約1か月前に起きた富山市での8人による集団強姦事件の犯人達が、富山地検によって起訴されず釈放された。起訴されない理由は公表せず。うそでしょう!なぜ、こんな信じられない判断になるのだ。地検によれば今後は任意で捜査するそうだ。この件については私のブログで詳しく書いた。強姦という卑劣で女性の人権を著しく侵害する犯罪を許してしまうのか。被害女性が受けた屈辱感、恐怖ははかり知れないのだ。何か政治的圧力が地検にかかったのか。犯人の中に有力な政治家の息子がいたのか、警察幹部の息子がいたのか、現役の警察官がいたのか、それで圧力をかけられ、検察が大甘な判断をしたのではないかと、勘ぐりたたくなる。時々、地方では警察官が犯罪を犯すと、公表せず隠蔽したりする。強姦、最近の言葉では強制性交は最大、最悪のセクハラ犯罪なのだ。今、日本では、最近ようやくセクハラ問題で少しは世論の関心も高くなり、被害女性の人権を守ろうとする気運ができつつある。そんな中でこんな信じられないような判断をした富山地検は正義の味方なのか。日頃、警察や検察は正義の味方で犯罪者を捕まえ、市民を守ってくれると信じている。それなのに普通の市民感情を無視した起訴せずの判断は、最悪であり、法の精神を軽く考えてる。悪い奴はなんのおとがめも受けず、被害者は泣き寝入りでは法事国家の名が汚される。日本は法事国家なのだ。生活の隅々まで法の網の目がかぶせられてるのだ。最近は検察官まで草食化しているのか。検察が法をゆるく運用するならば、悪人は大喜びだ。最近の検察は政治疑獄でも、財務省の佐川を不起訴にしたり国民感情からかけ離れた判断をしている。昔のロッキード事件の時みたいに検察が正義の味方で機能していた時、検察は頼もしかった。捜査を担当する検察官に様々な圧力がかかっても、彼らは屈服する事はなかった。正義を貫いた。日本の今は、社会のタガが全体的にゆるんでる。国民は草食化し、グルメ、美容、芸能などに夢中になるが、今の日本で起きてる様々な不条理には無関心だ。自分が被害者になって始めて少し目覚めるようだ。犯罪被害、明日は我が身なのだ。犯罪者を起訴し、裁判で犯罪者に罪を課す検察官が犯罪を見逃してしまえば、日本は犯罪天国になってしまう。強姦野郎を起訴せず、野放しにするとは、それ自体犯罪だ。強姦野郎に加担すると同じだ。被害者も納得いかないであろう。検察審査会に再審査を申し込んだほうがいい。日本は平和だが、日本人の心は崩壊寸前だ。方向性もなくさまよってる。クラゲだ。骨がないのだ。数えきれないほどのクラゲの死体が日本の海に漂うであろう。近い未来の話だ。
東京は天気はいいが、風が台風のように強い。サッカーはポーランドに負けたが、決勝トーナメントに進めた。選手の皆様、お疲れ様でした。次の試合も頑張ってください。このどさくさに、国会では高度プロフェッショナル法案が本会議で通過しそうだ。過労死を助長させるような法案を安部は作りたがってる。安部の不健全な世界観ばかり実現してゆく。安部が法案を一つ通過させる度に、日本から100の幸福が破壊され消える。安部は墓場から生き返ったゾンビだ。不幸製造マシンだ。安部の暴走を止められない。野党が弱い。弱すぎる。なんだかんだ言っても選挙になれば、自民党が勝ってしまう。秋に行われる総裁選でも、安部が勝つであろう。早く辞めさせなければならないが、難しい。一日でも早く墓場に戻ってもらわなければならない。サッカーでナショナリズムが盛り上がってるが、日本の現状は悲惨そのもだ。国家も国民も方向性を失ってさまよってる。誰でもいい殺人は頻発し、幼児虐待、性犯罪、ブラック労働、貧困格差、自殺、様々な人権侵害など不幸が幸福を侵害している。日本すごい国の真の姿は崩壊寸前の巨大な虚構の城だ。日本はすべてが虚構だ。政治も経済も文化も虚構だ。嘘の上に嘘を積み重ねたような国だ。嘘はいずればれる。永遠にうそを言い続ける事は出来ないのだ。芸能や盛り場のネオンライト、グルメ、美容などにいやしを求めても、一時的ないやしなのだ。これらにうまく誘導され踊らさてるだけだ。多くの日本人は、慢性的に漠然とした不安のもやもや感やストレスのいらいらを持ってる。ストレスのはけ口は多くの場合、社会的弱者なのだ。女、子供、高齢者、障がい者、動物なのだ。日本人の心はゾンビのように卑しくかっこ悪い。