「玉川学園」まで緩やかな上り坂。
都県境の道になっています。
高校生達がすごい勢いで坂を下っていきます。小田急線「玉川学園前駅」に向かっているのでしょう。
都県境は、玉川学園内を通り、和光大学方向に進みます。
(「今昔マップ」より)かつては丘陵地帯。それが今では。
※「玉川学園」は、小田急線をはさんで(丘で越えて)、東西に大きく広がり、正門は「玉川学園前駅」の北口を出たところにある。
東口案内所から構内へ。都県境の道は公道のようです。
校舎が並ぶ。
この建物は、町田市に属しています。
右手に、「教育博物館」。
この建物は、横浜市青葉区に。
創立者が生んだ「全人教育」を実践すること、それが玉川の教育
創立者小原國芳が1921年に開催された八大教育主張講演会で「全人教育」を提唱し、100年が経ちました。その間全人教育を教育方針に掲げる学校は国内外で増え続け、多くの学校教育を支える柱となりました。その全人教育を実践する場として生まれた玉川学園。創立以来、その理想を追い続ける教育を展開しています。(「玉川学園」HPより)
※沢柳政太郎が創立した成城学園から1929年(昭和4年)に枝分かれして、当時成城学園の幼稚園・小学校・高等女学校・高等学校の校長事務取扱だった小原國芳が創立した。前後して成城学園から分かれた和光学園創立による和光大学も敷地が隣接している。キリスト教精神に基づいた宗教教育を行っている(ただし、キリスト教学校教育同盟などには加盟していない)。(「Wikipedia」より)
しばらく都県境が続きます。
しかし、この先は、「玉川大学農場」構内に。※川崎市麻生区の飛び地になっている。
都県境は、玉川学園と敷地続きの和光大学校内へ進んで行きます。
その先は諦め、小田急線の踏切へ。
農場遠景。
小田急線踏切。
和光大学方向。
玉川学園方向。
都県境は、和光大学敷地内を通っています。
線路向こうのグランド付近。
左に広がる住宅地は、坂道や路地、行き止まりの道などもあって、右往左往してしまいました。
和光大学敷地内を通り抜けた都県境は、小田急線の線路と重なったあと、北西に移ります。
この付近が境界線。
都県境は、左に折れて行く。
沿道(都県境)の梅が満開。
この先、都県境は、鶴見川を越えていきます。
「鶴見川」に架かる「川井田橋」を渡って、(下流方向)。
(上流方向)。
都県境に戻ります。