クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

耕一物語ー再び追浜へ

2014-09-17 09:12:05 | 物語

7日前に追浜沖を出航した愛友丸は、荒波を乗り越えてようやく函館の港に入った。

函館は戦前から北海道最大の港湾を持つ港町であった。だが、戦争末期に、アメリカ第3艦隊から発進したグラマン50余機が函館を空襲し、港湾は壊滅状態となった。

機銃掃射と爆撃による空襲は、早朝から5時間余に亘る波状攻撃となって行われ、函館湾内停泊中の船舶、および津軽海峡を航行中の船は全て撃沈された。港湾にも爆弾が投下され、港としての機能は失われた。

あれから2年、函館港の埠頭にはまだ崩れたままの所があった。

夕闇迫る頃、そんな埠頭に闇船が横付けされた。

 

愛友丸はそこで米軍横流し物資などの闇物資を降ろすと、今度は北の海産物や野菜などを次々と船倉に積み込んだ。

昆布や魚の干物、魚の塩漬け、あるいはジャガイモやタマネギ・・・・・

どんな食料でも、首都圏へ持っていけば飛ぶように売れる。

そして面白いようにカネが懐に入ってくる。

だが、このぼろ儲けの闇船稼業をいつまで続けられるのだろうか・・・・

機関長の松さんは一抹の不安を抱きながら、暗闇の中で行われる積荷作業を眺めていた。

 

深夜まで続いた積荷作業が終了すると、愛友丸の仲間は、夜食の雑炊を食べて船内で寝た。夜が明けたら出航しなければならないのだ。今回は陸に上がっている暇はない。

 

翌朝、日の出と共に出航した愛友丸は、波の静かな海峡に出た。

穏やかな海峡で、大間の漁船数隻が、マグロを追っているのが遠くで見えた。

船は、順調に海峡を渡り、下北半島の尻屋岬沖を通過した。

本州の山並みを右に見ながら、後は海流に乗って一路南下するだけだ。

 

 

 

操舵室の船長は、「ヤレヤレ」と呟き、愛用のパイプを取り出した。

その時、「船長、ちょっとお耳に入れたいことがあるんですが・・・」

機関長の松さんが、そう言って操舵室へ入ってきた。

「どうしたんだい?」

パイプをくわえた船長が振り向いた。

「追浜の顔役と連絡を取っているんですがね、どうも税関の連中があのあたりで動き始めているらしいんですよ」

「ふーん、なるほど・・・」

「役人連中を手なずけようとしているらしいんですが、なかなか言うことを聞かないようでしてね・・・」

「それで、どうしろと言うんだ?」

「顔役が言うには、沖に停泊中の船があると、税関の木っ端(こっぱ)役人が二人ばかりで検査に回るらしいですよ。もし行ったら、取りあえずスッ呆けてごまかせって言うんですがね・・・」

「木っ端役人相手なら、なんとかなるんじゃないかい?」

「そうですね・・・。じゃ、その場合は、わしと板長で相手することにしましょう」

機関長と船長は、順調に航行する愛友丸の中でそんな相談をしていた。

 

三日後、船は何事もなく浦賀水道を過ぎた。

追浜沖に近づくと、愛友丸の船倉上部は厚いカバーで覆われ、ロープはきつく結ばれた。素人の手では容易にほどくことはできない。

暗闇の沖で船は動きを止め、投錨した。いつものように・・・・。

 

 

しばらくすると、追浜の浜から1隻のボートが愛友丸に向かって来るのが見えた。

 

 

続く・・・・・・

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耕一物語ー津軽海峡

2014-09-16 09:47:06 | 物語

80トンの愛友丸は貨物船としては小さい方である。

大きな波が来ると、その船体は大きく揺らいだ。

今回はかなりの時化のようだ。

金華山沖まで来たあたりで、波浪は更に激しくなった。

強い向かい風になると、船はほとんど進まない。

機関長の松さんは、エンジンを全開にして全速力で船を走らせた。

船長も荒波を凝視して必死に舵を握る。

やがて船は三陸沖をヨロヨロと乗り越え、津軽海峡にさしかかった。

竜飛岬では風が「ゴウゴウ」と吠えている。

機関長が操舵室に飛び込んできた。

「船長! もうエンジンが限界です。 これ以上は無理です。 近くの入り江に船を入れて下さい!」

「分かった!」

船長は舵を大きく左に切り、下北半島の入り江を目指した。

 