だから安部みたいなゾンビに共感して安部を支持するのだ。ゾンビは健康な人間にかみついてゾンビに変身させる。潜在的に人間の心の奥底には、悪と罪のマグマが渦巻いてる。人間とは、良心の顔したゾンビなのだ。安部はヒットラーほどカリスマ性もないし、大衆心理を理解してない。安部はファシズム指向の政治家だが、ヒットラーにはなれない。おぼっちゃまが観念政治をもて遊んでるだけだ。こんなおぼっちゃまに忖度し、萎縮するのは日本的なのだ。倒せない相手ではない。実態のない幽霊におびえてるようなもんだ。日本人は今に満足してはいけない。今の日本は一見すると、平和で豊かに見えるが、今は不幸のどん底なのだ。日本人は今を理解し、今を乗り越える努力をしなければならない。そうしないと、日本は、ほんとうに崩壊する。がれきと餓えの中で多くの日本人は苦しむ事になる。日本を覚醒させるのは日本人ではなく、自然災害や戦争の大破壊かもしれない。大地震が日本を襲うかもしれない。今日にも来るかもしれない。自然の本質は破壊と死だ。気をつけましょう。
ワールドカップで日本チームが決勝リーグに行けるかどうかで盛り上がってる中、富山市でまた誰でもいい殺人が起きてしまった。犯人は21歳の元自衛官。交番の警官をナイフで刺殺して銃を奪い、近所の小学校に侵入して警備員をその銃で射殺した。逮捕の際、犯人も警官に銃撃され重傷。動機は供述できないので良くわからないが、面識のない人間を狙うのは誰でもいい殺人と言っていいだろう。つい先日も新幹線内で若者による誰でもいい殺人が起きたばかりだ。日本では誰でもいい殺人が頻発している。人を殺すには理由があるだろう。誰でもいいから殺したいなんて、理由にならない理由で殺人を犯す。日本の閉塞と虚構社会の中でう積した思いを爆発させるのだ。相手は誰でもいいのだ。起きた場所は富山だ。誰でもいい殺人は都市型犯罪と思われるのだが、地方でも、いなかでも起きるのだ。地方でも大都市でも、人間の意識に現代では差がない。個人の病理というより社会の病理なのだ。多くの日本人は病んでるが、自覚がない。学校に警備員を常駐させ、さすまた(取り押さえるための棒)を常備し、子供の避難のためのパニックルームを作るとは、異常なのだ。こんな異常さに多くの日本人は自覚がない。身近な人が殺されたり、近所で、犯行が行われて始めて自覚するようだ。誰でもいい殺人は多くの場合、女性、子供、高齢者など弱い人間を標的にするが、元自衛官の男は銃を奪うために警察官を狙った。体力や格闘技に自信があったのかもしれない。他の誰でもいい殺人とは少し違う。銃の使用も少し違う。小学校に侵入しようとしたのは、弱い子供を殺そうとしたのかもしれない。その点は多くの誰でもいい殺人と共通だ。校長の事件に対しての判断は良かった。教職員にさすまたで犯人を取り押さえるように指示したり、子供を体育館に避難させた。しかし、体育館は少し、問題だ。体育館の全部の扉を鍵で閉じたのか。閉じてもバールで簡単に開けられるのでは意味がない。かんぬきがついた扉なら安心だ。東日本大地震でも、大川小学校では校庭に子供を非難させ津波で多くの子供が亡くなった。どこに子供を非難させるかは大問題だ。緊急時に子供の命を守るために、日頃からマニュアルを作成しておかなければいけない。平和だが、日本は安心、安全社会ではないのだ。誰でもいいから殺したいなんて考えてる人間がうじゃうじゃといるのだ。明日は我が身なのだ。殺されないように気をつけなければならない。どこでも、手段を選ばず誰でもいい殺人は起こる。例えば、満員の電車やバス内にガソリンをまいて火をつけたら大惨事になるであろう。野外のコンサート会場にトラックで突っ込んら、盛り場やお祭り会場にトラックで突っ込んだら悲惨な現場になるであろう。政府も被害者を増やさないために、誰でもいい殺人に対しての対策を考えるべきだ。他人事でなないのだ。明日は我が身なのだ。誰でも殺されたくないであろう。
