おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その7。(「房総東往還」を歩く。第9日目。)

2024-01-30 18:14:33 | 房総東往還

この先、内房線と国道128号を陸橋で越えていきます。

スイセン。

            

内房線。「」方向。

振り返る。

左奥に内房線「山生(やもうめ)橋梁」。

途中、露出した岩に、貝の化石の跡があります。※剥がれた部分に貝。

この先、旧道は右に折れて進みますが、右折せずにそのまま歩いてしまいました。

この付近の今昔。

                             (1880年代)太線が「伊南房州通往還」。直角に曲がる道筋。

                             (現在)赤い線が国道128号。現在の旧道は複雑に進む。

※「江見太夫崎」は町村合併で付けられたもので、もともとは、「太夫﨑(村)」であった。                           

そして、

「道の駅 鴨川オーシャンパーク」脇へ。

     旧道は、この施設の向こう側、海側を進んでいきます。

旧道方向。

ユニークな建物。

鴨川オーシャンパークは、南房総の観光の主要幹線となる国道128号線沿いにあり、鴨川のとれたての海の幸、山の幸を販売する物産館や、昔の磯を再現した千年磯、青空市場、休憩所などがあります。鴨川オーシャンパークは、文字通り豊かな自然や温暖な気候に育まれた鴨川の魅力である「海」と「花」を基本テーマにしています。
 ここは、訪れる人々に憩いとやすらぎのひとときをつくる観光拠点づくりを目指すとともに、地場産業や文化、芸術分野との連携を図ることで地域の総合的な活性化と交流の場を目的とした海浜型リゾートパークです。

(この項、「」HPより)

そのまま「国道128号」を歩くことに。

右側の橋は? 名馬川に架かる橋。

         ※「国道128号」の旧道の一部だと思われますが。

「太夫崎漁港」。

バス停「名馬橋」。

この地名も頼朝伝説にちなみます。そこで、まとめて。

源頼朝と鴨川

  • 治承4(1180)年、伊豆で反平家の兵を挙げた源 頼朝は、相模(サガミ)の石橋山の戦いに敗れて、真名鶴岬(マナヅルミサキ)(現神奈川県真鶴)から小舟で逃れ、安房国平北(ヘイホク)郡猟島(現鋸南町(キョナンマチ)竜島)に上陸して再挙を図ったという史実は、良く知られています。
  • 猟島に上陸したのが8月29日(旧暦)のことで、それから9月13日までの14日間、安房に留まり、安房、上総の武士団を集め、13日に安房を出立して上総に向かったといいます。
  • この14日間の安房に於ける頼朝の行動に関連して、頼朝にまつわる話がいくつか市内に伝えられています。
  1. 一戦場 =頼朝が安房に上陸した4日後の9月3日のたそがれ時に、平氏に心を寄せていた当地の住人、長狭六郎常伴(ナガサロクロウツネトモ)は、頼朝を討とうと企て、宿所を襲ったが、頼朝の従者、三浦義澄(ミウラヨシズミ)らに討ち取られたといいます。この戦いがどこで行われたか明らかではありませんが、市内貝渚(カイスカ)に「一戦場(イッセンバ)」という地名があり、その場所とする伝承があります。
  2. 仁右衛門島 =石橋山の戦いに敗れた頼朝は、わずかの兵を引き連れて波太(ナブト)(現鴨川市太海浜(フトミハマ))の仁右衛門島(ニエモンジマ)に上陸しました。島主の仁右衛門は、頼朝一行を厚くもてなし、その再挙を助けました。喜んだ頼朝は、仁右衛門に「平野(ヒラノ)」の姓と島周辺の漁業権を与えたといいます。
  3. 名馬太夫黒 =頼朝が再挙を図って太夫崎(タユウザキ)(現鴨川市江見(エミ)太夫崎)まで来た時に、たまたま岩に蹄の跡(馬蹄石)を見つけました。このあたりに良い馬がいるのではないかと捜したところ、近くの洞穴で黒い毛並みの立派な馬を見つけました。そこで地名を採って、この馬に「太夫黒(タユウグロ)」と名を付け、頼朝の乗馬となりました。後に、磨墨(スルスミ)と呼ばれました。洞穴の前を流れる小川を「名馬川(メイバガワ)」といいます。
  4. 旗かけ松 =頼朝は、安房から上総に兵を進めるため、東条広場(現鴨川市広場)の松崎(マツザキ)(待崎(マッサキ))に至り、傍らの松に源氏の白旗を掲げて上総介平広常(カズサノスケタイラノヒロツネ)の到着を待ったところから、この名があるといわれています。
    この松はその後、天保(テンポウ)の旱魃(カンバツ)で枯れたので松のあった所に石碑を建てました。石碑の正面に「頼朝公旗掛松(ヨリトモコウハタカケマツ)」、裏面に「文久2年秋9月これを建てる」と刻まれています。

(この項、「」HPより)

旧道方向へ進みます。

             ※この道は旧道(「伊南房州通往還」)ではないようです。

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