるべきでない、天皇家のお金でやったほうがいい等の発言だ。民族の歴史や固有の文化は大切にしなければならない。皇室は日本の歴史、文化から絶対的に隔離できない存在なのだ。今後も健全な形で保持されなければならない。戦前のように国民を不幸のどん底に落とすような皇室の政治的利用は、やってはいけない。