植松聖とは、誰だ。新聞やテレビを良く見てればすぐにわかるはずだ。お笑い芸人ではない。今日の話題は、軽い楽しいノリで語れるような事ではないのだ。あの山百合園で19人殺人事件の犯人だ。重傷者も26人だ。ようやく裁判が始まった。荒れる裁判になりそうだ。重度障がい者を19人も殺したのだ。殺した理由が重度障がい者は生きるに値しなから死んだほうがいいとは、優生思想丸出しの感じなのだ。ユダヤ人を大量虐殺したヒットラーみたいな人間が日本にもいるのだ。責任能力を問われるのだが、弁護側はないと主張するのだが、本人はあると主張している。遺族に謝罪の言葉も述べてる。死刑を覚悟しているのだろう。一貫して重度障がい者は、死んだほうが社会のため、家族のために幸福なのだという考え方を主張している。こんな考え方は絶対に容認できない。日本社会全体で容認してはいけない。残念ながら、歴史上日本では障がい者の不妊手術強制や、ハンセン病者の隔離政策など優生思想による犯罪的政策が行われてきたのだ。日本では、まだまだ人権に対しての配慮が足りない。植松本人の病理というより、日本社会全体の病理なのだ。人を人と見ない犯罪が多発している。京都アニメ放火事件では、36人もの人間が殺された。秋葉通り魔殺人であり、誰でもいい殺人であり、人間を物としか見てない殺人事件が多発してるのだ。人間は心ある生き物なのだ。家畜を殺すような感覚でよくも簡単に人を殺せるもんだ。植松には、人間に対しての尊厳感覚が著しく欠けてる。日本には、数は少ないが、植松の考え方に共感する人間がいるのだ。重度障がい者だって生きるに値するのだ。心があるのだ。日々、風に、鳥の声に、花に感じてるのだ。家族や友人がどんだけ悲しんだのかわからないのか。おまえが障がい者になって同じように殺されたらどんな気持ちがするのだ。アメリカだったら現場で射殺されていただろう。裁判を受けられるだけましだ。極悪犯罪者にも人権はあるのだ。今、書いていてほんとうにむかついてくる。日頃、私は死刑反対の立場だが、植松には死刑が妥当な判決だ。矯正する余地がない。