 

 

愛友丸が下北半島沖で立ち往生していたこの時から数年後の1954年(昭和29年)9月26日、台風15号が津軽海峡周辺を通過した。この時、青函連絡船として運行されていた洞爺丸が暴風と高波により転覆・沈没し、死者・行方不明合わせて1155人という、日本海難史上かつてない大惨事を起こした。

この津軽海峡での洞爺丸事故を題材にした「飢餓海峡」という推理小説を水上勉が書き、後に三国連太郎、高倉健、左幸子らが出演して、同名の映画が作成され話題となった。

 

津軽海峡は天候により、また潮の流れによってその姿を大きく変える。

船乗りにとって、海峡は要注意の航路である。

 

愛友丸はなんとか入り江に入ることができた。

そこで一晩待機し、翌朝、天候状況を見て船を出すこととなった。

船長はじめ、船の乗組員は疲労困憊である。

耕一は健さんらと共に、大きく揺れる船内で、浸水してきた海水をバケツでくみ出す作業を数時間続けていた。

板長が作ってくれた握り飯を食べると、みんな、作業着のまま寝床に倒れ、そのまま眠りこけた。

しかし、そんな凄い時化の航海は初めての経験であった耕一は、船酔いで気分が悪く、握り飯も口に入らず、うなされながら寝むりについた。

 

 

 

翌朝、天候は回復し、時化は収まっていた。

下北半島の小さな入り江から出た愛友丸は、波の静まった穏やかな津軽海峡を、朝陽を浴びながら渡り始めた。

 

上野発の夜行列車降りた時から・・・♪

どこからか、「津軽海峡冬景色」の歌が聞こえてきた。

 

 

続く・・・・・・ 

 

 

 

 

 

 

 

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耕一物語ー荒海を行く

2014-09-14 14:34:25 | 物語

年が明けた。

愛友丸の新年初めての航海は、また北へ行くようだ。

正月七草が過ぎると愛友丸は出航の準備を始めた。

しかし機関長松さんの表情は冴えない。

去年の暮れ、横浜港で闇物資を運ぶ貨物船が摘発されたのだ。

港の検査が最近厳しくなってきている。

そんなこともあり、今回は三浦半島の追浜(おっぱま)沖で闇物資を積み込んだ。

追浜は地元の顔役のニラミが利いており、官憲の動きはほぼ事前にキャッチできる。

ここなら挙げられることはないと思うが、しかし万が一ということもある。

十分注意しなくてはならない。

暗闇の中で、機関長はそんな思いで積荷を終えた愛友丸を見つめていた。

 

 

日の出と共に愛友丸は追浜沖を離れた。

一月の海は荒れていた。

外洋に出ると、波のうねりが大きくなった。

「この分では函館に着くのは一週間後だな・・・・」

操舵室で、船長が舵を握りながら呟いた。

「そうですね。今回もそのくらいは覚悟しておいた方がいいでしょうね。ところで船長、今度函館で積む船荷はどこで降ろします?」

船長の横にいた機関長が尋ねた。

「生麦の予定だったんだが、あそこは最近チェックがやけに厳しくなってきているようだな・・・・。追浜はまだ大丈夫なようだから、今回はあそこにしようか」

「そうですね。函館へ着いたら、追浜の顔役に連絡を入れておきましょう」

愛友丸は、犬吠埼沖を北へ進んでいた。

曇天の冬空の下、波は次第にうねりを高めている。

右に左に船体を揺らしながら、ノロノロと闇船は北へ進んでいた。

 

 

 

続く・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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耕一物語ー女の涙

