クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

耕一物語ー野毛のクジラカツ

2014-09-21 22:52:16 | 物語

時間はまだ昼前だ。

真金町の春子の所へ行くには早過ぎる。

菊の玄関に暖簾(のれん)が掛るのは夕方だからだ。

走る市電の中で、耕一は《さて、どこで時間をつぶそうか》と考えた。

 

 

耕一は野毛へ行って、昼飯を食べることにした。

当時、横浜の闇市では野毛界隈が一番賑やかであった。

中でも桜川沿いのクジラ通りが最近評判である。そこに立ち並ぶ屋台でクジラカツが食べれるのだ。

《あれを食って精を付けてから菊へ行こう》

そう決めた耕一は、野毛の停留所で降りると、桜川のクジラカツ屋台を探しながら歩き始めた。

 

伊勢佐木町の繁華街も賑やかだったが、この野毛界隈の闇市もとても活気があり、雑多な人々が群がっていた。

こそ泥をして手に入れた盗品を、コソコソと露天に持ち込む者もいたが、仕事にあぶれた港湾関係の日雇い労働者や失業者が、ブラブラと野毛の闇市にやってきた。

そんな暇な男達の中には、ヒロポンに手を出してヒロポン中毒になる輩(やから)も多かった。

そのような、フラフラと野毛にやってくる連中を、「野毛の風太郎(ぷーたろう)」と世間の人は呼んでいた。

闇市をフラフラと歩く耕一も、周りの連中からは「野毛の風太郎」と見られていたであろう。

《それで良いのだ。逃亡者となって姿を消すには、この連中の中に溶け込んで行けばいいのだ》

耕一は、できるだけ目立たないように、闇市の雑踏の中に入り込んで行った。

 

 

クジラカツは結構旨かった。闇市の屋台料理にしては上出来な方であろう。

耕一がアツアツのクジラをほうばって食べている隣で、二人組の男が話をしていた。

「根岸の魚屋の小娘の歌がえらく評判だな」

「あー、あの小生意気な小娘か。なんちゅう名前だったっけ?」

「美空ひばり、て言うらしいぜ。俺はあの娘(こ)の歌を、杉田劇場で生(なま)で一度聴いたことがあるが、あれは化けもんだぜ。何しろ大人のプロの歌手よりうまく大人の歌を唄うんだからな」

「ほんとかよ。まだ10歳かそこらだろ?」

「ああ、古賀政男とかいう偉い作曲家の先生も度肝を抜かれたらしいぜ」

「へぇーーーー」

「しかもあの娘(こ)は歌がうまいだけじゃないぜ。舞台度胸も大人顔負けに堂々としてるのよ」

「そんなに凄いのか。今度おれも観にいってみようかな・・・」

「なんでも、近いうちにマッカーサー劇場(横浜国際劇場)で唄うらしいぜ」

 

耕一の隣で、二人の男がそんな話をしていた。

《そんな凄い女の子が出てきたのか。日本も変われば変わったもんだ》

耕一は、自分よりはるかに若い女の子が、大観衆を前にした桧(ひのき)舞台で、臆することなく堂々と大人顔負けの歌を唄っているということに、大きな感動を覚えた。

《その子は、まさに新しい日本の、新しい時代の申し子ではないか!》

新しい時代の申し子のような、そんな新人歌手出現の話を聞いている内に、自分の身体の中の熱い血潮が音を立てて流れ始めたような気がした。

耕一は、初めて食べるクジラカツをゆっくりと噛み締めながら、その味をじっくりと味わっていた。

 

 

 続く・・・・・・・。

 

 

 

 

 

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耕一物語ー逃亡の旅

2014-09-20 23:22:06 | 物語

夜明けが近い。

耕一は人気(ひとけ)の無い本牧埠頭を抜け、電車通りへ向かった。

本牧から横浜駅まで市電が走っているのだ。

そろそろ一番電車が走りだす頃だろう。

本牧には進駐軍キャンプがあるので、早朝から人や車の動きがあった。

耕一は、できるだけ平静を装い、ゆっくりと歩いて停留所へ向かった。

 

 

今頃、愛友丸の中は大騒ぎになっていることだろう。

今まで、耕一は逃亡の気配など微塵も見せなかった。

一番びっくりしているのは機関長の松さんに違いない。

機関長は、気が効いて良く働く耕一に目をかけていた。

その働きに見合う手当てを、航海が終わるたびに耕一に与えていた。

自分の息子のような天蓋孤独のその男が、真夜中に、この船から忽然と姿を消すとは、想像もしていなかった。

 

耕一にも、機関長には《申し訳ない》という思いがあった。

あの時、高島桟橋で拾われていなければ、自分はおそらく死んでいただろうと、思われるからだ。

命の恩人である。

その後、機関士助手として使ってくれ、色々と教えてもらった。

そして、一人前の機関士に育ててくれた。

本当に有り難いことであった。

健さんや板長さんにも親切にしてもらった。

あの船が、闇船でなければ、ずっとみんなと一緒に働いていたかった。

 