9月の自民党総裁選が後3か月後に行われる予定だ。今のところ全然盛り上がってない。政界だけでなく、国民も誰が権力者になるなんかには興味はない。サッカーやグルメ、芸能人には関心が高い。自民党総裁は総理大臣になるのだ。日本で一番の権力者になるのだ。それなのに静かだ。戦国時代を見ても、権力闘争は激しくなるのだ。殺し合いの闘争なのだ。自民党の権力闘争も昔は激しかった。最近の権力闘争はお嬢さまのままごとだ。一応、石破氏、野田氏、岸田氏などの立候補者の名前があがってる。三氏ともアッピールが弱い。俺が総理になるのだと気迫が全然感じられない。今の段階では、もっとメディアを使って自分や政策を国民に訴えなければならないであろう。何を考えてるのだ。このままでは、また安部が総裁になるだろう。自民党総裁選は今の日本を象徴している。草食化した日本社会を良く表してる。闘争なき権力闘争なのだ。激しく戦って安部を権力者の座から降ろして、新しい権力者になるのが普通なのだ。それなのに、日本の権力闘争はおままごとだ。日本の政治は死に体だ。閉塞と虚構の中で腐るだけだ。野党も全然攻め切らない。森友、加計問題でへどろのどぶ沼に入り込んでしまってる。国民もあきてしまってる。国民が求めてるのは強い権力者だ。安部みたいな小心者のおぼっちまではない。戦国武将みたいな強い権力者なのだ。大衆心理は女性的なのだ。女は自分を守ってくれる強い人間に従うのだ。日本の政治家みたいな軟弱な連中が政治闘争をしているとは、世界の流れからするとずれてる。世界の政治闘争はどこも非常に激しいのだ。日本は国境が海の国なのだ。閉塞した環境で70年もの平和が長く続くと、闘争心のなくなったライオンばかりになってしまう。日本の政治家は去勢されてしまってる。いつまでもおままごと政治は続かない。平和はいい。しかし、長く続くと緊張感が薄れ、男は女性化する。日本の政界は圧倒的に男が多い。しかし、心は女なのだ。女の腐ったような政治家がおままごと政治を行ってる。多くの国民はストレスのいらいらと不安のもやもやを抱えてさまよってる。強い権力者に依存したいのだが、そんな政治家も権力者も日本にはいない。だから、芸能やグルメ、美容、薬物などに依存してしまうのだ。石破、野田、岸田、その他にも立候補者がいるかもしれない。立候補者は安部に遠慮なんかする事はないのだ。安部を殴り倒してでも、権力を取る。そのぐらいの気迫で総裁選にのぞむべきなのだ。
東京の空は梅雨空だ。うっとしい。今夜はセネガルとの対戦だ。勝っても負けても一時的な熱狂なのだ。日本の閉塞と虚構は重く日本を包む。虚構の演出だけが盛り上がる。今夜もバラエティー番組は盛り上がる。芸能人、ほれた、はれた、浮気したの週刊誌ねたに日本人は夢中になる。盛り場のネオンライトに心の安らぎを見出す。すべては虚構なのだ。多くの日本人はなんとなくいつももやもや、いらいらだ。方向性を失ってさまよってる。羊飼いのいない羊の群れは墓場に向かって進む。安部という羊飼いはいるが、安部こそ虚構の羊飼いだ。安部は日本人を地獄に導く。安部を支持している連中は、安部が目指している世界を理解していない。戦前のファシズム体制を復活させたいなんて考えてる連中にだまされてはいけない。日本の閉塞と虚構は日本人には破壊できない。破壊できるのは自然や戦争による大破壊と人間の大量死であろう。人間の本質は悪と罪だ。人間界から戦争と犯罪はなくならない。自然の本質は破壊と死だ。歴史が大きく変わる時は、いつも大破壊と人間の大量死がともなう。日本のあくびが出るような平和はいつまでも続かない。朝鮮半島の軍事的緊張はかなり緩和したが、まだ先は見えない。中国もロシアも脅威である事には変わらない。私が一番気にかけてるのが自然災害だ。自然はまったくコントロールできない。戦争は話し合いで解決できる可能性がある。自然は人間の思い、願いなど全然考慮せずあり続ける。突然、普段はやさしい自然が人間に襲い掛かる。先日も大阪で地震が起きた。5人の命が失われたのだ。負傷者はかなりの数だ。最大震度7の大地震ならもっと被害が大きくなっていただろう。東京はかなり危険な時間帯に入ってる。1923年の関東大震災以来東京には大地震はない。関東は有史以来、何度も大地震を経験しているのだ。南海トラフ地震も懸念されてる。大地震が起き、都市が徹底的に破壊された時、同時に日本の閉塞と虚構も壊されるであろう。日本人はがれきと餓えの中で目覚めるであろう。すべては虚構の夢とわかるであろう。夢からさめて地についた生活を始めるであろう。日本人の皆様、くれぐれも地震には気をつけてください。危機はすぐそこにあるのだ。大破壊によって動かなかった扉が開く。新しい日本の歴史が始まる。