2014-09-12 16:05:26 | 物語

春子のその後の展開は、聞かなくてもだいたい想像がつく。

その店は、ヤクザか愚連隊のアジトだったのだろう。

対応した支配人かなんかが、春子の身の上話を聞いて、《この女は遊郭で使える》と思ったのだ。

そして、手篭めにされた上に、身ぐるみ剥がされて「菊」に売り飛ばされた・・・・・。

ひょっとすると、ヤクを打たれているかもしれない。

まあ、そんなところだろう。

哀れな女だ。

 

 

「ところで、あんたの名前はなんて言うんだい?」

春子が耕一の胸の辺りを撫でながら言った。

「耕一・・・て云うんだ。親の顔も知らない孤児(みなしご)さ」

「・・・・・・・・・」

「戦争でみんな人生が変わってしまった。世の中も変わった。これからは強い者が生き残って行く。いや、強くならなければ生きていけない・・・・・」

耕一はタバコを吸いながら、自分に言い聞かせるようにそう言った。

耕一は17歳ではあったが、人並み以上の苦労を重ねて生きてきた男だ。その物言いは、かなり大人びていた。

「あんたは、横浜へ来て、人に騙されて、ひどい目にあったんだろうけど、世間は鬼ばかりじゃないよ。仏もいるよ。人生、諦めたらだめだよ。絶対、諦めたらだめだ」

と、耕一が語気を強めてそう言うと、春子がうつ伏せて泣き始めた。枕を抱えて、声を上げて泣きじゃくった。

 

耕一は起き上がって、カーテンを引き窓を開けてみた。

顔に冷たい風が当たった。

雪はまだ降り続いていた。

朝になれば、外の景色は一変しているだろう。

世の中の全ての汚れを覆い隠して、真っ白な銀世界になっているはずだ。

 

 

 遊郭の章は今回で終了です。

 

 

 

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耕一物語ー寝物語

2014-09-11 18:14:09 | 物語

女は1年前に横浜へ出てきたという。

名前は春子というらしい。

夫は赤紙招集され満州へ送られたそうだ。

関東軍で二等兵としてしごかれ、そして最後はソ連国境の奥蒙古に配置されたという。

終戦間際に突如侵攻してきたソ連軍の捕虜となり、シベリアへ送られたらしい。

そして、そのまま消息が絶えたそうだ。

 

春子は熱い身体を耕一にからませながら、そんな話をした。 

春子の肌は意外に色白で身体はとても温かかった。

雪国の女は色白だというが、確かにそうなのかも知れない。

小太りのその身体はたくましく、熱く火照っていた。

耕一は、女の豊かな胸をまさぐりながら、寝物語を聞いていた。

 

 

夫は農家の長男で働き者だったらしい。

しかし二人の間には子供ができなかったそうだ。

いや、三度妊娠したが三回とも流産したらしい。

村の医者の話では、流産し易い体質のようだ。

そんな彼女に、嫁ぎ先の舅が言ったという。

「昭夫(夫の名前)は、たぶんもう帰ってはこないだろう。もし帰ってきたとしても、跡取りのできない嫁じゃ役に立たん。お前も、このままこの家にいても肩身が狭いことだろう。田んぼを一反(たん)分けてやるから、それを当座の生活費にして、自分の新しい人生を探したらどうだ」

 

見合い結婚をして嫁いできた春子も、夫に対して強い愛情があったわけではない。帰ってくる当てのない男を待っていてもしょうがない。自由な社会になったのだから、自分なりに自由に生きてみるのも面白いかもしれないと、彼女は考えた。

戦前から東京に働きに出ていた中学時代の女友達に相談すると、横浜がとても景気が良くて働き口も色々あると手紙に書いてよこした。

春子は、舅から貰った田んぼ一反を売り、そのお金を後生大事に懐に入れて上京し、横浜へやってきた。

新聞の求人広告にレストランの女給募集があったので、野毛にあったその店へ行ってみた。

高級そうな店で、少し気後れしたが、ここまで来たのだからと思い、勇気を出して店のドアを押し中に入った。

 

 

そこまで話して、春子は口を閉ざした。

その先は、あまり話したくないようだ。

 

耕一が、脱いだ上着ポケットからタバコを出すと、春子がそっと火を付けてくれた。

 

 

続く・・・・・・・・

 

 

 

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