耕一は、孤独な寂しさには慣れているはずだったが、その時、急に涙がこぼれ落ちた。

人のぬくもりのある温かいところから一人離れて、またこうして歩いている。

言い様の無い寂寥感に襲われた。

 

 

 

本牧から市電に乗って横浜駅まで行った耕一は、そこで市電を乗り換え、真金町へ向かった。

その道中、耕一は車窓を流れる横浜の街並みを眺めながら、この1年間、愛友丸で過ごした日々を思い返していた。

気仙沼の明子のことも気がかりだった。

愛友丸が、気仙沼に寄航したら、耕一逃亡の話はすぐに明子にも伝わるはずだ。

自分の気持ちと状況を、取り敢えず手紙で知らせ、心配させないようにしないといけない。

 

時折、「チンチンチン」と鐘を鳴らしながら走る市電に揺られながら、耕一はそんなことを考えていた。

 

 

続く・・・・・。

 

 

 

 

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耕一物語ー脱出決行

2014-09-20 08:42:07 | 物語

愛友丸は、本牧(ほんもく)埠頭沖に投錨した。

すでに真夜中である。

板長が作ってくれた夜食を食べると、船の仲間はそれぞれ寝床に入った。

それから2時間後、静まりかえる船内を、耕一は音もなく甲板に上がった。

外は闇夜で何も見えない。

数百メートル先に、埠頭の明かりが小さく見えた。

聞こえるのは船に寄せる波の音だけだ。

耕一は、着ている衣類を脱いでパンツ一丁になった。

脱いだ衣類と靴、そしてお金が入ったビニール袋を風呂敷で慎重に包むと、それを頭の上に乗せて両端をあごでしっかり結んだ。

その格好のままで、甲板から垂らした縄梯子を伝って海に降りた。

 

春の海の水はまだ冷たかった。

耕一は、深呼吸をすると、静かに水の中へ身体を入れた。

そして、ゆっくりとした平泳ぎで泳ぎ始めた。

埠頭の小さな明かりを目指して・・・・・。

 

 

 

幸い、ほとんど波はない。

船中の誰かに感づかれさえしなければ大丈夫だ。

耕一は、祈るような思いで、ひと掻きひと掻き泳いだ。

 

30分ほど泳いで、ようやく埠頭まで半分くらいのところまで来た。

愛友丸を振り返ってみたが、特段の変化はないようだ。

耕一は海の中で一休みして、そして頭の荷物を縛り直し、再び泳ぎ始めた。

 

一時間後、耕一は本牧埠頭の岸壁をよじ登っていた。

愛友丸から追いかけてくる者はいない。

《やったぞ! 脱出成功だ!》

そこで一休みしたいところだが、休んでいるわけにいかない。誰かに見られたら不審者と間違われる。

用意したタオルで急いで身体を拭いて衣類を着た。

そして上着とズボンのポケットに札束を押し込んだ。

《地獄の沙汰もカネ次第だ。この札束が俺を護ってくれる》

 

 

札束で膨らんだポケットを確認すると、耕一は周りの様子を注意深く窺いながら、足早に歩き始めた。

 

 

 続く・・・・・・・

 

 

 

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耕一物語ー逃亡計画

2014-09-19 12:26:11 | 物語

追浜の税関検査から2ヶ月余が経った。

日本列島は、南の島から春が北上している。

愛友丸は東北への航海を終えて、横浜の港を目指していた。

 

その時、耕一の心は揺れていた。

あちこちの港で、闇船検挙が頻発しているのだ。

この春先から、税関当局の取り締まりが一層厳しくなってきている。

検査担当官も増員され、かなりの精鋭が投入されてきているという。

次の検問では、前回のような悠長な対応では乗り切れないであろう。

耕一は悩んでいた。

愛友丸に乗ってからほぼ1年が過ぎが、このままいつまでもこんな闇船に乗っているわけにはいかない。

もっとまっとうな生き方をしなければならない。

しかし、この時点で、「済みません。もう闇船生活が怖くなりましたから、この船から降ろして下さい」と、機関長に言ったなら、きっと半殺しの目に遭うだろう。

耕一は、彼らのことを知り過ぎた。

ここで逃げたら自分の命が危ない。

しかし、このままこの闇船生活をしていたら、いずれ官憲に捕まってしまう。

《どうしたら良いんだ・・・・》

 

 

船は暗闇の海を、房総半島に向かって航行していた。

半島先端の館山では、もう菜の花が咲き始めている頃だ。

耕一は甲板に出て夜空を眺めてみた。

星も月も見えなかった。

真っ暗な世界を航行する闇船のエンジン音だけが、不気味に聞こえてくるだけだった。

その不気味なエンジン音を聞いているうちに、耕一の心は決まった。

《逃げよう。この船から逃げよう》

 

