おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

ローカル私鉄の旅。その25。上毛電鉄。その2。

2023-08-24 18:31:46 | ローカル鉄道

ホームのようす。

夏休み・平日のせいか、乗客は少ない。

車内には魚がいっぱい描かれています。

「走る水族館」。

               海なし県なりの工夫。子供たちが描いた絵が一面に。暑い夏にはふさわしい企画。

しばらく市街地を走る。

「城東(じょうとう)」。

  • 開業時は「一毛町」駅で、平成6年4月10日に駅名変更。

車内のようす。経営的に厳しい印象。

「三俣(みつまた)」。     

  • 開業時は停留所で昭和31年8月25日、自動信号化に伴い、300m西桐生方面に移設し、停車場に改良。

※「停留所」と「停車場」の違い

「停留所」とは、乗客の乗降りの為に路面電車が停車する、鉄道で言う「駅」に相当する場所、またはバスが同様にその為に停車する場所を指して使う言葉。

「停車場」とは、鉄道が停車することができる場所の総称。

旅客鉄道において、乗客が乗降りできる各駅や、単線の路線で上下の列車がすれ違う為に停車する場所、または点検などの為にそこに留めると決まっている場所など、停車が可能な場所。

ということは、この駅はかつて「路面電車」扱いで簡易な駅舎のみ?  

 

「片貝(かたかい)」。

                   群馬県立前橋高校の最寄り駅。

※群馬県立前橋高等学校

1877年(明治10年)9月、東群馬郡曲輪町(現・前橋市大手町)の旧前橋城内に設立された公立の第17番中学利根川学校をルーツとする。その後、1879年(明治12年)6月に利根川学校を閉鎖し師範学校内に群馬県中学校を開設する。その後さらに名称、設置場所などの幾多の変遷を経て、1901年(明治34年)4月に群馬県立前橋中学校となる。1948年(昭和23年)、学制改革によって、群馬県立前橋中学校は群馬県立前橋高等学校と改称、改編。4年後の1952年(昭和27年)、失火により、校内建築物は講堂と体育館を除いて全焼したが、まもなく再建された。当時の校舎復興に尽力した生徒の母親達の組織が「前橋高校母の会」として残り、PTAとは別に現在も活動中である。1979年(昭和54年)、天川地区の区画整理事業によって校地南側の道路が拡幅されることに伴い、校庭が道路用地として大きく削られることになったため、前橋市下沖町に新築移転した。なお、移転の際、生徒達が前橋高校の校旗を先頭として、自分の使う机を担ぎながら、文京町から下沖町まで移動した。

卒業生に多くの有名人を輩出している。

(この項、「Wikipedia」より)

    <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/8f/f41070322cf2f70598cb329f81f17f37.jpg">老人の利用者が目立つ。


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