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いじめ自殺  バリケイト伊東

2019-02-07 09:00:21 | 社会
  まただ。いじめ自殺の報道を見る度に心が痛む。2年前に山口県の周南市で、高校生の男子がいじめを苦に鉄道に飛び込み自殺した。いじめというより殺人だ。最初はいじめはなかったと、学校側は否定したが、県の再調査でいじめはあったと認定された。生徒がいじめをしたばかりでなく、教師までが、いじめに加担していたのだ。全校生の前で不必要に名前を呼んだり、いじめを楽しんでいたようだ。本来、教師はいじめをやめさせなければいけない立場ではないか。いじめをした生徒、教師は、反省しなければならない。学校全体でモラルが低い。日本中の学校でいじめ、いじめ自殺が起きてるのだ。学校側は、日頃からいじめを抑制する策を考えておかなければならない。具体的にはいじめ生徒を停学にするとか、いじめられ生徒は、学校以外の場所で教育を受けるとか、策はあるだろう。いじめが起きていても、見て見ぬふり。いじめ自殺が起きても隠蔽、いじめはありませんでしたでは、自殺した本人、家族は浮かばれない。教育者とは、人を育てるのが仕事ではないのか。自分の働いてる現場で、いじめ自殺なんていうひどい人権侵害が起きてるのに、何もしないとは仕事を放棄しているようなもんだ。永遠にいじめは、人間界からなくならない。江戸時代にも、縄文時代にもいじめはあった。人間の本質は悪と罪だ。人間の心の中には暴力のマグマがいつも渦巻いてる。だからこそ。法が作られ暴力を抑制してきてるのだ。法はあっても、ほとんどの場合、いじめ加害者は罰せられない。人をいじめ自殺に追い込んでも、加害者は責任も感じないで、のうのうと普通の生活をしているのだ。被害者家族としては許せない気持ちだろう。裁判を起こしたりする事もあるが、いじめを立証するのが難しいようだ。殴る、蹴るなら傷害ではないか。暴力の末に障害者になったら、金銭的補償の裁判を起こせるのではないか。それ以前に、精神的苦痛は、はかりしれないのだ。人格権や名誉も著しく侵害されてるのだし、法が救済しなければならない。日本の法は、いじめ被害者救済には消極的だ。いじめに特化した法を作ったほうがいい。以前にも書いたのだが、人権侵害罪をつくったほうがいい。いじめであり、ヘイトスピーチであり、えん罪であり、広範囲な人権侵害を罰する事ができる。人間界からいじめはなくならない。なくすようにしなければならない。今、いじめでつらい思いをしている子供達よ、死んではいけない。学校に行かなければいいのだ。親も無理やり行かすな。学校、教育委員会は期待できないが、弁護士、政治家、メディアは期待できる。訴える事だ。日本社会全体としては、いじめは良くないと考えてる人が多いのだから。ひとりで悩まず回りの人間に被害を訴える事だ。助けてくれる人間は必ずいる。いじめをしている馬鹿野郎は、すぐにでもいじめをやめろ!お前らのいじめによって自殺したら生涯後悔するぞ。教職員は自分の学校の中でいじめが起きてないか、良く注意する事だ。子供をいじめから守るのが仕事だ。