この時、愛友丸が向かっている先は、横浜港の本牧埠頭沖であった。

《投錨するあの沖から本牧埠頭までなら、なんとか泳いで行ける。その後は、真金町の遊郭へ潜り込もう》

耕一は、逃亡計画を考え始めた。

耕一には既にかなりの蓄(たくわ)えがあった。この1年間の闇船生活で、1年以上遊んで暮らせるカネを蓄えた。そのカネを持って、あの菊の春子の所へ潜り込もう。

春子は信用できる女だ。きっとうまく匿(かくま)ってくれるはずだ。

 

 

そこまで考えた耕一は、自分の寝床がある船倉の片隅へ戻って、誰にも気づかれないように荷物の整理を始めた。

 

続く・・・・・・

 

 

 

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耕一物語ー闇船検問

2014-09-18 09:44:11 | 物語

《こんな夜中に税関検査をするのか?》

近づいてくるモーターボートを、機関長は訝りながら見つめていた。

だが、それは顔役が手配したボートだった。

 「検査は明日の午前中になると思うので、今晩は陸(おか)に上がってゆっくり休んでください」

顔役の手下らしい、ボートを操縦してきた男が、船側(せんそく)で大声でそう言った。

その声に従って、船長を先頭に愛友丸の仲間は縄梯子を降りてボートに乗り込んだ。

 

 

追浜の顔役とは、地元の網元であった。

網元は大小の漁船5艘持ち、若い衆(網子)を30人程使って漁業を行い、追浜とその周辺の漁業権をほぼ独占していた。

網元が手配した小さな旅館に案内された耕一達は、久しぶりに手足を伸ばして風呂に入り、そしてゆっくりと陸(おか)のメシを食い、酒を飲んだ。

しかし、みんな明日の税関検査が気になってしょうがない。

だが、船長と機関長は以前、まっとうな船荷を扱っていた頃に、何度か検査を受けた経験があるので、木っ端役人のあしらい方は分かっているらしい。

夕食を摂りながら、二人は顔を寄せ合って何やら相談していた。

 

翌朝、旅館で朝食を済ますと、機関長と板長の二人だけが船に戻って行った。

検査の時は人数が少ない方が良いらしい。

暇になった耕一は、旅館で健さんと将棋など指して過ごすことにした。

 

税関の担当官二人が、船にやって来たのは昼(ランチ)に近い時間だった。

風采の上がらない感じの、年配の下級官吏二人であった。

「これはこれは、お役目ご苦労様でございます。私は機関長をしております長井松太郎と申します。船長はあいにく陸(おか)に上がっておりまして、ご挨拶できませんが、くれぐれも宜しくとのことでございました。

ところで、お二人は横浜から来られたのですからさぞお疲れでしょうな。ちょうどお昼の時間ですから、少し腹ごしらえをして頂いてから、ゆっくりと検査をお願いしたいと思っております。さあさあ、どうぞこちらに・・・」

機関長の松さんは、昨夜から何回も練習していた口上(こうじょう)を、愛想を振りまきながら役人に言い、相手が返事をする間も与えず食堂の方へ歩いて行った。

下級官吏二人は、苦笑しながらお互いに顔を見合わせたが、《まあ、メシを食うだけなら良いか・・・》という風にうなずき合い、機関長の後について行った。

食堂のテーブルに二人が着くと、美味しいそうな匂いが立ち上るビーフカレーが彼らの前に置かれた。

「ゴクリ」と、二人の役人のノドが鳴ったような気がした。

「さあさあ、どうぞお召し上がり下さい。こんなもので恐縮ですが、良かったらまだお替りもありますので、ご遠慮なくどうぞ」

二人は、スプーンを手にすると、物も言わずカレーを食べ始めた。

板長は、次に缶詰の甘いパイナップルを小皿にのせて持ってきた。

そして最後に温かいコーヒーを・・・・。

「今日は、何でもお見せしますので、何なりと申しつけ下さい。わしらは米軍の指示に従って物資を運搬しておりますので、やましい事は一切しておりません。米軍の物資輸送については、そちらにももちろん情報は入っていますよね・・・」

機関長がそう言うと、役人の一人が、

「ええ、まあね・・・・」と、曖昧な返事をした。

「ああ良かった。それじゃ、今日の検査はもう済んだも同然ですな。アハハハハ!」

二人の役人は、何も言えずコーヒーに口を付けた。

コーヒーを飲み終えると、一人の役人が

「我々も任務がありますので、一応の検査を・・・・」

と、言いかけた。すると機関長は、

「ああそれから、これはほんの気持ちですが、良かったらお持ち帰り下さい」

と言いながら、テーブルの下から大きな紙袋を二つ出して役人の目の前に置いた。

役人二人は、またも困惑した面持ちで目を合わせた。

「いやーなに、この中には北海道の干物(ひもの)が入っているだけですから、気にされるほどの物ではありません。まあ油断するとネコが狙ってきますけどね。アハハハーーー。さあさあどうぞ遠慮なく」

機関長はそう言って、二人にその紙袋を持たせた。

 

 

下級官吏は、如才なく応接されるそんな接待に慣れていなかったようだ。

思考回路が停止したような顔をして、二人は闇船から降りて行った。

 

 

続く・・・・・ 

 

 

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