安倍に殺される バリケイト伊東 タイトルはかなり過激だ。私のブログを読んでいただければ、その意味がよくわかる。今、国会では裁量労働制の議論で盛り上がってる。裁量労働制とは、本給に残業代を含んでるから残業代を払わなくていいという法案だ。それでなくても長時間労働で過労死、過労自殺が頻繁に起きてるのに、さらに追い打ちをかけるような法案だ。この法案は奴隷を容認するような法案だ。厚生労働省の役人達のいい加減なデータをもとに議論を進めるとは、最初からまちがってる。役人達は安倍に忖度してるようだ。安倍の意向にあうようにデータを提出したようだ。この法案は経営者側にとって都合のいい法案だ。いくら長時間働かせたって残業代を払わなくていいのだから、経営者は大喜びだ。安倍の生産性をあげたいという思いが、労働者を死に追いやる法案を国会に提出させるのだ。安倍は労働者の人権など最初から考えてない。企業だけが儲かればいいのだ。労働者は低賃金で奴隷のように酷使して使い捨て。人間は使い捨てライターではない。安倍は悪魔のような権力者だ。この法案が通ったら、安倍に殺される労働者が山程出てくる。安倍のファスズム思想は人間を大切にしない。民主主義とは人間あっての国家だ。国家あっての人間ではない。悪魔のような権力者でも安倍の支持率は高い。国民はだまされてる。安倍は日本に不幸をたくさん呼び込むだけだ。国民は強いストレスと不安で疲弊してる。日本は腐り始めてる。さらに悪法が日本を腐らせ、日本人を死に追いやる。日本の平和と幸福のために殺人鬼、安倍はブタ箱も入れておくべきだ。
孤独の海 バリケイト伊東 イギリスで孤独相が決められた。イギリスでの孤独で苦しんでる人々を救済するためだ。ひとりぼっちはつらいのであろう。孤独はかなり精神を痛めつけるようだ。ストレスなのだ。人間は群れで生活する動物だ。群れから離れて暮らすのは不安になるようだ。真っ暗な海をひとりで漂流する感じか。他者との関係なしに生きることは不可能なのだ。日本でも同じだ。孤独死、孤立死が良く話題になる。人間関係が断ち切れた末に死んでしまう。誰にも看取られずにあの世に旅立つのは寂しい。東京という人間がうじゃうじゃいている大都市でも孤独な人は多くいるのだ。満員電車で体を接していても、隣の家の距離1メートルでも隣人関係はないなんていうのは普通だ。大都会では人間関係は希薄なのだ。べたべたとした人間関係を嫌うのは都会の常だ。今はインターネットがあるではないか。ネットの付き合いなんて相手の呼吸も感じない、目も見ない関係では人間的交流とは言い難い。私もさほど人間関係はない。しかし、孤独感は感じない。人間嫌いだし、孤独は精神をきたえると思ってる。昔は僧侶や武士はひとりで山にこもって精神を鍛えた。己を見つめることも大切だ。人間との付き合いというより、孤独との付き合方が問題なのだ。
F35 バリケイト伊東 防衛省がF35という最新の戦闘機を三沢基地に配備した。総量で42機を配備する予定だ。一機の値段は150憶円だ。ばか高い飛行機だ。最近の近隣の国との軍事緊張の関係で、国家防衛のために、最新の飛行機を購入したのだろう。最新の戦闘機だけで国を守れるのだろうか。映画、トップガンのような戦闘機の空中戦を思い浮かべる人が多いのではないか。自衛隊のパイロットは優秀だから、敵の飛行機をひとりで10機も撃ち落とせる。ちまたではそんな話をしている。映画という虚構の話なのだ。ほんとうの戦闘ではそんなに簡単にはいかないのだ。日本は強い、日本人は優秀の幻想を最近のナショナリズムは抱かせてるだけだ。飛行機を飛ばすにも石油系の燃料がいるのだ。日本は石油を100%輸入だ。太平洋戦争末期にも、日本は燃料不足で飛行機を飛ばせなくなった。石油だけでなく、水、食料、電気、医療などの基本物資を確保できないと、国土防衛、戦争には勝てない。水は100%自給してるが、食料の自給率は40%だ。電気も100%自給してるが、輸入の化石燃料を大量に消費して発電している。戦争が始まったら、太平洋戦争当時と同じように、食料不足、石油不足、金属不足が起きるだろう。現代人は物不足に耐えられるだろうか。昔から腹がへっては戦に勝てないということわざがある。国家の防衛とはそもそも何なんだ。戦前は軍国主義者の野望のために戦争をした。国民は彼らのために命を捧げ、窮乏生活を余儀なくされた。そして、負けた。国土は焼かれ、多くの国民が死んだ。食べ物も自由もない国家を維持するために、多くの国民は命の犠牲を払ったのだ。今の北朝鮮と変わりないではないか。国家とは人間あっての国家なのだ。国家あっての人間ではない。権力者の野望のために、命を失い、窮乏生活をさせられるのは冗談ではない。今の平和日本でも、多くの国民は強いストレスと不安で疲弊している。多くの国民は幸福とは言い難い生活をしている。戦争になったら、国土防衛の戦争といいながら多くの国民は耐え難い苦痛を味あうであろう。自殺者は急増するであろう。それでなくても、日本は自殺者の多い国なのだ。国を守るとは権力者を守るのでなく、普通の国民の普通の生活を守ることなのだ。毎日、おいしい食べ物を食べれて、自由に話せて、行きたいところに自由に行けて、なんの不安もない生活を送れることだ。国民の多くは食い物もなく、ぼろぼろの服を着てガレキの町をさまようなんていうのは幸福ではない。もう一度声を大きくして言いたい。国家とは人間あっての国家なのだ。国家あっての人間ではない。権力の主体は国民にあるのだ。人間を大切にしない国家は滅びる。
銃弾発射 バリケイト伊東 今日午前4時頃、朝鮮総連本部の門に銃弾数発が右翼関係者と思われるふたりの男に打ち込まれた。犯人は逮捕された。幸い、死傷者は出ず。政治的意図があったことは確かであろう。政治的テロと言っていいだろう。あくびがでるような日本でも、政治的に沸騰している人々がいるのだ。暴力で政治的に対立する国や人々を威圧するのは良くない。昨日は竹島問題で日本、韓国双方でデモ隊がもめた。その事が影響してるのかもしれない。平和の祭典のオリンピック中でも、平和的でない事が起きるのだ。日本、韓国、北朝鮮との関係は微妙だ。歴史上の多くの問題を抱えてる。簡単に問題の解決策は見つからない。話し合いで解決できるものではない。そのような経緯の中でこんな事件が起きるのだ。今後もこのような暴力的事件は起こるであろう。暴力は暴力を呼ぶだけだ。報復感情を高まらせるだけだ。暴力の連鎖が心配だ。政治的対立の火はある時は激しく、ある時は静かに燃え続けるのだ。100年以上続く事もあるのだ。何が正義で、何が正義でないかは神でも決められないであろう。歴史が示すところは、力の強いほうが正義になるのだ。歴史とは戦争の殺し合いなのだ。双方、冷静になってください。暴力で政治的主張を訴える事はやめようではないか。
アルマニー嫌がらせ バリケイト伊東 アルマニーの制服を子供達に着せると決めた泰明小学校の子供達が嫌がらせにあってる。校長のブランド制服の決定には、多くの日本人が批判的なコメントを発した。政府の官房長官まで否定的なコメントを発した。私も公立学校の制服をブランドにするのはやりすぎだと思う。だからと言って、罪のない子供達に嫌がらせをするのは卑劣だ。文句あるなら、校長や学校、教育委員会に抗議すればいいのだ。最近の日本では、この種の炎上事件が起きやすい。ネット上の言葉の暴力だけでなく、今回のような直接的な嫌がらせを許してはいけない。相手は小学生の子供なのだ。圧倒的に大人は心理的、肉体的に強いのだ。見当違いの嫌がらせはやめるべきだ。嫌がらせをする人間はストレス発散、うっぷん晴らしにやってるのであろう。心の弱い人間なのだ。恥を知れ!おまえのボロボロの汚い心を高級ブランドにしたほうがいい。汚い心をきれいにする努力しなさい。